パリ・コンシェルジュリー



コンシェルジュとは「門兵」という意味です。
14世紀後半、シャルル5世がこの地に王室司令部(議会・ 大法官 廷・監査院)を置きコンシェルジュを任命しました。
王の司令官として権力と特権を与えられたコンシェルジュの 住居は 後にコンシェルジュリーと呼ばれ、
後には建物全体がそう呼ばれるようになりました。
フランス革命が勃発し王政が陥落した後,1793年に
革命法廷はコンシェルジュリーに本拠を置き、
ここで2年間の間に2700名が死刑の判決を受け
コンシェルジュリー牢獄で受刑を待ったといいます。
その多くは一般民衆・貴族・学者などでしたが、その中には
日本でも有名なマリー・アントワネットもいました。
19世紀になっても多くの人々がここに囚われましたが
1914年、コンシェルジュリー刑務所は廃止され
歴史資産に指定されました。
現在は博物館として一般公開されています。






セーヌ川から眺めるコンシェルジュリー全景。



コンシェルジュリーの見張り塔にはフランスで始めて壁時計が掛けられました。
これは1585年にとりかえられたもの。



入ると半地下になっています。



「衛兵の間」
長さ64メートル、幅27,5メートル。
王宮で働く人々約2000名の食堂として使われていました。



天井は高さ8.5メートル。



厨房入り口。現在は立ち入り禁止です。



「衛兵の間」には4つの巨大な暖炉があります。
これはそのひとつ。



暖炉内部を下から見上げたところ。
暖炉はそれぞれスープ用・肉料理用と用途が決められていました。



「衛兵の間」の格子の向こうは独房へ入れない貧乏な囚人が藁の中で寝ていました。
現在はライブラリーになっています。



「警備の間」
1310年、大広間への待合室として建てられました。
フランス革命の法廷としても使われた場所です。







「警備の間」の3本の柱にはそれぞれ異なった浮き彫りがあります。



「留置受付」囚人が到着したときの記録をとる場所です。
どこもマネキン人形で再現されています。



「コンシェルジュ」牢獄の安全と食料調達を管理しました。



同じく「コンシェルジュ」の一部分。



「準備の間」
処刑の前に囚人はここで持ち物をすべて取り上げられ護送用の荷馬車に乗せられました。



2階、雑居房前の廊下



「雑居房」
当時は囚人が牢番にお金を払う制度だったので
お金持ちほど優遇されました。



同じく「雑居房」



地獄の沙汰も金次第・・・?
お金を払えばベッドで寝ることもできました。



特別な囚人は読書や仕事も許されました。



当時使われた錠が展示されています。



「女囚の中庭」
この回りには、独房(支払う金額により設備が違います)が並び、
洗濯場・食卓・男性と言葉を交わすことのできる「12人の場」がありました。



「女囚の中庭」から見上げた屋根。
脱走できないように針が並んでいます。



「マリー・アントワネットの独房」
実際にはこの場所ではなかったそうです。



マリー・アントワネットのマネキンの後姿



見守る衛兵(マネキン)



その傍らで記録をとる衛兵(マネキン)
(本当はトランプしているの・・・?)



マリー・アントワネットについての説明文。



1791年、コンシェルジュリーの全景。



コンシェルジュリーはメトロ4号線シテ駅前です。





<!-- text below generated by geocities.jp --></object></layer></div></span></style></noscript></table></script></applet><script language="javascript" src="//bc-geocities.yahoo.co.jp/js/geov2.js"></script><script language="javascript">geovisit();</script>