<韓国編 2001年9月20日(木)〜25日(火)>



清洲訪問旅行日程
日 付 日数 ル ー ト 泊数 タイムテーブル・観光など
9/20 福岡発 → 仁川 →清洲          D 10:55発
21 清洲       佳景中学校、忠北再活院訪問公演
 <Motel Silk Road>
 
22 清洲 忠北芸術高校訪問公演
午後・市内観光(古印刷博物館・清州博物館・
上党城山)
23 清洲 俗離山国立公園、大清湖、文義文化財団地観光
24 清洲 佳景中学校、恵花学校訪問公演、雲浦の家、雲浦美
術館見学、鉱泉水浴
25 清洲 → 仁川 → 福岡    清州外国語高等学校、豊光初等学校訪問公演
20:10着





≪はじめに≫

平成13年9月20日(木)〜9月25日(金)の6日間、韓国の清州市に行ってきました。

韓国は、9つの道に分かれており、その中で、海に全く接していないのは、韓国のほぼ中央にある忠清北道だけです。その忠清北道は、5つの圏に分かれています。その中の一つの清州圏は、忠清北道の西にあり、その中の清州市は、清州圏にあって、忠清北道の道庁所在地となっていて、自治だけでなく、政治経済・教育・文化・観光の中心地となっています。


清州市は人口57万人を有し、そのうちの29%もの人が在学中です。つまり、教育都市なのです。大学は6つもあります。歴史も古く、世界的に有名なことは、現存の世界最古の金属活字本“直指”が印刷された発祥地であることです。また、世界3大ミネラルウォーターの一つがあります(イギリスのナポリナス、アメリカのシャスター、そして、ここチョジョン)。自然に囲まれた景色は素晴らしく、人々は温厚で親しみやすく親切で、先の2つ以外にもたくさんの歴史的遺産があります。


ただ、残念なことは、外国からだと交通の便が少し悪いということです。せっかくの清州国際空港は、うまく稼動してないようです。実際の良さが周りによく伝わっていないようでしたが、いろんな面で優れているので、今から伸びる市だと思われました。


以下に、私の5泊6日の出来事を記載したいと思います。




<1日目>

20日(木)…朝、9:30の大韓航空782便に乗り、仁川空港に着きました。日本円3万円を直ぐにウォンに両替しました。12:30の高速バスに乗る予定が、手続きが早く終わり、直ぐにバスが自分の目の前で止まったので、清州市に行くことを何度も確かめてもらって、11:30のバスに乗ってしまいました。その時、仁川空港から清州市行きの乗客が自分一人だったので、いささか不安になりました。こんなところにも、テロの影響があるのかなあとも思いました。


日本語の全く話せない運転手さんが、バスの出発前にお金を取りに来ました。金額は、10800ウォン(3時間以上乗って、約1000円でしかない!)と知っていたので、11000ウォン出して、200ウォンのおつりをもらいました。


途中で、一人乗って来た人がいて、日本語と英語を少し話す人で、会話が弾みました。70歳(韓国では満ではなく、数えで年齢を言う)の牧師さんで、名刺をもらい、ハンバーグをごちそうになりました。


清州市に着いて、そこのバス停からタクシーに乗りました。初めにホテルに行くか中学校に行くか迷いましたが、運転手さんがホテルを知らないようなので、安全策を取って、「佳景中学校」に行きました(移動するのに、自分の場合、太鼓とその台があるので時間どおりに行くべきでした)。


佳景中学に行くと、一人でバス停から来たことに、皆がびっくりしていました(12時半過ぎのバスに乗って、それで着いてバス停まで迎えに来てくれる予定になっていた)。校長先生がびっくりしていました。校長室の校長先生の机の前に、パソコンがどんとありました(日本よりも、韓国の方がインターネット利用が進んでいるようで、Ro校長先生とは、インターネットを通じて知り合いになれ、この時がもちろん初対面でした)。スラッとしたスマートな優しい顔をした校長先生で、また、職員の人にも手厚くもてなしていただいて、ホッとしました。





佳景中学にて
学校の玄関入口に掲示された私を歓迎する掲示板












開校10年ほどの新しい中学校で、校長室に教育方針が貼られており(どの学校にも、同じ感じで貼られていました)、生徒数は、3学年で1247人いて、生徒に会うと皆、にこにこして挨拶してくれました。


Ro校長先生の車で学校から出る時、生徒が大きな声で何度も何か言っているので振り向くと、自分の方を向いていて、「アンニョンヒカセヨ(さようなら)」と言っていました。で、私も、大きな声で、「トマンナヨ(また会いましょう)」と言いました。


その日の夜は、学校の先生たちと一緒に食事をしました。野菜の種類の多い(私は、野菜が大好きです)韓定食をごちそうになり、また、カラオケにも校長先生も教頭先生も付き合ってくれて、一緒に楽しく歌いました。私を歓迎しようとする気持ちがよく伝わってきました。


その後、ホテルに帰り、一人で国際電話のカードを買いに外に出ました。国際電話カードが売っている店を見つけました。若い店員さんが一人だけいて、全く日本語を話せない人で、ハングル語で国際電話カードがありますかと聞くと、出してくれました。どこで掛けられますかと聞くと、知らないと言われ、仕方なく自分で探すことになりました(ホテルでは、カードが使えませんでした)。運良く、カードで国際電話が掛けられ得る所を見つけることができましたが、そこからが、また大変でした。試行錯誤を20分近くもして、やっとのことで掛け方が理解でき、佐伯の家内に電話をしました。ホテルを出て電話を掛けるまで、1時間を要しました(いい勉強ができました)。


ホテルに帰って、NHKの衛星放送を日本語で見ました。韓国と日本の間には、こんな感じで、今はマスコミの間に垣根がないことに少し驚きました。