
巨大都市・タシケント
四月末、シベリアの山々にはまだ雪がたくさん残っている。その上をアエロフロート576便はひたすら西へ。いくらか昼寝をしたかと思うとランチタイム。午後二時日本時間。
去年よりはだいぶ良くなって、ちゃんとメニューまで付いている。成田からのものは一応他社並になっているから嬉しい。
モスクワには三十分遅れの現地時間六時半についた。なんと、雪が降っている。気温二度。真冬の世界に放り出された。
なかなか荷物が出てこない。これはひょっとすると、パリに行ったかと心配になったころ、係りの小父さんが「あんたらの荷物は向こうだぞ。」と、教えてくれる。私を含めて五組の日本人は、ちゃんとSU576の看板の下で待っていたのに、荷物は三つ離れたコンベアの上で、だいぶ前から主人を待っていたのである。何はともあれ、無事に再会できた。インツーリストのカウンターですべての航空券を受取り、両替も済ませてドモジェドボの空港へ移動。モスクワでは国際線はシェレメチェボ空港、国内線はドモジェドボ、あるいはヴヌコヴォ空港と分けられている。
どの空港も、シェレメチェボ空港からは車で一、二時間はかかるので誠に不便である。
高緯度のため、夜の八時になっても夕方のようである。途中事故が有って大渋滞。運転手によると、とにかく事故が多い。それにぶっ飛ばすから死亡事故になるのだそうで、なにか日本の三十年前の話のようである。
八時近く、やっと暗くなったドモジェドボ空港着。車は空港の中を何百メートルか走って、港でいえば突堤の先っぽみたいなところにある待合室まで運んでくれる。ここの空港待合室は二階構造になっている。チェックイン・カウンターとインツーリスト、そして小さくて暗いスナックが一階にある。二階は、恐ろしく殺風景な待合室に、ドル払いのペリョースカ(外貨ショップ)があるだけ。
待っている人種は韓国人の学生、ポーランドの親子連れの観光客、中国人、それに黒人がかなりいる。
ちょっと聞いただけでも、コロンビア、エチオピアは判ったが、現地語でなんとかいうアフリカの国の人達。この人達がお互いの国の言葉(単語)を英語で確かめ合っているのを聞いていると実におもしろく、ここがモスクワであるということを忘れてしまう。
それにしても、五時間待つのは長い。午前〇時は日本なら朝の七時だから、徹夜した事になる。だが、うっかり寝てしまうと置いてきぼりになるのは確実だから、しんどくても起きていなくてはいけない。
深夜、〇時半になり、やっと機内に入れた。イリューシン86、ロシアのいわゆるジャンボ機である。入った時にはすでに満席に近く、とりあえず手近の席に座る。
この機種は天井がなく、丸い筒のになかに座席が三つずつ、三列に並んでいる。つまり横一列九人が座れる。国際線のイリューシン62は一列六人だから、それよりだいぶキャパシティは大きい。あとからあちこちの空港で、色こそ軍用機だがまったく同じ型の輸送機を、たくさん見掛けた。
二時間ほどの熟睡で、いきなり深夜食で起こされる。アエロフロートのスチュワーデスは親切?だから必ず起こしてくれる。モスクワに着く前の夕食が十時間も前だが、たいして空腹ではない。ただ、軽食なので量が少なく、時差ボケの胃袋には、良い具合だ。
蒸したチキンに黒パン、タルトに紅茶で充分である。食後、隣のロシア人の小父さんが話し掛けてくる。「アトクーダ?」(どこから?)「イズ・イポーニィ」。この後なんども尋ねられる質問と答えの第一回目。暫くすると、降下態勢にはいる。もう窓の外は明るくなっている。彼方に雪の山々が見えている。あっというまの夜明け。下界は雲海のなかてある。雲の中を突き抜ける前に着陸してしまった。朝六時、タシケント空港は、霧の中。 バスはターミナルとは別の出口に着いてしまう。何の説明もなく、ただ降ろされてしまい、荷物の着く場所さえ判らない。三百メートルも歩いて空港のターミナルに行って聞いたが、インツーリストに行けという。どこだと聞くと、「右の建物だ。」、右の建物で聞くと、「もっと先だ。」、もっと先で聞こうと思ったら閉まっている。
警察官に聞いてやっと分かった。なんだ、さっきのバスの着いたのはインツーリストの裏だった。なんとも情けないロシア語会話の実力である。
