二胡・・・ルーツから現在まで

             石山瑞穂

目   次

 

   はじめに

 

T.二胡の構造

 

U.二胡のルーツ     

1.東アジア

2.北アジア・中央アジア

3.西アジア・南アジア

4.東南アジア

 

V.楽譜

 

W.時代背景

     1.中国の歴史と音楽

     2.中国の歴史と二胡

     3.二胡の作曲家

  

おわりに 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


二胡 −ルーツから現在まで−

 

はじめに

 2003年、女子十二楽坊のアルバム‘Beautiful Energy’がヒットした。女子十二楽坊は二胡、琵琶、竹笛、古箏、楊琴などの中国の民族楽器を使用して、オリジナル曲や日本の楽曲のカバーを演奏するアーティストである。

アルバムのリリース後、様々なメディアで取り上げられ、中国の民族楽器が注目されるようになった。これによって楽器に関心を抱いた人は少なくないだろう。私もその中の一人である。あるテレビ番組で、演奏に使われている楽器を一つずつ紹介していた。そのなかで私は二胡という楽器に興味をもった。中国の楽器についての知識がほとんどなかった私は、その音色に惹きつけられ、また、今まで見たことのない特徴をもつその楽器について研究してみようと思ったのである。

二胡とはどのような楽器なのだろうか。楽器の構造やルーツ、中国の時代背景などについて探っていく。

  

T.二胡の構造

二胡は中国の擦弦楽器で、現代の代表的な民族楽器の一つである。擦弦楽器というとおり弦をこすって奏する楽器であるが、内弦と外弦(細い)の二本の弦の間に弓を通して演奏するというのが、この楽器の特徴である。黒檀、紅木でできた棹の根元に、円形または六角形や八角形の共鳴胴がある。共鳴胴にはニシキヘビの皮が張ってあり、弦の振動がこの共鳴胴に響き、独特の音色を醸し出す。ヴァイオリンより微妙で深いビブラートをかけることができるため、人間の歌声に最も近い楽器といわれているのである。

 

U.二胡のルーツ

二胡ははじめからその名で存在していたわけではなく、アジアの弦楽器が伝わり、改良されて形を変え、現在のものになったのである。アジアには様々な弦楽器が存在し、そのなかには二胡に似た楽器がいくつかある。したがって二胡のルーツをたどるには、中国という枠を越えて、アジア全体へ目を向ける必要がある。

 

1.東アジア

まず東アジアの弦楽器の形態をみてみる。この地域では弦楽器において様々な説がある。中国ではおそくとも元の時代(12711368年)までに胡弓に類する楽器が使われていたといわれる。それもひとつではなく、四胡、胡琴など数種類あったようである。このうちふつうに胡琴と称されたのは、円筒形の胴体で四本の弦を持つ四胡で              あり、その歴史をさかのぼれば、唐(618907)および宋(9601279)の時代の擦弦楽器である()の流れにいたる。さらに琴の起源は秦(221〜前206)の時代に求められるという。他説では中国の胡弓類の中で胴体が筒形のものを胡琴と呼ぶ。この胡琴には二種類あり、大型で四弦のものを四胡、小型で二弦のものを二胡という。これらは、アラビアのラバーブが、中央アジアを経て中国に入ったものである。

次に韓国である。韓国には琴と書いてヘグムと発音する擦弦楽器がある。これは二弦であること、筒形の胴であること、そして楽器全体の形も、中国の二胡に似ている。すでにのべたように、中国の胡弓類の前身と考えられている唐宋時代の擦弦楽器の名前が琴であった。まったく同じ字を書く胡弓類が今の朝鮮半島に残っているのである。このふたつの楽器に何らかのつながりがあることは否定できない。

 

() 東アジアの二弦の楽器。胴は小さい円筒型で、馬尾毛の弓を両弦の間に挟んで奏する。

 

2.北アジア・中央アジア

この地域で使われる楽器の種類自体はそれほど多くないが、胡弓類はよく使われているようである。なかでもよく知られているのはモンゴルであろう。モンゴルでは、胡弓類の弦楽器をホールと総称する。ドルベン・チヘ・ホールという楽器は弦が四本、ただし二複弦なので原理的には二弦と考えてよい。胴体は筒形であるところが二胡と類似している。

 

3.西アジア・南アジア

イランやトルコと歴史的に関係の深いアラビアには、古くからラバーブ(あるいはレバーブなど)があって、これが胡弓類の元祖であろうと考えられている。胴体は四角形の箱形、または丸みをおびた三角形の箱形の二種類が中心で、いずれも二弦のものがよく知られている。

 

4.東南アジア

タイにはソー・ドゥアンという楽器がある。これは二胡が伝わったものである。円筒形の胴を持ち、弓は二本の弦の間に通されている。

 

アジアの胡弓類は、基本的に胴体とそれを支える棹とから成り、楽器をほぼ垂直に立てて弦を弓でこすることによって音を出す。

 胡弓類においては、楽器の形態が、それによってアジアをいくつかの地域に分けることができるほどはっきりした系統だてを示していない。けれどもそれにもかかわらずいくつかの点を指摘することができる。たとえば二胡と同じ筒形の胴体のものは、中国を中心として東アジアから、北アジア、中央アジアにかけて、および東南アジアにかけて分布しているが西アジアから南アジアにかけては見あたらない。これとは逆に、球体の胴体、および、くびれた半果実形の胴体は、西アジア、南アジアがその分布の中心である。

 

