岐阜県中津川市

苗木城(中津川市苗木)

*鳥瞰図作成に際してはウモ殿の図を参照した。

 中津川方向から木曽川を北に渡るとすぐに右側に「苗木城入口」といった案内が見えてくる。そこを進んで、遠山博物館の裏をさらに登っていくと図の左下の駐車場に到達する。木曽川に臨む比高160mほどの急峻な山を本丸としている。

 ここから城内に向かって歩き始めると7の郭の下の玉石垣の間を抜けていくことになる。ここから先が城内の主要部ということになる。

 尾根下のこの道を進んでいくと、大矢倉との間の虎口に達する。ここには門があったことであろう。大矢倉にはその名の示す通り、巨大な櫓が建っていたのであろうと思われるが、この部分の石垣は三段構成になっていて、上に乗っていた建造物はけっこう複雑な形態をしていたのではないかと思われる。大矢倉の石垣は、本丸方向から見ると、段々になってそびえているので、古代遺跡のピラミッドやマッチュピッチュの遺跡のように見える。

 大矢倉の南側の3の部分に駈門という埋門の跡がある。東側の下から登る登城道もあったようだ。本丸方向に進んでいくと、4の部分が石垣によって穴蔵のようになっている。ここにも何らかの建造物が存在していたのであろうか。ここから本丸に入ったところから下の郭に行く道が付いている。下の郭は割合広くなっており、礎石が並んでいるのがよく見える。居館のようなものがここに建っていたのであろう。

 本丸は、岩山に石垣を築いて無理矢理に建造物を建てるスペースを造りだしたかのような力わざの郭となっている。ここから山頂の天守台に向かう道は、山の周囲を巡るようになっており、途中にいくつかの城門が設置されていた。それらをくぐり抜けて石段を登ると、天守台に出る。といっても、この天守台の半分は巨岩に占拠されている。巨岩の上に登ってみると、岩の上はやや平坦になっており、そこにも柱石の跡がいくつもついている。どうも岩の上にまで柱を立てるような天守があったようである。かなり変わった天守だったのではないかと思われるが、実際に見てみたかったものだ。ちなみにこの城は赤壁城とも呼ばれ、城壁は赤く塗られていたという。天守も真っ赤なものであったのだろうか。

 苗木城の主要部は以上のような感じである。実際にはさらに尾根や谷戸部にも平坦地があるようであるが、細かい部分までは今回は見ていない。






木曽川に臨む城山。こうしてみるとずいぶん切り立った山であることが分かる。 駐車場からの入口。石垣が曲線を描いているが、これも旧状通りなのだろうか。
途中の道には横堀のようなものがみられる。 虎口。
2郭の櫓台の石垣。 駈門跡の枡形石垣。
1郭の下から天守台方向を見たところ。 その脇には石倉の跡のような構造がある。
菱御門跡。脇の巨石には門柱を立てていたらしい窪みが残っている。 天守台石垣。なかなか見事だ。
巨石の合間に石垣をうまく並べている。 天守台の登り口。
天守台からの眺めは最高だ。 天守台の岩から下を見たところ。
脇の大岩の上にも柱欠がたくさん開けられている。この上にいったいどのような建造物が乗っていたのであろうか。 櫓台跡を遠望すると、まるでマッチュウピッチュのようである。
2の丸の礎石群。 天守台脇の岩の上。
 苗木城は、鎌倉時代に、遠山氏が砦を築いたのに始まるという。代々遠山氏の一族が城主であった。戦国期には岩村城主であった遠山景友の子、直景が城主となり、城を大々的に改修したという。この地は武田の支配する信濃に近いこともあり、武田軍に備えるための織田方の重要な拠点であった。岩村城が武田方の秋山氏の手に落ちた後も、苗木城は、遠山氏の城として維持され続けた。 



























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