大連市史

大連市街図(1919年)
大連市街図(1933年)

 大連、旅順一帯は戦前、満州国とは違い、関東州という日本の直轄植民地でした。もとはロシアが1898年に中国から租借したもので、日露戦争後に日本が租借権を受け継ぎました。租借期限はいちおう99年間ということになっていたので、もし日本が戦争に負けていなかったら、1997年は香港返還どころか「大連返還」でマスコミが大騒ぎしていたかもね。もっとも、私の母親は大連育ちですが、当時小学校で「99年間租借するという意味は久久、つまり永久に日本が租借するという意味なので、皆さん安心しましょう」と習ったそうです。返すつもりはなかったということみたいですね。詳しくは『関東州』『租界と租借地』も参照してください。
 

大連の名称

 台湾人のほとんどは、「高雄」という地名は日本人が付けたと知っていますが、「大連」という地名を付けたのも日本人だったと知ってる中国人はほとんどいないでしょう。それどころか、当時の日本人は「ダイレン」か「タイレン」かで、ケンケンガクガクと争っていたらしい。ま、結局のところ「ダーリェン」なんだけどね。

大連市政調査委員会議事録
 
 「大正デモクラシー」は植民地にも及びました。大連にも市議会を設置することになりましたが、市の人口は中国人が圧倒的に多いので、そのまま平等に選挙をやったら大日本帝国としては困ってしまいます。そこでいかにして「植民地的な民主主義」を実現するかについて、調査委員の皆さんがあーでもないこーでもないと論争を繰り広げました。
 
 

植民地indexへ戻る

『野次馬的アジア研究中心』TOPへ