OUWV 20期 昭和50年入部

更新H23.4.17


OUWV20期のページです。
イベントなど気が向いたときに更新します。
ふんどしのようなページですが、いずれ整理します。


片山修(20期)墓参〜H23.4.9・10
19年9月にお参りしましたが、4年ぶりに再訪しました。
参加者:19期 小比賀さん
     20期 池田(幹事)、石崎、茶谷、KIKU、中谷、伏木、山下、桐野、益川
     オブザーバー:高四郎の奥さん(成子さん)
4月9日(土)
 12時すぎ高松駅−高松空港 池田・小比賀・山下車
 谷川製麺所 昼食
 片山墓参、片山家訪問(不在)
 カフェジャルダン芝桜見学
 塩江温泉 魚虎旅館
4月10日(日)
 出発(小比賀さんと別れ、石崎は高松空港へ)
 片山家訪問(お母さんとお兄さんに会って焼香)
 屋島見学、わら家で昼食
 高松駅解散

高橋さんから片山に寄せて

         33回忌を迎えて片山修君への言葉』 

 永遠にそして安らかに眠る片山修君へ

 OUWVの同志であり、工学部の学友でもあった高橋佳久です。千里山の下宿に住んで片山君と供に語り合った青春を思い出しています。
 とうとう33年が過ぎましたね。私も今年56歳です。片山君と人生を供に歩んでいたとしたら、お互いどんな刺激や影響を分かち合えたのか、時々考えることがあります。
 滑り込みで卒論を終えた1979年に大阪大学土木工学科を卒業した私は、熊谷組に入社しました。この会社は海外に強いという漠然としたイメージはありましたが、まさか1983年にインドネシアに赴任してから今日まで、28年に亘って海外生活を続けるとは全く予想していませんでした。
 ただ今思うに、この1979年の入社から1083年の海外赴任までの間に色々な事がありました。もしこの4年間に片山君と同年代を生きていたら、お互いどんな言葉を掛け合って励ましあい、切磋琢磨できたのかを心の中で問い返してきました。結局私は海外で生きる事を決意しましたが、果たして片山君の意見はどうであったのか?もしかして海外行きを思いとどまったかもしれません。
 心を分かち合える友とはかけがえのないものです。OUWVの面々とはそれこそ約26年ぶりに再会できましたが、うれしい事に皆それぞれ学生時代の面影を持ち続けていました。そして片山君とOUWVの同志は常に私の心の中で語り合い、刺激しあって今日まで生きてきました。
 私はインドネシアを皮切りに、スリランカ、アフガニスタン、アルジェリア、パキスタンと紛争とテロに紛れた統治国家で生活してきましたが、今日まで生きてこられたのは、片山君がどこかで私の身の安全を確保してくれているのだと、勝手ながら信じて込んでいます。これからも私たちの人生は続きます。どこに居ようとどんなに離れていようと私たちの心はひとつです。
 片山君、私自身が苦しいときだけに呼びつけて申し訳ないですが、これからも悩みを打ち明けますのでよき相談相手で居てください。そして永遠の友で居てください。
                                             201145日 高橋 佳久


ツアー雑感(文責:KIKU)

