『十七条憲法』の考察

私のYahooでのトピック「聖徳太子と織田信長に恋しています」で掲載した『十七条憲法』の考察です。  

十七条憲法について 投稿者: kituno_i 2000年11月26日 午後 5時55分 メッセージ: 2152 / 2185

『十七条憲法』について私なりに調べた解釈を得意の(^^;)連載形式で述べたいと思います。

現在も使われている「憲法」という社会の基本法を意味する言葉(constitution)は、聖徳太子が作った『十七条憲法』からそのままとったものです。 しかし、この聖徳太子が作った『十七条憲法』とは、現在の『日本国憲法』のように国民全体に対してのものではなく「官僚の心得が厳しく説かれているものである」ということを前提に読んでいただきたいと思います。
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17条憲法−第1条(1) 投稿者: kituno_i 2000年11月26日 午後 9時48分 メッセージ: 2153 / 2185

条文は中村元氏の『聖徳太子』での現代語訳を引用いたしました。

第一条
「一に曰く、和をもって貴しとし、忤(さから)うことなきを宗とせよ。
人みな党(たむら)あり。また達(さと)れる 者少なし。ここをもって、あるいは君父にしたが順(したが)わず。また隣里に違う。然(しか)れども、上和らぎ 下睦びて、事を、論(あげつら)うに諧(かな)うときは、事理おのずから通ず。何事か成らざらん。」


太子が一番に掲げたのは、氏族間の「和」でした。
蘇我・物部抗争、叔父穴穂部皇子の殺害、崇峻天皇弑逆など氏族や血縁間での血なまぐさい争いの中で多感な時期を過ごした太子が最も願ったのは、人と人との「和」でした。 この条文での「党」というのは氏族集団を意味していると思います。人々は皆育った環境が違いますから、様々な考え方や立場を持つものです。しかし相手の立場を理解しようとし、論じ合えば必ず物事は解決していくに違いないという太子の理想が述べられています

【現代語訳】
「ーにいう。和を大切にし、いさかいをせぬようにせよ。人はそれぞれ仲間があるが、全くよく悟ったものは少ない。それ故君主や父にしたがわず、また隣人と仲違いしたりする。けれども上下の者が睦まじく論じ合えば、おのずから道理が通じ合い、どんなことでも成就するだろう。」 (*現代語訳は、宇治谷孟氏の『日本書紀 全現代語訳』によりました。)

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十七条憲法−第一条(2) 投稿者: kituno_i 2000年11月26日 午後10時44分 メッセージ: 2158 / 2184

国際的に視野を広げてみると、この時代は百済や新羅などから新しい知識が入って来るようになり渡来人が急激に増えました。そう言った国際化の時代に必要なのは、物の考え方、感じ方、文化、生活様式など自分とは全く違う人々が存在することを認め、相手の立場を理解しようと心がけることです。そのことの大切さをまずこの「第一条」で唱ったのです。
それまでの豪族連合体であった大和の国にとって「国際情勢に対応するために官僚や群臣の気持ちをひとつにする憲法」「対外的に対応できる憲法」が必要であること、慧慈から国際情勢を学んでいた太子は敏感に感じ取ることができ、「和」という言葉で官僚・群臣を天皇の元でまとめようとしました
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十七条憲法−第二条(1) 投稿者: kituno_i 2000年11月29日 午後10時29分 メッセージ: 2166 / 2185

第二条
「 二に曰く、篤く三宝を敬え。三宝とは、仏と法と僧なり。
すなわち四生の終帰(よりどころ)、万国の極宗(おおむね)なり。いずれの世、いずれの人か、この法を貴ばざらん。人、はなはだ悪しきもの少なし。よく教うるをもて従う。そ三宝に帰(よ)りまつらずば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)す。」


第二条の主旨は「仏を篤く敬うこと」ですが、私が注目したいのはこの後の「人、はなはだ悪しきもの少なし」の一言です。 太子は「性善説」を説いているのです。

第二条は「篤く三宝を敬え」という部分のみよく取り上げられ、その主張が官僚の三宝の帰依のみであるかのように解釈されています。確かに官人の三宝帰依を勧めているには違いないのですが、私はむしろ第二条の後半部分こそ聖徳太子の思いが込められているのではないかと思うのです。 「仏教は人を変えることができるのだ」という「仏教はよこしまな考えを持つ人を正すことができるのだ」という、純粋に仏教を信じる人物のみが表現できる言葉なのです。


