サンペドロ県・ドイツ系地区 (サンペドロ県)




サンペドロ県内には多くのドイツ系移民の子孫が住んでいます。多くの方達は信心深いメノニータなのですが、日常生活に対して非常に保守的な人達もいますし、積極的に新しい機械に挑む人達もいます。ここでは南部にあるフリースランド・ボーデンダム地区と北部にあるリオ・ベルでについて紹介して行きます。



フリースランド (2003年11月23日)


サンタニから土道を行く事50キロ、ドイツ系の移住地フリースランドに到着します。この人達はパラグアイ生まれで、祖先がオランダの近く低地ドイツから来たそうで、日常は標準語となっている高地ドイツ語とは異なる言語であるフリースランド語を使用しています。この地に約200家族が暮らしています。話をしますと皆さん自分達は誇り高きドイツ人という意識を持っています。

アスンシオンからですと自動車で約2時間半で行く事が出来ます。2003年11月に道路舗装がサンタニまで出来、一気に近くなりました。アスンシオンから1,2泊で出掛けるには良いでしょう。

ただ直通の公共交通手段はありませんので、一般の旅行者がここに行くには途中までバスで行き、後はホテルの人に迎えに来てもらうなどすると良いでしょう。一般の観光客等全く居ませんので、バックパッカー等で珍しい場所を求めている方は是非訪問を検討して欲しいものですね。近くまで行くバスは頻繁にあるようですのでホテルに確認して出掛けて下さい。



(写真:フリースランド内部の道路-01)



(写真:フリースランド内部の道路-02)

住宅は大体は木製かレンガ作り、豪華ではありませんが、しっかりと作ってあるのが分かります。



(写真:住宅-01)



(写真:住宅-02)



(写真:牧草地の様子)



(写真:部品・雑貨類を取り扱っているお店)



(写真:フリースランドの警察署)



(写真:フリースランドの農業組合)

街の中央には綺麗な学校があります。何でも入学しますと学校の中ではフリースランド語は禁止で徹底的にドイツ語の教育を行なうそうです。最近では日常でもドイツ語を使用する家庭もあるようです。



(写真:フリースランド学校)



(写真:フリースランド当初の住居モデル)

移住地全体の雰囲気はピラポ、イグアス等の日系移住地と共通する点もあります。日独というのはどことなく似ているかも知れませんね。ただ日本人の方が余暇を工夫して過ごしているように見えます。サッカー、野球にゲートボール、パークゴルフと色々なものを導入していますが、ここは伝統的なサッカーくらいで他は無いようです。土地も広くある程度の資金力があるように見えますので、もう少し何か工夫したら良いと思ってしまいます。後普通のパラグアイの町であれば中央に教会がありますが、ここには教会は無いようです。ほとんどの方がメノー派なので、聖書に基づいた信仰を大切にしている為なのかも知れません。



ホテル・タンネンホッフ(2004年 9月18日)

HOTEL Y RESTAURANT TANNENHOF
電話:041-210-305
E-mail tannenhof@rieder.net.py

このフリースランドにはホテルは一箇所だけです。木で出来たホテルで建物の中央に大きなマンゴーの木があります。1泊2食で8万グアラニ(1600円)でした。休みの時期になりますと欧州から長期滞在の観光客がやって来るそうです。



(写真:ホテルの入口)



(写真:ホテルの中に大きな木)



(写真:フリースランド唯一のホテル内部)

ホテルのご主人としばらく歓談しました。この方の話によりますと「サンペドロ南東部から隣の県にかけて多くのブラジル系の人達が大豆を耕作している。彼らはこれを直線でパラグアイ河に出したいと思っており、この付近を通り港に出る道路を舗装する計画が持ち上がっている。そうすればサンタニからここまで舗装道路となり、アスンシオンから約200キロの当地は劇的に変わって多くの観光客が来るだろう」というのです。確かにその通りからも知れません。確かにここはアスンシオンから非常に近く、週末を過ごすには良いかも知れません。 



