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イラク日記(4)バクダッドの秋葉原

2003年1月17日   田中 宇

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○2003年1月14日

 バクダッドに秋葉原のようなパソコン部品の専門店街があると聞いたのは、バクダッドに駐在している日本の外務省の人からだった。イラクは旅行者が行くような場所ではないので、日本語だけでなく英語でも旅行ガイドブックがほとんどない。おまけにバクダッドで手に入る市内地図は1971年に作られたものと1977年に作られたもので、私たちが泊まっているホテルの場所さえ書いていなかった。(ホテルが建つ前の地図だった)

(英文のガイドブックは Bradtシリーズで出ていることがイラクに来てから分かった)

 そのため、バクダッド市内でどこに何があるか、どんな見所があるのかもほとんど知らないまま日が過ぎた。今日、偶然ホテルのフロント近くで日本の外務省の方にお会いし、話しているうちに、バクダッドで面白そうな場所としてバクダッド工科大学(シャーリャア・シナーア)の前に秋葉原のような通りがあると教えていただいた。

(外務省の方は、米軍侵攻など緊急時に備え、日本人がどこに泊まっているかを把握し、旅行者に必要なアドバイスを与えるために、主要なホテルを巡回していた。バクダッドにある日本政府の事務所は、在ヨルダン日本大使館のバクダッド駐在という形で、アンマンから3週間ずつ交代で来ている)

 夕方に時間が空いたので、嘉納さんとタクシーを拾い、工科大学前の「秋葉原」に行ってみることにした(宣伝役兼監視役の情報省のガイドは来なかった)。

 バクダッド市内はタクシーがたくさん走っているが、白とオレンジに塗り分けられた公式なタクシーのほか、普通の自家用車を使った白タクと思われる車も手を挙げると止まる(白タクは経済制裁で実質賃金が下がった公務員などが勤務時間外にやっていることが多いと聞いた)。

 公式も白タクもほとんどはボロボロの車で、ガラスも大体ひびが入っている。これまでガイドなしでタクシーに何回か乗ったが、値段を知っていれば白タクでもぼられることはなかった。ホテルのフロントや情報省のフセインに聞いた相場は、15−30分ぐらいまでの距離で1000−1500ディナール(60−90円)だった。

 私の限られた体験だが、イラクの人々は旅行者に法外な値段を吹っかけるというということをあまりしない。外国人旅行者が少ない上、ずっと社会主義体制でやってきたことと関係ありそうだ。この点はタクシー料金での論争が多いエジプトなどと違う。

(とはいえ、日本外務省の人からもらった「バクダッド案内」には、タクシー料金の目安は1キロあたり50ディナールと書かれている。市内で20分乗っても500ディナール以下ということになる。そもそも私が最初に教えられた相場が、現地の人が払う2−3倍の「外国人料金」だった可能性もある)

▼輸入禁止なのに秋葉原より安い部品も

 20分ほどで、工科大学の前に着いた。「秋葉原」と呼ぶにはかなり小さいが、大学前の通りに面してパソコンのパーツを売る店が並んでいた。ASUSのマザーボードや、マイクロソフトのマウス、LGのモニターなど、秋葉原で売っているのと同じような世界的メーカーの商品の箱がショーウィンドウに並んでいる。

 一軒の店で内蔵CDROMドライブ(韓国三星電子製、52倍速)の値段を尋ねたところ、24000ディナール(約1500円)。次の店で聞いた40ギガバイトのハードディスク(ウェスタンデジタル製、IDE、5400rpm)は76ドル(約9500円)だった。CDROMは秋葉原より安く、ハードディスクは秋葉原とほぼ同じ価格水準だ。パーツを組み立てて作った「ショップブランド」のパソコンは、モニターつきで400ドル(約5万円)からだという。

 2階建てのビルに、10畳ほどの広さの小さなパソコンパーツ屋がたくさん入っている建物があった。そこの雰囲気は、秋葉原というより、北京のパソコン街「中関村」の小型版という感じである。確か、中関村も中国随一の工科大学である精華大学の近くだから、工科大学の門前町だという点では、バクダッドのパソコン街と同じである。今はちょうど大学が試験のシーズンで、私たちが訪れた夕方にはあまり客がいなかった。普段の夕方はもっと混雑していると店員から聞いた。

 一軒の店の店長が上手な英語を話すので、いろいろ尋ねてみることにした。29歳だという彼によると、パソコン部品のほとんどは、国連の経済制裁で輸入が禁じられた商品である。だが、個人的に使うという名目で商人(担ぎ屋)が周辺諸国からイラクに持ち込み、国境でなにがしかの心付けを係官に払うと、どんな大量の商品も輸入できてしまうという。

