尾張統一(1)


−犬山城攻撃の経緯−

系図

┌岩倉城主伊勢守 織田敏信───信安──────── 信賢


└弾正忠 織田信定──┬────信秀──────── 信長
                │
                └─── 犬山城主織田信康──信清


織田家より最初に犬山城主になったのは、信長の父信秀の弟「織田信康」です。 信秀は機略に勝れた器量人でしたから、存命中は兄弟仲もよく、岩倉城主伊勢守織田信安(信秀の従兄弟)とも仲良くしていました。

生駒家は、織田家、土田家と縁組みを重ねており、信康とも縁続きになっていたため、よく犬山城にも出入りしていました。信秀は生駒八右衛門のことをとても信頼していました。 ところが、信秀の跡を信長が継ぐことになり、信康は日頃から信長に不安を抱いていた上に、信長が情報収集と吉乃目的で生駒家に足繁く通って来るようになったことで、生駒八右衛門に対しても不満を持つようになっていました。


信長に織田信康、信清親子が尾州於久地三千貫文の領分について不満を持っていることを信長に伝えたのも、生駒八右衛門でした。 於久地はもともと伊勢守岩倉城主織田信安の地でしたが、信安の父敏信が美濃で討死したのち、信安が幼かったため信康が後見役になっていました。その後、信康も美濃の地で討死したのを機に信康の子信清がこの地を押領したのです。 成長した信安がこの地を返上するように信長に異議申し立てをするのは無理もない話です。

信長は、犬山城への出入りが多かった生駒八右衛門に信清への説得を命じます。 生駒八右衛門は信安に於久地を返還するよう繰り返しますが、信清は説得に応じるどころか、
「けしからぬのは、信長の方だ。彼の腹の中ほどあさましいものはない、その上今我を侮辱するとは何事だ」
と激怒する始末。 それでも八右衛門は怒りの治まるのを待って根気よく説得します。 そして信清も八右衛門の誠実さに胸を打たれ、信長の味方になることを約束したのです。

しかし、このことで逆に不満を募らせてしまったのが、信安です。 信安は、信清と組んでしまった信長に対しても怒りを抑えることができなくなり、美濃の斉藤義竜に頼んで色めきだってしまったのです。信安はその後、信長の弟信行と謀り謀反を起こし、信長によって滅ぼされたのは先述したとおり。

この伊勢守織田信安滅亡の際、信長は信清に伊勢守旧領を寸地も分け与えませんでした。 すでに信安の領地を押領し、信安滅亡の原因をつくったのは信清ですから、領地を与えるはずがありません。しかし、このことを信清は逆恨みし、心中に不満がたまり、犬山城主織田信清も信長に謀反を起こすことになるのです。



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