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中山忠光遭難夜話

下関市豊浦町宇賀の鯖釣山近く(2015/01/13)

■ 伝説 ■

★忠光の呪い(宇賀)

◆徳丸亞木『「森神信仰」の歴史民俗学的研究』東京堂出版2002年

第一編:生きる場と暮らしを築く
第八章:死者と祀り
第四節:神となる死者―中山忠光卿と中山神社
ニ:中山忠光卿の死と伝承
中山忠光卿をめぐる伝承
中山忠光卿は、明治天皇の叔父という貴種である。そのような人物が村を訪れ、殺害されるという極めて大きな事件は、人々により記憶され、語られ、今日まで伝承されている。そして、その伝承のいくつかはすでに説話的な構造を持って語られている。
「中山卿が何かの理由で悪人ということになって、この土地に逃れて来た。庄屋の家に泊まって魚を捕って暮らしていた。そこも追われて、とうとう田耕の白滝あたりの家に宿をとって隠れていた。しかし、そこにも追っ手が探しに来て、家の者を捕まえて隠しているだろうと脅した。宿の者は追っ手と語らって、中山卿を逃すためだと偽って白滝のところに連れ出した。そこで追っ手は中山卿を挟み撃ちにして鎗で突き白滝に突き落とした。中山卿は裏切られたことに気がついて「おまえの家を黒こげにしてやる」と叫んで死んだ。その家は栄えずに火事で焼けて滅んでしまった」
この話は前節で論じた五年神が祀られる集落で語られたものである。特に後半の殺害時の叫びと、祟りとしての火事の発生などは、怨念を抱いて死んだ者の霊が祟りを発現するという人々の思考が投影されたものであり、いわゆる「史実」ではなく、あくまで民衆の心意が投影された語りであると考えられる。さらには同集落には次のような伝承も伝えられている。
「私の家の門名をウチゴシという。湯玉からこの村の庄屋さんの家に中山卿が向かうときに、私の家の裏を越えたのでこの門名が付いた。庄屋さんの家に中山卿が隠れていると、追っ手が来て、正月の餡子を練っていた女中を闇雲に責めつけた。女中は、餡子の付いたシャモジで中山卿が隠れていた場所を指したので、中山卿は逃げ出さねばならなくなった。それから庄屋さんの家では、餡子を作ると腐るようになった」
この伝承は、言うまでもなく先に紹介した旧庄屋家で祀られる五年神由来譚のモチーフと一致しており、史実とは異なる。十五世紀の出来事とされる五年神由来譚のモチーフを原型として、その舞台を四〇〇年以上後の文久三年の中山忠光卿をめぐる出来事に移し替えて語られたものといえる。集落の人々にとって中山卿は、鯖釣山城と同じく、外部から集落に逃げ込んできた貴種であり、人々は、鯖釣山をめぐる異人殺しのモチーフを中山卿をめぐる語りに写し、異伝を形成したものと思われる。この場合、中山卿は、追われ、隠れ、裏切られ、殺され、祟りなす死者霊とされた。
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山口県下関市豊浦町宇賀の集落に伝わる中山忠光伝説。集落も具体名の予測はできるが、著者が明示を避けているので、ここでは示さない。

著者の徳丸亞木氏は2014年現在筑波大学教授。山口県史編さん室民俗部会専門委員(1997〜2010)をつとめ、また1997〜1998年度には「「森神信仰」にまつわる伝承形成・再構成過程の比較民族学的研究」で科研費を受けて山口県豊浦郡豊浦町のモリサマ信仰などを調査している。引用部にある下関市豊浦町宇賀地域の中山忠光伝説も、これらの中で収集したもの。本書は出版社によれば「山口県下の「森神信仰」を研究対象とし、そこに表われる基層的な信仰観念の複合のありかたを考察し、現代における「森神信仰」の実態を、「森神」を中心とした民俗誌的叙述により明らかにする。」という。

前段は田耕地域で潜んでいた隠れ家から誘い出され殺されたがために、誘い出した相手を呪ったもの。後段は、宇賀地区の庄屋の家で隠れ場所を明かされたために庄屋の家を呪ったもの。前者の呪いは火事、後者の呪いは餡子が腐るというもの。指摘されているように、後者の呪いはもともと別の落人に関わるエピソードであったものが、人物を中山忠光に置き換えて語られている。前者は因果応報譚、後者は家のしきたりの由来譚でもある。

