尾崎砦(静岡県芝川町内房字尾崎)

*鳥瞰図の作成に際しては『ふるさと古城の旅』の図を参考にした。この本もすでに絶版である。どこかで手に入らないものだろうか。
 07年12月15日(土)のヤブレンジャー山城の日で、真篠城の次に訪れたのがこの城であった。

 県道190号線の尾崎北交差点の西側にはトンネルがあるが、この上の山から尾根を南に降ったところが尾崎砦の跡である。城址は浅間神社となっているので、神社を目指せば必然的に城内に到達することができる。

 城址は富士川の支流に臨む比高25mほどの尾根先端部にある。尾根下の鳥居から石段を登っていくと、すぐに神社が見えてくる。神社のある郭だけの単郭構造といっていい。神社手前の一段低い部分を馬出しとする説もあるが、現状からはとても馬出しであるとは思えない。本郭に入る前の小規模な腰曲輪といった程度のものであったろうか。

 本郭は10m×30mほどの規模でそこに浅間神社が建っている。その西側の脇に御手水があるが、背後の堀底からここにつながる小道があり、これが本来の登城道であったようである。

 神社の背後には低い土塁があり、その先が堀切となっている。深さ3m程度の小規模なものである。さらに進むともっと浅い堀切がある。そしてその先に城内最大の堀切があって城域は終わる。北側は尾根続きなので、三重に堀切を入れるといった構造である。この方向の防御には念が入っている印象があるが、尾根の先は地勢が高くなっているので、上の方から城内を眺望することも可能である。つまりこの城は、それほど強い独立性を意図したものでは内容に思われる。

 尾崎砦は、堀切も小規模で、郭もそれほど広くない。まさに「砦」といったレベルの城である。戦時の際に臨時に取り立てられた砦であったものだろうか。あるいは臨時に物見台、烽火台を置いたといった程度のものであったろう。









尾崎砦のある尾根。この上の浅間神社が城址である。 1郭の浅間神社。手前に一段低い腰曲輪がある。
神社背後の堀切1。深さ3mほどのものである。 その先にある堀切2。3連続する堀切の中では一番規模が小さく、深さ2m程度でしかない。
尾根続きを分断する堀切。城内最大のもので、深さ4m、幅6mほどある。 堀切1は西側の腰曲輪と接続しており、ここから1郭に上がる坂虎口と連絡している。
 尾崎砦は北松野城と共に、この地の豪族荻氏の城郭であったと言われている。荻氏の居城は、3kmほど東南にある北松野城であったというが、尾崎砦のある位置は富士川や稲瀬川に臨み、山麓には現在の県道10号線や75号線といったかつての街道が通っているので、これらの交通の要衝をなす位置にある。

 荻氏は戦国期には今川氏に属していたため、荻氏の城は、天文年間以降、駿河を虎視眈々と狙う武田信虎に対しての最前線の城となっていたと思われる。永禄年間の武田信玄の侵攻に際しても、重要な拠点となっていたと思われるが、武田氏のするが侵攻が完遂されると、城は廃城となったと想像される。





































大竹屋旅館