
わが心のスコットランド 1
「王のしるし」によせて
〜こだわりのスコットランド〜 (Aug. 1990)
ダナッド・フォート、アーガイル
その日、私たちはすでに一月以上旅の空の下にあった。
夜行で移動することも十回を超え、三人が順番に体調を崩し終え、それでも私たちは毎日動き続けていたのだ。
それは日本人によく見受けられると言われる強行軍で詰め込み過ぎのスケジュールのせいなのかも知れなかったが、同じような年頃の欧米や東アジアの学生達も、決してみなが同じところに滞在するような旅をしているわけではない。じっくり旅する日本人だって少なくないのだから。
ひと足早い卒業旅行だった。次の年には就職活動そして卒論が待っている。もう引退するまで長い休みはないかも知れない。そんな気持ちが私たちを2か月に及ぶ長い旅路に押しだしたのだ。トルコに二週間、ブルガリア、ユーゴスラビア、オーストリア、イタリア、スイスを横断するのに二週間、スペインに二週間、そしてたどり着いたのがイギリスだ。
旅一番のぜいたくだった寝台特急タルゴに日を間違えて乗り損なったのがそもそもの原因で、マドリッド/パリ/ロンドンを二夜連続の夜行続き、ロンドンに一泊だけしてインヴァネスまでまた夜行という強行軍になった。
それもそれ以前のように簡易寝台の列車ですらない。マドリッド/パリは国境駅で列車を乗り越える普通列車で、混み合った車内で旅程のほとんどは床の上だったし、夕方にたどり着いたパリからロンドンへは夜行バス。最後のインヴァネス行きの列車も寝台がとれず、座席の旅になった。私はたどり着いた宿で寝込んでしまい、翌日がたまたま町のお祭りだったのをいいことに、一日滞在を延ばしたほどだ。雨ばかり続いて何も見ないままになった、霧の島スカイ島を去り、中継地のフォート・ウィリアムについた日もしとしと雨が降っていた。
イギリスにはBook A Bed Aheadという便利なシステムがあり、町の観光案内所で次に訪れる町のB&B(民宿)などの宿泊の手配をしてくれる。私たちもこれをせっせと活用し、宿探しという貧乏旅行最大に厄介な仕事の手間を省いていた。
常に一番安いクラスの部屋を探してもらうのだが、やはり安さにはそれなりの理由がある。イギリスや他の北ヨーロッパでは、ロンドンやパリなどの大都市ではないかぎり、安い宿でも清潔で居心地もいいのだが。フォート・ウィリアムというこの町の場合は極端だった。細長い湖のほとりに、岸沿いに発展している町で、湖から離れて、丘の高みにはい上がるように住宅地が広がっているきれいなところだ。
予約を入れたB&Bの通りを地図で探し、坂を登り始めたとき、嫌な予感がした。
確かにガイドブックには、高いところに行けば行くほど宿は安くなるとは書いてあったが、安宿の多いという丘の中腹あたりのことだろうと最初はたかをくくっていたのだ。その通りの番地はすでに百番台。急な坂を上っても登っても宿が現れない。
だんだん心配になってくる。
いかに夏のヨーロッパでは日が長いとはいえ、さすがに七時を過ぎているから夕暮れも迫ってくるし、雨はなかなか止まないし、荷物は肩に食い込むし、あやしい東洋人のむすめっ子三人連れを面白がった子供が何人もついてくるし……
結局、私たちの宿は、湖をはるか下に望む、町で「一番高い」ところにあるメゾネットタイプのしゃれた共同住宅だった。
確かに「安い宿」だった。そのすぐ先で通りに家はなくなっていた。
くたくたの私たちは、ようやく荷物を置き、夕食を食べるためにまた、はるばる下の町まで繰り「降りて」行ったのであった。翌日は久しぶりに晴れだった。イギリスに入ってから確かようやく二日目くらいだったと思う。
朝、町のバスターミナルから、一日に三本しかないオーバン行きのバスに乗った。
オーバンはスコットランド西岸の港町で、アイオナ島、マル島などの観光地への拠点である。
昼前に着いたオーバンのスーパーで昼食を仕入れ、一日に一本のバスに乗り継いだ。ロッホギルプヘッド行き。乗る前に運転手に、目的地ダナッド・フォートあたりに宿があるかと訪ねると、「あるよ」とシンプルな答え。それを信じるしかない。
何せイギリスのガイドブックにもほとんど載っていない場所なのだ。日本でもロンドンでもいろいろ調べてみたのだが、結局事前に知りたい情報は全く得られなかった。どうしてそんなマイナーな場所を見つけ、行こうとしたかについてお話しすることにしよう。
ローズマリ・サトクリフという作家をご存じだろうか。