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十七条憲法−第二条(2) 投稿者: kituno_i 2000年11月29日 午後10時34分 メッセージ: 2167 / 2185

親族同士が血で血で洗うような時代に身を置きながら、それでも「悪しきもの少なし。よく教うるをもて従う」 つまり「悪い人ははなはだ少ないものだ、よく教えてあげれば理解を示してくれるものだ。仏の心を貴べば間違ったことも直すことができるのだ」と言っているのです。

この世に「おまえは悪人だ」と子供の時から言われたい人が存在するのでしょうか?
「罪を犯してしまう人も本当は罪を犯すようなことはしたくなかった。 その人の話を聞いて導いてくれる人、仏の心を教えてあげる人ががいなかっただけなのではないか。」
太子が「人間への信頼を貫いていること」に私は感動するのです。

<第二条・現代語訳>(『全現代語訳・日本書紀』宇治谷孟訳より)
「二にいう、篤く三宝を敬うように。三宝とは仏・法・僧である。仏教はあらゆる生きものの最後の拠り所。すべての国の究極のよりどころである。いずれの世、いずれの人でもこの法をあがめないであろうか。人ははなはだしく悪いものは少ない。よくおしえれば必ず従わせられる。三宝によらなかったら何によってよこしまな心をただそうか」

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十七条憲法−第三条(1) 投稿者: kituno_i 2000年12月02日 午後 9時07分 メッセージ: 2183 / 2185

第三条
「三に曰く、詔(みことのり)を承りては必ず謹め。君をば天とす。臣をば地とす。天は覆い、地は載す。四時(しいじ)に順(したが)い行いて、万気通うことを得(う)。地、天を覆わんとするときは、壊(やぶ)るることを致さん。ここをもって、君言(のたま)うときは臣承る。上(かみ)行うときは下(しも)靡(なび)く。ゆえに詔を承りては必ず謹め。謹まずば、おのずから敗れん。」

第三条を読むと、私が、『十七条憲法』の対象が一般国民ではなく「官僚」である、とした理由が明確にわかると思います。
「詔を承りては必ず謹め」という言葉だけを取り上げて、『十七条憲法』は天皇の下での絶対権力の確立や民の天皇服従を表した憲法である、と解釈される説がありますが、これは明らかに間違いです。 「君をば天とす。臣をば地とす」とし、決して「民をば地とす」とは言っていないのです。 あくまでも天皇に仕える「臣」の心得なのです。 --------------------------------------------------------------------------------
十七条憲法−第三条(2) 投稿者: kituno_i 2000年12月02日 午後 9時10分 メッセージ: 2184 / 2185

戦争中はこの第三条を「天皇権力を絶対としてまつりあげるため」に利用しました。
それによって多くの民の命が奪われたことは、決して太子の望むところではありませんでした。 太子は「戦わずして」隋との国交を開いたのですから。
繰り返しになりますが、「詔を承りては必ず謹め」と説いている相手は、天皇の“臣”であるべき「古代豪族」達であり、決して一般国民に対してではないのです。 そして、その前提に第二条の「性善説」があるのです。 --------------------------------------------------------------------------------

第四条〜第八条 礼の徳

十七条憲法−第四条 投稿者: kituno_i 2000年12月05日 午後10時45分 メッセージ: 2209 / 2324

第四条
「四に曰く、群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、礼をもって本(もと)とせよ。それ民を治むる本は、かならず礼にあり。上、礼なきときは、下、斉(ととのお)らず。下、礼なきときは、かならず罪あり。ここをもって、群臣礼あるときは、位次(いじ)乱れず。百姓礼あるときは、国家おのずから治まる。」


「礼」とは、社会の秩序を守るための生活規範となるもので、総称、儀式、作法、制度、文物を含む、儒教では最も道徳的な観念のことで、「敬意を持ったふるまい、感謝の気持ちをあらわす」ということです。
「卿」とは「役人」のことで、「卿」は「臣」よりも上の人つまり「官僚」を示します。
「寮」とは「役人のいるところ」すなわち「役所」です。
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十七条憲法−第四条(2) 投稿者: kituno_i 2000年12月05日 午後10時54分 メッセージ: 2210 / 2324

