イギリス軍にココナッツを売らせろと、サンゴ礁の住民たちが独立宣言

アドゥ環礁

アドゥアン人民共和国→スバディバ連合共和国
首都:ヒッタドゥ 人口:2万人(1960年)

1959年1月3日 アドゥ環礁がアドゥアン人民共和国として独立を宣言
1959年3月13日 ムラク環礁とフバドゥ環礁が加わり、スバディバ連合共和国を結成
1959年7月 モルディブ藩王国がフバドゥ環礁を奪還
1963年9月30日 イギリス保護国のモルディブ藩王国に復帰して消滅

モルディブの地図 一番南にあるのがアドゥ環礁です

モルディブといえばインド洋のリゾートとして有名ですが、70年代まではほとんど鎖国同然でした。現在でもリゾートホテルのある島は無人島で、外国人が住民が住む島へ行く場合は、空港のある島や首都のマレ島を除いて「人の住んでる島を訪ねるオプションツアー」への参加が必要。「外国人と接触することで、国民が精神的に汚染されたら困る」と隔離しているそうで、なんだか二昔前の人民中国みたいですね。かつての中国は社会主義思想が汚染されるのを警戒してましたが、モルディブはイスラム文化が汚染されるのを嫌っているとか。

さて、そのモルディブは26の環礁からなるサンゴ礁の島々ですが、アドゥ環礁を中心にした南端の島々がアドゥアン人民共和国(後にスバディバ連合共和国へ発展)として独立を宣言したことがありました。当時のモルジブはイギリスの植民地、じゃあ人民共和国や連合共和国はイギリスの植民地支配からの解放を目指したのか、と言えばそうではなくて、独立を煽ったのはイギリス軍です。一体どういうことでしょう?

モルディブは歴史的に古くからインドとアラブ、アフリカを結ぶ交易拠点で、ポルトガルやオランダが支配した後、1887年からイギリスの保護領になったが、実際の統治は従来からのスルタンが続けていた。なにせサンゴ礁の島は砂地だらけだから農耕には適さず、特産品はその名も「モルディブ・フィッシュ」と言うカツオ節。これがスリランカのカレー料理には欠かせないそうで(・・・と『美味しんぼ』に書いてあった)、島民たちはせっせとカツオ節を作ってスリランカに輸出し、穀物などの食糧品を輸入していた。

そんなモルディブは第二次世界大戦で飢餓に襲われた。インドへ米の買い付けに来ていたスルタン一行は、真珠湾攻撃のニュースを聞いて米を買うのを止め、「インド洋の真ん中にあるモルディブは危ない」とその金でスリランカに不動産を買って定住してしまった。困ったのはスルタンが輸入してくるはずだった米が届かなくなったモルディブの住民たち。駐屯していたイギリス軍のアドバイスで、モルディブ政府はカツオ節の輸出や米の輸入などの海外貿易を国有化して、食糧を配給制にしたのだが、なんせお役所仕事のイイカゲンさで、国営倉庫に集められた輸出用のカツオ節は保存が悪くて虫に食われてしまい、カツオ節の輸出ができないから米の輸入もできず、米の輸入ができないからたちまち飢餓地獄。このトンでもないスルタンは、後にモルディブへ里帰りしようとして船に乗ったら、日本軍の潜水艦に攻撃されて行方不明になったそうで、まぁ自業自得ってことですね。

そして戦争が終わり、貿易の国有化はもう必要なくなったはずだが、政府にはいろいろウマ味を覚えた人たちがいて、その後も続けられた。このため、スリランカとの直接取引を禁じられた各島の実力者たちの間では不満が募っていた。またそれまでスルタンは島民たちから人頭税や地税を徴収していたが、首都から遠く離れた小島で完全に集めるのは難しかった。しかし政府が貿易を独占したことで、税の徴収が容易になったことも、島民たちには不満の種だった。

ところで1956年、後にアドゥ独立につながる大きな事件が2つ起きる。1つはエジプトで発生したスエズ動乱、もう1つはスリランカ(当時はセイロン)でバンダラナイケが首相になったこと。エジプトのナセル大統領は汎アラブ民族主義を唱えて、スエズ運河地帯に駐屯していたイギリス軍を撤退させたが、セイロンのバンダラナイケ首相もスエズ動乱に影響されて民族主義を掲げ、イギリス軍基地の撤去を求めた。イギリス軍はヨーロッパとアジアとの間に新たな給油基地を確保する必要に迫られ、モルディブ南端のアドゥ環礁にあるガン島に目を付けた。ガン島では戦時中にイギリス軍基地が建設され、その後放棄されていたが、これを再利用しようと目論んだというわけ。

かくしてイギリスは1956年末、モルディブのスルタン政府にガン島の基地を100年間使用させるよう求めた。当時の首相イブラヒム・アリ・ディディは協定に調印し、イギリス軍はガン島に駐屯したが、後に議会はスリランカや非同盟諸国の盟主だったインドの反発を恐れて協定を否決し、首相を解任してしまう。こうしてイギリス植民地なのにイギリス軍の撤退を求めるスルタン政府と、協定はあくまで有効だと主張してガン島に居座るイギリスとで対立が続いた。

