自治権を与えられて独立を撤回

ガガウズ共和国
 
首都:コムラト 人口:17万人2500人(2000年)

  
左はガガウズ・ソビエト社会主義共和国、中はガガウズ共和国、は現在のガガウズ・イェリ自治共和国の旗

1990年8月19日 ソ連国内で、ガガウス・ソビエ ト社会主義共和国がモルドバ・ソビエト社会主義共和国からの独立を宣言
1990年12月22日 ソ連政府はガガウス・ソビエト社会 主義共和国の成立を承認せず
1991年8月27日 モルドバ共和国がソ連からの独立を宣 言(ソ連は12月25日に承認)
1992年10月7日 ガガウズ共和国がモルドバからの独立 を宣言
1995年6月19日 モルドバ内でガガウス・イェリ自治共 和国が成立

モルドバの地図 南の方に散 在する飛び地はガガウズ・イェリー自治共和国のもの
 

モルドバ共和国の地 図。緑は独立している沿ドニエストル共和国、
黄色は独立を断念したガガウス・イェリ自治共和国
ソ 連が崩壊してたくさんの「××共和国」が独立しましたが、それら共和国の中からも各地で分離独立を求める内戦が起きたりして、ヤヤコシイことになりまし た。ルーマニアとウクライナに挟まれたモルドバもそんな地域で、モルドバではソ連解体と前後して2つの地域が分離独立を要求した。1つはロシアの支援を受 けて「世界非公認の国」として現在に至っている東部の沿 ドニエストル共和国。もう1つは南部のガガウズ共和国で、こちらはその後独立を断念して、モルドバ内の「ガガウズ・イェリ自治共和国」になってい ます。

ガガウズス人はトルコ系の民族で、かつてはイスラム教徒だったが、12世紀から17世紀にかけてキリスト教に改宗し、現在では大部分が ロシア正教徒。オスマン・トルコの統治下では主にブルガリアに住んでいたが、1806年から12年にかけての第三次露土戦争でベッサラビア(現在のモルド バ)がロシア領になると、ベッサラビア南部へ大挙して移住。現在ではブルガリアやルーマニア、ウクライナ、ロシアなども合わせて約30万人のガガウズ人が いるが、うち半数がモルドバに住んでいる。スターリン時代のソ連では、ガガウズ人はシベリアに追放されていた。

さて1980年代末から90年代初めにかけて、ソ連が崩壊してモルドバ(当時はモルタビア)が独立する際、モルドバ人の間では「ルーマニア民族主義」が台頭した。新生モルドバの国旗 はほとんどルーマ ニアの国旗 と同じだし、モルドバをルーマニアに併合してもらおうという主張まで表れた。そしてモルドバ語(=ルーマニア語)だけが唯一の公用語と規定された。

これに猛反発したのが東部のロシア人・ウクライナ人や南部のガガウズ人。ガガウズ人はそれまで公用語だったロシア語ならソ連統治下の教 育で理解できたが、モルドバ語を話せた人はわずか5%足らず。東部では沿ドニエストル共和国が独立を宣言したが、南部でもガガウズ共和国が独立宣言をし て、独自の民兵を組織した。

ステパン・トパル大統領
しかしガガウズ共和国の人口 のうち、ガガウ ズ人が占める割合は半分弱で、モルドバ人やロシア人、ウクライナ人、ブルガリア人など他民族が55%を占めていた。そこでガガウズ共和国はレーニン主義に基づいた各民族の自治を認めた国づくりを掲げた。レーニン主義を掲げたのは、ソ連政府に 独立を承認してもらおうという狙いと、各民族の支持を集めるためだったが、ソ連は結局ガガウズの独立を認めず、ガガウズ人以外からは特定の民族名を冠した 「ガガウズ共和国」という国名が批判されて、独立運動は行き詰まってしまう。

沿ドニエストル共和国の独立はロシアが支援していたが、ガガウズ共和国に対してはトルコが支援していた。しかしレーニン主義を掲げたガ ガウズにトルコは支援の凍結を発表。モルドバ政府もガガウズの自治を約束したため、ガガウズ共和国は独立を断念してモルドバに留まることになり、95年6 月に「ガガウズ・イェリ自治共和国」が発足した。発足にあたっては、ガガウズ人の人口が50%を超える地域を自治共和国の範囲としてほか、ガガウズ人が少 数の地域では住民投票を実施して自治共和国へ帰属するかどうかを決めた。このため自治共和国の領土は飛び地状になっている。


ガガウズ共和国が独立した頃 の写真

 

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