ぼっけいさんのトルコ紀行、第二十六話をお届けします。お楽しみ下さい。
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イスタンブールの三回目です。地下の宮殿とは実は…

ぼっけいさんのトルコ紀行

イスタンブールの旧市街はローマ帝国の都時代から重要な施設があった場所です。ブルーモスクの西側の広場もその一つで、ヒッポドローム(Hippodrome)と呼ばれています。ブルーモスクに入る前にここを見学するのが慣わしです。

第二十六話  イスタンブール(3)ヒッポドローム、地下宮殿

ヒッポドロームとは競馬競技場のことで、縦500m、幅117mのU字型広場である。ローマ帝国がイスタンブールに都を定めたとき、ここを中心として宮殿、神殿、浴場などが建てられ行政、宗教、社会、文化の中心の役割をしていた。
広場の全体像は現地で購入したガイドブックから引用するので参考にして頂きたい。(画像1)


競馬といっても現在のようなものでなく2頭立ての馬の引くローマ時代の戦車競技であった。紀元203年から行われた。
いまの車道がトラック跡で1周すると1300mある。3万人を収容できるスタンドがあり、このときは一般大衆は皇帝を間近にみることができたとか。

390年にテオドシウス1世がエジプトから持って来させたオベリスク(方尖塔)が広場の中央に立っている。このオベリスクは高さ60mあり、ルクソール・カルナク神殿に建てた1対のうちの1本で、高さ60mあったが運搬途中で折れ20mになったという。台座には皇帝一族が競馬観戦する様子をレリーフにしてある。(画像2,3,4)


広場は競技ばかりでなく、イベントや政治活動にも使われ、オスマン帝国時代には反逆者の処刑にも使われたという。

テオドシウスのオベリスクから少し離れたところにもコンスタンチノス7世のオベリスクが立っている。表面は粗く無造作な石積みとしか思えないが、聞くところでは表面は青銅版で飾っていた。第4回十字軍により熔かされて貨幣に鋳造されたという。

ブルー・モスクを見学すると地下宮殿に案内された。事前に下調べしていなく無手勝流だったので、地下にスルタンが密かに遊んだ隠れ家があると思っていたら、なんと、地下の貯水場で苦笑いだ。現地ではバシリカ貯水池と呼んでいるが、観光用には地下宮殿と呼称されている。

ローマ帝国だから水道橋を作るのはお手の物だ。20Km離れた黒海に近い森の水源から運んだという。アヤソフィア、ブルーモスク、トプカプ宮殿の生活用水を貯蔵した。
300本近くの円柱が立ち並びたて140m、横70mの大貯水場で照明が僅かでうす暗い。(画像5)


ここが急に有名になったのは1984年に改修工事があり、幾世紀に亘って積もった底の泥を取り除くと本来の基礎の底が出てきた。
なんと、円柱の台になっていた『メデューサの首』が発見された。(画像6、7)


メデューサとは、ギリシャ神話に出てくるゴルゴン3姉妹の末娘で、ポセイドンとの愛を巡りアテナから怒りを受け、体は魚の鱗、目が飛び出し、髪は蛇の醜い怪物に変えられたとか。彼女の姿を見たものは皆、石になったと。
最後は英雄ベルセウスにより成敗された。
メデューサの恐ろしい姿から侵入者を防ぐ魔除けとして門柱などに彫られることが多かったことから、どこからか持って来てオマジナイにしたのだろう。


続く…
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