皆様へ
 KIKUです。春らしい晴天の下、満開の桜にも恵まれ、片山君の33回忌の墓参を無事終え、またご実家へも伺いお焼香をさせて頂くことができ、やっと長年のつかえが取れました。皆様、お忙しいのに、ご都合を付けて下さり、遠くからご参集、墓参にお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
 9日朝、東京はピリピリと雨が降り始め、高松のお天気も心配しましたが、近畿辺りから雲が薄くなり、高松空港に着くと雨も通り過ぎ、素晴らしいお天気に恵まれました。飛行機の上から見えた芝桜。あの美しく咲いた芝桜を上空から見せられると、一度訪れてみたくなり、例によって無理を言いました。「入場料が東日本大震災の義援金に充てられます」との張り紙を見たら、入らないわけにいきませんよね。芝桜見物にも皆様お付き合い下さり、本当にありがとう。
 塩江温泉も初めてだったけど、いい意味で少し鄙びた趣きのある、心落ち着く温泉でした。久しぶりの温泉を楽しみました。夜の宴会も、小比賀さんからの差し入れの天然鯛、それをお造りやらお吸い物にして頂き、リッチな宴会となりました。小比賀さん、おごちそう様でした。春の瀬戸内の味を満喫しました。部屋に帰ってからも夜遅くまで話し込み、「持つべきものは友」と改めて思いました。茶谷君、美味しい地酒ありがとう。一生君、焼酎もありがとう。益川君、色々な味のもみじ饅頭、美味しかったです。伏木君、フグのアテ、おごちそうさま。成子さん、フルーツ、美味でした。久しぶりに学生時代にタイムスリップした感覚で、とても楽しい夜を過ごすことができました。何年経っても、友と過ごす時間はまた格別なものですね。つくづく、ワンゲルに入って良かったと改めて思いました。
 翌日の屋島、香川県に育ちながら、54歳にして初めての訪問でした。展望台からは穏やかな春の瀬戸の海に、女木島(鬼が島)、男木島、直島、豊島、小豆島等の島々が浮かび、心癒されました。桜も今が満開とばかりに咲き、一年で一番いい季節に、友と亡き友の墓参をすることができ、何よりでした。2日間食べた昼食の讃岐うどんもコシが有り、懐かしい味で、美味しかったです。そして、四国の、ゆったりとしたのどかな空気、風、人間性にも、安らかな気持ちになりました。
 いろんな逸話も生まれ、飽きない、そして素晴らしい、心に残る旅となりました。この墓参の旅を支えてくれた最大の功労者は、言うまでもなく、高四郎君・成子さんご夫妻です。企画から準備、実施、会計、運転手まですべてに渡り、色々細かな所までお気遣い頂き、本当にありがとう。あなた達のお陰で我々は随分気楽で居られました。さぞ、お疲れのことでしょう。少しゆっくりとして下さいね。お二人に心から、お礼を言いたいと思います。これにもめげず、今後も何かとよろしくお願いしま〜す。
 小比賀さん、BMWに乗せて頂き、また副社長自らポーターまでして下さり、ありがとうございました。小比賀さんのダンディズムはあの頃より更に磨きがかかっていました。一生君、エスティマの安全運転、ありがとう。お二人には、学生時代以来初めての再会でしたが、いつまで経っても懐かしく、30年ぶりの再会はとても嬉しいものでした。
 いつまで元気で居られるか、この先何があるか分らないので、できる時にできる事をやっておこう、と思っています。次回企画は、「泉君に会いに松江に行こう企画」と 「伏木君の岩国&益川君の広島へ美味しい瀬戸の海の幸を食べに行こう企画」が取敢えず浮上しています。この1年以内に実施を考えているので、皆様予定をしておいて下さいね。お世話して下さる方も、同時募集中です。
 長くなりました。では、また皆様にお会いできる日を楽しみに!!  
皆様、どうぞその日まで、お元気で!!        KIKU
アルバム
カフェジャルダン カフェジャルダン 塩江温泉 魚虎旅館
片山宅 屋島 わら家

中谷・桐野大峰ツアー(H22.10.10〜11)
中谷さんと立山以来のPW
ロートルのワンでリング
2回生のとき以来の大峰。当時の地図が押し入れから出てきた。
下山後は、洞川で打ち上げ。
前夜、イタリアン 小笹の宿 幻想的な雰囲気 テント泊 雨 出発
山上ヶ岳 紅葉 洞辻茶屋 洞川

