「歴史的意義」にこだわったポルトガル人の置き土産

オエクシ

東ティモール領

16世紀初め ポルトガル人が上陸
1697年 ポルトガル植民地の主都がフローレス島からオエクシへ移転
1769年 主都がディリへ移転
1914年 ポルトガルとオランダの国境線が最終確定。オエクシはポルトガル領に
1975年 インドネシアが東ティモールを占領
2002年5月20日 東ティモールが独立。オエクシはその飛び地に
 

東ティモールの地図 PDFファイル
オエクシの衛星写真 (google map)

21世紀に入って最初に新しく独立した国が東ティモール。ティモール島の東半分だから「東ティモール」なわけだが、地図を見るとティモール島の西側にアヤシイ飛び地がある。オエクシと呼ばれる一角で、人口5万6000人。なぜこんな飛び地が生まれたのか。

現在の東ティモールの国境を決めたのは、かつてティモール島を植民地にしていたポルトガルとオランダだ。ポルトガルはティモール島の特産品だった白檀の貿易を独占するために、16世紀からティモール島のあちこちに砦を築いていたが、間もなくやって来たオランダも砦を築き、陣取り合戦が繰り返された。その結果、18世紀までにはポルトガルは島のほぼ東側、オランダはほぼ西側を勢力圏とすることになった。

とはいっても、当時は島に明確な国境線があったわけではない。島民たちを支配していたのは、リウライと呼ばれる現地人の支配者(ひらたくいえば酋長)で、西洋人が来る前から何十人ものリウライが群雄割拠している状態だった。砦を押さえたポルトガル人とオランダ人は周囲のリウライたちと同盟を結んでその地での貿易を独占したのだが、戦国武将が徳川方(東軍)と豊臣方(西軍)について争ったように、リウライたちも自分の勢力拡大のためにポルトガル方(東軍)やオランダ方(西軍)についていただけで、時としてポルトガルを裏切ってオランダにつく(またはその逆)ということもあったのだ。例えばティモール島でのポルトガル人の中心地は当初オエクシのリファウという場所に置かれていたが、周囲のリウライが裏切って攻撃されたため、もっと東側のディリ(現在の東ティモールの首都)に移るという事件も起きた。

しかし19世紀に入ると植民地の役割は変わる。世界規模での産業の発展に伴って、植民地は貿易の拠点から、天然資源や商品作物の生産拠点となり、そのためには領土を明確に規定して労働者となる住民を直接管理する必要が出てきたのだ。そこでポルトガルとオランダはティモール島に明確な国境線を引くための交渉を始め、とりあえず1858年に条約を結んだが、この時はそれぞれが味方につけていたリウライの領地を両国の領土としたため、島の上は飛び地だらけとなった。

領土が確定した後、両国はそれまでリウライ任せだった住民を直接管理するために大規模な討伐戦争を行ったが、飛び地が入り組んでいたことは軍隊の派遣に障害となったため、20世紀に入って飛び地の交換を話し合い、ティモール島を東と西ではっきり二分するような国境線に引き直された。ところがこの交渉でポルトガルがこだわり続けたのがオエクシ。ここにはかつてポルトガル人の中心地が置かれたという「歴史的意義」があるというわけで、結局それを尊重して西ティモールではオエクシだけがポルトガル領のまま残された。

そして戦後、オランダ領はインドネシアとして独立したが、東ティモールはポルトガル植民地のまま残り、75年にポルトガルが植民地を放棄するとインドネシアは東ティモールを武力併合したが、激しい抵抗運動の末に、1999年の住民投票で東ティモールは独立。オエクシではインドネシアへの併合派の勢力が強いと言われていたが、いまさら改めて国境線を引き直そうとするとよけい紛争になるだけなので、東ティモールの飛び地として一緒に独立することになった。

しかし再び飛び地になったことで、オエクシは困窮が続いている。99年の住民投票の直後に、「独立賛成多数」の結果に怒った併合派民兵が東ティモール全土で大暴れしたが、併合派の力が強かったオエクシでは、インフラはもちろんあらゆる建物が徹底的に破壊され、復旧活動は遅れた。またインドネシアとの国境が封鎖されたために、オエクシの住民は農作物や牛を西ティモールへ売って現金収入を得ることができなくなった。東ティモール本土との交通手段も、国連暫定統治時代は国連軍のヘリコプター便だけで、搭乗するには国連の許可が必要だったので、一般乗客は実質的に利用不可能で、完全に孤立した状態が続いた。東ティモールが独立してから、首都ディリとの間に週2便のフェリー運航が始まったが、片道8時間半〜12時間半と時間がかかるうえ、運賃コストも高くつき、作物や牛の出荷には不利な状況だ。

国連が暫定統治していた頃から、「オエクシを自由貿易地域に指定して、インドネシア向けの加工貿易基地にしよう」という構想があるが、肝心のインドネシアとの国境は「併合派民兵の残党が出没して治安が悪い」と、再開の目途は立っていない。
 

●関連リンク

ひがちも豆知識 このHPの関連サイト。ようするにここで書いたのをまとめたのがこのページです

UNHCRニュース 1999年の独立投票時の騒乱で、徹底的に破壊されたのがオエクシ。国連軍の展開も遅れ被害が拡大したようだ(PDFファイル)
北山上鷲峯山 オエクシの孤児院の写真がたくさんあります
coa4wさんの旅行記 オエクシの人たちの写真がたくさんあります
日刊ベリタ 首都ディリと飛び地を結ぶフェリーが運航開始。でもこの「外国人料金」ってヒドすぎない?
東ティモールに派兵された自衛隊の現況  自衛隊のPKO部隊は韓国軍と共同でオエクシの道路整備を担当
Glencoe Foundation 首都と飛び地を結ぶフェリーの写真(英語)

参考資料:
『葡萄牙領チモール概観』 (東亜研究所 1942)
栗林徳一 『葡領チモールの全貌』 (協和書房  1942)
A.H.デ・オリヴェイラ・マルケス 訳:金七紀男 『世界の教科書=歴史 ポルトガル』1?3 (ほるぷ出版 1985)
Geoffrey C. Gunn 『Timor Loro Sae: 500 Years』 (マカオ:東方基金会 1999)
Evgeny Vinokurov's Web Site http://www.vinokurov.info/


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