V.楽譜

 中国音楽は古琴譜や工尺譜など様々な楽譜を使った。西洋の五線譜も使われるが、二胡は数字譜を使う。数字譜とは文字通り数字を使ってメロディーを書き表した楽譜のことである。1.2.3という数字がそれぞれド..ミにあたる。0は休止符を表し、数字の上または下に点をつけることでオクターブを、また数字の下に線が一本あるのは八分音符を表す。このように仕組みが簡単な楽譜で、現在の日本では、大正琴やハーモニカなどで採用している。

 弦楽器は中国から日本に伝わったといわれているが、この数字譜は反対に日本から中国へ伝来したとされている。明治時代に近代音楽教育を目的として設置された音楽取調掛(*)が新しい記譜法として採用した。 その後、清代末に日本から大正琴とともに中国に渡り、中国でその当時使われていた工尺譜にかわって、徐々に使われるようになったのである。

 

(*) 日本最初の官立音楽研究・調査機関。1879年(明治12年)文部省内に設置。 

 

W.時代背景

 

1.中国の歴史と音楽

 中国の音楽は政治や民衆と深く関わっていた。時代の思想や風潮が変われば、そのつど音楽の内容は変わり、また楽器は改良されていったのであった。

 1966〜76年の10年間、中国では文化大革命(*)がおこった。このとき、王侯貴族の物語であった京劇は民衆のための音楽にはならないとされ、演奏することが禁止された。

 文化大革命がおわると、社会主義という考えではなく、人間的な自由化への道がはじまった。それまで禁止されていた西洋音楽が再び演奏されるようになった。

 第二次世界大戦後、中国は社会主義化になって、音楽を愛好する層がそれまでの貴族社会や支配階級から、民衆や一般の大衆へと変わった。そこで誰にでもわかりやすい、また社会主義的な世の中を作っていくのに積極的な意味のある音楽が演奏されるようになった。そこでまず、大衆で音楽が聞けるように、音量を拡大するための楽器の改良が行われた。また一つの楽器だけで演奏されるのではなく、いろいろな楽器を組み合わせて演奏されるようになった。このように合奏するために各楽器の音律を統一する必要が出てきた。そこで十二平均律が徐々に採用されるようになった。さらに音域の拡大もされた。

 

(*)中国の政治・思想・文化闘争。

 

2.中国の歴史と二胡

 このような音楽の移り変わりのなかで、二胡も現在に至るまで、改良が加えられてきた。

 二胡は唐の時代(618〜907年)に西域から伝わった楽器で、民間のみで流行して、宮廷や貴族には親しまれていなかった。また二胡は戯曲の伴奏が主体であった。

 しかしその後、中国民族器楽の継承と発展をめざし、西洋オーケストラと同じような編成をもつ、中国の民族楽器だけで編成された民族楽団が形成された。そこで合奏ができるように、音域を拡大し、また二胡などの胡弓類の音色が改良され、より多彩な表現力をもつ楽器になった。

 

3.二胡の作曲家 

 楽器の改良が盛んに行われ、さらに劉天華(1895〜1932年)や阿炳(1893〜1950年)のような二胡の作曲家もでてきたことによって、二胡は独立した楽器となり、伝統的民謡からクラシックまで幅広く演奏されるようになった。

 1920年代になると、二胡は新たな発展段階を迎えた。西洋音楽が中国に大量に入り、音楽家たちはその長所を取り入れ、自分たちの伝統文化と融合させて新しい音楽や奏法を開発していった。劉天華はその代表的な人物である。二胡独奏曲「良宵」、「光明行」など十曲を作曲し、それまで戯曲の伴奏が主体であった二胡に、独立した楽器としての地位を与えたのである。

 また、盲目の作曲家、阿炳は最も有名な二胡独奏曲「二泉映月」を作曲した。そして、それを弾きこなすことのできるすぐれた演奏家が、その後、次々と輩出していった。

 

 おわりに

 二胡のルーツ、時代との関わりをみてきた。二胡のルーツになった楽器が使われはじめた時代には様々な説があり、明確にはできないが、最も古くて紀元前だとされている。それほど古い時代の楽器が今日まで使用されているのである。中国では、外国からポピュラー音楽が入ってきた頃、人々が民族音楽から離れてしまうようなこともあった。しかし一方では、民族音楽の愛好者は多く、また、冠婚葬祭などの場面で民族音楽が使われて人々の生活に根付いていたため、今日まで演奏され続けてきたのである。

 

 現在、日本には様々なジャンルの音楽がある。あるジャンルの音楽が、ある程度人々に浸透してくると、それまであまり聞かれなかったジャンルの音楽が受け入れられる。ポピュラー音楽に民族楽器を使用した音楽が入ってきたのが最近の例である。さらに日本では、ここ何年か「癒し」が人々に求められ、それは音楽においてもそうであった。女子十二楽坊がヒットしたのは、これらの理由からだろう。

 今後も中国の民族楽器二胡は、人々に演奏され、その素晴らしさが伝えられていくだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


【参考文献】

 

小泉文夫解説 『小泉文夫の世界遺産 民族音楽の礎

        62 小泉文夫の民族音楽 第6章 中国T−漢民族の音楽−』

        キングレコード 2002年

賈鵬芳著 『賈鵬芳の二胡教本 入門から極意まで』 ヤマハ 2003年

櫻井哲男 『世界民族音楽大系T』 平凡社 1994年 20頁〜22頁

 http://homepage2.nifty.com/7m1lot/suujifu.htm

 http://www.jiapengfang.com/jindex.files/jchinamusic.html

http://www.jiapengfang.com/jindex.files/jerhu.html