玉治を訪ねて掛川ツアー(H22.6.5〜6.6)
伏木さんが静岡の実家へ戻った池端玉治を訪ねるツアーを企画、20期9名が集合しました。
参加者は、玉治、伏木、谷内、石崎、益川、中谷、茶谷、桐野と、あの「KIKU」も参入!
高橋、高四郎、山下、泉、小橋が遠くからメールでの参加でした。
6月5日
 11:00掛川駅集合 池端・伏木・石崎車
 加茂花菖蒲園 昼食
 倉真温泉真砂館
6月6日
 出発(石崎・谷内・キクは鎌倉、横浜方面に出発)
 いじりそば 昼食
 掛川城
 掛川駅解散
ツアー雑感(文責:中谷)
 池田、山下、泉その他の皆さんには残念でしたが、玉治ツアーは大正解で終わり
ました。
 初日、予定通り掛川に全員集合し、快晴の空の下で加茂菖蒲園の花々の乱舞を
たっぷり楽しみました。
 宿泊した倉真温泉真砂館は、期待以上の落ち着いた宿で、たっぷりと寛ぐことが
できました。暗くなってから近くの川に出かけて、今度は源氏蛍の乱舞と河鹿の声
を愛でることができました。
 例のように部屋で飲みながら話が弾みましたが、また悪い癖で何人かの方々に電
話参加を強請してしまいました。でも、24時を過ぎると次々と布団の中に消えて行き、
みんな良い子でした。
 二日目は、石崎号で谷内とキクが早々に出発した後、遠江一ノ宮の小国神社へ出
かけ、それから井尻蕎麦で冷酒と蕎麦に舌鼓を打ちました。
 最後は掛川で伏木号を見送ってから掛川城を見物しました。
 すべて大正解でした。
 帰りのこだま号の中では、茶谷、桐野、中谷はまだ意地汚く飲んでましたが、益川
はコーラを舐めただけで名古屋の街に消えて行きました。
アルバム
掛川駅 加茂菖蒲園 加茂菖蒲園 倉真温泉 真砂館
大宴会! 小国神社 井尻蕎麦 掛川城

OUWV50周年記念式典
 H20.1.17 OUWV50周年記念式典が開催されました。

 20期からは、茶谷、高四郎夫妻、中谷、桐野が参加

 詳細は、、後日

故.光本亨氏(17期)のアルバム「春のにおい」

 最近、光本先輩(17期)のレコードを池田高四郎(20期)に送ってもらいました。
 昭和50年の春合宿などを題材としたアルバムです。
 四苦八苦の末、レコードをデジタル化し、PCで聴いています。
 学生時代にはよく聴いていましたが、久しぶりに聴いても気持ちが落ち着いてきます。
 とてもいい曲です。

 ♪ 津軽の春に 降る雪は かすかな かすかな 花のにおい ・・・
デジタル化奮闘記
レコードのデジタル化にずいぶん苦労しました。その奮闘記です。
○家のレコードプレーヤーとデスクトップPCが離れていて接続できないので、USBプレーヤーの購入を検討
 レコードプレーヤーからUSBプレーヤーへ一旦録音し、これをPCへコピーすることとする。
○音楽を直接録音できるダイレクトエンコード機能と、録音した曲をPCに戻せるようUSBストレージの機種を探す。
特に、著作権の関係からかUSBプレーヤーからPCへ戻せない機種が多い。
○ケンウッドMEDIA Keg M1GC7に決定。既に製造中止のため、店頭には見あたらず、ビックカメラの通販でゲット。9,505円。
○ケンウッドは昔のトリオ、往年の通信・音響メーカー。上記の機種も音がいいとの評判もある。
○当家のレコードを聴く環境は、学生時代の下宿の先輩から買ったプレーヤーに、中谷氏に譲ってもらったアンプをフォノイコライザ代わりに接続、これをミニコンポに繋いでいる。
○レコードを取り出したところ、カビとキズで相当に痛んだ状況、レコードクリーナーで念入りに拭いた後、おそるおそるプレーヤーに掛ける。
○ザーザーというノイズはやむを得ないとして、音飛びや「メゲ蓄」が多発、このままだと約半分の曲は使用できない。
 ※「メゲ蓄」:岡山弁で「メゲル」=「壊れる」と蓄音機を加えた表現、同じところをグルグルと繰り返す様。会議などで、苦し紛れに、同じ言い訳を繰り返す場合にも使う。
○とりあえず、通販でレコードスプレーとクリーナーを注文。約2,600円
○復活不能な曲への対応として、かつてダビングしたカセットテープから録音することを思いつき、ミニコンポからUSBプレーヤーへ録音しようとしたところ、カセットテープデッキが回転しない。どうやら故障してる様子、来週修理に出すことにする。
○次々とトラブッており、デジタル化までにはまだ時間が必要。ラジオ少年だった小学校の頃を思い出しながら奮闘。
○通販で注文したレコードクリーナーが到着。
液体のクリーナーをスプレーして、クロスで拭くと見る見るうちにきれいになる。
やはり、汚れの原因はカビだったよう。
○おそるおそるレコードプレーヤーにかけたところ、すべての曲がバッチリ録音できた!
○AsfTools(WMAのカットツール)で曲の不要部分をカット
○各曲のタグを編集
○WindowsMediaPlayerで変換・CD作成
○ついでにCdManipulatorで、CDのイメージファイルを作成
○レーベル印刷可能なCD−Rがないので、明日買いに行くことにする。
○CD−Rを購入、レーベル印刷して、ついにCDが完成。