スルタンの政府は相変わらず貿易を国有化していたので、島民たちはイギリス軍に島のココナツや魚を売ることも禁止された。同じ島に住むイギリス人に物を売るのも海外貿易のうち・・・ということらしい。いくらなんでもこれはヒドイと島民たちばかりか、イギリス軍も憤慨。また基地では島民が働くようになっていたが、スルタン政府がイギリス軍を撤退させるために、基地で働くことを禁止すると不満は爆発した。

アブドラ・アフィフ・ディディ大統領
1959年初めに、スルタン政府が新しくカヌー建造に課税することを決めると、アドゥ環礁の住民たちは暴動を起こして政府の役人を追い出した。イギリス軍は暴動を止めるどころか、むしろ協力的だった。そして島民たちがアドゥアン人民共和国の独立を宣言してイギリス軍に通告すると、イギリス軍は「支援してほしければ、責任あるリーダーを選ぶように」と注文をつけた。こうして大統領に選ばれたのはアブドラ・アフィフ・ディディだった(※)。

※島民たちは当初「英語とアラビア語ができる」という理由で、英軍基地で働くパキスタン人の作業監督を代表にしようとした。そのため呆れたイギリス軍が注文をつけたのだった。
アブドラ・アフィフ・ディディは島の実力者の息子で、英語とアラビア語が話せる島随一のインテリだった。戦時中、イギリス軍にココナッツなどを売ったことで、鞭打ちの刑に遭い、環礁外れの小島に7年間島流しにされたこともある。彼は独立には消極的だったが、島で一番英語が話せてイギリス軍と話ができるのは自分しかいないと大統領を引き受け、イギリス政府に独立承認を求める手紙を書いた(※)。
※手紙の原文はこれで、「スルタンは800年以上もの間、重く不当な税金を課してきたが、政府は生活や健康、教育のために何もしてくれなかった」と訴えた。
アドゥアン人民共和国が独立をしてから、島民たちはイギリス軍基地で自由に働いたり、ココナッツやライムを売ることができるようになって、経済的に潤った。スルタン政府はアドゥ環礁を経済封鎖して対抗したが、イギリス軍が「人道的援助」と食糧を空輸したため封鎖の効果は上がらなかった。やがて潤っているアドゥ環礁の様子を見て、他からも独立に加わろうとする島々が相次ぎ、3月にはそれらの島々を加えてスバディバ連合共和国と改称した。

 
スバディバ連合共和国の国会(左)、イギリス兵に物を売る島民(右)

7月になってスルタン政府は武装船を出発させてフバドゥ環礁を取り戻したが、本拠地のアドゥ環礁にはイギリス軍が睨みを効かせているため近寄れない。そこでスルタン政府はアドゥ環礁からスリランカへカツオ節を売りに行く船を攻撃することにした。この作戦はかなり成功して、島民たちはせっかく作ったカツオ節を輸出することは不可能になり、ますますイギリス軍基地に頼らざるを得なくなった。

フバドゥ環礁の奪還に向かうスルタン政府の武装船

イギリス軍の支援でアドゥ環礁が独立した後も、イギリスはガン島の基地使用協定についてはスルタン政府と交渉を続けていた。アブドラ・アフィフ・ディディはガン島はスバディバ連合共和国の一部だから基地問題はスバディバと交渉するように求めたが、イギリスは相手にしなかった。

59年末にスルタン政府は、アブドラ・アフィフ・ディディを逮捕させることを条件にガン島の基地使用を認める提案をした。イギリスはこれを拒否したが、1960年初めにスルタン政府が無条件で基地使用を認めたので協定を結んだ。アブドラ・アフィフ・ディディが逮捕されれば、イギリスは基地周辺の住民に恨みを買ってしまう。基地使用を拒否されていたイギリスは、スバディバ連合共和国の独立のおかげで一転して強気の立場で交渉のテーブルにつけるようになったわけで、いかにも「腹黒紳士」たるイギリスの狡猾なところだ。

こうしてイギリスは「スバディバ連合共和国の独立は認めない」と正式に発表したが、スバディバ側は独立を取り下げようとはしなかった。しかし1963年にイギリス軍が「スルタンの支配を受け入れない者は基地で雇わない」と言い出すと、経済が完全に基地に依存していたアドゥ環礁は独立を撤回し、スルタン政府による統治再開を選ばざるを得なくなった。アブドラ・アフィフ・ディディはイギリスの保護でセーシェルに亡命した。

その後、モルディブは1965年にイギリスから独立。3年後にスルタンは廃止されて共和制に移行しています。ガン島のイギリス軍基地は1976年に閉鎖され、現在ではリゾート島の1つになっていますが、将来はガン島の空港を国際空港にする計画も。モルディブ政府が国民と外国人との接触を嫌う背景には、「外国人にそそのかされて分離独立運動が起きた」という苦い経験があるからかも知れないですね。そういえばかつての中国も「外国勢力と結びついた分離独立運動」をやたらと警戒していたものです。ちなみにブドラ・アフィフ・ディディは、その後モルディブ政府に赦されて、1989年にアドゥへ里帰り訪問をしたとか。

●関連リンク

外務省―モルディブ共和国 
ガン島へ ガン島はじめモルディブへの旅行記
Royal Air Force Gan - Remembered ガン島に駐屯していたイギリス軍の戦友会(?)のHP。独立当時のガン島の写真もあります。
 
 

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