領土なき国家か、外交特権つきNGOか

マルタ騎士団
 
ロードス及びマルタ、エルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会 
首都(本部ビル):イタリア共和国ローマ市コンドッティ通り68番地 人口:1万0500人(2003年)

1050年 エルサレムでキリスト教巡礼者向けの宿舎兼療養所を開業
1113年 ローマ法王から騎士団として公認される
1291年 アッコン陥落によりパレスチナを追い出され、本部をキプロス島へ移す
1310年 ロードス島を占領
1522年 オスマントルコがロードス島を占領
1530年 スペイン国王兼神聖ローマ帝国皇帝カルロスからマルタ島を譲渡される
1798年 フランスがマルタ島を占領
1822年 ベロナ会議により、領土を失っても引き続き国家として認められる
1834年 ローマ市内に本部を設置
1869年 ローマの本部ビルに対して、イタリアが治外法権を認める
1961年 「ロードス及びマルタ、エルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会」となる
1969年 イタリアによって、ローマの本部における自治が認められる
1994年 国連総会にオブザーバー加盟する

 
領土を持っていた頃のマルタ騎士団(ヨハネス騎士団)。1360年頃(左)と1763年頃(右)

国家が成立するための三要素とは「領土、国民、主権」だと定義されていますが、そんな常識を覆してしまうような「国家」がマルタ騎士団。「騎士団なんか国家じゃないじゃん」と思うでしょうが、世界の96ヵ国と外交関係を結び、大使館を置いたりパスポートの使用を認めている。国連加盟国の数は191だから、その約半数が国家として認めているのだ。さらにマルタ騎士団は国連総会にもオブザーバーとして加盟している。

マルタ騎士団も昔は領土を持っていた。高校の世界史で使った「資料集」を見てみると(上の地図は私が高校の授業で使ったものです)、中世のヨーロッパには「××騎士団領」なんてものが載っている。マルタ騎士団はその名の通り、かつてはマルタ島を領有して、もっと以前にはロードス島あたりを領土にしていた。

マルタ騎士団の起源は、十字軍遠征の前にエルサレム近くに作られた巡礼者向けの宿舎兼病院で、巡礼ルートの警備もしていた。やがて十字軍の遠征とともにヨーロッパ各地から騎士が集まり、聖地防衛のために尽くしたということで、1113年にはローマ法王から聖ヨハネ騎士団(正式名称はもっと長ったらしい)として公認される。13世紀末にイスラム教徒によってパレスチナから追い出されると、とりあえずキプロス島へ逃げて病院を運営しながら、聖地奪還の機会を伺いつつ、イスラム教徒の船を襲撃し、積荷の略奪などを続けていた(客観的にいえば海賊をしていた)。

キプロス島では国王に領土を奪われることを警戒され、騎士たちは行動を縛られて悶々としていたが、やがてもっと自由に活動できる拠点を求めて本物の海賊と手を結び、イスラム勢力どころか、こともあろうに東ローマ帝国(ビサンティン帝国)の領土だったロードス島一帯を襲って占領し、ここを領土としてしまう(東方正教会のビサンティン帝国は、ローマ法王とは敵対していたから、騎士団的にはそれでも正義だったんでしょうね)。こうしてロードス島に拠点を構えた聖ヨハネ騎士団は、ロードス騎士団とも呼ばれるようになった。

やがて小アジアではオスマントルコが勢力を伸ばし、1453年にはコンスタンチノーブルを攻略して東ローマ帝国を滅ぼし、その後もアドリア海にあったキリスト教徒の島々を次々と奪ってゆく。ロードス島も1480年に攻撃され、この時は騎士団が防衛に成功したが、1522年には5ヶ月に及んだ篭城戦の末に降伏。騎士たちはロードス島から撤退してクレタ島やシチリア島を転々としていたが、そんな彼らに目をつけたのがスペイン国王兼神聖ローマ帝国皇帝のカルロス5世だった。スペインは15世紀末から16世紀初頭にかけて、シチリア島やイタリア南部、そしてアフリカ北岸の要塞を占領していたが、その中心に位置するマルタ島の防衛を彼らに任せ、「スペインの庭」となった地中海の西半分の安全を確保しようとした。かくして聖ヨハネ騎士団は「年に鷹一羽を献納すること」という格安の条件でマルタ島を譲り受け、ここに新たな根拠地を築き、今度はマルタ騎士団とも呼ばれるようになった。