なお後者のシャモジで隠れ場所を示す話は、村娘が言わないことを約束した仲哀天皇の行方をクマソに尋ねられて言葉ではなく顎先で示して教えたために天皇が討たれた(その遺骸を華山に葬ったところが仲哀天皇殯斂地)という、下関市豊田町・菊川町に伝わる「伏拝の峰」(山口県小学校教育研究会国語部編『山口の伝説』1878年所収)の類話と言えるかもしれない。「伏拝の峰」では、言わないことを約束したが責められたので、顎先で示す(会釈)だけなら言ったことにはならないという村娘の心理の解説がなされている。シャモジで示した女中にも通じる心理であろう。『山口の伝説』は児童書として編集されているため、エピソードの前後が削られたり、逆に固有名詞など具体化している可能性がある。「会釈(エシャク)」「シャモジ」の音の近似も指摘しておきたい。

後者のエピソードについて「先に紹介した旧庄屋家で祀られる五年神由来譚のモチーフと一致」としているので、以下に該当部を引用。

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第一編:生きる場と暮らしを築く
第八章:死者と祀り
第三節:屋敷地や耕地の死者霊―「森神」と屋敷神にみる死者霊祭祀の伝承
ニ:戦乱の伝説と死者霊の祭祀
鯖釣山伝説
第一節で報告した豊浦郡(下関市)豊浦町宇賀湯玉には鯖釣山と称される標高一〇〇メートルほどの海に面した小山があり、この山頂には大内氏の支配時代、石川権守という地方領主の山城があったと伝えられている。鯖釣山にまつわる伝承は、湯玉や、そこにほど近いある集落などで、現在でも豊富に伝えられている。『豊浦郡郷土誌』では鯖釣山城主石川高宗は応永八年(一四〇一)、豊田民部丞滋氏について大内義弘に謀反を起こし破れて鯖釣山へ逃れそこで降伏したが、同十五年(一四〇八)、その息子高筐が再び謀反を起こし、破れてその一族はおおむね自刃し、石川家は滅んだとされる(豊浦郡小学校長会編『豊浦群郷土誌』六六二頁)。鯖釣山に史実として山城があったという考古学的な証明は、現時点ではなされていない。石川家と鯖釣山落城をめぐる出来事の記述は、石川家子孫とされる家に伝えられている「系図並ニ過去帳 長門伊佐村 士族石川家」や、ある集落の旧庄屋家に保存されている「家譜」などにも見られる。いずれの文書も成立年代が不詳であり、現状ではどこまでが史実か確定はできない。しかし、湯玉やその集落では、この鯖釣山落城に際して、多くの武将や兵士が山城から逃れ、逃げ延びようとして追われ、討ち死にしていったと伝えられている。

(中略)

鯖釣山にほど近いある集落では、鯖釣山の落人が落城に際して逃げ込み、殺されていったとする伝承を豊富に伝え、集落に祀られる「森神」や屋敷神の内、鯖釣山落人を祀ると伝えているものが半数以上に及んでいる。

(中略)

異人殺しと家例の発生
その集落では、旧庄屋家に鯖釣山の城主が逃げ込んだとする伝承が語られている。城主は、その家のオナゴシが節句の赤粒餅(小豆餡を塗した餅)の餡を煮ていた竈の裏に隠れるが、追っ手に責められたオナゴシのシャモジ(杓文字)で居場所を示され、その場から逃亡し、村境で殺害されたとされる。その家では、その後、赤粒餅を作ることを禁忌とする家例(家や特定の家系で守られる禁忌や決まり)を定め、城主の霊をその一族で「五年神」として祀ったと集落では語られる。

(中略)

すなわち五年神の由来は、@外在的な異人を殺すことによりその家筋に災厄が生じ、死者霊の供養のために神として祀ったとする異人殺し譚に、A家のハレを迎えるための竈での儀礼食作りが死によって穢されたため、家例が発生したとする家例発生譚とが結び付いて形成された可能性が高い。
いずれにしても、ここで殺され、祀られる死者霊は、地域の歴史伝説を背景として語られるものであり、十五世紀当時の出来事が、今、目の前で起こった出来事のように語られ、現在のその家の状況を説明する理由づけとして用いられている。
誤解がないように付け加えるならば、このような伝承は、歴史的にそれが実際に起こったことが証明される史実とは性質が異なる。これらの伝承は歴史資料によりその出来事が確証された史実としてではなく、「伝承を語る人々がそれを信じている、つまり心理的に真実とみなす発想」に支えられた「民俗的事実」に係わるものとして考えることができよう(宮田登「「民俗的歴史」論の動向―民俗学の方法論をめぐって」『国立歴史民俗博物館研究報告 第二七集』二五八〜二五九頁)
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★忠光伝説★

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