上海共同租界工部局年報(1939年版)

上海市街図(1933年)
最新上海市街地図(1940年) PDFファイル

戦前の上海はとりあえず植民地ではありませんでしたが、フランスが管理するフランス租界と、英米や日本などその他の列強が管理する共同租界、それと中国政府(国民党政権)が統治する地区(南市)に分れていました。工部局とはてっとり早く言えば、共同租界を統治していた列強による市役所みたいなものです。租界の仕組みについては『租界と租借地』も参照してくださいね。

1937年の上海事変で、日本軍は中国政府の支配地区を占領し、ここにやがて親日の傀儡政権を作ります。このため租界は周囲を日本軍に囲まれた「孤島」のような存在となり、難民が大量に流入するとともに、抗日運動の拠点ともなりました。やがて太平洋戦争の勃発と共に、共同租界も日本軍の支配下に置かれるわけですが、それを前にして、満鉄調査部が工部局年報の日本語訳を出版しました。その刊行目的は「何よりも必要なことは、われわれが租界の実態をはっきりと知っておくことである。上海租界がいかなる現状にあるか、租界当局とはいかなるものであり、何を行っているのかを知らずして、租界問題の処理はありえない」とあります。

緒言

 工部局の各機構とその業務の概略について。役員には中国人代表もいますが、実に多国籍です。「ユダヤ避難民」とか「白系ロシア人」というのが時代を現しています。

1939年度の概観  (02/3/27新規)

 1939年度の共同租界を取り巻く情勢と、工部局の施政報告をまとめたもの。日本軍に租界の北半分を占拠され、難民が大量に流入し、インフレで経済も混乱してで、租界が「風前の灯」となりつつあることがありありと窺えますが、そんな中でも「交通安全キャンペーン」や「子供の乞食救済」などが成功したことを強調してます。

納税人年会報告  (02/3/25更新)

 工部局の最高議決機関が、外国人の高額納税者によって構成される納税人年会です。議事進行は英語で行っており、議事録を見ると、なにやらとても「紳士的」な雰囲気(?)です。今まで中国共産党の指導者は国民に「同志們!」と呼びかけていたのに、 上海育ちの江沢民がトップになってから「女士們、先生們」と呼びかけるようになったのは、共同租界の伝統の影響ですかね?

児童保護股−「妹仔の保護者」  (02/5/12新規)

 戦前の香港でもそうでしたが、街角で住民を直接取り締まって嫌われる警官のような仕事はインド人にやらせて、自分たちは慈善事業などを手がけて「紳士」たる風格を見せる・・・というのが典型的なイギリスの植民地政策です。日本人警官を村々に配置して「オイ、コラ!」とやっていた日本の植民地統治とは対照的ですね。もとはイギリス租界だった共同租界でも警官にインド人を多く雇う一方で、統治者たちは「弱者救済」に力を入れていることをアピールすべく、奴隷のように働かされてたり娼婦として売り飛ばされた少女たちを保護するための部署を作りました。それらの実態に関して報告されています。まぁ、でも1年間に保護されたのが667人とは、2ケタくらい少ないような気がしますね。
 
 

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