太子は第四条の中で「政治を司るものほど、礼儀正しくしなければいけない」と言っているのです。

それは天皇に対しての礼儀的なことばかりでなく、相手に敬意を示し、相手の意見を尊重することで下のものも礼をつくすことができるようになり、国がおのずから治まってくるはずだ、という太子の願いが込められているような気がします。

また、太子は中国と国交を開くに当たって中国で古代から重んじられてきた「礼の秩序」を日本にも作ろうとしたのです。

『十七条憲法』に先立ち、『冠位12階』を定め、それに基づく身分に対応する服制を作りました。
十七条憲法−第五条(1) 投稿者: kituno_i 2000年12月07日 午後 9時12分 メッセージ: 2212 / 2324

第五条
「五に曰く、あじわい餐食(むさぼり)を絶ち、たからのほしみを棄てて、明らかに訴訟(うったえ)を弁(さだ)めよ。それ百姓の訟(うったえ)は、一日に千事あり。いちにちすらなお爾(しか)るを、いわんや歳を累(かさ)ねてをや。このごろ訟を治むる者、利を得るを常とし、賄(まいない)を見てはことわりもうすを聴く。すなわち財のあるものの訟は、石をもって水に投ぐるがごとし。貧しき者の訟は、水をもって石に投ぐるに似たり。ここをもって、貧しき民は所由(せんすべ)を知らず。臣道またここにかく。」


「政治に携わる者は私利私欲を捨てて、公平無私の立場で訴訟を行うように」「公平な態度で裁判を行うように」ということです。貧しい者は賄賂を使って訴えを聞いてもらうことはできません。この時代に「貧しき者の訴えにも耳を傾けよ」というこの太子の言葉に「訴訟はすべての人民の権利である」という暖かい太子の心を感じます。
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十七条憲法−第五条(2) 投稿者: kituno_i 2000年12月07日 午後 9時24分 メッセージ: 2213 / 2324

「このごろ訟を治むる者、利を得るを常とし、賄(まいない)を見てはことわりもうすを聴く。」
この一文から、裁判する人がそれによって利益を得ることを当然として、高額な賄賂をくれた人の訴えは聞くが、貧しい人の訴えは全く受け入れなかったという不正な裁判が行われていた当時の様子を伺うことができます。
貧しい人たちはどうしたらいいのでしょう?
「すなわち財のあるものの訟は、石をもって水に投ぐるがごとし。貧しき者の訟は、水をもって石に投ぐるに似たり。」の文には、公然と賄賂を受け取り、不公平な裁判をしていた役人達への強い太子の怒りさえも感じるのです。、この時代、貧しき者が牛馬のように扱われていた時代、太子は民に暖かい眼差しを注いでいたのです。その後の民衆の間で太子信仰が広がるのは当然のことのように思います。

太子が10人の訴えを一度に聞くことができたという逸話は決して超人的な意味ではなく、様々な立場の人の訴えを聞いてくれたということだと思います。

太子はどうしてこのように民衆に目を向けることができたのでしょう?
その理由は「斑鳩」にあるように思います。
十七条憲法−第六条(1) 投稿者: kituno_i 2000年12月08日 午後11時32分 メッセージ: 2216 / 2324

第六条
「六に曰く、悪を懲(こ)らし善を勧むる者は、古(いにしえ)の良き典なり。ここをもって、人の善を匿(かく)すことなく、悪を見てはかならず求iただ)せ。それ諂(へつら)い許(あざむく)者は、国家を覆(くつがえ)す利器なり。人民を絶つ鋒剣(ほうけん)なり。また佞(かだ)み媚(こ)ぶるものは、上に対しては好みて下の過(あやまち)と説き、下に逢いては上の失(あやまち)を誹謗(そし)る。それ、これらの人は、みな君に忠なく、民に仁なし。これ大乱の本なり。」


太子はここで「勧善懲悪」を説いています。この言葉は儒教でよく語られる言葉です。
「自分は誉められたい」と誰も思っているのですが、人の善を認めてあげることのできる人は少ないのかもしれません。自分の利益に関わってくるなら誉めてあげることができるのですが、直接自分の利益に関わってこなければ認められないという心情が心の根底にあるのかもしれません。
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十七条憲法−第六条(2) 投稿者: kituno_i 2000年12月08日 午後11時43分 メッセージ: 2217 / 2324

