
双葉中学校の樹木
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Last Updated on 2001/05/05
相生市立双葉中学校の校庭は太平洋戦争後に山を削って作られたもので、校舎竣工当時(昭和24年)は大きな樹木は全くありませんでした。50余年を経た現在では、多くの堂々とした木々が茂っています。卒業生と共に育ってきたそれらの中から、筆者が独断で4種を選んでご紹介します。写真撮影は、フジが平成13年(2001)4月25日、その他は平成12年(2000)12月23日です。
なお双葉中学校の創立は昭和29年(1954)で、それ以前の昭和24〜29年は、現在の双葉中学校の場所(土井ヶ谷)に相生中学校がありました。
こちらをクリックすると昭和24年(1949)当時の写真が開きます。→ 双葉中学校旧校舎
校門の両脇にある2本のヒマラヤスギは、筆者が入学した昭和35年(1960)春に、すでにかなりの大木でした。校舎竣工時(昭和24年)の写真には写っていませんが、相生中学校の第6回運動会(昭和28年)の写真には、三角斜面の頂点付近にヒマラヤスギらしい樹形の木が写っています。また相生中学校の創立50周年記念誌には「昭和28年7月に卒業生寄贈の校門が完成」の記述があります。これらのことから昭和28年(1953)校門寄贈の際に、植樹されたのではないかと推測します。
なお2本のうち、東側の1本は筆者在学当時(昭和35〜38年)から葉が黄ばんで樹勢が悪かったのですが、その後枯死して植え替えられ、現在のものは「二代目」だと聞いています。
(写真はクリックすると大きくなります)
昭和34年(1959)4月に、平成天皇(当時皇太子)と美智子皇后の「御成婚」を記念して植えられた木です。温水プール(当時は双葉小学校)との間の道や、三角斜面の坂道に植えられました。この年、筆者は双小の6年生でしたが、秋の伊勢湾台風で、植えられて間もない幼木が数本、根こそぎ倒されている情景を印象深く覚えています。三角斜面坂道の木は今では殆ど残っていないようです。
この木の「剪定」をめぐっては、昔、ちょっとした「騒動」があったそうです。夏の刈り込みで坊主になった木を見て住民が、「紅葉が楽しめなくなる」とか「夏の木陰がなくなった」などと新聞社に投書しました。それを記者が記事にしたので、暑い中、しんどい目、痛い目をして枝を切った先生が激怒して、「プラタナスの枯れ葉は茶黒く変色して見苦しいだけだ」「夏のプラタナスには痛い毛虫が一杯わいて涼めるものか!」「投書人を教えろ」などと、教育長や新聞記者のところへ乗り込んでやり合ったそうです。その逸話を思い出しながら今の状況を見ると、なかなか味わい深い樹形をしていると思います。
相生市の中央通りには「プラタナス並木」があります。これも双中と同じ昭和34年(1959)に植えられたものですが、由来は全く違います。
こちらをクリックすると「プラタナス並木」の由来を紹介したページが開きます。 → 韓国朝鮮人無縁仏之碑
クスノキ
体育館前にあるクスノキは、昭和42年(1967)に、JR相生駅前から移植されたものです。クスノキは、「魂が宿る」といわれて、昔から神社に植えられたり、ご神木になったりしています。新幹線駅を作るとき、相生駅前にあったクスノキが邪魔になったのですが、工事関係者はタタリを恐れて切り倒さず、双中に移植しました。
ところがその後、修学旅行中の生徒が鉄道事故で死んだり、校長先生が長期入院するなど、双中で悪いことが続きました。駅前の人たちは「クスノキを動かしたからだ」と噂しました。困ったK教頭先生(校長代行)は、竹原の「やくじんさん」から神主を呼んで、先生全員がお払いを受けました。すると不思議なことに、その後は悪いことは無くなりました。
そういえば、クスノキのある体育館前は、双中の「鬼門」、すなわち北東隅にあたります。
運動場の北側(三角斜面の底辺中央部)にある「藤棚」は、昭和28年(1953)の運動会の写真(前出)には写っていませんが、筆者が入学した昭和35年(1960)には既にありました。筆者の場合、クラブ活動(陸上競技部)の思い出につながる場所です。脇の水飲み場は、昭和44年3月の卒業記念として、後から作られたものです。
棚の東側の3/4は、房の短い白い花をつける、いわゆるシロカピタン(白花美短)と呼ばれる品種で、西側の1/4ほどは、紫色の花を付けるノダフジ(野田藤)です。写真を撮った日(2001年4月25日)には、白い花は満開でしたが、紫の花はまだ咲いていませんでした。
「藤棚」というと、隣の双葉小学校(現在の温水プール)にもありました。運動会の特等席でしたが、残念ながら、双葉小学校の移転と共に取り壊され、現在は残っていません。
花の拡大写真は、こちらのページに掲載しています(クリックすると開きます)。 → 花便り(フジ)