岩波書店の児童図書に数冊、その他歴史ファンタジーも何冊か翻訳されている。
その著作の中に「王のしるし」"The Mark of the Horse Lord" という作品がある。その昔、ローマがブリテン島を統治していた時代の、スコットランドの馬族の王となる剣鬪士の青年の物語なのだ。実際の歴史の中に架空の登場人物を生き生きと描く、見事な歴史小説である。
この作品の舞台が、ダナッド・フォートとその周辺の地域だった。何年か前にNHKの教育テレビで放映していた「幻の民 ケルト」というBBC制作の番組をごらんになったことのある方はいらっしゃるだろう。現在のようなケルト文化のブームの先駆けをとらえた番組で、日本でもよく知られているエンヤが音楽を担当したなかなか面白い企画だった。
このシリーズの最初で紹介された、ケルト人のハルシュタット期の塩山などの遺跡のあるオーストリアのハルシュタットも、この同じ旅行で訪れてしまったほどのインパクトだった。
番組の佳境で、ケルトの部族の王が即位するときに用いられたという、足型と水盤のある岩が紹介されて、私は思わず本棚へと走った。
この岩がある場所こそが、「王のしるし」の「ダナード砦」だと気づいたのだ。
松明は消され、夜明けの灰色が人々のまわりをとりまいていた。フィドルスは太陽の祭司たちのあとにしたがって砦の中を進んでいった。フィドルスのうしろからは従者たち、それに親族たちが従い、そのまたうしろにはほうき星の尾のように人びとがつらなっていた。とうとう一行は本丸のすぐ下の庭に出た。そこには自然岩の露頭がつき出ていたが、これが足形の石、ダルリアッド族の王の戴冠につかわれる石だった。儀式はまだたくさんあった。しかしいずれも短いものだったからすぐに終わった。王が即位するとき以外にはつかわれない汚れた黒い陶の器から雌馬の乳をのむこと、大きな岩板の一方のはしのくぼみで手足を洗う儀式。このくぼみにためられている水は半分とけかかったみぞれを思わせた。祭司たちが神聖な呪文をとなえながら、馬がはねるような足どりで、動きまわっているのが、フィドルスには夢の中のことのように思われた。はがれたばかりの馬の皮が岩のくぼみの反対側にひろげられた。そのためそこに彫ってある第三のものが皮でかくれた。それは戦士に愛される野生のイノシシの姿だった。
いまだにみぞれが風に乗って落ちてきた。だが東の空のふちが黄色くふちどられ、フィドルスが即位の岩にのり、左の足を馬の王の皮にかけ、右足を、西の海を越えて、イーリンからこの氏族が渡ってきて以来代々ダルリアッドの王が足をさし入れた深い足型にさしこんだとき、遠くに見えるクルーアカーンの山腹の穴をみたした雪を最初の朝日が照らした。
「王のしるし」 ローズマリ・サトクリフ作 猪熊葉子訳 岩波書店
まあ、理由といえばこのくらい。
あとは有名観光地ばかりをめぐる旅行でも、日本人がひとりもいないような場所に行ってみたかったんですな。オーバン/ロッホギルプヘッドのバス路線では、ほとんど知られていないであろう不思議な自然の美しさが満喫できる。
日本でもよく知られているヨーロッパの自然、たとえばドイツ辺りの森や麦畑、アルプスの高原、スペインの曠野や北欧のフィヨルドといったような目を引くものがあるわけではない。
同じスコットランドの、最も美しい車窓風景といわれるインヴァネス/カイル・オブ・ロッハルシュ間の沿線とも違う。
ただ、天と地と、海と湖と。
氷河が削った場所だ。
入り組んだ海岸線、細長い入り江と湖、緩やかな起伏を繰り返す大地、曲がりくねって続く細い道。
うーむ、筆力がない私にはちっとも描写することができない。
お見せしたいが写真も撮ってこなかった。
イギリスやスコットランドを愛されている方、新しいものを発見したい方など、ぜひ訪れてみていただきたい。バスが目的地のダナッド・フォートにつくよりもずいぶん前から、通り過ぎる小さな集落にストーンサークルやら石碑のようなものを見かけるようになった。
これもケルト人の作ったものだという。これは大学の図書館にあったAA(イギリスのJAFだと思って下さい)のガイドブックで仕入れたネタ。
肝心のダナッド・フォートはじつに妙なかたちをした丘だった。
海にぽっこり姿を現したマッコウクジラ、そんな感じだ。バスが砦へ至る一本道が分かれるところで止まるよりも遥かに前から、その丘はべろんと平らな大地に浮かんでいた。
「ここだよ」
