2001年1月16日 道端〜コジャイケ
朝、曇っているが雨の気配はない。自転車を押して車道に戻る。一夜の平穏な眠りを提供してくれたこの場所に感謝し「チャオ!」と別れを告げ出発。しばらく走ったがあそこ以上に良い場所はなかった。寝床探しは経験がものを言うからな、と自画自賛してみる。約10Kmでプエルトアイセンへの分岐に着く。バス停があり幾つかのグループがたむろしている。バス待ち、ヒッチハイク待ちのバックパッカーだ。彼らを横目に道は一気に下り谷底へ降りていく。手持ちの地図には滝のマークが2つある。その一つ目の滝の前にはレストランと売店がある。やがて左手に岩壁が現れトンネルが見える。ここから本格的に上っていくようだ。コジャイケの手前に長い上りがあると聞いていたのがこれか。いっちょやったるか!とジャケットを脱ぎTシャツとレーパンで上りはじめる。トンネルは真っ暗なうえカーブしていて危険なので途中から押す。何とかトンネルを抜けると視界が開けた。狭い谷から上ってきたのがよく分かる。写真を数枚撮りさらに上っていく。額に汗が流れる。最近、きつい坂はすぐに押していたけど久し振りにクライマー感覚を思い出しグイグイと上る。
峠は高原状になっている。風が強い。先述のダートの分岐と合流、小さな集落がある。そしてコジャイケの町を見下ろす展望台に着く。大きな町だ。手前のテーブル状の地形が不思議である。背後の山はアルゼンチンの国境が近いせいか荒涼としている。
長い長い下り。飛ばしていると一ヶ所舗装がはがれ大きな穴が開いている所がありジャンプ一番なんとか飛び越えた。心臓がバクバクいう。もし突っ込んでたら前輪がひん曲がって一回転し大怪我だったかも。慎重に慎重に。
町へはきつい上り返しの後ようやく着く。入り口には軍の施設があり戦車などが並んでいる。安宿を探してかなり彷徨ったが見当たらずちょっと高そうな所へ行くとそこは満室。だがそこの人に教えてもらいバスターミナルのあるシンプソン"Simpson"通りへ行くと数軒のオスへダッへを発見。通りと同じ名のシンプソンという宿へ行く。一泊素泊まりで3500ペソ、部屋はかなり狭いがまあいいだろう、ここに決める。自転車はガレージに置かせてもらい荷物だけ部屋(2階)に入れる。立て付けが悪くドアが閉まらないのは愛嬌か?
一応水ではない程度の冷たいシャワーを浴びてスーパーへ行く。こんな大きな店に入るのは久し振りだ。物資輸送が大変なはずだがそう高くはない。品揃えもプエルトモンより多いくらいだ。ついつい沢山買ってしまう。部屋に戻りコジャイケ到着を一人祝い飲む。
走行DATA D 64.51km T 4.21.07 A 14.8km/h Max 56.11km/h
2001年1月17、18日 コジャイケ滞在
17日はまず日本の両親に電話して無事を伝えた。その後自転車屋を探して町中を歩き回るが見当たらない。最後に観光案内所に行き英語の出来る女性に聞くと何と!シンプソン通りだという。一軒しかないそうだ。何のことはない宿の近くだったのだ。昼になるので広場近くのパン屋でエンパナーダとビールを買い一旦宿に戻る。昼食&昼寝の後自転車屋へ行く。これからの厳しいダートに備えてタイヤを探していたのだが1.5か1.95幅のスリックしかない(太いブロックタイヤは勿論あるが僕のランドナーにははまらない)。1.95のスリックを買い前輪に取り付けていると背後から「アツシ!」という声がする。見るとシェーンではないか!彼は流暢なスペイン語で店のおばちゃんと話し700Cのタイヤとチューブを買っていた。僕はスプロケット回しを買うつもりで身振り手振り説明したがどうも無い様だ。まだボスハブが健在だしシマノの8sのスプロケットは外せないと言われる。当時コジャイケはこのレベルだったが今はどうだろう?この店、品揃えも修理屋という感じで細かなパーツ多くベアリングの玉が各種揃えてあったりして面白かった。スプロケット回しは諦め、ゴム糊とパッチの予備を買って宿に帰る。結局今日は自転車屋に行くだけで一日が過ぎてしまった。
18日はハガキを3枚出し、両替をして博物館を見学し街の周辺を散策した後、今後の食料の買出しを済ませた。さあ明日は出発だ。

コジャイケ市内
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安宿
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第一部完
第二部へつづく
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