『フランス10日間徒然日記』 2000年5月26日(金)記

  
第44号
 ● 今回のフランスMEMO語 
 
『三銃士』に出てくるパリ市内の地名・右岸編

 右岸編、思っていた以上にたくさんあってびっくりしました。
 今回は某『地球の歩き方』だけでなく、フランスで売っているミシュランの
パリ市街地図も参考にしました。
 1冊あると便利です(^ ^)。(※フランスから送ってくれた友人に多謝)

                    

サン・タントワーヌ門
 

(略)ダルタニャンはそう言って、ポケットから気前よく2エキューの金をつかみ出し、亭主の手に握らせた。亭主は帽子を持って戸口まで送って来た。それから例の黄色い馬に打ちまたがり、パリのサン・タントワーヌ門まで、道中つつがなくたどり着いた。(「ダルタニャン物語」第1巻 講談社文庫版、34P)

 わたしたちがパリに着いた初日、最初の宿があるバスティーユへ行った時に車で通ったのがリュ・ド・フォーブール・サンタントワーヌ[Rue du Faubourg St-Antoine]で、バスティーユ広場をはさんで西にあるのがサンタントワーヌ通り[Rue du St-Antoine]でした。

 現在は門は残っていないようですけど、きっと昔はこのあたりにサン・タントワーヌ門があったんでしょうね。

                    

サマテリーヌの鐘と時計台
 

 ダルタニャンがこの修道院の下に広がっている小さな空き地の見えるあたりまで来ると、ちょうど正午の鐘が鳴り始め、アトスはもう五分まえから待ち構えていた。この男はサマテリーヌの鐘と同じくらい時間が正確で、決闘の作法については、どんなに口やかましいひとでも文句のつけようがないほどだった。(第1巻、83P)

 若い女と男は、あとをつけられているのに気がついて、足取りを早めた。ダルタニャンは掛け足で二人を追い抜き、こちらを振り返ると、二人はちょうどサマテリーヌの時計台のまえにさしかかったところだった。時計台は街燈の光を受けて、橋のこのあたりはパッと明るくなったいた。(第1巻、P208)

 鐘や時計台自体はもうないそうなのですが、鐘のあったところに現在「サマテリーヌ」という名前のお店があります。ポン・ヌフの近くです。

                    

ルーヴル宮殿
サン・ジェルマンの森
 

 トレヴィル殿は四人の部下を引き連れて、ルーヴル宮殿に向かった。ところが、国王はサン・ジェルマンの森へ鹿狩りに行かれたという返事なので、銃士隊長はあっけにとられてしまった。(第1巻、P110)

 この時代、ルーヴル宮殿が王宮だったので、当たり前といえば当たり前なのですが、まあいちおうリストしてみました。

 また、前回近くを通ったリュクサンブール宮殿は、当時はまだ建てられてからまもなかったので、『三銃士』の中では「新宮」なんて呼ばれるシーンが出てきます。

 そしてこれは左岸になってしまいますが、サン・ジェルマンって森があったの? って感じですね。
 今回わたしたちが訪れたサン・ジェルマン大通り[Boulevard St-Germain]付近のことだとは思うのですが、別のサン・ジェルマンなのかな?

                    

サン・トノレ街[Rue St-Honore´]
 

「なるほど、でもおれは祈祷書を読まなきゃならないし、そのあとでエギヨン夫人に頼まれた詩を作ることになっている。それからサン・トノレ街へ行って、シュヴルーズ夫人に言いつかった口紅を買わねばならんのだ。ごらんのとおり、きみはおひまかも知れないが、おれのほうはなかなか忙しいんでね」
 アラミスはそう言って若い友人の手をやさしく握りしめ。さっさと立ち去った。(第1巻、P136)

 サン・トノレ街は、チュイルリー公園の北のほうに現存します。
 今も昔も有名なお買い物通りです。

                    

レシェル街[Rue de L'Echelle]
 

「わかりました。こんどはわたくしのほうから用件をお伝えいたしますわ」ボナシュー夫人が口をきった。 
「さあ、おっしゃってください」
レシェル街のそばにあるルーヴル宮殿のくぐり戸まで行って、ジェルマンという男を呼び出してください」(第1巻、P178)

 コンスタンスとダルタニャンの会話です。
 レシェル街は文章にたがわず、ルーヴル宮殿中央北側あたりに現存します。

                    

バスティーユ[Bastille]
サン・ポール[St-Paul]
グレーヴ広場
パリ市庁舎 [Ho^tel de Ville]
クロワ・デュ・トラオワール
ボン・ザンファン街[Rue des Bons Enfants]
 

