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韓国紀行・2001年夏 vol.2
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第2回 筑紫平野へ
◆前回の冒頭で、大阪市の鶴橋駅の東側に大きなコリアタウンがある、と書き
ましたが、ある読者の方の情報提供により、「猪狩野」(いかりの)という街で
あることがわかりました。
もしそこへ行かれたことがある、という方がいらっしゃいましたら情報の提
供をお願いいたします。
それでは本文をどうぞ。
僕とTさんは車で、福岡市西端の今津から中心部へと博多湾の見える海沿い
の道を急いでいた。今津の農村地帯から市街地化が進む住宅街に出ると、夕方
5時に近くなっているせいか、道行く車の量が増えてきていてあまりスピード
を出せない。
Tさんはどの道を走ればいいか情報収集するため、交通情報を聞こうとラジ
オのスイッチを入れた。ラジオはニュースの時間のようだ。だが聞こえてきた
のはスタジオからニュースを読み上げているアナウンサーの声ではなく、どこ
かの街中でのざわついた人々の声だった。すぐにレポーターが状況を説明しは
じめた。いったい何が起きたのだろう、と僕たちはラジオに耳を傾ける。
かねてから問題となっていた、小泉首相の公式参拝がこれから行われるのだ。
さすがに近隣諸国の批難を考慮してか、終戦記念日である8月15日の参拝は見
送り、前倒しで今日8月13日に突然行うことにしたとのことだった。普通の日
本人よりは、こういった問題について敏感な僕たちは少なからぬ衝撃を受けた。
今回8月15日から韓国訪問を開始するにあたって、一つ気がかりとなってい
たのがこの公式参拝問題だった。自分と直接関係あるわけではないが、反日感
情がもっとも盛んになるこの日に公式参拝が行われてしまうと、日本人として
はとても居づらい気分になる。
だが、そういった反日感情でつらい思いをすることを考えるよりも、必要以
上にそれに捕らわれることなく、いかに旅先で自分が興味のある多くの物事を
見たり、韓国の人々と話したりできるかということの方が大事であると思いな
おした。こういった問題でぎくしゃくしない時代がきっと訪れるに違いないと
信じながら。
ニュースは小泉首相が参拝のため靖国神社入りし、多くの野次馬が集まって
いる様子を伝えていた。しばらくしてから本殿へ参拝に向かうようだ。その他
のニュースが読み上げられた後、交通情報となった。
僕たちの乗った車は博多湾沿いの道を進み、今日泊めていただくTさんのお
宅のある久留米市へと向かいはじめた。車は最近開発が進められつつあるマリ
ナシティの瀟洒なマンションが建ち並ぶ、近未来的な街並みを潮風を受けなが
ら進んでいく。しばらくして高速道路に入り、福岡ドームの脇を抜けて海沿い
の高架橋を走る。
左手には博多湾の青い水面と博多港の埠頭やフェリーターミナル、右手には
天神や中洲などの福岡の繁華街が見える。眼下に広がる博多港の光景につい見
とれてしまう。大きなフェリーが停泊している脇に、小高い白い建物が見える。
Tさんにあそこがフェリーターミナルだ、と教えていただいた。あさっての朝
にそこから目の前の大海原を越えていよいよ韓国へと向かうのか、と思うだけ
で胸が高まってくる。
大きなジャンクションに入り南へと進路を変える。博多駅周辺の市街地を抜
けると、まもなく福岡空港が見える。福岡空港は国内線のターミナルとしても
全国有数の規模を持つが、中国・韓国といったアジア諸国への国際線も充実し
ている。たとえば、中国の武漢・桂林へ行く日本からの航空便は福岡空港から
しか出ていない。しかも、福岡空港から欧米諸国へ行く航空便は数少ない。こ
のことからも、福岡が積極的にアジア諸国へ特化した交流を図ろうとしている
ことが分かる。
車は福岡市の南のはずれで高速道路を降り、さらに南へと進んでいく。途中
で僕たちは水城(みずき)跡を見ることにしていた。この水城跡とは、7世紀中
頃に緊迫していた東アジア情勢の影響を受け、唐・新羅からの攻撃を受けた時
の防御施設として作られた、東西全長12キロにも及ぶ土塁である。
