コンセプシオン市 (コンセプシオン県)




北部の中心都市コンセプシオン市、牛馬が闊歩する牧歌的な街で、パラグアイの伝統を色濃く残しています。「パラグアイの観光に対して可能性は」という質問を受けた時には「パラグアイである事が観光資源」と答えています。他のどの南米の国とも異なる文化習慣、レトロな雰囲気でどことなく懐かしい雰囲気がパラグアイにあり、多くの外国の方に体験して欲しいと考えていますが、国内の都市の中で一番「パラグアイ」なのはこのコンセプシオン市であると思っています。一般の観光客は勿論、若い人達、バックパッカーに訪問して欲しいものです。



コンセプシオン市(コンセプシオン県)(2003年11月23日)
コンセプシオン市はパラグアイ河に面した港町として北部パラグアイの中心都市として古くから栄えて来た都市です。またこの街を中心とするコンセプシオン県は行政上、第T県となっており、歴史的に重要であったことが伺えます。県の範囲は非常に広く、東部パラグアイの中でかなりの部分を占めています。北はブラジル、西はパラグアイ河になっています。近年、アスンシオンへの道路が完全舗装され(410キロ)行き易くなりました。同じパラグアイの田舎と言いましてもイタプア県等の南部、アルト・パラナ県等の東部とは全く異なる広大で素朴な風景が広がっています。コンセプシオン市はパラグアイ河に面しており、水運が交通の中心であった時代にはアスンシオンと共にパラグアイの中核都市であったそうです。

街はよく計画されて出来た都市のようで中心には幅の大きな大通りがあり、道路が等間隔に交差しています。



(写真:コンセプシオン市街地図)

陸運が中心となった現在、ブラジル、アルゼンチンなどの国境部が繁栄しそれに対してコンセプシオンは次第に時代に取り残されるようになりました。コンセプシオン市が発展しなかったもう一つの理由は伝統的に野党・青党の支持者が多く、現在に至るまで50年以上にも及ぶ赤党政権から冷遇されたからだそうです。反対党の地盤であるこの地は疎んじられインフラ基盤の整備などは全く行われませんでした。街を歩いていても確かに「青党」の宣伝、シンボルの青い旗をよく見かけます。陸路でアスンシオンからコンセプシオンに行く場合パラグアイ河に沿った街道は無く、かなり迂回して国土の中央部を通過して行くしかありません。それもかなり最近になりようやく舗装されたそうです。長い間、陸の孤島となっていました。1,999年の10月にチャコ経由の道路が全線舗装され、アスンシオンからチャコ経由で5時間程度で行けるようになりました。またコンセプシオンからブラジル国境にある北部のもう一つの中心都市であるペドロ・ファン・カバジェロまでの道路が2000年初頭に全線舗装され、コンセプシオンは今まさに変化の時を迎えています。

アスンシオンからの場合、現在ではチャコから入るとパラグアイ河に架る橋を経由してコンセプシオンに入ります。アスンシオン近郊に架る橋とこの橋の二つの橋がパラグアイ国内でパラグアイ河に架り東西パラグアイを結んでいます。アスンシオンからコンセプシオンまでは410キロありますが、この間信号は一つもありません。交通量は多くなくアスンシオンから4時間半位で到着します。またペドロ・ファン・カバジェロからは2時間で行けるようになりました。



(写真:対岸との間に架かる橋)



(写真:パラグアイ河)

街の人口は約8万人、南部の中心都市・エンカルナシオン市とほぼ同程度の街で、パラグアイの中では大都市と言って良いと思います。エンカルナシオン市は国内随一の穀倉地帯であるイタプア県にあり、周囲には豊かな畑(小麦・大豆)が広がり、日本、ロシア、ウクライナ、ドイツ、ベルギーなどからの移民が多く住み、多民族都市という感じですが、このコンセプシオン市は長年このパラグアイで暮す人々の子孫がほとんどで外国系新移民の姿はありません。日本人は永住者・日系人が3人、協力隊員が3人の合計6人だけのようです。鳥上さんは市内で写真店を、そして若いピラポ出身の高橋さんは雑貨店を経営されています。街を歩いているとアスンシオン、エンカルナシオンではほとんど注目されることはありませんが、東洋系がよほど珍しいようで注目を集めます。久しぶりに「外国に来た、自分は外国人」という気分を味わいました。

