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日本全国 リレー・de・富士 |
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津軽富士(岩木山)のページへようこそ!! |
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津軽平野に聳える岩木山は、標高1625mと、富士山の半分もありませんが、付近に高い山が全く無いため、その標高以上に高く、雄大に感じられます。その美しい山容は、見栄っ張りで、じょっぱりな(強情な)津軽人の自慢の種で、岩木山こそ日本で一番美しい山で、富士山は『駿河岩木』と呼ばせたいという想いがあるそうです。 四季に移ろう、その優美な姿は、津軽じょんから節など津軽民謡の中でも謡われています。 あ〜富士に劣らぬ津軽のお山、お山眺めてお城の花見、仰ぐ天守は桜の中よ あ〜りんごかわいや色こそ可愛い、岩木お山に生まれて育つ、わたしゃ津軽のりんご娘 春遅い津軽の野では、そめいよしのが散った後を埋めるように、りんごの淡いピンクの花が一面咲き誇ります。残雪を頂に、神々しいばかりの霊峰岩木山を背景にした、美しい景色の中で、農作業もはかどります。 |
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北津軽鶴田にある富士見湖パークは、岩木山を望む広大な公園です。富士見湖は廻堰大溜池が正式名称ですが、池は1660年、津軽四代藩主、津軽信政が樋口権右衛門を奉行に命じ、堤防を築き用水池にしたものであると記録されています。その後、決壊と大修理、改築が何度も繰り返され、現在、周囲11km、堤長4178m(日本一)、堤高7m、貯水量1100万トンの日本でも有数の農事用人造湖となっています。 池には、木の橋では日本一という『鶴の舞橋』が掛かっています。青森県の特産、ヒバ材で造られた三連太鼓橋で、全長は300mを越えています。まことに『鶴の舞橋』に相応しく、優美な姿を湖面に映えさせる太鼓橋と富士山にも似た岩木山の壮大な姿は、見て飽きない素晴らしい光景です。 |
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岩木山神社 |
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古くから霊山として崇められてきた岩木山麓には、岩木山大神を祭る岩木山神社があります。1200年前の宝亀11年(780)社殿が山頂に創建され、後、津軽藩主為信等により大造営が行われ、今日、北門鎮護の名社として威容を誇っています。 富士山の木花咲耶姫や加賀、白山の菊理姫のように美しい山容をした山は、主神として女神を祀る例が多く、岩木山も多都比姫、森鴎外の小説『山椒太夫』に出てくる、あの安寿と厨子王の安寿姫が祀られているのです。このため、岩木山の神は丹後人を忌み嫌い、山や海が荒れると津軽の役人は必死になって領内に入り込んでいる丹後人を探し出し、追い払ったというのです。 この伝承については、200年前の江戸時代の国学者で博物学者でもある菅江真澄(白井秀雄)氏もその遊覧記で述べています。太宰治も小説『津軽』で、この伝承に触れ、安寿と厨子王の父、岩城判官正氏が『いわしろ』とも『いわき』と読めるところからごちゃまぜになったのだろうと述べていますが津軽2代藩主信牧が岩木山神社桜門の五百羅漢像の中に安寿、厨子王の木像を納めさせていますので、江戸時代の津軽人が悲しい運命にさらされた二人に同情し、二人が津軽の子供であると堅く信じていたのは確かなようです。二人の木像は、明治の神仏分離の際に移管され、現在、弘前市の長勝寺に安置されています。なお、江戸時代には、岩木山は岩城山と、厨子王も津志王と記述されることが多かったということです。 |
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広い津軽平野に、ど〜と座ったような岩木山は、東西南北、どの方向からでも良く見えます。また、見る方角により、その姿を変えますが、どれも美しく、その地域の人々は、自分の方から眺めた岩木山が一番美しいと自慢し合っています。 津軽の大河、岩木川が浅瀬石川、平川と合流する藤崎町は、前九年の役の厨川の合戦で敗れた安倍貞任の次男、高星丸が逃れた地と言われ、現在は、県内でも有数のりんご生産地になっています。 平川は冬のシベリアからの使者、白鳥が飛来する地としても有名で、雪を抱いた岩木山を背景に、水面に戯れる白鳥の優美な姿は、絶好のカメラスポットとになっています。 |
の素材を使わせていただきました。