 だが、ボナシュー氏は生っ粋のパリっ子だったので、境界標示や、看板や、街燈を見ただけで、どの町を通ってゆくか、どうやら見当がついた。バスチーユの囚人を処刑するサン・ポールの広場へ差しかかったときには、危うく気絶しそうになり、二度も十字を切った。馬車がそこに止るのかと思ったのである。しかし、車はそのまま通り過ぎた。(略)
 だが、馬車が
グレーヴ広場へ向かう路をとり、市庁のとがった屋根が見え、車が弓形の門をくぐったときには、いよいよいけないと観念して、警官のまえで懺悔しようと申し出た。(第1巻、P237)


 あと恐ろしいのはクロワ・デュ・トラオワールだけだった。車はまさしくその方向に向かって進んでいる。
 こんどこそもう疑いの余地がない。クロワ・デュ・トラオワールは、身分の低い罪人を処刑する場所である。ボナシューがサン・ポールやグレーヴ広場でやられると考えたのは、身のほどを知らぬ思い上がりであった。小間物屋の旅行も運命も、クロワ・デュ・トラオワールでおしまいになるに違いない!(第1巻、P238)


 このあたりにこんなに人がたかっていたのは、これから絞り首になる人間を待っているのではなく、もう絞り首にされてしまった罪人を見物しているのであった。
 馬車はちょっと止まって、また動き出し、人波を掻き分けて進んで行き、サン・トノレ街を突ききり、
ボン・ザンファン街を廻り、低い戸口のまえで止まった。(第1巻、P239)

 ちょっと長かったですけど、ボナシュー氏が馬車に乗せられてどこかに連れ去られるシーンです。

 地名を追っていくと、どうもボナシュー氏はバスティーユのあたりからサン・タントワーヌ通りを抜けてリヴォリ通り[Rue du Rivoli]→サン・トノレ街を通ってボン・ザンファン街(現存)へつれていかれたということがわかります。
 『地球の歩き方』の地図でも追跡できるから驚きです。

 サン・ポールのあたりは、昔は刑場だったんですねえ。びっくり。

 グレーヴ広場とクロワ・デュ・トラオワールは、わたしの地図では見当たりませんでした。
※追記:市庁舎前の広場のことを、この時代はグレーヴ広場と呼んでいたそうなので、市庁舎前を思い浮かべてください)

 市庁の建物は今ときっと違うだろうけど、位置的にあってるので参考に。

 ボン・ザンファン街はパレ・ロワイヤルの東にあります。わたしと銀が3日目に両替屋を探してうろうろしていたあたりです。

                    

フォール・レヴェック
 

 で、トレヴィル殿はさっそく警視総監のところへ出かけて行った。クロワ・ルージュ地区の警察署長を読んで、いろいろ調べてみると、アトスはいまフォール・レヴェックの監獄に留置されていることが判明した。(第1巻、P256)

 これは不明。残念。

                    

サン・ドニ門
 

 血気にはやる四人の青年は、朝の二時、サン・ドニ門からパリを出た。夜のあいだはだれも口をきく者はない。あたりが真っ暗だと、なんとなくうす気味悪くて、いたるところにわながしかけてあるような気がするものだ。(第1巻、P326)

 アンヌ王妃がバッキンガム公爵に渡したダイヤモンドを返してもらうために、ダルタニャンたちがカレーからドーバーを渡ってイギリスへと向かうために、パリを出発する際の場面です。

 サン・ドニはあの自分の切り落とされた首をもって歩いた聖人ですね。
 門はメトロの8号線や9号線が乗り入れているストラスブール・サン・ドニ[Strasbourg St-Denis]駅近くに現存します。

                    

サン・ジャン教会[St-Jean]
 

 ダルタニャンは指輪をはめて、また待つことにした。(中略)三時に夜食が出ることになっていたが、サン・ジャン教会の大時計が二時四十五分を次げてから、もうしばらくたっていた。
 やがて、隣の部屋の人声は次第に小さくなり、遠ざかっていった。ダルタニャンのすぐまえの扉が開いたかと思うと、ボナシュー夫人が飛び込んできた。(第1巻、P364)

 アンヴァリッドの北西、メトロのラ・トゥール・モーブール[La Tour Maubourg]駅近くに現存します。これはミシュランの地図で確認。

                    

コンフェランス門
サン・クルー[St-Cloud]
ブーローニュの森[La Bois de Boulogne]
 

