ぼっけいさんのトルコ紀行、第二十二話をお届けします。お楽しみ下さい。
なお、「ぼっけいさんのトルコ紀行」の著作権はぼっけいさんにあります。また、 この紀行を読んで、ぼっけいさんのファンになられたという方は、ぼっけいさんのホームページ デジタル・アルバムまがじんで、ぜひその世界に浸って下さい。

デジタル・アルバムまがじんは、今月の更新済みです。
今回は、サースフェーのシュピールボーデンです。それってどこ?という方もぜひ見に行って下さいね。すっごく可愛いマーモットが見られますよ。

今回はアンカラへ。トルコ建国の父と呼ばれるアタチュルクの廟を訪ねます。

ぼっけいさんのトルコ紀行

旅行日程もあと3日になりました。この日はアンカラを訪ねイスタンブールへ移動します。
アンカラはアナトリアの中心地であり、トルコ共和国の首都です。この町を作った為政者ミダスは遠い海への憧れをこめてアンキラ(錨)と名付けたそうです。イスタンブールに次ぐトルコ第2の人口を有する大都会で政治の中心地です。

第二十二話  アンカラ(1)アタチュルク廟

日程8日目、この日は忙しい。アンカラを見学した後イスタンブールへ移動する。カッパドキアからアンカラへは4.5時間、市内見学をして夕方5時には空港へ着かないといけない。朝7時の出発となった。


シルクロードを引き返し、キャラバン・サライの町の手前で右折して街道を西北西に進む。しばらくすると左手にトウズ湖が見えてくる。巨大な塩湖である。近くをクズルルマク川が流れるが繋がっていない。出口の無い湖には塩が溜まるのは常で、アナトリアの人の貴重な塩分の供給源になっている。


途中のトイレ休憩所は全てのバスが止まるのか、入口のガラスドアにはツアーのステッカーがぎっしりと貼り詰められている。日本のものも多く競争しており存在感を誇示しているのには苦笑する。
アンカラは大都会である。都心に向かう車が多く、ノロノロ運転がつづく。

アンカラ観光で欠かせない1つがアタチュルク(建国の父)を祀る丘、アヌトゥカビル、愛称アタチュルク廟である。
市内に入る手前からトルコ人ガイド嬢の説明のトーンが急に上がった。


第一次世界大戦でオスマントルコ帝国はドイツ、オーストリヤの同盟国に加わり敗退し、連合国による分割の危機に曝された。このときトルコ国民軍を創り革命を起こして守旧派を追放、侵攻してきたギリシャ・イギリス連合軍を破り共和国を樹立、1923年初代大統領となり、アンカラを首都と定め、いまのトルコの基礎をつくったのが、ムスタファ・ケマル・パシャという長い名前の勇士で、後に建国の父と言われている。
彼はトルコの西洋化、近代化に尽くし、政経分離(イスラム教の非国教化)、婦人参政、ラテン文字制定、太陽暦採用などを行った。
1938年イスタンブールで脳出血のため急死し1953年ここに葬られた。


広大な丘は750m×1000mで数々のモニュメントに飾られており、雰囲気は荘厳そのものである。

駐車場で降り階段を少し登ると廟まで続く長い石畳がつづく。その入口の両サイドに男子3人と女子3人のモニュメントが石畳を挟んで向かい合っている。
男子像は軍人、有識者、農民、女性像はそれを助け、国民一体となりトルコ革命を成功させたと称えている。


廟の脇には衛兵が立ち微動もしない。右手に銃を持ち、左手は後ろに回して剣を握っている。2時間毎に交替があり作法に則りデキパキと動く。


廟に中にはアタチュルクの蝋製等身大像がありるが、身長2mもある偉丈夫でこの男なら統率力があり偉業を成し遂げられたと思った。
棺の前には献花は絶えていない。


彼が制定したラテン文字の一覧が誇らしげに飾ってある。イスラム教の国にありながらアラビヤ文字を止め、西洋化を志向した気概が感じられる。


記念博物館が廟の回りにあるが乗用車、運動器具、事務調度品などで質素な暮らし振りが伺われる。


トルコの紙幣には彼の肖像画が刷り込まれてあるし、またイスタンブール・ドルマバフチェ宮殿で彼は倒れたが、そこの時計は倒れた時刻9時5分のままにしてある。このようにトルコ国民からいかに敬愛されているかが解る。
アタチュルクは日本の明治天皇を尊敬し、明治維新をトルコ近代化の模範とするようにしたという。大陸の両端にあるアジヤ同胞として「日本に見習えと国民に呼びかけたとか。
トルコ人はよく言う。我々と日本人は祖先は同じだ。アジアの中央で生まれ、左右に分かれトルコは西端へ、日本人は東端へ行ったと。
トルコには親日家が多い。

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