悪を見て求iただ)す」ということも大変勇気のいることです。
悪いことを注意されてもなかなか素直に受け取ってはもらえません。
逆恨みさえされてしまうこともあります。
自分に迷惑がかかりさえしなければ、見て見ぬ振りをしてしまいます。

「それ諂(へつら)い許(あざむく)者は、国家を覆(くつがえ)す利器なり。人民を絶つ鋒剣(ほうけん)なり。また佞(かだ)み媚(こ)ぶるものは、上に対しては好みて下の過(あやまち)と説き、下に逢いては上の失(あやまち)を誹謗(そし)る。」
太子がどんな人間を嫌っていたかがよくわかります。
「媚びへつらう人間」です。

この第六条は私にとっても耳が痛いです。
つい上司の欠点を後輩に言ってしまったりします。ただ、私は上の者に媚びることはしません。^^;;
太子の理想の高さを感じると供に、その難しさも感じます。
十七条憲法−第七条(1) 投稿者: kituno_i 2000年12月11日 午後 3時10分 メッセージ: 2222 / 2324

第七条
「七に曰く、人おのおの任あり。掌(つかさど)ること、濫(みだ)れざるべし。それ賢哲、官に任ずるときは、頌(ほ)むる音(こえ)すなわち起こり、奸者(かんじゃ)、官を有(たも)つときは、禍乱すなわち繁(しげ)し。世に、生まれながら知るひと少なし。よく念(おも)いて聖となる。事、大少となく、人を得て必ず治まる。時、急緩となく、賢に遇(あ)いておのずから寛(ゆたか)なり。これによりて、国家永久にして、社稷(しゃしょく)危うからず、故に、古の聖王、官のために人を求む。人のために官を求めず。」

この条は「適材適所」を説いています。
これはあえて説明しなくても納得できることです。

梅原猛氏はその著書「聖徳太子」の中で「世に、生まれながら知るひと少なし。」を「人は生まれながらにして善でも悪でもない」と解釈していますが、私はちょっと違った考えを持っています。
この第七条は、第二条の「人、はなはだ悪しきもの少なし。よく教うるをもて従う」と関連してしていると考えています。第二条によって「性善説」と説いて第七条において「人は生まれながらにして悪い人は少ない。ただ『知』というものは生まれながらにして持っているものではなく、教育と修養によって得ることができるものであると説いて、官僚達に「勤勉を勧めている」のではないかと思うのです。

奸者とは、よこしまな考えを持つ人のことです。そういう人が官僚になると禍(わざわい)や乱が起きるとし、仏教や儒教を学び知識を得たもの(すなわち賢哲)が官僚や政治家になることにより、国の安泰が保障されるという理想を述べているのです。
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十七条憲法−第七条(2) 投稿者: kituno_i 2000年12月11日 午後 3時14分 メッセージ: 2223 / 2324

この第七条に太子の持つ「過ぎたる理想」を見ることができます。
『冠位十二階』において、太子は、秦河勝や小野妹子のように代表されるようなそれまでの姓にとらわれない能力主義の思い切った人材雇用を行っています。しかし、それまでの古代からの豪族達にとってはものすごく反感を持つことだったのではないでしょうか?

表立たない周囲からの反感や妬み、そういった人間の裏の面を甘く見ていた太子像が浮かんできます。
賢い者でも、自分にとって不利益なものは無用だと冷たく切り離してしまいます。
人間は太子が考えるほど賢くも善でもないのです。

学問ができるだけでは政治は成り立たず、現実を見据えある程度の妥協や融通姓を持ったものの方がむしろ政治家には向いているのかもしれません。それが「蘇我馬子」でした。

太子は、理想の人間像を求めすぎます。潔癖すぎます。
だからこそ、太子は傷つきやすかったとも言えるでしょう。
十七条憲法−第八条(1) 投稿者: kituno_i 2000年12月11日 午後 3時15分 メッセージ: 2224 / 2324

第八条
「八に曰く、群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、早く朝(まい)りて晏(おそ)く退(まか)でよ。公事いとまなし。終日(ひねもす)にも尽くしがたし。ここをもって、遅く朝るときは急なることに逮(およ)ばず。早く退るときはかならず事尽くさず。」