片山修(20期)墓参〜H19.9.22・23
我々が4回生の時(S54.3.2)に亡くなった同期の片山修さんのお墓参りに行きました。
片山さんのお父さんは、7年前に亡くなられていましたが、80歳のお母さんはお元気で、お家でご焼香をさせてもらった後、お墓参りをしました。
 クリック!
塩江温泉 魚虎旅館 金比羅 こんぴら歌舞伎
真ん中が高四郎の奥さん、娘、孫! 丸亀城



有志inUMEDA
大阪へ出張で来た高四郎が、たまたま取引先の東野(20期)と飲みながら酔って、中谷と茶谷を無理やり呼び出したということらしい。
(左端が東野)

暮雪山荘〜OUWV50周年行事 H19.5.4〜5.5(1泊2日) 
 クリック!
プリント用画像
写真屋さんでプリントしてください。
ファイルは表示されてる画像のリンク先にあります。(1〜2Mb ご注意!)
画像を左クリックするか、右クリックして保存してください。
なお、注文の際は、「L」サイズでなく、「DSC]サイズにしてください。(Lサイズだと画像が切れます。)
album
アルバム作成しました。
登り  暮雪山荘  武奈  下山  京都
友清さんのアルバム(全行程:集合写真など)
概 要
■日時:
 19年5月4・5日

■行程:
 4日
 京都駅:11:30集合
 JR湖西線近江高島駅→ガリバー旅行村→八淵ノ滝→広谷→暮雪山荘  
 5日
 暮雪山荘→武奈ヶ岳(ピストン)
 暮雪山荘→八雲が原ダケ道→比良トピア→JR比良駅
     正午過ぎに下山の見込み 京都駅付近にて打ち上げ
 打ち上げ:京都「飯田屋惣平」

