ぼっけいさんのトルコ紀行、第三十話をお届けします。お楽しみ下さい。
なお、「ぼっけいさんのトルコ紀行」の著作権はぼっけいさんにあります。また、 この紀行を読んで、ぼっけいさんのファンになられたという方は、ぼっけいさんのホームページ デジタル・アルバムまがじんで、ぜひその世界に浸って下さい。

今月号のデジタル・アルバムまがじんでは、クラインマッターホルンを紹介しています。富士山より高い地点まで一気にロープウェイで昇ることができます。イタリアも見下ろせます。

今回のトルコ紀行はドルマバフチェ宮殿。豪奢な装飾や調度品に目がくらみます。

ぼっけいさんのトルコ紀行

イスタンブールへ2泊する観光では自由行動が半日あり、オプショナル・ツアーが設けられます。それには、ドルマバフチェ宮殿見学と海峡クルーズがあります。3泊のツアーではこの2つは標準日程に入れてあるようです。
費用がかかっても参加する値打ちはあります。

第三十話  イスタンブール(7)ドルマバフチェ宮殿

舌を噛みそうな名前は[埋め立てられた庭]の意味で、このの宮殿は新市街地の海峡に面した場所にある。岸辺に佇む姿から[水の宮殿]と異名をとっている。
西洋風のトルコ・ルネサンス様式といわれ、贅を尽くした白亜の宮殿はオスマントルコ帝国の財政を直撃し、これを契機に国力は急に衰えて行く。秋の落日の光芒の感がする。
が、歴史に懐古を寄せるときではない。贅の豪華さを探訪しよう。

もともとこの地はオスマン・トルコを建国したメフメット2世が、娯楽用の宮殿を建てたが焼失していた。後にアブドゥルメジト1世が1843年から16年の歳月を費やして建てた。トプカプ宮殿が手狭のためであったという。このため、完成後はトプカプ宮殿は放棄されたという。
今日は博物館として一般公開され、イスタンブールのもう一つの歴史の宝庫として名高い。

見学はガイドつき、ツアーを引率するトルコ観光局の公認ガイドは独自に案内してよいが、一般客はトルコ語、英語、ドイツ語、フランス語の中から選び、言語ごとにグループを作り見学する。
トプカプ宮殿よりは、ずっと空いており人の肩越しに眺めることはない。ゆっくりと出来るのが良い。

例により見学料を払う。驚いたことに撮影料を取る。カメラ5$、ビデオ15$である。証明用にリボンをカメラに付ける。監視員が目を光らせ、リボンの無い者は撮影禁止させられる。(画像1)

入口には衛兵が立ち、微動だにしない。(画像2)アンカラのアタチュルク廟と同じだ。

宮殿は3階建て、1階玄関を入ったところが歓迎の間。ここから説明が始まるが度肝を抜かれた。
内装、家具、部屋に敷き詰めた絹のカーペット、カーテンほかの調度品は完全オリジナルのまま残されている。各部屋は同じ赤系色調で統一。床のすべては1つ1つ異なる寄木作りである。すべてを見せてくれるが、見学者は1.5m幅のカーペットの内側から見なければならない。要所に監視の目が光る。(画像3)
ヨーロッパ、東アジアの珍しい美術工芸品が至る所を飾っている。(表敬訪問した各国から贈られた物も含まれるのだろう。)
とりわけ目立つのがクリスタル硝子のシャンデリア、燭台、暖炉で各部屋で美を誇り合っている。

スルタンや宮殿関係者が日常生活や儀式で使用した金、銀、硝子工芸品、食器セット、化粧道具など芸術的価値の高いものを倉庫から出してきたのだろう、2つの部屋に展示してある。(画像4)

1階から2階へ吹き抜ける階段の間はガラスの大階段と言われ、手すりの支えがベネチア産のクリスタルガラスで、ガラス張りの天井から差す光に輝く。
天井から下がるシャンデリヤは宮殿の2番目の大きさでフランス製、2.5トンの重さだと。よくも、まぁ、贅沢を尽くしたと溜息が出る。(画像5、6)

2階にはスルタンの浴室がある。特別に彫刻された大理石製で、楕円形で小さめだ。中に入っても足は伸ばせないと思うが・・・(画像7)
廊下を隔てた所にトイレがある。エフェソスで見たと同じ形だか、ここのは立派な大理石の床だった。(画像8)

2階の奥はハレムでスルタンの家族の寝室、子供部屋などがある。(画像9、10)美女を侍らしたスルタン専用の部屋は、格子扉で遮り立ち入り禁止。みんな眼を大きく開けて覗くだけ。

2階の最大の見せ所は帝位の間。45m四方の大広間で、高さ36mもある。
ドーム天井から4.5トンの巨大シャンデリヤが下がる。(画像11)英国ビクトリア女王から贈られたと言い、750個の電球が灯る。世界最大級とか。
部屋の上手に玉座があり(画像12)、戴冠式などの宮廷儀式、国の重要会議、条約調印、祝典に使われたというが、韓国のオンドル式に似た床暖房がしてあったというから2度ビックリした。

トルコ共和国成立後は、初代大統領アタチュルクもイスタンブール滞在中はここで生活し執務していたが、1938年11月10日、脳出血のため倒れ帰らぬ人となった。その死を悼み、彼の寝室の時計は倒れた時刻9時5分で停止させている。(画像13)

宮殿を出ると船着場があり船を交通手段にしていたことを偲ばせる。いまでも海峡は終日船が行き交う。(画像14、15)


ご感想などございましたら、ゲストブックへどうぞ

続きを読む  一つ戻る  目次へ戻る  TOPへ戻る