「朝は早く出勤し、遅く帰りなさい」という官僚に対する服務規程です。
この一文から、当時の役所のだらだらした勤務態勢を伺い知ることができます。
「朝は遅く、帰りも早い」という官僚が多かったのでしょう。^^;;
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十七条憲法−第八条(2) 投稿者: kituno_i 2000年12月11日 午後 7時15分 メッセージ: 2225 / 2324

「百姓の訴えは一日に千事もあるのだから、公事に暇はないはずなのである。だから、官僚は朝は早く来て、遅くまで働かなくては仕事の能率が上がらない」と太子は言います。
確かにその通りです。

朝が遅いと慌てて仕事をしなければならず、帰りが早いと仕事が途中になってしまい、仕事に的確性を欠いてしまいます。でも、公共のために働くこととはいえ、人は働いただけの「自分への見返り」も期待してしまうのです。

太子の理想についていけない官僚達の姿も見えてきませんか?

太子没後、舒明天皇のときは、朝6時に出勤して午前10時に退出するように提案されていたそうです。
(だから「朝廷」と言います。)
これを守らなかったのが「蘇我蝦夷」です。


第九条〜第十四条 信と義の徳 

十七条憲法−第九条(1) 投稿者: kituno_i 2000年12月15日 午後11時02分 メッセージ: 2234 / 2324

第九条
「九に曰く、信はこれ義の本なり。事ごとに信あるべし。それ善悪成敗はかならず信にあり。群臣とも信あるときは、何事かならざらん。群臣信なきときは、万事ことごとく敗れん。」


短い文ですが、とても解釈は難しいです。
言葉の意味だけで解釈すれば「信」とは「嘘を言わず、言行が一致すること。」「欺かないこと」であり、それが「義」つまり「人間としての正しい道」につながる、ということになります。
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十七条憲法−第九条(2) 投稿者: kituno_i 2000年12月15日 午後11時07分 メッセージ: 2235 / 2324

太子は、人間関係のもとは「信」であるとし、官僚達の人間関係がお互いの信頼関係の上にあれば、きっと物事がうまく解決されるばずである、そして「信」があってこそ「義」が成り立つと説いています。

この「群臣」を「君臣」と変えて解釈する考えもあります。
そうなるとこの九条は「君(天皇)と臣(官僚)の上下間の信頼関係を言わんとしたもの」だということになります。

「官僚間の人間関係のもと」を示したものであるか、それとも「君臣の上下関係のもと」を示したものであるのかという解釈の違いで『十七条憲法』全体の解釈の仕方が全く違ってしまいます。

私は「官僚間の相互の信頼関係」を説いたものである、と解釈したいです。
また「信」は「信仰」も意味しているようにも思います。
その信仰とは「仏教」です。
十七条憲法−第十条(1) 投稿者: kituno_i 2000年12月15日 午後11時10分 メッセージ: 2236 / 2324

第十条
「十に曰く、心のいかり(忿)を絶ち、おもてのいかり(瞋)を捨てて、人の違うことを怒らざれ。人みな心あり。心おのおの執るところあり。かれ是とすれば、われ非とす。われかならずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。是非の理、たれかよく定むべけんや。あいともに賢遇なること、鐶(みみがね)の端(はし)なきごとし。ここをもって、かの人は瞋(いか)るといえども、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われひとり得たりといえども、衆に従いて同じく挙(おこな)え。」


私はこの十条がとても好きです。
では、私なりに単純に解釈してみると..。
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十七条憲法−第十条(2) 投稿者: kituno_i 2000年12月15日 午後11時13分 メッセージ: 2237 / 2324

「自分の意見が人と違っても、心の奥のいかりも顔に出てしまうようないかりもすてて、怒ってはてはいけない。人間は皆、心をもっている。人間の思いは人それぞれ違うのである。

相手が「よい」と思ったことでも自分にとっては「だめ、いらざること」だということがある。自分の考えがいつも正しいとは限らない。相手の考えが愚かだとは限らない。皆同じ凡夫(平凡な人)である。大事なのは相手のことを責めるよりまず自分自身に落ち度やあやまちがなかったかどうか反省すべきである。自分が得たものは、多くの人に対しても行うべきことである。」