 最も安い輸入ルートは、ドバイから南部の港町ウムカスル(Umm Qasr)に向かう毎週1便のフェリーに載せる方法で、このルートが使えないときは、ややコストが高いが、ヨルダンのアンマンからトラックで運んだり、イラン経由で入ってくるときもあるという。

「アメリカが経済制裁しても、イラクに商品を運ぶ多くのルートがあり、そのすべてを止めることはできないので、商品が入ってこなくなることはない」と彼は言う。パーツの価格が秋葉原とほとんど変わらない「国際水準」であることからも、商品を輸入するのにリスクがほとんどなく、輸入業界への新規参入が容易であるため、競争が激化して商品価格が国際水準まで下がっていることがうかがえる。

 以前、彼の店にはアメリカの新聞USAトゥディが取材に来て、問われるままに話したところ「もう経済制裁は効果がない」と大きな見出しをつけた記事を書かれてしまったという。

▼ジャンク部品を活用して修理する

 商品は経済制裁をかいくぐって自由に入ってくるが、何でも手に入るというわけではない。汎用品は手に入りやすいが、用途が限られている商品、たとえばノートパソコンのスペアパーツなど、日本ならメーカーに注文して取り寄せるような商品は手に入らない。そのため、汎用部品だけを使って作られたショップブランドのデスクトップパソコンの修理はできても、メーカーごとに部品のスペックが異なるノートパソコンの修理は難しい。

 ところが、イラクの人々はそれで諦めてはいなかった。私が話した店長は、中古部品(ジャンク部品)を使ってノートパソコンを修理しているという。彼は「先日、お客さんがコンパックのノートパソコンが壊れたと言って持ってきた。調べてみると、液晶ディスプレイに高圧電流を供給する基盤が壊れていた。中古部品市場を探してみると、東芝のノートパソコンについていた高圧電流の基盤があった。入力電圧が違うので、そのままでは使えなかったが、入力側にトランジスタで小さな変圧回路を作って間に挟むことで修理できた」と説明してくれた。

 小一時間ほど話しているうちに、店長の友人2人が店に入ってきた。その友人たちは、自動車の修理と販売を手がけているという。聞けば、コンピューターだけでなく、自動車の修理に関しても、あり合わせの中古部品を改造して修理することが多いという。

「トヨタの車を修理するのにフォルクスワーゲンの部品を使うということもある」「韓国車は日本車の技術供与を受けているので、相互に部品が使える。たとえば現代自動車は三菱自動車がベースだから。経済制裁で中古部品を使うようになったので、そういう裏の技術関係も分かるようになった」などと彼らは言った。

 彼らは「普通の乗用車には、エンジンを電子制御するプログラムによって、速すぎるスピードが出にくくなっている。だがイラクでは、自前でたくさんの改造修理を手がけているうちに、エンジンのスピードリミッタを外す方法を知り、それが広がってしまった。イラクでは、普通の乗用車でも200キロぐらいすぐ出せる。これも経済制裁のおかげですよ。交通事故は増えてるけど」といった話も聞かせてくれた。

 中古部品への需要から、イラクではジャンク市場(中古部品市場)が発達している。壊れた家電製品やパソコン、自動車部品、陶器の便器や水道栓など、何でも中古で手に入る。ジャンクなので、すべての部品が動くわけではないが、人々は知恵と技術を駆使して対応している。若い店長は「経済制裁は私たちを苦しめているが、その一方で制裁は、私たちの対処能力や実用的な技術力を向上させている。私たちを潰したいアメリカの制裁が、実は私たちを鍛えて強くしてくれているんですよ」と言って笑った。

 湾岸戦争で経済制裁が始まる前は、イラクは豊富な石油収入を使い、ほしいものは欧米や日本の企業にプロジェクトごと丸投げで発注し、イラク人自身が細かな設計や面倒な対応をすることは少なかった。ところが経済制裁によって、日米欧の企業はイラクから出ていき、建設工事から家電製品の修理まで、何でも自分たちでやらねばならなくなった。

▼仕事をきちんとやる態度

 もともと、イラクにはしっかりした官僚制度があり「フセイン政権が倒されても、官僚制度が残っている限り、イラクはすぐに復興する」と分析する人もいる。官僚制度に加え、イラクの人々には、東芝の部品を変圧してコンパックにつなげるような創意工夫に富んだ勤勉さがある。

 情報省のガイドであるフセインも、私たちが見聞きするあらゆるものの意味づけを「反米・親サダム」の方向に持っていこうとする職務上の傾向は強いものの、私たちが手短に、ときには舌足らずに言う要望を、きちんと解釈、忖度して聞き、実現していた。