■参加者(14名)
 19期 上村 友清 宇都宮
 20期 池田 池端 桐野 茶谷 中谷 
 21期 田辺 中川 長友 濱田 藤澤
 47期 吉森

山行後感想など
OUWV20期 中谷です。

昨日、本日(5月4日、5日)の暮雪山荘30周年集結、お陰様で天候にも恵まれて、無事に敢行できました。
事故といえば宇都宮さんが小屋の外で古釘を踏み抜いた以外はなく、全て予定通りに事が進みました。
初日はガリバー旅行村から小屋まで。八淵の滝からの最初の登りになる2ピッチ目がきつかったと言う人が多かったですが、広谷に入ると歩きながらの会話も弾みました。2日目は武奈ヶ岳ピストンの後ダケ道から下山、「比良とぴあ」という温泉施設で入湯の後、京都駅前の「飯田屋惣平」で打ち上げ。コブシ、カタクリ、シャクナゲなどの花を愛でながら、新緑(上の方はまだほんの芽吹き)の比良を楽しみました。
打ち上げではやはり、30年ぶりの邂逅という話題に始まり、50を過ぎてこれからの山という話に続きました。
47期の吉森君の軽快なCLに導かれ、みんな相当頑張って予定よりも速いピッチで進んだのが成功の第一要因でしょう。
また、長友さんをリーダー兼ドライバーとする食当・買い出し隊の奮闘で、楽しい炭火焼を味わえたのも特記すべきでしょう。
小屋が30歳に思えないほどきれいに維持されていること、予報に反して雨には一滴もあわなかったほど天候に恵まれたこと、酒がふんだんに持ち込まれたことなど、他にも色々要因をあげられるでしょう。
しかし、何と言ってもそれぞれの参加者のキャラ、成長した人もしない人も、懐かしく楽しく、そして学びあうべき互いの人となりが、2日間をすごく楽しいものにしてくれたと思います。来られなかった人達の話題にも随分花が咲きました。実に愉快な2日間でした。
みなさん明日から数日間は節々の痛みを感じる毎に、美しい2日間を思い出されることだと思います。
この山行の記録は、おそらくOUWV50周年記念誌に載せてもらえると思います。また改めて吉森さんに原稿をお送りします。

さて、中谷撮影分の画像をYahoo!フォトにアップしました。
(省略)
友清さん、桐野さん、写真のアップロードお願いします。

次は10年後、という言葉がよく出てきましたが、それも実行するとしてそれでは
ちょっと遅い。それまでにもこまめに、山でも街でも、御一緒できる機会をまた作りたいと思います。
またよろしくネ!

20期の池端です。

下山後体調不良で、打ち上げに参加できず
みなさんにご心配をおかけしました。

体のふしぶしは痛いですが、
気分は、爽快です。

次回の山行までには、体力をつけ、皆さんを引っ張れるようになりたいと思います。

楽しい思い出と友情に感謝にします。

再会を楽しみにしております。
宇都宮氏
19期宇都宮さんの作品です。この度の山行時にもらいました。
風情のある文体です。福鹿歯科・福鹿徳三郎なる人物が登場します
   菊 花
   (ジーハァー)
    宇都宮一生


プロローグ
 枚方パークの恒例行事、大菊人形展は平成十七年の晩秋をもって終了となりました。今年限りとなると入場者が増えるのはどのイベントでも一緒である。大菊人形展を最後に訪れた人々の多くは大阪人らしくタグ券を握っていました。お金を払ってまでは行きません。
 平成十七年十一月中旬、小雨降る水曜日の午後、福鹿徳三郎は十七年振りに枚方パークを訪れた。秋の雨粒は、夏の雨粒を地球の大きさとすると、冥王星の大きさくらいしかない。福鹿は傍らなる女人に訪ねた。「菊の花はなんて言うの?」「菊の花はジーハァー(菊花)って言うの。」と女人は北京語で答えた。
 最後の年の題目はNHKの大河ドラマと同じ「源義経」でした。義経の母や愛人が現在のホステスのような職業だったが、とても高貴だったのと美しかったと、傍らなる女人に説明した。電灯の下で見る菊人形はなんともうす気味悪いことか。こうした文化は、毎日バラエティ番組を見ている人々の軽薄な世相とは合わなくなったようだ。
五十を過ぎた福鹿は、岡本椅堂の「半七捕物帳」の世界へ入って行くような気がして、ちょっと「ゾクッ」とした。興が乗って来た。

