石の2 中国でも有名な高倉健


健さん1 中国である程度の年配の大人になると、誰でも高倉健さんを
知っているという。しかも憧れの大スターだという。
もちろん、これにはわけがあって、文化大革命が終息し、
開放政策が始まった時に、中国で最初に公開された日本映画が、
高倉健が主演の「君よ噴怒の河を渡れ」だったのだ。
当時の中国といえば、貧しい後進国で、民衆は外国の文化などと
切り離されて生活していたが、西欧や日本などの民主主義国家が
ずっとお金持ちで良い生活をしているらしいことは薄々知っていた。
その日本の映画が見られるということで、映画館には人々が押し寄せた。
中国では娯楽自体が少なかったのだ。
スピーディーな展開の日本の娯楽映画は中国人を夢中にさせた。
およそ当時の中国人の半分以上がこの映画を観たと言われている。
だから、その主人公を演じた高倉健にしびれ、ヒロインの
中野良子も大人気になったのだという。

ということで、ぼくもその映画を観てみることにした。
TSUTAYAに比べて、昔の作品の少ないゲオですらそのレンタル
DVDがあったということは、借りる人が多いのであろう。
ストーリーは、検事の高倉が、政治がらみの事件に関わった事で、
犯人にされる罠にはまり、北海道から関東まで逃げ回り、刑事に
追われながらも本当の黒幕を暴いていくというものである。
健さん2 細部をみると、かなり無理な展開で、どちらかというとB級の
サスペンス物である。エレキギターやドラムを使った音楽の
挿入の仕方もかなりずっこける。それでも、当時の中国にとっては
かなり斬新なものに見えたのだろうと思う。
さらに、中野良子の全裸のシーンまである。ぶったまげたのではなかろうか。
よくこういう映画を当時の中国が許したものだ。

この映画は日本では1976年に封切られ、中国では1979年
に公開された。どちらかというと、1975年に日本で封切られた
高倉健主演の「新幹線大爆破」の方が、映画作品としては
優れていると思うのだが、どういうわけかこの作品が選ばれた。
そして、律儀で寡黙で、男っぽい健さんの魅力は、日本と同じように
中国人男性の心をもつかんだのである。
そして当時、健さんに惚れこんだ若者の一人が今、現代中国を
代表する映画監督の一人、チャン・イーモウであり、2005年には、
敬愛する高倉健をくどいて中国に招き、彼を主人公にした
「単騎、千里を走る」という映画を作り、年配の中国男性をうっとりさせた。
このチャン・イーモウは北京五輪の開幕・閉幕式を演出したほどの芸術家
である。

そして、中国への日本映画の影響といえば、他にも忘れては
いけない人がいる。「嵐を呼ぶ男」で石原裕次郎を大スターに
した映画監督の井上梅次である。この人は、新東宝や日活を
舞台にして、当時は粗製乱造の気味があった映画界において、
その要請に答えて、低予算、早撮りの映画をアクション、時代劇コメディ、
ミュージカルなどのあらゆるジャンルに渡って、何でもこなした監督である。
その腕を見込まれて、香港のショーブラザーズ映画会社からも招かれ、
5年間に渡ってあちらでも映画指導、監督などをやったことで知られる。
当時の香港映画はアクションシーンといっても、歌舞伎並みの形式的なもの
健さん3 だったが、そこに日活流の派手なアクション指導を行ったのである。
それは当時の香港映画においては革新的なものだった。それが、
後に、ジャッキー・チェンなどのアクションにつながるのである。

また、それに影響されて、同時期に香港には、日本の日活の
アクション映画がさかんに輸入されて人気を博していた。
石原裕次郎や小林旭の活劇モノである。この二人に関しては、
どちらが好きかで別れることも多いが、ぼくは小林旭の方が好きである。

同じ様に、小林旭に惚れ込んだ香港の若者がいて、それが後に
ジョン・ウーという映画監督になった。
「男達の挽歌」が評判となり、ハリウッドに招かれて、
「M−1,2」「レッドクリフ」などを監督した大家である。
その彼が、日本に来て初めて旭に会った時、椅子に座っている旭に対して、
彼は膝まづいて彼を拝んだという。その気分、とってもわかる。
青春時代のヒーローはあくまでヒーローなのである。
今観れば、荒唐無稽なストーリーの映画作品なのだが、それでも
青春時代のヒーローは不動なのだ。旭はわけがわからず、
それでも不敵な笑みを浮かべていたという。
(2009年9月)

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