十七条憲法−第十条(3) 投稿者: kituno_i 2000年12月16日 午後 9時03分 メッセージ: 2242 / 2324

太子は、他人を責めるより、まず自分を反省することで信頼関係が成り立つと信じています。
人はここまで悟れるものではありません。
人は、自分の意見に従わない人を「悪」とし、憎んでしまうような気持ちが心の奥にあります。
太子の言うことは「理想」です。
現実にはとても難しいです。

でも「人の違うことを怒らざれ。人みな心あり」ということは、自分に言い聞かせておきたい一言です。忘れてならないことです。
十七条憲法−第十一条(1) 投稿者: kituno_i 2000年12月19日 午後 8時49分 メッセージ: 2251 / 2324

第十一条
「十一に曰く、功過を明らかに察(み)て、賞罰かならず当てよ。このごろ賞は功においてせず、事を執る群卿、賞罰を明らかにすべし。」


当時、かなり理不尽なことがまかり通っていたのでしょう。功績のあった人が認められず、何もせずただ悪賢い人だけが賞をもらっていたりすることがあったのでしょう。

権力者に気に入られているからとか気に入られないからとかで賞罰が決められるのは、この時代ばかりではありませんね。
太子は十一条の中で「賞罰の公平」を訴えています。
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十七条憲法−第十一条(2) 投稿者: kituno_i 2000年12月19日 午後 8時51分 メッセージ: 2252 / 2324

十一条は、先の第五条や第六条とも関わっています。
「権力者に媚びへつらう者に対する太子の憤り」をこの条においても感じます。

しかし、人間社会は往々にしてそういうことで成り立っているように思います。
この太子の理想は、豪族達に簡単に受け入れられるものとは到底思えません。
『十七条憲法』を示したことにより、孤立化の道に進んでいく太子の姿が見えるのは私だけでしょうか?
十七条憲法−第十二条(1) 投稿者: kituno_i 2000年12月26日 午後10時24分 メッセージ: 2271 / 2324

第十二条
「十二に曰く、国司・国造、百姓に斂(おさ)めとることなかれ。国に二君なし。民に両主なし。率徒の兆民は王をもって主となす。所任の官司はみなこれ王臣なり。何ぞあえて公と、百姓に賦斂(おさめと)らん。」


この第十二条が『十七条憲法』は太子の作ではない、とする説の根拠となっています。
偽作説をとなえたのは津田左右吉氏です。
「国司」は大化改新時に置かれたもので、それ以前に「国司」という言葉はなかったはずだというものです。
また国造は国司がおかれた際に廃止され、国造の一部が郡司となっているので、この点でも矛盾していることを指摘しています。

しかし、それに対するしっかりとした反論もあります。
『日本書紀』において大化改新以前の記述の中で「国司」の名がみられ天皇の命を受けて地方を収める者を大化改新以前も「国司」と呼んでいた可能性があるのです。
国司は天皇の命を受け派遣された地方官、国造はその土地に住む有力首長がなっており、中央集権化を進めようとしていた太子の時代にはどちらも存在していたと考えられるのです。
そして大化改新後、それまでの国造を廃し、「国司」のみが朝廷から派遣され、その下に「郡司」を置きました。
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十七条憲法−第十二条(2) 投稿者: kituno_i 2000年12月26日 午後10時29分 メッセージ: 2272 / 2324

太子は「人民を収めるのは天皇であり、国司や国造ではない」と訴えています。
地方官僚も天皇の群臣であり、その地方の王ではないことをはっきりさせようとしています。
つまり「豪族体制を否定し明らかに天皇中心の政治体制」を主張しているのです。

こう考えると『十七条憲法』が蘇我馬子である、とする説も完全に否定できます。
豪族体制の頂点にあった蘇我馬子が豪族体制を否定する憲法を作成するはずがないのです。

「国に二君なし。民に両主なし。」の言葉には太子の蘇我氏に対する憤りさえ感じます。


太子はこの十二条において「天皇の元に万民があり、官僚・群臣は天皇のために働くべきだ」とし、
中央集権化を明確にしています。
朝鮮半島や中国の情勢を踏まえた上で、まず官僚から天皇の元に一つにまとめようとしたのです。
十七条憲法−第十三条(1) 投稿者: kituno_i 2000年12月26日 午後10時31分 メッセージ: 2273 / 2324

