「多人種協調主義」という名の白人支配

中央アフリカ連邦
(ローデシア・ニアサランド連邦)

首都:ソールスベリ 人口928万5000人(1961年)





1953年9月4日 英連邦内の準独立国(semi-independent member)として成立
1963年2月1日 ニアサランドが離脱
1963年12月31日 北ローデシアが離脱して連邦解体
1964年7月6日 ニアサランドがマラウイとしてイギリスから独立
1964年10月24日 北ローデシアがザンビアとしてイギリスから独立
1965年11月11日 南ローデシアがローデシアとして一方的にイギリスから独立
 

中央アフリカ連邦といっても、かつて「ボカサ皇帝」が君臨した中央アフリカ共和国(当時は中央アフリカ帝国ですね)とはまったく関係ありません。

中央アフリカ連邦(別名:ローデシア・ニアサランド連邦)は、イギリス植民地の南ローデシア(現在のジンバブエ)、北ローデシア(ザンビア)、ニアサランド(マラウイ)で構成されていた国で、完全な独立国ではなく、英連邦内の準独立国(semi-independent member)という扱い。イギリスから派遣された総督の指揮下に連邦軍を擁し、諸外国と国交関係は結べないものの単独で通商協定を結ぶことができ、また総督は法律の制定に拒否権を発動することができた。

1950年代から60年代にかけて、アフリカ各地で黒人による独立運動が活発化するなかで、中央アフリカ連邦は「多人種協調主義によるアフリカ国家のモデル」だと自画自賛していたが、中央アフリカ連邦の主導権を握っていたのは、白人の人口割合が高い南ローデシア(1961年時点で5・7%)。いわば南ローデシアの白人企業家が、北ローデシアの豊富な天然資源と、人口過剰なニアサランドの安い黒人労働力(黒人の賃金は南ローデシアの半額)を利用するための連邦結成で、イギリスにとっても世界第二位の輸出量を誇った北ローデシアの銅山を確保し続ける狙いがあった。

ローデシアは19世紀末から英国南アフリカ会社が行政権を得て開拓を進め、南部では南アフリカから移ってきた白人入植者が増えたが、1920年代になると白人たちの間で自治を求める声が高まった。当初は未開の北ローデシアを切り離して、南ローデシアだけを南アフリカへの編入をすることを目指していたが、1922年の住民投票(白人だけ)で否決され、南ローデシアは自治領に、北ローデシアはニアサランドとともにイギリスの保護領になった。

しかし1925年に北ローデシアで銅鉱脈が発見されると、南ローデシアの白人たちは一転して「南北ローデシアとニアサランドの合併」を要求するようになる。イギリスは「南ローデシアの白人だけで、広大な地域の黒人を統治するのは無理だ」と重ねて反対していたが、連邦制を敷いて各地域の独自政策を残すことや、北ローデシアとニアサランドは引連邦結成後もき続きイギリスの保護領として残すことで同意し、1953年に中央アフリカ連邦が成立した。

連邦議会59議席のうち、全ての人種による選挙で選出される議員枠が44、アフリカ人議員の指定枠が12、アフリカ人の利益に特別責任を負う白人議員が3で、一見すると黒人が優遇されているように見えるが、「全ての人種による選挙」の有権者は学歴や所得、資産で制限されたので、有権者数は白人12万4610人に対して黒人1万1613人、アジア人や混血4532人(62年末時点)。連邦の全人口928万人のうち30万人しかいない白人が、政治のほぼ全権を握れる仕組みだった。

加えて南ローデシア中心の開発も露骨だった。連邦結成前の南ローデシアは輸入超過で大幅な貿易赤字だったが、北ローデシアからの銅輸出で収支は改善され、銅鉱山からの豊かな税収で、南ローデシアの鉄道網整備や、ダム建設による発電所・水利網の整備を進めた。こうして条件が整った農場経営を目指して、1950年代の南ローデシアでは白人移民が増え続けた。

一方で黒人たちは中央アフリカ連邦の結成には反対だった。南ローデシアの白人政権による政治・経済の支配に他ならなかったし、南ローデシアが南アフリカを真似して実施していたアパルトヘイト(人種隔離政策)が他の地域でも導入されることも恐れた。特に人口の99・7%が黒人だったニアサランドにとって、「多人種協調主義」はまやかしに過ぎず、天然資源を奪われる北ローデシアでは南ローデシアによる搾取に反発が高まった。

こうして1960年代に入り、アフリカの植民地の大部分が黒人国家として独立すると、北ローデシアやニアサランドでも黒人国家による独立への動きが強まり、南ローデシアの白人も北ローデシアとニアサランドを切り離して白人政権を守った方が得策だと考えた。こうして63年には北ローデシアとニアサランドは相次いで独立に向けた自治政府を作って、連邦から離脱。残った南ローデシアはイギリスとの交渉がまとまらないまま、65年に白人国家「ローデシア」として一方的に独立を宣言したのでした。
 
 

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