663年、唐・新羅連合軍により現在の韓国南西部を支配していて滅亡寸前だっ
た百済を救うため、日本も出兵して戦った白村江の戦で、日本・百済連合軍は
敗北し百済は滅亡した。その後唐・新羅が日本に攻撃してくる可能性があると
思ったのか、その当時における朝廷の九州における出先機関であり、重要な外
交施設であった大宰府を防御する目的で、福岡から筑後に広がる平野の最も狭
い部分を塞ぐこの水城が作られた。「水城」という名前は、土塁を築きその周
りに堀をめぐらしたことに由来している。
(注:現在の地名は「太宰府」であるが、歴史的名称としての「だざいふ」は
「大宰府」と書くのが正しい)
しかし、水城は作られた当時においてその建造目的をまっとうすることはな
かった。しかし、600年以上の月日が経ち、中国大陸・韓(朝鮮)半島の国家が日
本を侵略してきた。文永の役においては、元・高麗軍の猛攻に一度劣勢となっ
た日本軍は博多からこの水城付近まで退却した。
日本軍はこの水城を防御線として戦闘を続けようとしたが、元・高麗軍も韓
(朝鮮)半島へと退却を始めたため、太宰府をめぐる攻防戦は結局のところ起き
なかった。飛鳥時代の人々の防衛構想が、鎌倉時代になってやっと生かされた
のだ。この当時の鎌倉武士たちは、いにしえの人々の先見性に目を見張ったに
違いない。
僕たちは幹線国道を外れ、水城跡の近くの小さな駐車場に車を止めた。水城
は土塁といっても現在は人の背の高さほどであり、簡単に登ることができる。
周りは田んぼや新しい住宅に囲まれていて、歴史的遺跡というよりも市街地に
溶け込んだ小高い丘という印象を受けた。しかもすぐ近くをひっきりなしに電
車が走る鉄道の線路や、絶えず車が流れる主要国道と高速道路が走っており、
静かに歴史のロマンに思いを巡らすこともできない。
僕たちは水城の周りをしばらく歩いた後、そばに近づき水城の土塁の上に登
り、その芝に覆われた部分を歩いた。この水城構築の実態を調査するため、地
面が掘り返されて発掘調査が行われているところがあった。日本ではあまり見
られない外敵の侵入に備えた歴史的遺構であるだけに、学術調査も盛んに行わ
れているようだ。
僕たちはこの土塁を一周したあと、ついでにということですぐ近くにある大
宰府政庁跡にも行ってみることにした。大宰府政庁跡は公園として整備されて
いて、専用の駐車場まであり僕たちはそこに車を止めた。広々とした政庁跡に
立ち、いにしえの大宰府の繁栄に思いをはせる。空には薄暗い青みがかかりは
じめ、人もまばらな政庁跡にはその空間の広大さもあいまってか、一抹のさみ
しさが漂っていた。
大宰府政庁跡には、往時の建物の礎石などが残っている。政庁の建物は当時
の都にもなかなか見られないほど壮大なスケールで、威厳に満ちたものだった
ようだ。政庁の後ろには小高い山がそびえており、その巨大な建物とあいまっ
てビジュアル的な政庁のスケールアップに一役買っていたものと思われる。
今日の昼からずっと、福岡・博多の対外的重要性を示す歴史的遺構をつぶさ
に見続けてきた。現在この福岡・博多は国際化時代においてどのような役割を
果たそうとしているのか。それは明日確かめてみることにして、今日はTさん
のお宅へと道を急ぐことにした。
夕暮れ時を迎え、帰宅する車の群れで道は多少混んでいたが、順調に僕たち
の車は久留米を目指して進んでいく。しばらくすると福岡市内から続いてきた
平野が狭まり、山々が僕たちの道路を挟み撃ちせんと迫ってくる。山々が再び
遠ざかり、さらに広い平野へ出た。筑紫平野である。
水田が広がる田園の中を進み水量豊かな筑後川を渡ると、久留米の市街地に
入った。まもなくその中心地から少し離れた住宅街のアパートにあるTさんの
お宅に到着した。Tさんはドアの鍵を開け、僕は遠慮しつつもお宅に上がらせ
ていただいた。一休みしたあと、久留米の繁華街にある韓国料理屋へと向かう
ことにした。Tさんがお友達に携帯で電話していた。どうやらそのお友達は僕
たちに会いに来てくださるそうだ。僕のどなたか韓国に感心のある方を紹介し
ていただけないか、というお願いを聞いてくださったのである。
外へ出ると、すっかり真っ暗になっていた。僕たちは近くの西鉄の駅まで歩
