長野県阿南町

吉岡古城(阿南町富草古城八幡社)

 下条村との境界近くにある、その名も古城八幡社が吉岡古城の跡である。比高40mほどの山稜上で、西側を通る国道151号線から回り込んで神社入り口に到達することができる。(いったん西側に曲がり、国道の高架の下をくぐって東側に回り込むようになっているので、ちょっと注意が必要である。)

 この城についてはまったく予備知識がなかった。しかし、ヤブレンジャーで飯田方面に向かう途中、ウモ殿が「古城八幡というのがある」と言い出したので、行きがけの駄賃でちょっと寄って見ることにしたのである。この名称からすると、城址であることは間違いなさそうだ。しかも八幡神社になっているくらいだから、簡単に訪れることができるに違いない!

 神社の真下に着いてみると、そこには車を停めておけるスペースがあり、神社の案内板も設置されていた。それによると、今から600年ほど前に、甲斐源氏で小笠原一族であった下条伊豆守頼氏がこの地に入部し、ここを居館とし、八幡社も建立したのだという。かなり古い時代の城館である。

 文明7年(1475)、ここが手狭であったので、下條氏は居城を北方の吉岡城に移すことになった。それ以降、ここを「古城」と呼び、家臣の佐々木脇刀に守らせたという。したがって、ここは吉岡古城と称するのがふさわしい城址のようである。

 神社は非常に急峻な山上に建てられているが、それゆえにスペースも広くなく、たいして建物を建てておけるだけの場所でもない。確かにここでは手狭であり、もっと広い場所に居城を移したくなるという気持ちはよく分かる気がする。
 
 この神社は昭和5年には国の重要文化財となったというが、戦前の話であり、現在も需要文化財なのかどうかは知らない。また、平成3年から7年まで改修工事が行われ、それには7000万円以上かかったという。かなりの高額であるが、それだけの費用を地元の人が出せたということにもびっくりである。

 城の遺構としては、それほど見所らしいものはない、といっていい程度の本当の「古城」である。


古城八幡社の入り口。上まで急な石段が続いている。 八幡神社の社殿。たいして広いスペースはない。





































大竹屋旅館