ラタナコーシン王朝(現王朝)の歴史

現在のタイの王室は『ラタナコーシン朝』と呼ばれ(別名バンコク朝
)、『アユタヤ王朝』がビルマの攻撃で滅んだ後(1778年)、
タイ人の王朝を復興させた1代の英雄タクシン王(その王朝は『トン
ブリ朝』と呼ばれる)の武将であったチャオプラヤー・チャクリ(後
  にラマ1世と呼ばれるようになる)が建てた王朝です。。。      

タクシン王ラマ1世に攻め滅ぼされたわけではなく、発狂したため
臣下の貴族に幽閉され、のちに殺されました。。。トンブリ朝の貴族
たちは有能な将軍であったチャオプラヤー・チャクリを自分たちの王
として推戴したのです。。。(1782年)           

ただし、実際は様々な権謀術策があったのでしょう。。。しかし、
マ1世は中国の清朝に使者を送った際もタクシン王(“鄭昭”と称し
た)の後継者“鄭華”と名乗っています。。。またタクシン王自身今
だタイ王朝の復興の祖として民衆から敬われ、崇拝の対象となってい
ます。。。                          

しかし、この王朝はラマ4世からラマ5世の治世に危機を迎えます。
それは西洋の列強の進出でした。。。近隣のビルマ、ベトナム、カン
ボジア、マレーシアとイギリスやフランスの支配下に入っていきまし
た。。。                           

これに正面から向かい、自立を守ったのがラマ4世、そしてラマ5世
だったのです。。                      

ラマ4世は映画にもなった「王様と私」(ユル・ブリンナーが王様役
)の王様のモデルになった人ですが、実際には映画とは異なり、西洋
の脅威への対抗を考え、その王子達に西洋の勉強をさせていたのです
。。。その家庭教師として呼ばれたのが「王様と私」の原作を書いた
    アンナでした。。。                          

その教育の成果はチュラロンコン大王ことラマ5世に結実しました。
。。ラマ5世は王弟らを海外に留学させて海外の政治・軍事などを学
ばせました。。。また自身もヨーロッパやイギリス統治下のインドを
訪問し、その吸収した成果をタイで初めての内閣制度(1892年)
や徴兵制(1895年)などの近代化にあらわしました。。。   

ただし、その治世下でも王国を守るためにやむを得ず自国の領土や保
護領(マレーシアの土候国やラオスの諸王国)を割譲せざるをえませ
んでした。。。また西洋列強と結んだ諸条約は日本が開国後に結んだ
のと同じような不平等条約だったのです。。。          

よくタイの案内書にタイは東南アジアで植民地化されなかった唯一の国
と書いてあるのはこういう事情だったのです。。。(ただし、『アユタ
ヤ朝』以前はクメールの配下に入ったり、ビルマに占領されたことはあ
りました。。。)                       

ラマ6世ラマ5世の息子でしたが西洋で幼・青年時をすごしました。
。。そのため多少かぶれていたところもあったようです。。。そして叔
父達(ラマ5世の兄弟)などの元老を排斥したために不評を買いました
。。。そしてラマ7世にいたり人民党による立憲革命(1932年)と
いう形で専制君主制が終わりを遂げます。。           。

ラマ7世は後に政府と対立して退位し、外国に亡命することになります
。。。(1935年)ラマ8世の治世やラマ9世の治世のはじめは幼君
であったこともあり、政府と政治化・軍人が歴史の表に立ちます。。。
ラマ8世の治世下は第2次世界大戦の時期に符合しますが、軍人出身の
ピブン・ソンクラーム首相は国民の士気の高揚および利権(^^;)の
ために「ラタナニヨム」運動(一種のナショナリズム運動)を起こし、
国名を「シャム」から「タイ」に改め(1939年)また日本の仲裁で
先に失った領土をフランスから奪還したりもしました。。。(1940
年)−ただし、戦後にフランスに返還することになる。。。     

日本はマレーシアやビルマに進出するにあたりタイを基地としたのです
。。。またその軍費をタイ政府から借入れたりもしました。。。  

表面上は日本に協力していたタイですがその裏では在アメリカ大使館な
どを中心に『自由タイ』という運動が組織され、タイの国益を守り軍政
を打倒するために動いていました。。。              

その動きは終戦間近に実り、連合国に対しては宣戦布告の無効宣言を行
い(特にアメリカ政府に働きかけて事前に了承をもらっています)、敗
戦国になるのを防ぎ、文民による「セーリー内閣」を成立させたのです
。。。(1945年)                      

もっともこの動きは文民派の首領プリディー・パノムヨンラマ8世
殺(宮殿内で射殺されました−真相は不明です。。。噂の一つは聞いた
ことありますけど不敬罪になるので書きません))の容疑を着せられて
亡命することになり、再び軍政に戻ることになります。。。(1947
年)                            

