レコンキスタの勢いに乗ってスペインが占領した町

メリリャ

スペイン領
1497年 スペインが占領
1912年 フランスとスペインがモロッコを分割。メリリャ周辺のモロッコ北部はスペイン保護領になる
1956年 モロッコが独立。しかしメリリャはスペイン領の飛び地として残留

20世紀前半のモロッコの地図 黄色はスペイン領、赤はタンジール国際管理地域
メリリャの地図 (ポーランド語)
メリリャの衛星写真 (google maps)

スペインはレコンキスタ(国土回復運動)の中で誕生した国だ。8世紀以来イベリア半島を支配していたイスラム教徒に戦いを挑んでいたキリスト教国のうち、カスティラ王国とアラゴン王国が1479年に合併して成立したのがスペインの始まり。

そして1492年、ついにイベリア半島でイスラム教徒の最後の拠点だったグラナダを陥落させ、勢いに乗ったスペインはジブラルダル海峡を越えて北アフリカに上陸する。まずメリリャを攻略したが、モロッコなど西側はポルトガルが進出していたので東側のアルジェリア方面に進み、マグレブ、オラン、ヘジャイヤと地中海沿岸の都市を次々と占領。1511年にはアルジェを陥落させるが、やがてオスマントルコの介入で押し戻され、結局メリリャだけが残った。17世紀に入ってセウタがポルトガルからスペインへ移ったことで、スペインは北アフリカに2つの町を確保することになった。

メリリャはセウタ同様に古代フェニキア人が建設した歴史の古い町で、カルタゴやローマの植民地にもなった。もともとは砦を中心とした狭い一角だったが、19世紀後半にモロッコと4回にわたって条約を結び、現在の範囲に拡大した。とはいっても面積わずか12平方kmだから、歩いてまわれる程度。周囲を取り囲むモロッコ領との間は、幅500メートルの中立地帯になっている。

スペイン本土のすぐ対岸にあるセウタが「ヨーロッパのショーウインド」なのに対し、本土からフェリーで6時間かかるメリリャは、周囲を囲むモロッコとの結びつきが強い。旧市街はアラブ風の街並みで、モロッコの鉱山の積み出し港でもある。食糧品のほとんどはモロッコから運ばれ、一方でヨーロッパ製品を安く買うために、毎日のべ2?3万人のモロッコ人が出入りしている。セウタやメリリャに隣接する地域のモロッコ人は、パスポートを見せるだけで24時間滞在できるので、「担ぎ屋」が1日に何往復もしているが、貴金属や酒、タバコ、盗難車やドラッグなどの密輸も盛んらしい。

モロッコ北部がスペインの植民地だった20世紀前半、メリリャの住民のほとんどはスペイン人とユダヤ人だった。例えば1950年の人口8万1182人のうち、モロッコ人は6277人で1割にも満たなかった。1910年代にはベルベル人のゲリラにたびたび襲撃されたが、メリリャはセウタとともにモロッコを支配するスペイン人の中心拠点として繁栄していた。

しかし56年にモロッコが独立すると、メリリャはそれまでの中心拠点から本土から遠く離れた辺境の飛び地に過ぎなくなり衰退。スペイン人の多くは町を去り、ユダヤ人もほとんどがイスラエルへ移住して、30年後の86年にはメリリャの人口は5万2388人にまで減少した。

入れ替わりに増えているのがモロッコ人で、86年には住民の3分の1、現在ではメリリャの人口6万5000人のうち半数以上がモロッコ系(セウタでは約3割)。セウタやメリリャのモロッコ人は、10年以上暮らせば永住権が取得でき、スペイン国籍も申請できることになっているが、実際には永住権は取れても国籍の取得は難しく、3分の1のモロッコ系住民が無国籍だ。

スペイン政府が国籍を与えることを渋っているのは、スペイン国籍を取得したらフランスやドイツでも合法的に住めるようになり、せっかく増えてきた人口が流出しかねないし、新たな不法入国者を招きかねないこと。そしてメリリャの人口の半分以上がモロッコ系の国民になったら、単なる植民地だと見られかねなくなることだ。セウタとメリリャを植民地だと見なして返還を要求し続けるモロッコに対して、スペインは固有の領土だと拒み続けているが、その根拠の1つが「住民のほとんどがスペイン人」だった。しかし住民の多くがモロッコ系になれば、この言い訳は通用しなくなる。

一方でスペインは、国際社会に対しては「セウタやメリリャの住民は、スペイン本土の住民と同等の権利を有しているので、植民地ではなく本土の一部」だと釈明している。ジブラルタルの住民はイギリス国会の選挙に参加できないから、不当な植民地支配でスペインに返還すべきだが、セウタやメリリャの住民はスペイン国会の選挙にも参加できるから、植民地ではなくモロッコに渡す必要はない・・・という論理なのだが、それならモロッコ系住民にも同等の国籍を与えなくてはならなくなる。そこでモロッコ系住民にはとりあえず永住権を与え、国籍は様子を見ながら少しずつ与えるという、現在の中途半端な政策になったようだ。

セウタやメリリャに住むモロッコ系の住民は、モロッコへの返還を望んでいるかといえばまったく逆。せっかく豊かで近代的な「ヨーロッパの飛び地」の居住権を手に入れたのに、「アフリカの町の住民」には戻りたくないということ。特に現地生まれのモロッコ系住民の間では、「イスラム教徒のスペイン人」という意識が生まれている。モロッコ系住民は彼らの言葉であるタマズィグト(ベルベル語)が学校教育で教えられないことに不満を募らせ、市議会ではイスラム教徒の権利拡大を主張する政党が、25議席中7議席を占めているが、彼らもメリリャのモロッコ返還は「住民は誰も望んでいない」と否定している。

1980年代にスペイン政府がジブラルタルとの国境封鎖を解くと、セウタとメリリャでは自治権を求める運動が盛んになった。これはスペイン政府がジブラルタルの獲得と引き換えに、セウタとメリリャをモロッコへ引き渡してしまう懸念が広がったためで、スペイン系もモロッコ系も住民の頭ごなしに町の将来が決められてしまうことを恐れた。その結果、95年からセウタとメリリャはスペイン本土の州から切り離されて、現在では「自治市」になっています。
 

●関連リンク

Melilla. The strange feeling メリリャの総合観光ガイド(英語)
アフリカンドリーム 不法入国者を防ぐためにモロッコとの国境に築かれた鉄条網の写真などがあります
リーフ共和国興亡 1920年にメリリャの周囲で起きたベルベル人の独立戦争です
 

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