PATAGONIA bicycle touring report.

"FIn del Mundo"

 2001年1月30日。ペリト・モレノ"Perito Moreno"の町を出ると残酷なくらいにあっさりと荒野になった。いよいよアルゼンチンパタゴニアの核心部に足を踏み入れることになる。ここから約600km先のエル・カラファテ"El Calafate"までその殆んどがダートロード。情報によれば2日に1度は人がいる所に着くらしいがそれも風次第だという。そう、ここは世界一の強風地帯と呼ばれる場所なのだ。
 僕は大量の水と食料でさらに重量を増した自転車のペダルを地平線に続く道へと踏み出していった。


町を出ると荒野になった


UFOのような雲が浮かぶ

 パタゴニアの風は常に西から吹く。偏西風とアンデスの氷河による局地風の影響だ。初日はその追い風に乗って快調に進む。快晴。パタゴニア特有のレンズ雲がUFOの様に空に浮かんでいる。60km程走りこの日は道の脇の多少風の避けられる空き地にテントを張った。それでも飛ばされないように先ず重たいサイドバックを一つテントに入れてペグでしっかり固定してから立てなければならない。
 翌朝、早めに支度して風が吹き荒れ始める前に走り始める。何気なく立ち止まると不意に静寂の中に包み込まれた。あまり意識していないが走っている時は自分のスピードが作り出す風とタイヤが路面を転がる音が常に耳に聞こえているのだ。身震いするような真の静寂…。普段の生活ではまず味わうことの出来ない感覚である。
 しばらく走るとエスタンシアがあった。エスタンシアとは大牧場のことでそれぞれが孤立して点在している。このようにメインルートの近くに建物があることは珍しく大抵は郵便受けのような標識がポツンと立ち、地平線に向かって轍がずーっと続いているといったことが多い。日本の2倍の面積というとんでもなく広いパタゴニアだがその殆んどがこうしたエスタンシアの私有地であり道の両脇に柵が延々と続いているのが現実である。このエスタンシア・カサ・デ・ピエドラ"Estancia Casa de Piedra"は観光用として営業していて食事や宿泊も出来る。実はこのルータ40上にはこうした観光エスタンシアが幾つかあり旅行者のオアシスになっているのだ。


風を避け窪地にテントを張る


蒼い空へと道は続く

 3日目の朝、最初の町バホ・カラコレス"Bajo Caracoles"に到着。町といってもホテルと数軒の家があるだけだ。商店はないが食料やガソリンはそのホテルで買うことが出来る。ここで紙パックワイン2リットル、パスタ1袋、パン、ケーキ、ビール2缶を購入。占めて18ペソ(約2千円)。かなり高いが場所が場所だけに仕方がない。こういう僻地では物がある時に確実に手に入れておくことが重要である。
 5日目、この日のキャンプ地でアメリカ人サイクリスト、ショーンと再会した。彼とはチリパタゴニアのチャイテン"Chaiten"で別れて以来である。ここはチコ川"Rio Chico"を渡る橋の下でこの近辺では唯一樹木が茂り風が避けられる場所。やはり考えることは同じである。2日前の早朝、まだ薄暗いうちから走っているサイクリストをテントの中から見たのだがそれが彼であった。聞くと3時に起きて5時には走り出したという。確かに朝は風が止んでいることが多いので彼のやり方は正しい。また僕がペリトモレノの町で会っていたドイツ人のカップルも1日遅れで走っているらしい。また何処か出会えるだろう。