1 福鹿歯科にて(平成十七年 秋)
松田紀美子は十七年振りに福鹿歯科を訪れた。その間三度程、父、武本源治郎の義歯の修理に同伴したのは七年前になるだろう。あの頃父はもう、ここまで杖をついても一人で歩いてはこれなかったのだ。
薬のこもったような匂い。甲高い歯を削っている音。黙りっこい従業員の女性たち陰気やなぁ。行きたないなぁ。紀美子はそうした場面を想い出すだけで憂鬱になっていたのだ。
それにしても何故父はこんなに遠くの福鹿歯科にわざわざ通院していたのだろうか?
途中に何軒もあるやないか。コンビニより多いて、テレビで言うてた。と紀美子は不思議な想いだった。母にまでここで入れ歯を作らせたではないか。確かに桜宮の花見の帰りにちょっと寄り道してもいいかなと思う程度の色男ではあるなあ・・・。
「松田さん。お入りください。」中から呼ばれた。唾を一度飲み込んで「はい。」と返事してから入って行った。

2 松田家にて(平成十七年秋)
 紀美子の夫、松田靖男は昨年、長年務めた借用金庫を退職した。ラジオ講座で中国語を学び始めたくらいで、無駄使いはしない。紀美子を後ろに乗せて自転車で散策するのも、楽しみにしている。なにしろ昔は信用金庫の自転車で営業に走り回っていたのだから。
「お父ちゃんも大男やったけれど、あの福鹿さんもそれ以上の大男やねん。」「それにねぇ、私は十七年前に左下の親知らずを抜いてもらってから、久し振りに行ってんけどなあ。先生、あんまり年取ってはれへんねん。あの頃、白髪の多い先生やなあと思ってたから、今はもう白髪ばっかりやろうと思って見てんけど。染めてはれへんと思うねんけど、白髪、減ってるねん。」
「へえ。」「お義父さんとうまの合うた先生やねんなあ。お義父さんの作った菊、あの先生にあげはったんは随分前やったなあ。」
「それにしても、お父ちゃんは菊が好きやったなあ。二十五年前、あの長屋の屋根の上で百鉢の黄色の菊が咲いた時は、私も『あっ』と息を飲んだわ。ようけの人が見に来はったんや。」
「お義父さん、義姉さんがあんなことになってから、一時は浴びるように酒飲んではった。けど菊作るようになってから、長い時間をかけて義姉さんのことを序々に受け入れることが出来たんちゃうやろか?」
「あの黄色の菊は友子伯母さんが、お父ちゃんあんまりへこんでたさかい心配して「源治郎、この菊、由美子や思うで来年から育ててみい。」て呉れはったんや。伯母さんて池の坊の先生もしてはったやろ。でも宗友の名前もろてて裏千家の方は教授やった。お茶会に六百人集めはったことかてあったんや。あんたと一緒になった頃二人で今日庵迄、茶碗の箱書きしてもろたん引き取りに行ったことあったやろ。
友子伯母ちゃん怖いから、落として割りでもしたらどうしようて風呂敷包み抱えてたんも随分昔になってもうた。」
「昭和の頃や、十七年前はまだ昭和やったんや0俺、年取ったせいか平成よりか昭和の方が好きやねん。メーカーに勤めた大学の同級生には、暑い日も雨の日も自転車で、どぶ板営業して大変やなあて言われたもんや。ようけ両替用のタマ銭積んで重い自転車で得意先回ったんや。世間話もし楽しかった。グローバルスタンダードや言うて信用金庫はいっばい、つぶれてもうた。あんなんアメリカの押しつけや。外回りもなくなり、パソコン相手の仕事はおもろなかったわ。」
「お父ちゃん初めて黄色い菊の鉢福鹿先生にあげた時、普通はありがとうで終わりやろ。あの先生は中学生の頃結核でバスケット部やめて暇やったから菊作ってはったらしいわ。懐かしいです。今年の花は枯れても来年は家で咲かせますって言わはったらしい。四国の山の中で育ったらしいわ。」

