東日本大震災のこと。

なかなかしない、できれば一生したくない体験がきっかけで、
この1年間、いろんなことを考えた。

あの日から1年。
殴り書き状態だったメモを読み直してみた。
記念にパソコンにも入れとこう。
じゃあせっかくだから、のせとこう。
ついでにその後の約半年も、ざっくり思い返してみたりして。

※ちなみに当時のわたしは、博物館で古文書整理のバイトをしてました。(3月いっぱい)

2011年3月11日(金)
15時前。

おとついと同じようなゆるくて長い揺れが続くと思いきや、揺れはどんどんどんどん強くなって、
「やばいかも」って感じつつもやっぱりまだ半笑いでロビーへ向かった。

「でかい」の連呼しかできないわたしとは対照的に、
課長以下職員の人たちは冷静にお客さんを誘導してた。
それを見て、わたしもしっかりせんば、という思いも
一瞬よぎったものの、
そんな気持ちとは裏腹に、あいもかわらず「でかい」を連呼することしかできない体たらく。
「ドア開けといて!」って声が聞こえたのをいいことに、あけた勢いでさっさと外に逃げ出した。

聞いたこともないようなおっかない音がそこここで鳴り響いていて、
女の人の悲鳴もそれに混じって、そしたらぱりんぱりんっていやな音。
博物館の外壁がはがれて落ちる音だった。

熱い揺れが1分くらい続いたように思う。
「・・・おさまった?」って、外に非難した人たちが顔を見合わせた矢先に第2弾がやってきた。
もうやだ、なにこれこわい。
でかいやばいこわい。泣けてきた。

そのあとも、最初ほどではないもののそれなりに強い余震が断続的にずっと続いてた。
足の震えが止まんなくって、余震なのかどうかすらももうわかんないの。

携帯がぜんぜんつながらないみたい。
家族が近くに住んでいる人は、安否がわからなくてみんな不安そうだった。
救急車や消防車のサイレンがワンワンなってた。
あたりが焦げ臭いのも気味悪かった。

いつもお世話になっている職員の人が、仕事部屋からリュックをとってきてくれた。
すっごくありがたかった。
携帯から家の鍵から財布から、何から何まで入ったリュックをまんまと置いてきちゃってて、
なすすべがなかったんだもの。

携帯にはご主人からの無事を知らせるメールが届いていた。こいつ、冷静だ。
わたしも取り急ぎ、ご主人と実家に連絡しようと試みた。
通話やCメールはつながらず。
Eメールはなんとかいけそうな気配だったので、届くかどうかわかんないけどとりあえず送信。

職員の人たちと話しているうちに少し和んだ。

16時半ころ、チャリンコで帰宅。
信号が消えてて6国は大渋滞だった。
農協の時計が14時50分ころでとまってるのを見て、なんとも言えない気持ちになった。
まるで・・・、
・・・なんだっけ、テレビで見た世界。
このときは言葉を思い出せなかったけど、そう、まるで「被災地」だなって思ったんだ。

家に着くと、近所の奥さんやお子様たちが外に出ていた。
子供たちがチャリンコにわっと寄ってきて一斉にしゃべりだす、
その「いつもと変わらない風景」にほっとして、またちょっと泣けた。

恐る恐る家の中へ。
ぱっと見は異常なし。
とは言え、小さなものはいろいろ落ちていた。
しょうゆがこぼれててしょうゆくさかった。
だけどグリューワインのコップをはじめ、食器はことごとく無傷だった。
電化製品もじゃっかん動いてたものの、だいじょうぶそうだ。

壁に入った大きなひびを見てショックを受けた。
2階の勉強部屋に行ってさらにショック。
引き出しや戸棚が全部開いてて泥棒に入られたみたいだった。
玄関に戻って棚をあけたら、買い置きしていた洗剤たちに襲われた。

ご主人が後輩と帰ってきた。
水とパン、それに携帯の充電器を調達してきていた。こいつら冷静だ。
断水に備えて、鍋という鍋に水を確保。
手伝ってくれた後輩は、わたしのチャリンコで隣町まで帰っていった。がんばれ、超がんばれ。

薄暗くなってきたので、明かりの準備。
キャンプの小道具が大活躍だ。

暗くなると一気に不安が増してきた。寒いし。揺れるし。
冷蔵庫の残り物とビールを持ってお向かいの友達んちに乱入。
350mlを2缶あけて、あんかけ風チャーハン、サラミ、シャウエッセン、かに缶にさば缶、
そして焼酎、ウイスキー。
暗闇で、ラジオでニュースや政府の発表を聞きながらだけど、なんだか普通に呑んじゃった。