き、電車に乗って西鉄久留米駅に着いた。駅前のロータリーからバスに乗り、
日吉町というネオン街へと向かう。目指す韓国料理店は、飲み屋街の中心地帯
の少し手前にあり、やや落ち着いた小ぶりな店構えであった。
店に入ると、韓国人らしい訛りの強い日本語を話すおばさんと、やや若い男
性店員が笑顔で迎えてくれた。店内には数人の常連客らしき人たちが店員たち
と談笑している。僕たちは座敷席に腰を下ろし、チヂミ(韓国風お好み焼き)、
オジンオポックムパプ(イカ炒めご飯)などの料理を注文し、ビールで乾杯して
旅の疲れを癒す。
しばらくして、Tさんのお友達が店内に現れた。お友達は中年の男性で、30
手前のTさんとはややお年が離れている。この男性はKさんといい、お2人は
去年韓国語学習サークルで知り合ったそうだ。Kさんは今まで3度韓国を訪ね
たことがあり、最初の訪問は70年代のまだ日韓交流が盛んでなかったころだっ
たとおっしゃっていた。
Kさんはその時船で釜山(プサン)から入国し、数人で車に乗り韓国を数日間
旅したという。当時は韓国を旅する日本人も少なく、なおかつ反日感情も今と
は比べ物にならないくらい露骨であったが、釜山から北上し大邱(テグ)まで行
き、土地の人たちに親切にしていただいたのを昨日のことのように覚えている
という。僕たちはその他にも、韓国や九州に関するよもやま話で盛り上がって
いた。
すると、他のお客さんが帰り手持ちぶさたになった店のおばさんが僕たちに
話しかけてきた。僕があさってから韓国に行く、と言ったらおばさんが目を輝
かせてどこへ行くの、と好奇心ありげな口調で聞いてきた。僕は旅先での大ま
かな予定を話したら、慶尚南道(キョンサンナムド)出身というそのおばさんは
智異山(チリサン・韓国南西部にある韓国屈指の名山)の麓にある何とかという
寺がいいよ、と一生懸命説明してくれた。
大柄なおばさんの迫力に押され、韓国について色々と教えてくれるおばさん
の話につい聞き入ってしまう。その他にもおばさんは僕たちとの会話に混ざり、
人懐っこい笑顔で酒の席を楽しくしてくれた。
韓国へと渡る前に、韓国について語れる人たちと酒を酌み交わし、韓国人と
の語らいで日韓交流を深める。韓国へ旅立つ前の準備として、これ以上のもの
があろうか。酒も程よく回った僕たちはこの店を後にすることにした。また久
留米を訪れた際には立ち寄ってみたくなる、思い出に残る店だった。
僕たちはネオン街にあるラーメン屋で名物の久留米ラーメンを食べ、酔いを
軽く覚ました。ラーメン屋を出たところでKさんとお別れし、僕たちはTさん
のお宅に戻っていった。
中身の濃かった一日が終わろうとしている。Tさんのお宅に再び上がり少し
落ち着いたところ、Tさんは大型テレビの下のDVDプレイヤーに一枚のディ
スクを入れて再生した。画面には「1999年10月28日」という文字が現れすぐ消
えた後、夜の番人・ふくろうのアップが映し出され、そのふくろうが飛び立っ
たあとに小さな建物から銃声が轟きはじめた。
この映像には見覚えがある。そう、去年韓国で記録的な興行成績を上げ、今
年担って日本で公開された映画「JSA」のオープニングシーンである。Tさんが
今年の1月に訪韓した際、韓国で買ってきたJSAのビデオCDである。韓国では、
日本であまり普及しなかったビデオCDが今でも大量に販売されている。値段も
日本円にして2千円程度と、日本で同じようなビデオテープを買うのと比較す
るとかなり安い。
Tさんは僕がこの映画を見たことを知ってはいたが、サービスとして僕に見
せてくださっていた。韓国販売用なのでもちろん字幕などはない。細かいセリ
フの意味は分からなくとも、緊迫感漂う映像を見ているだけでも十分に楽しめ
る。このテレビの下のビデオラックには、その他にも何本か韓国映画のビデオ
CDやDVDが置いてあった。
疲れきった体では、2時間以上にわたるこの映画を全部見ることはできなか
った。僕はテレビの画面を見ながら、体を横たえているうちに眠りの世界へと
入ってしまっていた。
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