3 福鹿歯科にて平成十七年晩秋
五回通院したけれど紀美子はまだ郁こ力が入った状態であることに変わりはなかった。今日は「型をとります。」とか言うてはったなあと思いながら、うがいをした。福鹿先生携帯電話持って、座り込んだではないか。
「松田さんて、武本さんの娘さんですよねえ。」とドコモのフォーマの結構大きな液晶画面を紀美子の目の前に差し出したのだ。そこには福鹿の自宅らしき門の前で紀美子の父が愛した黄色い菊が咲いていたのだった。紀美子は目をうるませ、言葉をつまらせながら、今迄の緊張を解き放すように話し始めた。
「これは父の菊ですよね。胸がジーンとしました。父は市の職員でした。昔だから五十才で退職し、二年程度嘱託で務めてからは、今の長屋で四十年近く暮らしました。手先が器用で小さな整理箪笥をよく作って近所の人に配っていました。」
「そうですねえ。私も菊の鉢を返しに伺ったさいにひとつ戴きました。今日も自宅にあります。てっきり大工さんだったと思っていました。」
「菊を作り始めたんも六十近くなってからです。その菊を先生が引き続き咲かせていただいているとは・・・・。」「母が亡くなってから急に弱くなって、五年前に九十で死にました。色々、つらい事もあったせいでしょうか頑固なひとでした。先生、顔に出てましたでしょう。」「先生も大きな方ですけど、父も父の兄弟も大男でした。私の弟も先生くらいの大男です。」
「私は武本さんから戴いた菊を子供の頃を思い出しながら、普通に育てたつもりでした。門の貴色の菊の前に近所のおばあさんが幼い孫としゃがんで見ながら『わあ、ちれい。わあ、ちれい。』と孫に教示していたことがありました。又ある時は見知らぬ老夫婦が写真を撮らせて欲しいとインターフォン越しに請われました。近所の老人に一鉢差しあげて、一緒に挿し芽から育てたこともありました。十月に黄色の菊が咲き始めると心が少し高揚するのを感じました。黄色の菊にはなにか分からないけれどそんな力があります。」
紀美子は肩に入っていた力が抜ける位、しゃべった。ケチな靖男の顔が脳裏をかすめたが、財布の紐の緊張も解けてしまった。
「保険外の白い歯でしといて下さい。」
福鹿徳三郎はにっこりと肯いたのだった。

4 松田家にて(平成十七年晩秋)
「お父ちゃん、福鹿さんが花作るん好きなことよう分かったもんと思えへん。せやから、あんな遠く迄、通ってはったんや。」
「そうやなあ。あの菊かて、義父さんが、あの先生に菊の鉢あげへんかったら、死に絶えて、毎年咲くことかてかなえへんかったやろ。」
「お父ちゃんたらな。夏が過ぎると脇芽がいっぱい出て来るやろ。その脇芽を取るとき菊の匂いのついた指を私にかがせるねん。ええ匂いやろうて。秋になりあの小振りだけど黄色い菊が咲き始めると顔が生き生きとして来て。まるで、五月の空の下、山が新緑に被われて生き返るように。なんか、その秋、その秋に若がえって見えてん。」
「紀美ちゃん。前に福鹿先生、あんまり年取ってへんて言うてたやんか。紀美ちゃん、ひょっとしたら、あの先生を菊作りの後継者に選んだんは義父さんやないのかも知れへんで。」
「あんた、やっぱり頭がええわ。そのへんが私、今でも好きなところやねん。あの黄色の菊やろなあ。そしてあの福鹿さんもこれから少なくとも三十六年は若さを保って黄色の菊を咲かせて行かなくてはならんやろな。」
「どうして三十六年なん?」
「あんたの方が頭ええんやろ。九九で習うたやろ。きく三十六て。」
「俺は三十二年や、思うで。」
「何でや?」
「菊花(ジーハァー)、三十二ていうやろ。」
「あほなこと言うてばかりおらんと、早よ寝よ。」
仲のいい夫婦もあるものでございます。