そこの、トタン屋根のバラックが荷物の引き渡し場所だったのである。無駄にあちこち動くより、じっとしていた方が正しかった。 さて、次のサマルカンド行きまで五時間ある。折角だから、この中央アジア最大の都市を見物したい。インツーリストの前で立っていれば、必ず誰か仕切っているにいちゃんが来る。マルボロ一ケでタクシーの段取りから料金まで決めてくれる。一時間五ドルで四時間貸し切り。荷物も一緒の移動だから安心できる。運転手はウズベク人そのものといった顔付きで、坊主頭の話好きのおじさんである。イスラム教徒であちこち顔が利き、ガイドとしても大当たりだった。
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タシケントは人口約二百万人、二十五年前の大地震から急速に復興した近代都市で、
昔の町の面影はほんの一部にしか残っていない。 「まず何処へ行きたいか?」と、聞かれてもなにも知らないので、「どこでも良いから面白いところ。」と答える。日本やアメリカ、東南アジアならば男の面白い遊び場へ連れていってくれるだろうが、ここで面白いところ、というと、バザール、回教寺院と学校、そして博物館なのである。別に何かを期待したわけではない。為念。
とりあえず大通りを走ってレーニン広場に行くが、広いだけで他の都市と変わらない。 中央アジアの砂漠地帯だから雨なんか降らないと思いきや、この季節には結構降るそうで昨日も雨だったという。そう言えば、あちこち水溜まりができている。しかも今日は霧が深い。
タシケントの中心はウズベキスタン・ホテル。見開きの本みたいな形で良い目標である。大体この建物の半径五キロくらいが町の中心地だろう。トロリー・バスや市電、地下鉄まである近代都市だから、移動には便利だ。
とにかく、旧ソ連の都市観光にはこういった公共交通機関を利用するのが、一番安くて確実である。そのためにも、まず地図(英語版もある。)を買わなければならない。大体町中のキオスクで買えるけれど、無いときは本屋に行く。本屋が駄目なら大きなホテルの売店に必ずある。もっとも、タクシーならば何もいらないけれど・・・。
バザールに行く。大きなドーム屋根の比較的新しい建物である。時間が少々遅かったのと、曇っているせいもあって、期待した程の活気は見られない。
それでも、いろんな香辛料の匂いが満ち溢れていかにも中央アジアのバザーの気分である。トマト、赤カブ、あさつき、黄色い人参などの野菜の色が美しい。
室内では香辛料、野菜、雑貨を売り、肉類は屋外のテントを張った渡り廊下みたいなところで売っている。
この肉売り場が凄い。始めは、新聞紙に包んだ赤い肉。次に腸詰めソーセージ、バケツにはいった内臓、足、舌、そして鼻、ついに頭と、約二メートルおきに並べてある。そのさきに生きた馬が丸々一頭繋がれていたけれど、車が付いていたから売り物ではないだろう。(当たり前だ)
地震以後、急速に進んだ近代化から取り残された古い市街は、大体町の北西側にかたまっている。曲がりくねった狭い道をタクシーは平気で入って行く。古い回教寺院を見せてくれる。「メドレセ」という学校のようなもので、イスラム圏での観光と言えばこの「メドレセ」めぐりである。
日干しレンガを積み上げて、ドームの屋根を乗せた独特の建物。長い年月をじっと耐えてきた風格を備えている。
褒めないのも失礼だと思い、「クラシーバヤ(美しい)」、「インチィリスナヤ
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(面白い)」を繰り返したので、よほど興味があると思ったか、運転手はわざわざ自分の行きつけ?のイスラム寺院に連れていってくれた。 ちょっと裏にある静かな学校付き寺院で、「ミゲチ・シャイヒ・ザイヌジム」という。 基本的には十六世紀に建てられたのだが、その後増築に増築を繰り返して、どれが昔からの建物か判らない。ここの教務主任と運転手が知り合いで、普段は入れて貰えない礼拝所の隅々まで見せてくれ、ついでに寄宿舎にいた子供達を呼んで、コーラン読みの実演まで見せてくれた。さらに職員室?でお茶を御馳走になり、国宝級の建物(お寺の本堂に相当)までグルッと一周見せてくださった。私はささやかな志として、百ルーブル(一ルーブルはほぼ一円)の献金をしておいた。