その後は軍政と民主化のせめぎ合いが続きます。。。その狭間に日本製
品の輸入の洪水に対して排斥運動が起こり、タイ大丸デパート前で抗議
デモが行なわれたり(1972年)、訪タイした田中角栄首相が反対派
と話し合うなどといったこともありました。。。          

ちなみにブラックモンガーが生まれたのもこの頃です。。。(笑)   

その後も同様のせめぎ合いが続きますが、モンガーが来タイしてまもな
く起こったスチンダー大将によるクーデター(1991年)とそれに反
対する国民の運動、国王の仲裁(1992年)はまだ記憶に新しいとこ
ろです。。。                         

その後はモンガーが会社を変わった事(1998年、2001年)など
はありましたが、おおむね平和な道を進んできています。。。    

あとは年表をごらん下さい。。。                 

興味のある人はいっぱい勉強してみよう!!何か質問あったら俺も答え
るよ♪(分かることならな。。。(笑))            

< 年  表 >

年  次 王  名 事  項
1782年  ラマ1世  トンブリ朝の将軍チャオプラヤー・チャクリ−が貴族に推戴されて王位につく。ラタナコーシン朝の始まり。
          首都をバンコク(クルンテープ・マハーナコーン)に定める
1809年 ラマ2世   
1824年 ラマ3世   
1826年    イギリスとバーネイ和親条約を結ぶ。(欧米列強との初めての条約)
1851年 ラマ4世 <映画王様と私に出てくる王のモデル>
1855年    英とボウリング友好通商条約。貿易の自由化。(それまでは国営)
1868年 ラマ5世 <チュラロンコーン大王。タイの近代化の父>
1886年    イギリスが全ビルマを植民地化
1887年    仏領インドシナ成立
1892年    タイで最初の内閣制度
1893年    仏によるチャオプラヤー河口閉鎖。全ラオスを仏に割譲。(それまではラオスはタイの保護領だった)
1895年    徴兵制度導入。軍隊の再編成。
1897年    政尾藤吉博士、タイ政府法律顧問となる。(〜1913年)
1898年    日タイ友好通商航海条約締結。
1909年    イギリスが全マレーシアを植民地化
1910年 ラマ6世    
1914年    第1次世界大戦開戦
1917年    タイが連合国側に立って参戦。戦後不平等条約の改正。
1925年 ラマ7世 <専制君主制最後の王>
1932年    人民党による立憲革命(立憲君主制へ)
1933年    初の総選挙。
1935年 ラマ8世 <政府と衝突してラマ7世が退位。亡命する。>
1938年    ピブン政権による「ラタナニヨム(ナショナリズム)」運動
1939年    国名を「シャム」から「タイ」に変える。
1940年    日本軍仏印進駐。タイが日本の仲裁によりバッタッタンバン(カンボジア)、ラオス西部併合。
1942年    1月、米・英に対して参戦。(実際は駐米大使が握りつぶす。)
1942年    8月、対米・英参戦無効宣言。
1945年    「自由タイ(セーリータイ)」内閣成立
1946年 ラマ9世 プミポン大王、現国王
1947年    陸海警察将校の「変政団」のクーデター
1948年    ピブン政権成立
1951年    プミポン国王留学から帰国。
1957年    サリット元帥によるクーデター(サリット政権)独裁政権だったが治安は飛躍的によくなる。
1963年    サリット首相の急死によりタノム政権発足。
1964年    ブラックモンガー東京で生まれる。
1967年    ASEAN(東南アジア諸国連合)発足。タイも当初から加盟。
1969年    総選挙、議会政治へ移行。
1971年    軍部のクーデター。軍政復活。
1972年    タイ大丸前で日貨排斥運動のデモ。
1973年    学生革命(タノム軍事政権崩壊)。サンヤー文民内閣へ。
1974年    田中角栄首相訪タイ。反日抗議運動。
1974年    民主憲法公布。
1976年    「血の水曜日事件」軍による学生運動弾圧。軍部クーデター。
1976年    タニン政権発足。
1980年    プレム首相就任。
1984年    日本製品不買運動起きる。
1987年    日タイ修好100周年記念式典。(日、タイ両国で)
1988年    プレム首相退陣。国民党チャチャイ文民政権成立。
1989年    ブラックモンガー、タイ駐在
1991年    軍部のクーデターでチャチャイ文民政権退陣。
1991年    アナン暫定政権成立。
1991年    陸軍のスチンダー大将、首相就任。
1992年    「血の月曜日」事件。民衆の抗議運動でスチンダー首相退陣。
1992年    民主党チュアン首相就任。
1995年    国民党バンハーン首相就任。金権選挙の評判。
1996年    新希望党チャワリット首相就任。
1997年    通貨危機でタイバーツ切り下げへ。
1997年    民主党チュアン首相就任。
1998年    ブラックモンガー、日系U社に転籍。現地採用生活始まる。
1999年    BTS(高架鉄道)営業開始。
2001年    ブラックモンガー、B銀行に転籍。
2001年    タイ愛国党タクシン首相就任。