そう運転手に言われてバスを降りる。"DUNADD FORT" という小さな看板が立っている。
正直に告白すると私はひどく焦った。
どっちを向いても見渡すかぎりのどかな自然が広がっている。民家が遠くに数軒見えないこともないが、あるはずの宿はどこだ。
私がみんなをこんな地の果てまで連れてきたのだ。
すでに時刻は午後。三人とも十キロ以上の荷を背負い、朝からバスに長時間揺られて疲れている。もし宿が見つからなかったら……
車が全く通らないのでヒッチハイクもできそうにない。
たとえ止まってくれる車があっても、三人と三つの大荷物は乗れない。
とりあえず、目的地は目の前なので、思考停止して、砦への一本道を歩きだす。
道の両側に羊がたくさん放牧されている。人の姿は全くない。
丘のふもとに農家が見えた。
手前のゲートに砦を見に来たらしい観光客がいる。もちろん一家族だけ。
話しかけてきいてみるが、車で来ているので近場はわからないという。宿なんてないよと言われて戦慄する。八方破れで農家に近づくと、人のよさそうなおじさんが現れた。
ものすごい訛りである。
私はスコットランド人やアイルランド人にも英語を習ったことはあるが、どちらも資格を持った本物の先生だ。この人の発音は本当にすごかった。東北弁と終わり言葉と河内言葉のごっちゃみたい。もっともこの人の場合、何本か歯が足りなかったのも大きかったみたいだが。
苦労して聞き取ったところでは、あそこがB&Bをやっているという。あそことは道を延々戻ってバス通りに出て、しばらく行き、また最初と同じぐらい奥まで並行した道を戻らなければならにほど遠くにある白い家だ。
とは言え、砦から二番目に近い家であることは間違いない。
私たちは砦を目の前にしてなくなく目的地を離れた。
疲れた足を引きずってようやくB&Bへたどり着くと、太った変な猫が砂利道に座ってお出迎え。
ちょうど車椅子の奥さんをかいがいしく世話をする老人が車で到着したところだった。
B&Bといったって、普通の民家だ。部屋がまだあるだろうかとどきっとする。
幸運にも私たちが杯ってちょうど満室。
居間からは北側からの砦の全景がよく見える。
宿でもらったその村のシンプルな観光パンフレットによると、村にB&Bは二軒。もう一軒は姿すら見えなかった隣の集落だった。
翌日、グラスゴー行きのバスに乗るためにロッホギルプヘッドへ行くのだが、そこまでのバスの時間を聞くと、調べておいた時刻と違っている。なんともうかつだったことに、毎日一本ずつあるはずのバスは、学校が夏休みのため運行されていなかった。
翌日のバスは、なんと週に二本のうちの一本だった。
これを幸運と呼ばずして何としよう。どうやら何もないところで何日も過ごさなければならないという事態だけは避けられたので、早速心楽しく砦を見にハイキング。荷物も心配もないので足は軽い。
羊よけの木戸を通って砦の上へ続く小道を登りだす。
ネス湖畔の古城でも思ったこと。イギリスでは所構わず雑草が生えるようなことなどまずないが、それにしてもこういった場所の回りは大変きれいに手入れしてある。
観光客なんて両手で数えるほど。
結局半日うろうろしていた私たち三人を入れてもせいぜい十人というオーダーなのに、案内板にもしっかりとお金がかかっていたので感心してしまった。
他に歩いていけるところがあるわけでもなし、芝のテラスと岩山の砦の跡を隅から隅まで歩き回り、座り込んでスケッチなどをして時間を過ごした。
羽虫にぶんぶんまとわり付かれて少々辛かったが、砦の頂上からの景色はなかなかのもので、氷河がえぐった傷跡が湖や入り江になっている変化に富んだ地形や、森と牧草地の帯などを眺めながら、この岩山がたくさんの木造の建物に囲まれ、多くの人々が暮らしていたという昔に、アイルランドから海を渡ってきたという馬族の民がこの大地を駆け巡ったのだなあと、しみじみ考えたのだった。
もちろん、足型に足を入れて記念写真を撮り合うことも忘れなかった。
白い岩の中央やや左にうっすらついているのが足型。右の青っぽい石のくぼみが水盤。
せわしなく人ごみをかき分けて、足早に歩き回る観光をしないということも大事なのだ。
次の目的地にさっさと行けないからゆっくりするということも必要なのだ。
そんなことを思いながら、なじみのない野の花々を「王のしるし」の主人公のファンである友達への土産に摘みながら、夕暮れの道を歩いた。(終わり) この文章はローズマリ・サトクリフ著「王のしるし」に捧げます。