中心街を歩いてみますと、ほとんど高い建物が無いのと、どの建物もかなり古いのです。市の中心部は高い建物もほどんど無くすごい賑わいはありませんが、街の市場は活気がありました。アスンシオンのメルカード4のような感じで農作物を始め色々なものを売っています。また自動車がまだまだ少なく、アスンシオン等では駐車するスペースを探すのが困難なのに対してコンセプシオンでは全く問題がありません、どこででも駐車が可能です。市民の交通手段はバイク、自転車そして馬車のようです。アスンシオンと比較すると二輪の割合が多いのが特徴のようです。中心の道を一歩入るとそこは土道で、百年以上経過したような建物が建っています。そこをゆっくりと馬車が行きます。このような景色を見ていると現在が21世紀であることを忘れてしまいそうです。住宅街は落ち着いたたたずまいで、そこを混然と自動車、馬車などが行き交います。本当にのどかな景色でアスンシオンも昔はこのような感じかな?と想像してしまいます。



(写真:まだまだ交通の主役は 馬車)



(写真:ずらりと並ぶ馬車:客待ちしている)

ホテルで宿泊していると20人くらいの団体が宿泊していました。英語で話しているのでどこから来たのか尋ねると英国から来たとの返事、聞けば南米一周ツアーでパンタナルからここに入ったのだそうです。忙しい日本の南米ツアーではこのコンセプシオンに立ち寄るツアーなど全く考えられない事だと思います。昔に戻ったのどかなこの街に英国の観光客も満足そうでした。純粋に古いパラグアイが残っているのでここに来る観光客は今後増えて行くことでしょう。コンセプシオンの人に「ここは観光資源に満ちている」と話をすると非常に不思議そうな顔をしていました。彼らにとっては古臭い、当たり前のものばかりで面白くも無く、何も無いと映る様なのです。



(写真:コンセプシオン市)

市長にもお会いしてお話を伺いましたが、若い医者で意欲的に地道に市政に取り組んでいるようです。観光には大いに期待し、また力を入れているとの事でした。



(写真:市長)



(写真:市役所内部)



(写真:商業地域)

また歴史を感じさせる建物が数多くあります。カテドラル、学校など見物しましたがなかなかのものです。コンセプシオン市はよそ者が少なく、現在でもよく「パラグアイ」らしさを残しています。また非常に治安が良いそうで、今でも暑い日には外で寝る人も居るのだそうです。アスンシオンでは過去になってしまった古き良き「パラグアイ」をここで見る事が出来ます。また、街を歩いていて街頭書店の様子がアスンシオンとはかなり違うのに気が付きました。アスンシオンではポルノなどの雑誌が中心で書籍は置いていないのですが、ここで非常に太ったおじさんが営業している露店を見てみますとほとんどが書籍、それもかなり内容のある歴史書、専門書などを置いているのです。「ポルノは置かないの?」と尋ねてみますと、コンセプシオンでは取締りが厳しく、禁止されているということでした。また以前は鉄道があったそうで、1909年に開通し、50年間、1959年まで使われていたそうです。現在は街の中心部の公園に機関車等が展示されています。



(写真:中央を貫くアベニーダ)



(写真:巨大なマリア像)



(写真:以前走っていた蒸気機関車)



(写真:由緒ある学校と教会)



(写真:由緒ある建物)



(写真:大聖堂)

市内の普通の箇所はいたってのどかな感じです。



(写真:市内の様子-01)


古い建物と空き地が多く、またほどんどは土の道で雨が降るとたちまち下の写真のような状況になってしまいます。



(写真:市内の様子-02)



(写真:市場の様子-01)

地味が豊かで農作物は豊富に取れます。



(写真:市場の様子-02)



(写真:市場の様子-03)



(写真:市場の様子-04)



(写真:市場の様子-05)

また近郊からカレタと呼ばれる大きな木製の車輪を付けた荷車を牛に轢かせて農作物を持って来ます。この市場で商品を売り捌き、また戻って行くわけです。



(写真:カレタ)

カレッタの脇には荷車を牽引して来た牛馬が繋がれています。



(写真:待っている牛馬)

多くの人に訪れてもらうにはホテルの整備が欠かせないように思います。市内には観光客相手のホテルが幾つがありますが、外観はそこそこですが、ホテルとしての基本的なサービスが全く出来ておらず、快適に過ごせるところまで至っていません。基本的な部屋の清掃そしてベットとタオルとシャワーが気持ち良く使えるように努力して欲しいものです。



(写真:市内のホテル)

このコンセプシオンで見るパラグアイ河に沈む夕日も見事なものです。



(写真:パラグアイ河に沈む夕日)

コンセプシオンはずっと発展とは無縁でしたが、この数年の道路の整備、グローバリゼーションが経済に効果的に作用しているように感じます。本来持っているポテンシャルがいよいよ発揮されて来ている、そんな感じです。長い間パラグアイは国境地帯が栄えて来ましたが、これからは内陸部が大いに発展して行く、そのような印象を持っています。近隣諸国をはじめ外国の投資家も注目し始めているようです。ここコンセプシオンにはこれから大きな変化の時代を迎える、そんな予感がします。