第十三条
「十三に曰く、もろもろの官に任ぜる者、同じく職掌を知れ。あるいは病し、あるいは使して、事を闕(おこた)ることあらん。しかれども知ることを得る日には、和(あまな)うことむかしより<曽>識(し)かれるがごとくせよ。それを与(あずか)り聞かずということをもって、公務をな妨げそ。」


「もろもろの官に任ぜる者、同じく職掌を知れ。」というのはそれぞれの部局において仕事をするときは、その部局が全体(国政)の中でどういう役割を持っているのかしっかり認識して仕事をせよ、ということだと思います。
どんな係でも全体に通じる役割があるのです。
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十七条憲法−第十三条(2) 投稿者: kituno_i 2000年12月26日 午後10時36分 メッセージ: 2274 / 2324

担当者が病気になって仕事を休んでも仕事に穴が開かないように、そして病気の者が復帰したときにもその仕事の進み具合をしっかり把握し、仕事の内容が不明瞭になることのないようにしなさい、という注意を与えています。
「担当がいないからとか病気で休んでいたからわかりません」という言い訳を許さないです。

官僚は、いかなる場合も公務に支障を来さず、常に広い目で仕事を捉えている必要があるのです。
これは国政担当者ばかりでなく、地方行政に当たる者にも言えることです。
十七条憲法−第十四条(1) 投稿者: kituno_i 2000年12月27日 午後 9時27分 メッセージ: 2277 / 2324

第十四条
「十四に曰く、群臣百寮(ぐんしんひゃくりょう)、嫉妬あることなかれ。われすでに人を嫉(うらや)むときは、人またわれを嫉む。嫉妬の患(うれ)え、その極(きわまり)を知らず。このゆえに、智おのれに勝るときは悦ばず。才おのれに優るときは嫉妬(ねた)む。ここをもって五百歳にしていまし今賢に遇(あ)うとも、千載にしてひとりの聖を持つことに難(かた)し。それ賢聖を得ずば、何をもってか国を治めん。」


この第十四条を私は次のように解釈しています。

「群臣たるものは嫉妬してはならない。自分が人を嫉妬するときは、人もまた自分のことを嫉(ねた)むものである。人は才能のある者を嫉み、人が失敗することを悦ぶという感情を持っている。嫉妬心というのは極(きわみ)がないもの、果てしなく続く感情である。他人が自分よりすぐれていることを悦ばない。嫉妬心を持つ者は、五百年に一度現れるという賢人に出会ったとしてもそれを認めず、聖とすることができない。しかし、聖賢を得なければ国は治まらないのである。(だから、群臣は嫉妬してはならないのである)」
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十七条憲法−第十四条(2) 投稿者: kituno_i 2000年12月27日 午後 9時34分 メッセージ: 2278 / 2324

第四条において「群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)」という言葉を用いているのに対し、この第十四条では「群臣百寮(ぐんしんひゃくりょう)」と言っていることにまず注目しなければなりません。
「卿(けい)」は「臣(しん)」よりも位の高い官僚を表す言葉です。
第十四条で「群臣」という言葉を用いているのは、「嫉妬」は、より位の低い役人が持つ感情だからです。

太子は、『十七条憲法』に先立ち『冠位十二階』を定めていますが、これは今までの古代豪族による政治体制から、天皇が冠位を授けることによる能力主義の体制作りをしようとしたものです。
能力のある者が高い位を授かることができたということは「嫉妬心」を助長させるものだったのではないでしょうか。

『冠位十二階』や『十七条憲法』は当時の社会ではあまりにも画期的・理想的すぎ、太子自身が周囲の実力者から「妬み」「恨み」をかってしまったような気がします。

人間は嫉妬する動物です。この嫉妬心が多くの悲劇を生みます。


第十五条〜第十七条 智の徳

十七条憲法−第十五条(1) 投稿者: kituno_i 2000年12月28日 午後10時57分 メッセージ: 2281 / 2324

第十五条
「十五に曰く、私を背きて公に向(ゆ)くは、これ臣の道なり。およそ人、私あるときはかならず恨みあり。憾(うら)みあるときはかならず同(ととのお)らず。同らざるときは私をもって公を防ぐ。憾みおこるときは制に違い、法を害(やぶ)る。ゆえに初めの章に云う。上下和諧せよ、と。それまたこの情(こころ)か。」