(写真:地図を用いて熱心に説明するホテルのご主人)

この日は土曜日で多くの住民が食事に来ていました。他にレストランというような場所は無く、「外で食事すなわちこのホテル」となります。各種のサラダや付けあわせ、ドイツ風の味付けもあれば、ソパ・パラグアージャもあるという食事です。メインは肉、ご主人が自分で焼いたアサードです。



(写真:付け合せ料理:メインは肉です。)



(写真:ホテルで食事をする住民達)



(写真:ホテルから見える美しい夕日)



ボーデンダム (2003年11月23日)


フリースランドから更に1時間ほど走りますとボーデンダムに着きます。この二つは大体規模が同程度なのだそうです。




(写真:ボーデンダム)

下の写真は何か分かりますでしょうか?これは蟻の巣です。このような土の山が無数に並んでいるのです。大きなものは2メートルくらいの高さになっており、これだけの巣を作るのにどれだけの蟻が働いたのでしょう?



(写真:蟻の巣)




リオ・ベルデ (2003年11月23日)


リオ・ベルデはパラグアイ国内のメノニータ(ドイツ系移住者)の中でも一番保守的であると言われています。近代文明の象徴とも言える機械類を拒み、自動車・テレビ・ラジオ等も一切ありません。生活は自給自足でいたって質素、敬虔な祈りと共に暮らしが在るようです。人口は3千5百人位、広大な地域で農業で生計を立てているようです。この地域にはホテルは勿論食堂もありません、「食事は自宅で」というのが彼らの常識のようです。



(写真:家屋)

各家々の近くはよく手入れがされており、花壇には綺麗な花が咲いています。



(写真:手入れの行き届いた花壇)

交通の手段は馬車です。他の地域の馬車と比較しますとよく整備されており、かなりがっちり出来ている感じがします。自動車は外部から来るだけなのでしょう、ほとんど見掛けず、馬車が行き交います。



(写真:交通手段は馬車)

ある家の近くで話を聞きました。「ドイツ人」というと「違う、我々はドイツ人ではない、メキシコ人である」という予想外の返事が返って来ました。フリースランド等の方達はカナダ等から来た人達で、彼らはカナダ人、自分たちの祖先はメキシコから来たのだということのようです。メノニータは現在のドイツ辺りを去り、新大陸(カナダ・メキシコ)・ロシア等に新天地を求めて移住した後、当地に再移住して来たそうですが、この人達の祖先が欧州を後にした時にはまだドイツという国は無かったのかも知れません。

金髪・碧眼が多く、フリースランドと比較してもゲルマン系という感じです。「写真を撮らせて欲しい」とお願いしますと「駄目だが、まあ子供だけであれば良いでしょう」という事になり、大人は外れそこに居た子供たちだけの撮影となりました。大人も子供も同じような服を着て、木で出来たしっかりとした家に住んでいます。来る前までは中世の欧州のような生活を想像していましたが、実際に見ますと西部開拓時代の米国に一番似ているように感じます。いずれにしてもとても現代、それもパラグアイの光景とは思えない事だけは確かです。日系の移住地では労働者として現地の人達を雇用し、また耕作地を持つ人も多く混在していますが、ここはこの人達だけの世界、よそ者を寄せ付けない感じです。



(写真:子供たち)

馬車を見ていますと下の写真のようにオープンなものと完全に覆われたものが走っていました。



(写真:馬車)

よそ者を歓待する気持ちはないようですが、それで拒絶する訳でもないようです。行って話しをすれば相手をしてくれますし、とても親切ではあります。ただ写真を撮影するなどというのはなかなか難しいですね。

またどこに行っても子供を多く見掛けました。人口は着実に増えている様子です。道路事情が悪い時には世間と隔絶して生活する事が可能であったでしょうが、現在道路が整備され、アスンシオンから4時間でここまで来れます、若い世代が先祖や親たちと同じ生活を守って行けるのかそれともここもグローバリゼーションの波にあらわれて行くのか注目です。




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