コンセプシオン市・再訪(コンセプシオン県)(2009年03月29日)
久しぶりにコンセプシオン市を訪問しました。

01・市中心部
市の中心部はコロニアル風の建造物が多く残っています。昔のものを保存しようと考えている市民が補修、塗装を行い5年前と比較して格段に綺麗になっています。古い建物がしっかりと活用されており、古さを感じさせません。すっきりとした印象があり、市民の街を大切にしている意識を強く感じます。



(写真:中心部-01)



(写真:中心部-02)



(写真:中心部-03)

古い建物が大学に利用されていました。古いコロニアル風の建物の上に「北部大学」の新しい看板不釣り合いなのですが妙に似合っているのが面白いですね。



(写真:北部大学)

改装した市役所



(写真:市役所)



(写真:市街地-01)



(写真:市街地-02)



(写真:市街地-03)



(写真:市街地-04)



(写真:税関)

02・市場の様子
中心部に市場があります。小さな店が立ち並ぶ光景は6年前と変わりありません。生鮮食料品、衣類、雑貨などが売られています。以前は多かった牛馬が減り代わりに自動二輪が非常に増えていました。手軽な乗り物で便利なのは分かりますがほとんどの人はヘルメットを被ってはおらず、明らかに無免許と思われる子供も利用しているなど、安全面は気になります。また働いている人を見ますと女性が目立ちます。男性も居ますが奥でふんぞり返っているだけという人も多く居ました。



(写真:市場の様子-01)



(写真:市場の様子-02)



(写真:市場の様子-03)



(写真:市場の様子-04)



(写真:市場の様子-05)



(写真:市場の様子-06)



(写真:市場の様子-05)



(写真:薬草売り)



(写真:バナナ売り)

人気の食べ物は串焼きです。多くの人が買い求めていました。



(写真:串焼き肉-01)



(写真:串焼き肉-02)



(写真:ジュース屋)

馬の姿は減りましたが今でも多少は使われていました。



(写真:馬)

03・住宅地



(写真:住宅地-01)



(写真:住宅地-02)



(写真:住宅地-03)



(写真:住宅地-04)



(写真:住宅地-05)



(写真:住宅地-06)



(写真:住宅地-07)



(写真:住宅地-08)



(写真:住宅地-09)



(写真:住宅地-10)



(写真:住宅)

04・市立博物館
コンセプシオンには市立博物館があります。昔の生活の品とかチャコ戦争の時代の遺品などが展示されています。入場は無料ですので見学すると良いでしょう。ただ開館時間が午前中に限られているようですので早目に出掛けましょう。



(写真:市立博物館外観)



(写真:市立博物館内部-01)



(写真:市立博物館内部-02)



(写真:市立博物館内部-03)



(写真:中庭)

展示物の中でも注目したのは17世紀パリで印刷された南米全図でパラグアイが大きく描かれています。大西洋も「パラグアイ海」となっています。三国戦争で勝利を収めた場合には本当にパラグアイの版図がこのくらいになって南米の大国になっていかたかも知れないと思ってしまいますね。確かにこの地図では首都アスンシオンが堂々と中央にありますね。イグアスの滝は勿論、ブラジルでは現在のクリチバ以南の南部三州、ウルグアイ全土、ブエノスアイレス、コルドバなどのアルゼンチン主要部も含まれています。まだアルゼンチンを分離する前で独立前ですが実際にパラグアイは大きな国であったのは間違い無いと思います。



(写真:大パラグアイを描いた地図)

より大きな拡大地図

館長のミゲル氏は自分の娘に日本人が居たと話していました。よく聞きますとボランティアの女性が家にホームスティをしたいたとのことで、現在もメールで交信していると話をしていました。



(写真:博物館の館長・ミゲル氏)

05・フランスホテル
市内には余り多くのホテルはありません。その中で老舗のホテルとして格式があるとされているのがフランスホテルです。外観は綺麗にしており雰囲気はあります。国内は勿論最近流行のエコツアーを目的としてドイツなど欧州の観光客も多く来ています。



(写真:フランスホテル外観)



(写真:レセプション)



(写真:中庭)



(写真:食堂)



(写真:朝食)

市内には他にもホテルがあります。市街地により近い場所に「ホテル・センター」なる建物があります。非常に派手な造りでカラオケなども併設しています。



(写真:ホテル・センター)

市内のパラグアイ川沿いには営業を停止したホテルがあります。荒廃しており、営業を再開するには新たな投資が必要に見えますが、せっかくの設備を持ったホテルですので再建して欲しいのものです。



(写真:営業を停止したホテル)



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