Profile

ずーっと、昔に少しだけ、ホームページなどを作ったことがあります。
今となっては、DTってなんだっけと悩むほど忘れています。
それでもって、そのときのファイルがどこかにいってしまったので、本当にどうしようもないです。
そのうち、いろいろ書き足します。


このホームページを作った目的は、私自身がいろいろな職業の人のホームページや旅のホームページを面白く拝見したからです。今までは、他の人の職業を知る手段というのは、結局、小説、ドラマや映画などに限られてました。そうした媒体を通すと、その職業の非日常を知ることはできても、日常を知ることは難しいです。ところが、ウエッブは、結構、各職業での日常についても知ることができます。勿論、それが公正な情報ではないかもしれませんが、個人というフィルターを通しているのだから、それはしかたないでしょう。旅についても、金銭的、肉体的に、自分ではできないことができます。(まあ、個人海外旅行については、個人の勝手な旅行というよりも、『地球の歩き方』に従った、団体じゃないけど、ルートの決まったツアーという感じも受けたのですが。。。まあ、それもウエッブがないとわからなかったことです。)ですから、私も、自分の仕事の環境や旅行などについて書いてみようと思いました。。。まだまだ至らないところもありますが、なるべく、読んで楽しいページにしたいと思っています。

などと、書いてみましたが、これってプロフィールではないですね。プロフィールって、なかなか作る気がしませんでした。が、とある人から、プロフィールって大事だとご指摘を頂きなるほどと思いました。私も、他人のホームページを見るときは、プロフィールから読むのです。さらに、その方のご指摘で、女性の場合は、プロフィールを省略する傾向があると。。。鋭いご指摘です。きっとそれは、アパートに一人暮しの女性が、父親の名前を表札に出したり、カーテンの色をわざと地味にして、女性の一人暮しを悟られないようにするのと似た気持ちではないでしょうか。まあ、ともかく暫定的なプロフィールは以下に。。

生まれ
東京でーす。女の子として生まれました。家には、番犬として飼われていた中型犬(雑種)がいました。子供の頃には、その犬が大きく見えて、それに、またがってみたいと思っていましたが、大きい犬だったので、またがる気はしませんでした。でも、そう思っているうちに、自分の方が大きくなりすぎてしまい、結局その犬には乗れませんでした。物の大きさを把握するのがヘタかもしれません。

中学受験
親が受験した方がよいというので、某国立大学付属中学校を受験しました。塾は、6年生のときにY.-O.進学教室というのに行きました。その国立大学付属は、競争倍率は、40倍以上でした。そして、1次選抜である筆記試験を受けて、驚くべきことに、その難関を無事突破したのです。実は、親も私は当然落ちるものと思っていたのです。まあ、それなら受験させるなといいたいところですが、子供を使ったギャンブルのようなものだったのかもしれません。私のいた公立小学校からは初の快挙。その試験の合格者は、60人そこそこだったと思います。そして、2次選抜が、合格発表の次の日ありました。その選抜方法は、単なるクジビキです。最終合格者は、40人ちょっとにしぼられます。補欠はたぶん、10人程度、本当に落ちるのは10人もいなかったのです。喜びも束の間、私は、みごと落ちてしまいました。今でも、覚えています。喜びにあふれる人々でにぎわう体育館を後に、数組の家族づれがひっそりと、肩を落としながら、そこを去っていく姿を。親は落胆していました。が、私は、人生ってこんなものさと思ったのでした。起こりそうにないことも起こるという教訓は、車の運転を慎重にするという面でいまだに生きています。ありがとう、某国立大学付属中学校よ。(ちなみに、その受験制度はすぐに変わってしまったそうです。あんまり教育的によくないですもんね。)。

高校受験
私は、クジビキのない学校を受験しました。。。

大学専門過程進学
私のいた大学は、2年生から、3年生になるときに専門の分野にわかれます。ここで、またまた、クジビキにひっかかってしまいました(成績でなくクジで専門を決める非常にリベラルな大学でした)。折角、2年生のとき、その専門に行くべく勉強していたのに、なんとも残念なものです。さらに、第二志望の提出締切日を、1日間違えて、全くいく気のなかった分野になってしまいました。。。まあ、どんな分野でも、そこで研究している人は、おもしろそうに仕事しているんだから。全く専門をしらない3、4年生がどこの分野がいいっていいはることもないんじゃないかなあと思いました。

御就職
大学院終了後、とある会社に勤めました。非常に自由な部署で、私は、自分の専門の勉強をしていただけです。こんなもんで、お給料くれていいんかいなって感じです。この不安は的中。1年たらずで、会社事情でクビになりました。それに辞めるときも、会社が寸志として、一ヵ月分のお給料を上乗せしてくれました。その会社を何年か勤めて辞めた人の退職金と比較すると、私の方が、額は少ないが、効率はよかったことが判明。一番、損をしたのは、一年前に就職祝をくれた叔母かもしれません。とても、楽しい経験でした。

まあ、会社事情でやめたので、すぐに失業保険をもらえました。お給料の80%くらいは出たのではないでしょうか。職安に行って、受け付けの人に、会社事情で辞めたというと、その人は慰めてくれました(本当は辞めようと思っていたのでちょうどよかったのですが。。)。次に、仕事斡旋の係の人のところへ行きました。その人はちょっと怖かった。希望職種のところに、**スペクトロメーターを使った仕事と書いたら、「何なのそれ。」って言われて、結局「分析」と書くことになってしまいました。そして、仕事のない日を記載した表を提出してお金の支払をしてもらう係の人のところへ行きました。窓口が2つあって、ふと隣の窓口を見ると、杖をついて、ゆっくり、ゆっくり歩いてくるおじいさんがいるではないですか。推定年齢75-85才です。どうも、病院を出てきたから働きたいようなことを言っています。でも、退院したからといって、働ける身体になったとはかぎらないでしょう。とても、働けるようには見えないのです。人生の悲哀を感じてしまいます。その後、いろいろあって、北米に来て、5年になります。


 
 
Return to home