エピローグ
福鹿徳三郎の生家は遠く、四国の四万十川上流の山村だ。平成十人年五月帰省した。
家族の眠っている六時前に出発した。ふと思い立ち、十五センチ程に育った菊を十本切ってポリ袋に入れて助手席に乗せて持ち帰った。なにしろ一人で帰るから室内は広いのだ。生家には老いた父母ともっと年老いて死期を迎えつつある四国犬テツヒデが住んでいる。(平成十人年九月六日、十四回目の十月の誕生日を待たずテツヒデは亡くなりました。合掌。)正午前に到着するとひと休みした後、三人で挿し芽をした。母親がバケツの水に菊をつけていると二時間程で生き返ったように菊は元気をとり戻していた。少年期一緒に畑仕事をしたことがよみがえり徳三郎はなつかしかったのだ。
 そして、六月中旬挿し芽した三つのプランターのうち一つは隣町に住む母方の伯母にプレゼントされた。八十前の伯母は女手ひとつで三人の娘を育てあげたが、やはり花作りが好きなのだそうだ。それにしても貴色の菊のパワーよ。
 お盆休みも徳三郎は一人で帰省した。菊は大きなプランターに植え換えられていた。大阪の家の菊より随分勢いよく葉を繁らせていた。徳三郎が眺めていると風が吹いた。菊の葉がそよいだ。徳三郎は菊が微笑んだように見えた。(昔から黄色い菊は大男がタイプなのでした。)<終>



梅田で
桐野出張でした。  H18.12.1
 四季彩
 桐野、茶谷、中谷

谷内の会
谷内さんたちが大阪で飲んだそうです。(谷内、中谷、茶谷)  H17.12.11

ミニ同窓会in高松
高松に来た茶谷と池田、桐野が集まりました。  H17.10.15




茶谷先生教授昇任祝賀会
   
茶谷教授昇任祝賀会(創立コンパ) H15.6.14 踊る現役
茶谷先生教授昇任祝賀会 兼 創立コンパ盛大に開催されました。
日程: 6/14(土)    18:00〜
場所: 大阪駅前第一ビル地下1階 King Of Kings(マヅラというお店)
写真:吉川氏撮影      
写真:足達氏撮影  bP  bQ  bR    
祝賀会の様子    

暮雪山荘(40周年)

お知らせとお願い
当時の資料など掲載します。ヒマができたら写真なども入れてみたいと思います。
当時の青焼きの資料をスキャンした上で、JPEG圧縮をかけてます。
見にくい割に重いHPになってますがご容赦ください。(画像ファイル:各80〜250kb)
昭和50年度資料 (20期が1回生)
錬成合宿イラスト
夏合宿メンバー表(html)
夏合宿パンフ          10
2年生プロフィール     
3年生プロフィール     
2Pスタンツ台本(愛と感動の物語 スタンツ賞受賞作品)
          
春合宿メンバー表(html)
昭和51年度資料 (20期が2回生) 
夏合宿メンバー表(html)
夏合宿パンフ        
2年生プロフィール          (名前の横の薄い字が執筆者)
3年生プロフィール      
昔の企画書様式    
春合宿メンバー表(html)
昭和52年度資料 (20期が3回生)   
夏合宿メンバー表(html)
夏合宿パンフ       
2年生プロフィール      
3年生プロフィール          10 11 12 13 14
クロカン      
春合宿メンバー表(html)
掲示板
アルバム(ワンゲル)  
提供:中谷、石崎、市山氏? 元画像は、中谷氏ブリーフケース
S50年度 夏合宿
afterPW
順不同
春合宿ほか
S51年度 夏合宿
afterPW
春合宿ほか
S52年度 夏合宿
afterPW
春合宿ほか
その他
歌 集  
全寮歌
北岳の歌
シーハイル
新人哀歌
旅 鳥
春はいいですね
燃えろよ 燃えろ
森の小径
山の友によせて
ライダース・イン・ザ・スカイ
S50年度 夏合宿2P PartySong
リンク
OUWV(現役のHP)
阪大ワンゲルOB会のWebSite
OUWV Home Page(21期足達氏のHP)
OUWV 18期のページ



 S50.7.28夏合宿2P ニペソツ(大平)

 文責 kirino