ヨセフは単調な毎日を過ごしていた。
 救われたあと、主のためになにか良いことをしようと考えるものです。その前に、人格を整えようとされます。まず、主にとどまり、主に聞く訓練をされます。実は、以下の聖句からは、ヨセフの単純な生活リズムの繰り返しは読み取ることはできません。しかし、よく見ると3節に「その主人は主が彼とともにおられることと、主が彼の手のすること をすべて栄えさせられるのを見た。」とあります。おそらく、ヨセフがする毎日の行動の中に主がかかわっておられることを他人にも見えさせる何かがあったのです。日々の小さなことに彼は忠実に主に従っていたのです。それは、その主人に忠実な姿でした。その主人を納得させるものでした。彼は主人を批判しませんでした。ののしられてもののしり返すことはありませんでした。
ヨセフは、牢獄から出してもらうチャンスをちょっとした事で失ったのです。二年間も人間的には無駄としか思えない期間も彼は主に忠実でありました。毎日を忠実なしもべとして過ごしたのです。この間は、聖書も記録を残していないぐらい平凡な日々だったのです。