ぼっけいさんのトルコ紀行、第二十五話をお届けします。お楽しみ下さい。
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デジタル・アルバムまがじんは、新年号はマッターホルン三昧。夜明けを中心にたっぷりマッターホルンを楽しめます。やっぱりスイスで一番印象的な山だと思いませんか?

今回はイスタンブールの続きです。青のブルーモスクの次は、紅のアヤソフィア…。

ぼっけいさんのトルコ紀行

イスタンブールのランドマークはアヤソフィアともいわれます。都市のシンボルです。凱旋門といえばパリ、ビッグベンはロンドン、自由の女神はニューヨークのように、アヤソフィアが出てくるとイスタンブールだということになります。
赤い外壁と4本のミナレット(尖塔)はバランスよく聳え、世界からの大勢の客を吸い込みます。

第二十四話  イスタンブール(2)アヤソフィア

アヤソフィアはブルーモスクの隣にある。長方形の建物の上に円形ドームがあるきわめて珍しい構造物である。
赤というより紅色の建物なので、すぐわかる。写真を撮るときは光線の都合で紅が映えない。(画像A)止む無くパンフレットの表紙を借用した。(画像B)見比べていただくと地上から撮るよりもビルの上からのほうがはるかに良い。


アヤソフィアは本来は『ハギア・ソフィア』というらしい。『聖ソフィア』というのは、ソフィアという名の聖女に捧げられたのではない。『聖なる叡智』即ち『神の知恵』に捧げられた建物と言われる。

4世紀後半、ローマ帝国のコンスタンティヌス大帝は首都をいまのイスタンブール(当時はビザンチウム)に移しコンスタンチノープルと命名した。
その息子、コンタンティウスがアヤソフィアの最初を建てた。木製の屋根の小さな教会だったと・・
5世紀に再建と焼失があり、532年、ユスティニアス帝がソロモンの神殿よりも立派に作れと、国庫から莫大な経費を注ぎ込み、あちこちから大理石を集め、古代遺跡の石柱まで持って来させた。僅か5年でドームを持つ大聖堂を建てた。縦横約70m、高さ約60mの大伽藍で、ビザンチン建築の最高傑作といわれている。内部には精緻なモザイク加工が施された。

しかし、円形ドームを円形構造物に載せるのでなく、長方形の物の上に載せるのは世界で初めてで、当時の技術では大きな無理があり、その上短期工事となったので外壁基礎工事などが粗末だったのだろうか、完成後ドームが何回となく崩れた。
9世紀には騒乱によりモザイクが破壊され、13世紀には十字軍が略奪をしたという。
その度に莫大な補修費が必要であり、地震による損傷も追い打ちをかけ、ビザンチン帝国末期には国庫が困窮して教会は荒れるに任せられた。

1453年、オスマン帝国によりコンスタンチノープルが陥落し、アヤソフィアはモスクに改修させられた。4本のミナレットはこのとき建てられた。
偶像崇拝を禁じたイスラムの教えに従い、モザイクは漆喰で塗り込められ、イスラム装飾が施された。

1934年、アタチュルク大統領は博物館として保存を決定し、漆喰を取り除くと鮮やかなモザイクが蘇り、世界中が驚いた。
波乱万丈のアヤソフィアの経緯は、歴史の荒波に揉まれつづけたのがよく解る。

中に入り回廊となっている外陣を先に見学する。(画像C)つづいて吹き抜けになっている2階部分がテラスになっており、内陣を見下ろせる。(画像D)往事は皇帝家族や政府役人の礼拝所であった。


内陣は大ドーム下の広い空間で今も補修が続いているものの(画像E)6世紀の建物であることが驚きである。
内陣の回廊の柱には6枚の大きな円盤が飾られ、名前が刻まれている。その中に唯一神アラーも含まれる。(画像Fの左の円盤)
また回廊にはベルガモン遺跡の神殿跡の大理石で作られた大きな壺が置かれていて清めの水が入っていたという。(画像G)


2階回廊にギャラリーと称する一角があり、壁の漆喰の下から出てきたモザイク画がある。
世界で一番美しいモザイクと言われるディーシス(請願)の前は人垣が絶えない。禁止されているカメラのフラッシュが飛び交う。特に日本人に多い。自動フラッシュを止めることを引率のガイドが徹底していないためで眉をひそめる。

左に身をかがめて人類を救うよう請願するマリア、中央のキリストは超然として黙し、右のヨハネは暗い表情をしている。(画像H)キリスト教世界で最もよく画かれた『最後の審判』の場面で、金色のモザイクは下方が剥げ落ちてしまっているが幸いにも人物像は生き生きとして残っている。


ギャラリーを進むと突き当たりに聖母子と皇帝家族のモザイクがある。(画像I)下のほうは剥落しているが保存状態がよく12世紀のものとは信じられない。金色をバックに左に皇帝コムネノス2世、中央にキリストを抱くマリア、右に皇后イレーネ。皇帝一族が奉納したと記せられる。ハンガリー出身の皇后の人種的特長を明るい顔色と髪で表現している。


すぐ隣には右手で祝福をし、左手に聖書を持って玉座に座るキリストと、女帝ゾエと夫が画かれている。ゾエは3人の夫と娶りその都度顔を画き変えさせたという。ゾエは若々しく画かれている。(画像J)


下を覗くと後陣で半円ドームがすぐ目の上に見える。そこにキリストを抱くマリア像がおぼろげに浮かんでいる。フラッシュ禁止だから撮影は手ブレになり易く記念の一枚にとどめた。(画像K)


内陣に下り出口に向かう拝廊出口の上にあるのは、聖母子にアヤソフィア(神の叡智)を捧げるモザイクである。(画像L,M)10世紀の作品だ。
聖母の左側はユスティニアス1世で聖堂を捧げ持ち、右側はコンスタンチヌス1世でイスタンブール(当時のコンスタンチノープル)の街を手にしている。


『見た、見た』と満足して外に出ると、中世からタイムスリップした喧騒の現世で、『センエン、センエン』の売り子の掛け声が日本人の列の上を越え、快晴の青空へ消えていった。

続く…
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