では、聖徳太子の誕生から調べてみましょう。

聖徳太子の誕生−574年(敏達3)

太子誕生の地「橘寺」

橘寺は、聖徳太子の生誕の地と言われています。当時この地は橘の宮という欽明天皇の別宮があり、太子はその第四皇子橘豊日命(後の用明天皇)と穴穂部間人皇女を父母として 西暦574年にこの地に産まれました。
  (註)一説に527年

誕生逸話

欽明天皇32年(571)の春正月、穴穂部間人皇女の眼前に金色の僧侶が現れ、「我に救世の願あり。しばらく皇女の腹に宿る」と告げました。皇女が名を尋ねると「西方の救世観音菩薩」と名乗り、皇女が「仰せのままに」とうなずくと、金色の僧は皇女の口中に飛び込みました。

受胎した皇女のお腹から、8ヶ月の時には胎児の声が聞こえてきました。
その後10月10日を過ぎても出産の兆しはなく、霊夢からちょうど一年後の正月元日、皇女が宮中を見回り中、ちょうど厩戸の前にさしかかったとき、ふいに子を産み落としました。陣痛もなく、皇女は出産に気づかないほどでした。

赤子の片手には、小豆ほどの仏舎利がにぎらていたといいます。
赤子は「厩戸皇子」と名付けられました。

−−−−−<kitunoの註釈>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

この話は、聖母マリアが夢に天使ガブリエルを見て男児受胎を告げられる話やキリストが馬小屋で生まれる話とそっくりです。 また、太子を聖なる存在として認め礼拝 したのは日系百済人の日羅ですが、イエスも洗礼者ヨハネによってメシア(救世主)として認められています。
これらの伝説は『聖徳太子伝暦』(917年成立)に載っているのですが、唐代中国 で流行していた景教(キリスト教ネストリウス派)の知識が日本に移入され、太子伝と重ねられて太子生誕逸話となったのではないかという説が有力でした。。

−聖徳太子の名−

太子の実名については、私のトピックでもかなり話題になりました。
太子の第一の史料である『日本書紀』の用明天皇(太子の父)元年諸王子の名を挙げた条に「その一を厩戸皇子と曰う」と本文で記し、別注として「更の名、豊耳聡、聖徳、或いは豊聡耳法大王と名づく。或いは法主王と名づく」と五種の名号を記しています。
『日本書紀』において五種もの名号を記しているのは、他に例を見ません。
厩戸というのは、景教の知識が日本に伝わっての伝説ではないか、という見方をする説が有名なのですが、実はよく調べてみると、太子生誕の地であるとされる橘寺周辺に「厩戸」という地名があり生誕の地に因んで名付けられたのではないか、という坂本太郎氏説があります。私はそれが最も妥当なのではないかと考えています。
『法王帝説』などに見られる「上宮王」などは宮に関係しての名号、「豊耳聡」などはその聡明さを讃えた名号、「聖徳」は生前の高徳・善行を讃えた後世の名号なのではないかと思います。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

次へ(蘇我氏と物部氏)

戻る(太子に恋したわけ)

聖徳太子関連人物(随時更新)

聖徳太子参考文献

太子関連寺社(工事中)