 いくつかの河岸を通り過ぎ、コンフェランス門を出て、サン・クルーへの道にさしかかった。このあたりは、今日よりもずっときれいであった。
 街を出はずれるまでは、プランシェは主人に敬意を表して、あとからついて来たが、人通りがすくなくなり、道が暗くなるにつれて、そっと近づいてきた。
ブーローニュの森にさしかかったころには、二人はくつわを並べて進んでいた。(第1巻、P380)

 コンフェランスは門は残っていませんが、アンヴァリッド橋とアルマ橋の間に名前が残っています[Port de la Confe´rence]。
 位置的にもあってますので、きっとこのあたりにあったのでしょう。

 サン・クルー、ブーローニュの森ともパリの西の方に現存します。

                    

サン・マンデ[St-Mande´]
 

 小間物屋がサン・マンデへ行ったと聞いて、ダルタニャンの疑惑は深まるばかりであった。サン・マンデはサン・クルーのちょうど正反対に当たるので、そう言ったに違いない。(第1巻、P398)

 ダルタニャンの指摘するとおり、サン・マンデはブローニュの南にあるサン・クルーとは全然反対の方角、ナシオン[Nation]駅の南西に現存します。

                    

ヴィレット門[Porte de la Villette]
モンマルトル門[Porte Montmartre]
ピエールフィット
 

 二人は護衛隊の本部を出ると、べつべつの道を通って遠ざかって行った。一人はヴィレット門から、もう一人はモンマルトル門からパリを出て、サン・ドニで落ちあう手はずになっていた。予定の作戦を忠実に実行したので、結果は上々、ダルタニャンとプランシェは同時にピエールフィットに到着した。(第1巻、P402)

 ヴィレット門もモンマルトル門も現存します(地名だけかも)。
 ヴィレット門はそのものずばりなメトロの駅があります。モンマルトル門は、墓地のもっと北のほうです。
 ピエールフィットは不明でした。郊外かな?

                    

フラン・ブルジョワ街[Rue des Francs Bourgeois]
ペイエンヌ街[Rue Payenne]
 

「(略)それから、パリでいちばん腕の立つ剣道の先生のところへ入門して、毎日毎日、一年じゅう休みなしに腕をみがいた。侮辱されてから一年目、例の奥さんの家で舞踏会が開かれ、そこへおれの敵もやってくることがわかったので、僧服を壁にかけ、騎士の制服をつけて出かけていった。目指す先は監獄に近いフラン・ブルジョワ街さ。
 (略)おれたちは外へ出た。そして去年、からかわれた場所、
ペイエンヌ街へ相手を引っぱって行った。時刻もちょうどそのころで、いい月夜だった。構えたかと思うと、一突きで相手を殺してしまった」

 アラミスの回想シーンです。この事件のせいで、アラミスはしばらく坊さんになれなくなっちゃったんですね。

 フラン・ブルジョワ街は、いまでは有名なお買い物通りです。ペイエンヌ街はその途中にあります。

                    

サン・ルー教会[St-Leu]
ウールス街[Rue aux Ours]
 

 (略)ある日のこと、ダルタニャンがサン・ルー教会のほうへ歩いて行くと、ポルトスの姿が見えたので、本能的にあとをつけることにした。教会へ入るまえに、ポルトスは口ひげをひねり上げ、皇帝ひげを引っぱった。女をひっかけようというとき、いつもポルトスがする癖であった。(P494)

 黒ずきんの女は、どうやらウールス街に住む代訴人夫人らしい。サン・ルー教会はウールス街のすぐ近くだから、まず間違いはないだろう。(P495)

 ポルトスが女性からお金を巻き上げようとしている場面ですね。
 ウールス街もサン・ルー教会も、ポンピドゥー・センターの北西に現存します。

                    

おまけ:トゥール[Tours]
 

「あの人がどうなったか、突きとめておきたいんだろう?」
「あの人って?」
「ほら、ここにいた女性だよ、刺繍したハンカチの……(中略)たぶん、
トゥールへ帰ったと思うね」
「トゥールへ? うん、うん、たぶんそうだろうな、よく調べあげたものだな。でもなぜトゥールへ帰ってしまったんだろう、おれに一言もことわりなしに?」(第1巻、P318)

 アラミスとダルタニャンが、アラミスの秘密の恋人、シューヴルーズ夫人のことを話している場面です。

 TGVのないこの時代、トゥールに行くのにどのくらい時間がかかったんでしょうね。

 では、この項はこれで終わりです。

 左岸編はこちら!


E-mail to : chihalu@geocities.co.jp
Copyright(C) 1999-2001 Office EST3