走行中の視線はこんな感じ

 これまでに出会った北上してくる日本人サイクリストにルータ40の風について尋ねると皆、ちょっと言葉では表現出来ないなあ、という答えであった。その意味を理解する日がとうとうやって来た。
 翌朝、6時前に出発したショーンを見送り僕も7時半には走り始めた。この頃はまだ風はなく三脚を出して自分の写真を撮る余裕があった。しかし午後から風が吹き始め自転車に乗っていることが難しくなる。よく風がきつくて下りでもペダルを回さなければいけないなんて言うけどここでは下りでやっと自転車に乗ることが出来るのだ。いや、それすらも困難になってきた。まさに暴風。あえて例えるなら高速道路を走っている車の窓を全開にして顔を外に突き出したような感覚だろうか?もはや押すことも出来ない。自転車を支えてただ風が弱まるのを待つ。吹き飛ばされるからだ。つらい。だか前に進むしかない。道は左にカーブして丘を越えている。あそこまで行けば追い風に変わるかもしれない。とにかくあそこまで行こう。しかし風はさらに強烈になり2、3歩進んで自転車を支えてしばらく耐え風が弱まる僅かな隙を縫ってまた進む。そんなことを繰り返しカーブに辿り着いた辺りで横風になりススッと自転車ごと道の中へと押し込まれる。こっちは目一杯抵抗しているのに…。前にも後ろにも右にも左にもどこにも動けない。ただ立ち尽くし頭を下げ風が収まるのを待つのみ。
 それでも何とか丘を上り切ったが追い風にはならなかった。下りで少し乗ってみるが横からの強風で一瞬の内に道の端から端へと吹き流され崖ぎりぎりで足ブレーキ。このままこうやって進んでいくのは厳しすぎる。前進を中止して運良く見つけた道路の下の排水溝の中に潜り込むことにする。今日はここで野宿か?ベストの選択とはいえないがここより良い所があるとは思えない。風が冷たいがシュラフに入れば何とかなるだろう。しかしすごい。本当にすごい。これがパタゴニアか。今までの風など何でもなかったのだ。朝、風が止むことが全然イメージ出来ない。風よ、止んでくれ!!


排水溝に泊まった


4人で先頭交代。左端がショーン

 翌朝、時計を見ると5時、空が白み始めている。寒い。急いで仕度しパサパサになったパンを一つ食べて道へ戻る。やがて地平線がオレンジ色に染まり遠くの山々を照らし始める。悪くない景色だがどういうことだ?もう風が吹いている…。
 朝日が道にまで届き路面の凹凸がくっきりと浮かぶ。ただひたすらまっすぐな道。向かい風。何とか乗って走ることが出来るが、時速7〜8km。向かい風じゃない、長いまっすぐな峠の上りだと思え、と自分に言い聞かせて走り続けたがやはり向かい風と上り坂は別物である。向かい風には上りで得られる達成感や充実感がない。気分転換に押すことにする。1時間ほど押した頃湖が見えた。この辺りから地形が山がちになりアップダウンが続く。まだ昼前だけどもう5時間も行動している。力が入らない。だかようやくレストランやキャンプ場もあるエスタンシア・シベリア"Estancia la Siberia"に着く。レストランに入るとツアーバスの客がたくさんいて注目を浴びてしまう。無精ひげで砂まみれ、髪にはくしも通らなくなっていた。でも自力でここまで辿り着いたことに僕は満足してた。ここで先述のショーンとドイツ人カップルに再会。みんな昨日の風でペースを狂わされていたようだ。
 次の日は4人で先頭交代を繰り返し95km先のトレス・ラゴス"Tres Lagos"まで一気に走り切った。しかし彼らは強い。僕は何度もちぎられて町に着いたときにはもうフラフラだった。やれば出来るじゃないかとも思ったが苦しくても自分のペースで走る方が僕は好きだ。
 翌日、次の町カラファテまで2日で行くつもりだという彼らと別れて僕は独りエル・チャルテン"El Chalten"を目指す。フィッツ・ロイ"Fitz Roy"、セーロ・トーレ"Cerro Torre"といったパタゴニアアンデスを象徴する尖峰をぜひこの目で見てみたかったからだ。町へは90kmの寄り道でまた同じルートをピストンしなくてはならない。この状況下ではつらいが自分の力で走ってこそ喜びは大きくなるのだ、などと言いつつ結局ラスト40kmは車の世話になってしまった。昨夜泊めてもらったエスタンシアの主人が偶然通りかかり、向かい風と格闘していた僕を拾ってくれたのだ。
 2日間をトレッキングで過ごし再び走り始める。そして2月13日、カラファテに到着。ここはユネスコ世界自然遺産にも登録されているロス・グラシアレス"los Glaciares"国立公園観光の拠点となる町。空港、バスターミナルがありメインストリートには土産物屋や旅行代理店が軒を連ねている。他のパタゴニアの町に比べるとかなり垢抜けた印象だ。公営のキャンプ場は一泊4ペソ(約500円)で熱いシャワーが24時間使えとても快適である。ここをベースにして約80km先にある国立公園最大の目玉、ペリト・モレノ"Perito Moreno"氷河を見に行く事にする。懲りずに自転車で。8km手前の有料キャンプ場にテントを張り空荷で展望台へ走る。全長約35km、先端の部分の幅5km、高さ60m。観光バスの多さには興醒めだが氷河はさすがにすごい。どうしてこんなにも巨大な氷の塊がここに存在するのだろうか。それにどうしてこんなにも蒼いのだろう。氷そのものが光を発しているかのように怪しく輝いている。大自然の圧倒的な力を見せつけられた気がした。