騎士団は1565年にマルタを襲撃してきたトルコ軍を撃退して名を挙げたが、その後平和な時代になると戦闘魂も薄れていき、1798年にナポレオンの軍勢が上陸すると、戦わずしてマルタ島を明け渡す。こうして騎士団は再び領土を失い、流転の身となったのが、「国家」としての地位はナポレオン死後のベロナ会議で、ヨーロッパ主要国から承認された。マルタ島は1800年にイギリスがフランスから奪っていたが、イギリスはせっかく手に収めた地中海に浮かぶ要塞を騎士団へ返すつもりはなく、その代わりに「国家としての体面」だけは与えてやったということでしょう。マルタなきマルタ騎士団はイタリアからローマの宮殿と本部ビルを与えられ、ここを拠点として現在でも世界各地で病院の運営や医療奉仕を続けている。

ローマに建物を持つといっても、バチカン市国とは違って領土として認められたわけではなく、あくまで土地はイタリアの領土。騎士団にはその敷地内での外交特権(治外法権など)が認められているだけで、いわば大使館の敷地と同じ扱いだ。

外交関係を結んでいる国は、どうせ歴史上の経緯があるカトリックの国ばかりだろうと思いきや、承認している96ヵ国を見てみると、ラテンアメリカはともかくとして、アフリカや旧ソ連諸国でも多く、しかも近年はどんどん増え続けているらしい。その一方で日本をはじめアメリカやイギリス、フランス、ドイツ、中国など、世界の主要国と言えるような国々は、ロシアを除いて外交関係を結んでいない。これはひょっとして、騎士団に医療活動をしてもらいたい貧しい国や紛争で揉めている国が、どんどん外交関係を結んだ結果ではないでしょうか。そういえば台湾は「経済援助をちらつかせて貧しい国相手に外交関係を結んでいる」とよく言われていますが、う〜ん、マルタ騎士団もなんか似たような気が・・・。

そして国連のオブザーバー加盟も、実は「国家としての加盟」ではなく、「実体あるいは国際組織」としての加盟だ。かつて国連は加盟しないまたはできない国が少なくなく、日本も国連発足当初は加盟できなかったし、東西ドイツは73年まで、韓国・北朝鮮は91年まで、スイスは2002年まで未加盟だった。これら未加盟国でもその国や地域についての問題では、討議に参加してもらう必要があるので、オブザーバー参加していたのだが、70年代に入ると国連は領土を持たないPLO(パレスチナ解放機構)も「国家」としてオブザーバー加盟を認めるようになった。一方で「国際組織」としてのオブザーバーでは、アラブ連盟、アフリカ統一機構などの地域機関や、経済協力開発会議(OECD)などの国際機関などに加え、赤十字のような国際的なNGO組織が加盟していたが、90年代に入ってからは加盟基準が大幅に緩和されて、オブザーバーとして国連に参加するNGOの数は飛躍的に増えている。ようするに、マルタ騎士団のオブザーバー加盟は「医療活動などを行うNGO」として認められての参加なわけですね。

となると、マルタ騎士団の「大使館」も、現実にはNGOの現地事務所だったりするわけで、紛争地などでは事務所が「外交特権」で荒らされずに済み、「外交官」は免税であれこれ持ち込めるから、これはかなりオトクかも知れません。ちなみにマルタ騎士団の団員は1万0500人いて、かつては貴族でなければならなかったが、現在ではもちろんそういうことはなく、日本人でもメンバー(というか、ナイト)になっている人がいます。

マルタ騎士団では「国家」として切手も発行していますが、万国郵便連合(UPU)には加盟していないので、果たしてどこで使えるのでしょうか?

●関連リンク 
 
マルタ騎士団公式HP マルタ島やマルタ騎士団について。写真もたくさんあります(英語)
ロードスの騎士 マルタ騎士団について、ロードス島を中心に写真がたくさんあります
マルタ騎士団写真館 ロードス島やマルタ島、ローマの写真があります
セント・アンドリュー・オブ・エルサレム騎士団日本総領事部 う〜む・・・、ビサンティン皇室日本大使のデヴィ夫人と舞踏会もやってます
 
 

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