 ホテルの私の部屋のトイレの水洗が壊れたので修理の人が来たが、そのときも、手作りのような小さなゴムのパッキンをいくつか持ってきて器用に直しているのが印象的だった。

 仕事をきちんとやろうとする人々の態度は、私のイラク滞在中、いろいろな場所で感じられた。この「きちんとやる」という概念、つまり、誰が見ているわけでもないが、自分に課された仕事をこなそうと努力する態度は、日本では普通だが、海外では東アジアと西ヨーロッパ以外ではあまり見ない。

 思えば、日本でも1970年代まで、秋葉原は巨大なジャンク市場だった。壊れたテレビから抜いた真空管を売っている店もあり、無線マニアの雑誌には、テレビ用真空管と自分で巻いたコイルを使って短波ラジオを組み立てる記事が載っていた。

 終戦直後から高度成長を達成するまでの間、日本でも為替レートはドル高で、日本人は自由な輸入ができなかった。その間、技術を志向する人々は、あり合わせの部品と知恵を駆使してモノ作りにはげみ、その結果、世界に冠たる日本の工業製品が生まれた。イラクの人々は、そういった日本人と同じような素質を持っている。

 国民が「きちんとやる」素質を持っていることは、経済発展には重要な要素である。イラクは、その素質が十分にあると見受けられた。この素質と豊富な石油収入が結びき、今後イラクが経済大国になり、他のアラブ諸国の牽引役になる可能性は十分にある。これは、世界支配の継続を目指すアメリカの政権中枢と、イスラエルにとって大きな脅威である。だから「先制」的なイラク攻撃が必要なのだろう。

 つまり、ブッシュ政権にとっての脅威は、フセイン政権ではなく、イラク人の「きちんとやる」素質なのだということになる。だからこそ、大量破壊兵器の開発を阻止するという名目の経済制裁が、実際にはイラクの国民経済を直撃し、一般市民を困窮させるために行われているのだと思われた。

▼経済制裁が生んだ新世代

 パソコンショップの店長の話でもう一つ興味深かったのは、イラク人の世代ごとの違いである。29歳の店長によると、40歳代以上の人々は、湾岸戦争前にすでに大人だったので、社会主義の影響を受けている。仕事や給料は政府からもらうものであり、政府の目の届かないところで勝手に仕事をするのは良くないと思っている。

 ところが、店長らの20−30歳代の、経済制裁下で大人になった世代は、月々数千円分の給料しかもらえないのだから、政府に頼って公務員になっても仕方がない、むしろ自分たちの才覚を使って自由市場でビジネスをした方がいい、と考えている。

 店長は、両親の世代の大人たちに、パソコン店を経営していることについて「そんなリスクをおかして仕事をするのは止めなさい」とよく小言をいわれるという。父母の世代は「党」や「社会主義」にこだわるが、若い世代はもっと実利を追うビジネスを目指している。「経済制裁が、私たちのような新しい世代を生んだのです」と店長は言った。

▼クールに愛国心を持つ新世代

 店長は、バクダッドの工科大学でプログラミングを専攻した。当初はプログラマーになることを考えていたが、イラクではソフトウェアの著作権が確立していないので、卒業後の進路を変えたという。「イラクは、ウィンドウズのCDを国じゅうで一枚買えば、それをコピーして全国で使ってしまうような状態だ。ソフトウェアを開発しても、たくさん売れる前にコピーされ、商売にならない。だから私は、パソコンのプログラムではなく、機械を制御するためのプログラムを書くシステムエンジニアになり、ラジオ局に就職しました」。

 ラジオ局には英語の放送用テープがたくさんあったので、それを聞いて独学で英語を勉強したという。何年かラジオ局で働いた後、友だちと現在の店を立ち上げて独立した。最初はインターネットカフェをやっていたが、お客の多くがネットサーフィンではなくコンピューターゲームをやっているのを見て、ネット接続を止め、ゲーム専門の店に変えて現在に至っている。店内には10台ばかりのゲーム用パソコンが置かれていた。

 店には彼を含めて5人が働いており、ゲームの接客の担当と、パソコンの販売や修理を担当する人に分かれている。一度は市内の別の繁華街にも支店を出したが、儲からなかったので、今はこの店だけでやっているという。

 店長に象徴される若い世代は、政治に対してクールなようだったが「反政府」ではなかった。米軍の侵攻について彼は「イラクの家庭には、大体どの家にも自衛用の拳銃や小銃がある。アメリカ軍の地上軍がバクダッドに侵攻してきたら、政府が何も指揮しなくても、人々は自然に銃を持って戦うだろう。政府が壊滅させられたとしても、その後も人々は戦いますよ。多くの市民が死ぬだろうが、アメリカ軍にも膨大な数の戦死者が出て、アメリカの勝利で終わることはないでしょう」と語った。

 アメリカの傀儡になるぐらいなら、制裁を受けても自立した国であり続けたい、と考えている点は、政府高官から若い店長まで、イラク人に共通した考え方であると感じられた。

 



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