この頃には霧も晴れて中央アジアの青空。朝九時を回ってさすがに空腹。運転手に頼んでシャシリーク(串焼)を食べに行く。
またまた車は市内をブッ飛ばしていく。行き止まりになった通りの左側のバラックからもうもうと煙が上がっている。狭い路地に車を止めて、御馳走に突進する。
二百坪程の空き地にトタン屋根と柱だけ。そして、左右に並べられたテーブルに溢れんばかりの人、人、人。それを囲むようにして、パン、チャイ、お茶、ヨーグルト、マラコー(ミルク)などを売る屋台。
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ここで食べるにも作法?があって、まず大きなパンを買い求め、それから静かにテーブルに進んで、馴染みのおばさんたちと挨拶を交わす。無料のチャイ(お茶)を貰い、自分の好みの(味の話)のおばさんの前に立って、注文をする。おばさんは、好みの塩加減を知っているから、適当に味付けして焼いてくれる、というシステム。そして、大きなパンは四つ切りにしてその一つをつまみ、玉葱、トマト、あさつきのサラダと交互に食べ、串焼きをかじるのである。
肉はラムの正身と脂身を太い金串に刺したもの、ミンチにしたもの、そしてレバーの三種類でどれも代金は同じ。日本の焼き鳥屋と同じシステムで、串の本数で代金を決めている。調味料は塩とコショウとサフランと後は秘密だそうだ。ただ調味料の色をみても、その三種類しか入っていないようだが。
日本の焼き鳥屋の話などすると、日本にもシャシリークがあるのかと大喜び。でも、
豚肉を焼くのもあるといったら信じられない顔をしたのは、やはりイスラム教徒だからか。二人分で八十五ルーブル。運転手が御馳走してくれる。まあ料金のうち、と思って「スパシーバ!」。まだ貨幣価値が分からぬ。
博物館も見たが、殆どは地元の人の絵がならんでいただけ。時間もだいぶ経ったので空港に戻る。どうしても、モスクワ時間とタシケント時間がこんがらかっていて、はっきりしない。しかも飛行機のダイヤはモスクワ時間だから困る。東京が午後四時、モスクワとの時差が七時間だから、タシケントはそれより二時間遅いはずだ。しかし、モスクワ時間は夏時間になっているから、一時間早くなっていて...。寝不足の頭では限界である。 とにかく係りのおねえちゃんが忘れずに呼んでくれるのを待つのみ。
荷物係の若者は、友人のO君にそっくり。だからいい奴に違いないと思ったら、とんでもない。荷物まで秤にのせて、十五キロオーバー。超過一キロにつき運賃の一パーセントの料金を取る、という。
そして私の切符を見て、ドル建の運賃七百ドルならば、その十五パーセント、すなわち百五ドル払えなどと、とんでもないことをいい始めた。当然モスクワからの運賃。
「おまえ、何を言うか、俺の払うのはタシケントとサマルカンド分だけ!」。
一応ロシア語で抗議し、結局、アエロフロートの事務所で正式に百八ルーブル、つまり一ドルを払って第一の関門は突破した。
次は、手荷物検査のおばさん。殆どの乗客の荷物を開けさせている。どうも、X線検査機でめぼしいものを探しているみたいで、私には「タバコがあるだろう。」と言う。「あるよ。」と答えると、「出せば、荷物は開けなくてよろしい。」と言う。へたに掻き回されても面倒だし、この調子だと煙草は危険物だなどといって没収し兼ねない、一ケだけやると「あと、二人いるんだけど。」
結局、関所通過はマルボロ三ケと、高い物になった。それでも、他の連中より早く通してくれて、奥のソファでくつろげるというVIP待遇!?を受けた。恐れ入った空港だ。 サマルカンド行きの飛行機は、四十人乗りの双発プロペラ機である。一時間のフライトながら、低空を飛ぶので景色がゆっくり楽しめる。しかしよく揺れる上にうるさい事この上もない。
窓から見る景色は整然と区画された畑ばっかり。緑が多く、土壌改良と灌漑施設が整備されているようだ。
一旦、サマルカンド空港を飛び過ぎてしまい、あれ、どうしたんだと、一瞬ドキッとしたが、大きく旋回して無事着陸。