フィッツ・ロイ


ペリト・モレノ氷河

 

 カラファテを出発してからの2日間は不思議と風がなかった。ニャンドゥ(小型のダチョウ)と競争したりスカンクを追い回したり羊の群れを蹴散らしたりしつつのんびりと走っていった。
 チリ国境の手前約30kmの所にフエンテス・デル・コイレ"Fuentes del Ciyle"という地名が地図に載っている。大きな文字なので町なのかと思っていたが実際はホテルが一軒あるだけ。近くにテントを張っていたけどまた強風が吹き始めたのでそのホテルに避難して風が止むのを待ってもう一泊する。ホテルの部屋は満室だったが頼むと庭にタダでテントを張らせてもらう事が出来た。翌朝も風は止む気配はまったくないので仕方なく出発、40km走るのに5時間以上かかったがなんとか国境を越えてチリのセーロ・カスティージョ"Cerro Castillo"に着いた。
 ここからさらに西へ向かいトーレス・デル・パイネ"Torres del Paine"国立公園へ。ここも行き止まりでピストンのルートである。しかし前に出会ったサイクリストの話では車は無理だが自転車なら渡れる橋があり来た道を戻らなくても次の町へ行くことが出来るらしい。地図にも確かにその道は載っている。念のため公園の管理事務所で確かめるとノープロブレムだと言う答え。それならばと先へ進む。そして問題の橋へ。確かに渡れないことはないだろう。だがもし詳しい情報が事前に分かっていたら多分渡らなかったはずだ。今回の旅の中で一番の冒険はこの橋を渡ったことである。


パイネの3本の塔


問題の壊れた橋

 2月25日、プエルト・ナタレス"Puerto Natales"に到着。ここから約300km南のプンタ・アレナス"Punta Arenas"までは舗装路。そしてフエゴ島"Tierra del Fuego"の最南端の町ウシュアイア"Ushuaia"へも基本的には東へ移動するので追い風のはずだ。少々気が早いが先が見えたと言ってもいいだろう。ナタレスの町で2日間の休養の後走り始める。エスタンシアが点在する平原を坦々と走る。この辺りはアルゼンチン側の乾燥したパンパではなく、以前は森林だったのだろう、開拓で焼かれた大木が柵の向こうにごろごろ転がっている。まだ若く、細い木々は強い西風の影響でまっすぐに育つことが出来ない。どの枝も一方向に傾いている。3月2日、プンタ・アレナス着。この日は翌朝の地元新聞の一面を飾る程の激風で、また親切な人に車に拾われる事になった。交通量の増えた町の近くでは風に正面から立ち向かうのは危険であった。
 フェリーでフエゴ島に渡って5日目の2001年3月9日。とうとう最南端ウシュアイアの町並みとビーグル水道"Canal Beagle"の藍色の海が見えた。遥か彼方に思えた町が今、目の前に見えている。
 その後ウシュアイアの町でまたまたショーンと再会。がっちりと握手を交わし肩を叩き合ってお互いの旅の成功を祝う。こんな時に言葉は要らない。そして僕は上野さん夫婦の宿に2週間ほどお世話になった後ブエノス・アイレス"Buenos Aires"に飛行機で飛んだ。


パタゴニアを象徴する樹木


フエゴ島で見た朝焼け

  

 この旅は、世界中のサイクリストが絶賛するパタゴニアを走ってみたいという思いに加えて、日本やヨーロッパでののんびりしたサイクリングが好きな自分がパタゴニアの厳しい自然の中での旅でどう感じるのか、楽しむことが出来るのかどうかを確かめるという目的もあった。実際に走っている時、達成感は感じていたけど、楽しい?と聞かれても素直にイエスとは答えられないなと思っていた。しかしもう二度と行きたくないかといえばそんな事はない。帰国してしばらく経った今はあの地平線を見つめ風にもまれていた単調で苦しい日々が懐かしくさえ思えるのだ。

 僕の旅は、まだ終わりそうにない。

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