外はさすがに真っ暗で星がきれいだった。
水はまだ出ていたので、歯を磨いて就寝。
23時ころだったと思う。


3月12日(土)
3時ごろ、強い余震と壮絶な鼻づまりで目が覚めた。

どっちか解消できるならどっちにする?って聞かれたら本気で迷うくらい、花粉症もヒドかった。
そらそうだよな、あんだけ外にいたんだもの。

携帯の「緊急地震速報」が、ストーカーかよってくらいに立て続けに届く。
三陸沖だけじゃなく、栃木や長野って地名まで見たときには、リアルに「日本オワタ」と思った。

朝になったら断水になっていた。
お向かいさんから情報をもらってマルト(スーパー)へ買出し。
いつも不平たらたらでごめんよ、マルト。たのもしいよ、マルト。
店の入り口で、当面必要なもの(炭水化物系の食料や飲料、缶詰、乾電池など)を
お一人様何個まで、100円200円っていう単位で売っていた。
システムがしっかりしていて、最大限に行列が流れていたように思う。

1時間くらい立ってたら、腰がじゃっかんやばいことになっちゃっていた。
家で横になってたら、近所のガk・・・お子様どもが乱入してきた。

昼飯はチャーハン。
それとは別にカセットコンロでご飯を炊いたのでおにぎりにした。
さらにどういうわけか、うちの庭でバーベキューを開催することに。
近所から肉や野菜を持ち寄って、わいわいがやがや。
ノンアルコールだったとはいえ、なんだこのレジャー。

日が傾きだすころ、撤収。
さすがにこの時期のバーベキューは寒い。美味かったけど。

夕方、市役所の公衆電話から実家に電話した。
今宵もお向かいさんと合同の夕飯は、おにぎり、バーベキューの残り、トスカーナワイン。

あまりに星がきれいだったからご主人が天体望遠鏡を出してきた。
(棚からダイブしていた天体望遠鏡の動作確認という目的も。)
寒くなって途中でひよって家に戻ったら、暗闇の中ひとりでラジオを聞くはめに。
原発こわい。どうなっちゃうんだろう。

戻ってきたご主人が、池上さんばりのわかりやすい解説をしてくれた。たのもしい。


ここから先は箇条書き。



13日(日)
再び近所の人々とカレー大会。
18時半ころに電気が復旧して、初めて映像で事実を見た。

14日(月)
掃除機で痛々しいひび割れの粉を吸い取った。
ご主人と連れ立ってビール調達の旅。

15日(火)
市役所の給水所で2時間待ち。
原発のニュースにビクビク。

16日(水)
10回の管より1
の枝野、そして100の枝野より1の天皇だ。
南からはじまった水道の復旧工事に期待が高まる。

17日(木)
バイト再開。
自宅待機続行中のご主人に「じゃ、いってきます♪」。

18日(金)
まだチョロチョロだけど、
水が
デタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

19日(土)
隣町の友達の家で久しぶりのお風呂。

20日(日)
youtubeで元気の出る歌をいろいろ聞いた。
歌っていいな。

21日(月)
水道完全復活。久しぶりの洗濯。

22日(火)
ご主人、仕事再開。
洗えるようになったので、ジョッキビールも再開。

23日(水)
久しぶりの床拭き。

24日(木)
久しぶりの玄関掃除。

25日(金)
ご主人呑み会。
まさかの午前様。

26日(土)
久しぶりに料理らしい料理をした。
鶏肉のトマト煮、ガンバスアルアヒーヨ。

メモには残してないけど、もちろんこの日も呑んだに違いない。

震災に関するメモはこの日で終わり。
すべてが元通りってワケではないものの、
スーパーの営業時間や品揃えが元に戻ったのがこのころだったと思う。



4月
さくらまつりのころには普通の生活ができてるんだろうなって、思ってたんだけど、
そのさくらまつりもさすがに規模縮小。常磐線がとまってんだもの。しゃーないか。

5月
その常磐線、がんばった。
常磐線からスタートして、ゴールデンウィークは久しぶりにがっつり汽車の旅。
花粉もようやくおさまって、汽車三昧、美味いもの呑み喰い三昧。楽しかった。

月末には実家にも帰れた。
1週間程度だったのに、家族はもちろん、親戚や友達とも会って呑めた。楽しかった。

6月
どっきどきのプールデビュー。(何にどきどきかって、
山の上のプールまでぐにゃぐにゃ坂道を自分で運転してくってこと)

7月

ちょこっと不調。
異常なしだったけど(震災のストレスがこのころになって出てきたんかなって思う)、
基本的に健康体だから、ちょっとの不調にびびりまくった。

8月
セミやトンボやプールにビール、そしてキャンプで夏を満喫。
短期バイトに
車で通って、「いっちょまえ」になった気分も味わった。
とにかくすごく充実した夏だった。


とりあえずここまで。





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