上下和諧の「諧」とは、「やわらげること」、「和諧」とは、「やわらぎ調和すること」の意です。
私情を混じえると恨みを伴い、「和諧」することができなくなってしまいます。

私情を混じえず、公務を行うことが、官僚の道理です。
私情が入るということは必ず恨みがあり、恨みがあると公正を欠いてしまい、判断能力を著しく低下させてしまうばかりか、公務を同じくすることができなくなり、制に違い、法を守らなくなってしまうのです。

太子はこの条で「和」の大切さを改めて強調しています。
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十七条憲法−第十五条(2) 投稿者: kituno_i 2000年12月28日 午後10時59分 メッセージ: 2282 / 2324

人の「恨み」の感情の醜さを太子は幾度となく味わってきたのでしょう。
恨みによって政治を動かすようなことがあってはならないのです。
「嫉妬」や「恨み」という人間の感情の「悪」の部分を官僚は克服しなければならないと説いているのですが、凡人はなかなかそこまで悟れるものではないように思います...。
十七条憲法−第十六条(1) 投稿者: kituno_i 2000年12月29日 午後11時51分 メッセージ: 2284 / 2324

第十六条
「十六に曰く、民を使うに時をもってするは、古の良き典なり。ゆえに、冬の月に間あらば、もって民を使うべし。春より秋に至るまでは、農桑(のうそう)の節なり。民を使うべからず。それ農(なりわい)でずば、何をか食らわん。桑(くわと)らずば何をか着ん。」


この条は、解説がなくてもよくわかることです。
「公共事業や内乱・外征のために民を使うときは、時期を考えて使わなければならい。春から秋にかけての農繁期には民を使ってはいけない。冬の農閑期に使うべきである。農業ができなかったら、何を食べるのか?桑を採らなかったら何を着るのか。」
太子は、民に対しての思いやりを示しています。
国を支える根底にあるのは、田畑を耕す民の力であることを忘れてはいけないのです。
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十七条憲法−第十六条(2) 投稿者: kituno_i 2000年12月29日 午後11時56分 メッセージ: 2285 / 2324

太子と偕老同穴を誓った妃・菩岐々美郎女(ほききのいらつめ)は、膳部傾子((かしわでかたぶこ)の娘・膳部姫であると言われていますが、別名を芹摘姫と言い、「芹を摘んでいるところを太子が見初めた姫である」という伝説が残っています。

この姫は実は身分の低い農民の娘であったのではないかとも伝えられており、この姫の存在が太子に農民の暮らしを知らしめ、太子の農民に対するいたわりの気持ち生んだのではないかと思います。
十七条憲法−第十七条 投稿者: kituno_i 2000年12月30日 午前 0時00分 メッセージ: 2286 / 2324

第十七条
「十七に曰く、それ事はひとり断(さだ)むべからず。かならず衆とともに論(あげつら)うべし。少事はこれを軽し。かならずしも衆とすべからず。ただ大事を論うに逮(およ)びては、もし失(あやまち)あらんことを疑う。ゆえに衆と相弁(あいわきま)うるときは、辞(こと)すなわち理を得ん。」


いよいよ最後の条になりました。
太子は『十七条憲法』の〆として、第一条で述べたことを再び繰り返しています。
第一条で太子は「上和らぎ、下睦びて、事を、あげつら論うにかな諧うときは、事理おのずから通ず。何事か成らざらん。」と言い、最後の第十七条において「かならず衆とともに論(あげつら)うべし。...ゆえに衆と相弁(あいわきま)うるときは、辞(こと)すなわち理を得ん。」と結んでいます。

「物事を決めるときは独断ではいけない。必ず多くの人の意見を聞き論じ合うべきだ。少事は必ずしも衆と論じ合う必要はないが、大事は多くの人に相談して意見を聞くべきである。そうすることで理を得ることができる。」

小事は、天皇の判断(独断)で良いのです。決断力がなければ君主として務まりません。しかし、大事は独断ではいけません。大事は多くの人の意見を聞くことにより判断することが良策だと言っているのだと思います。

『十七条憲法』に民主主義の概念をみることができるのではないでしょうか。

『十七条憲法』を書き終えて...。

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