masc1.gif (2144 バイト) カリフォルニアワインの歴史 budou.gif (1272 バイト)


アメリカのワイン史
あのコロンブスのアメリカ大陸発見後、ヨーロッパから続々とアメリカ(東海岸)に移住してきた。アメリカで初めてワインが作られたのは1560年頃と言われ、当時はアメリカに自生するぶどうでワインが作られた。しかし、これはアメリカ自生のぶどうはワインに適さない香りがあったため、ヨーロッパからの移民が増えるにつれヨーロッパのぶどう品種がアメリカに持ち込まれ、次第に栽培されるようになった。しかしながら、アメリカにはフィロキセラ(Phylloxera)と呼ばれる病害虫があり、植えてもすぐ枯れてしまい、東海岸においてはワイン産業が衰退し、ラムやバーボンといった酒類が好まれるようになっていった。(注:アメリカのぶどうにはフィロキセラに対する免疫があった)

カリフォルニアワイン史
カリフォルニアの1700年当時は未開の地でありアメリカではなかった。1700年後半にメキシコを植民地にしていたスペイン人が、あちらこちらにミッション(伝導所)を作りながらカリフォルニアを北上して来た。その頃は実質的にスペイン領であり、その伝導師たちが、教会で必要なワインを生産していた。当時の西海岸では、まだ、フィロキセラ害虫が生息していなかったため、スペインの葡萄品種が栽培されていたが問題はなかった。最初のワイナリーは1771年頃ロサンジェルス近辺に建てられた。ミッションが北上するにつれて、ワイナリーも北上していった。

ゴールドラッシュ時代
1800年代に入ると教会関係以外のヨーロッパ人の移民も増えて来た。その頃、メキシコがスペインから独立し、カリフォルニアもメキシコ領になった。その後、ソノマを舞台にカリフォルニア共和国として独立し、数年後アメリカ領になった。そしてあの有名なゴールドラッシュが1848年に起こったのである。金が見つかったという情報は瞬く間に全世界中に広まり、1949年以降、数年の間に何万人という人々がサンフランシスコに押し寄せた。この頃のワインは質より量の時代であった。この頃にナパ、ソノマ周辺及び金の見つかったアメリカ川近くのサクラメントでもワイン用ぶどうが栽培された。

このゴールドラッシュの時に1人のハンガリー人アゴストン・ハラジー(Agoston Haraszthy)がカリフォルニアにやって来た。始めは南カリフォルニアに家族と共に果樹園などを経営していた。その頃にぶどう栽培も始め、後にサンフランシスコ近郊(サンマテオ)に移住しぶどうを栽培した。ハラジーはより良い葡萄栽培のできる場所を探し続けていたが、ソノマをその地と決めた。そして1860年、彼の発案により町ぐるみの大プロジェクトとして、ヨーロッパから300種類約10万本の葡萄の苗木を輸入し栽培を始めた。現在でも彼の多大な業績を称え彼は「カリフォルニアワインの父」と呼ばれている。余談だが、その頃 ハラジーはチャールズ・クルーグ(Charles Crug) とも親交があった。

1870年頃になるとカリフォルニアでもフィロキセラ病原虫による被害が増えて来たが、1880年頃カリフォルニア大学にぶどうの栽培学が始められ、フィロキセラ防止の研究が始まった。後にアメリカのぶどう品種に免疫があるので、アメリカのぶどうに接木をする技術が確立された。またこの頃カリフォルニアの風土に合うカリフォルニアワインの醸造技術(品質管理や低温発酵)が確立された。

1860年の南北戦争、1869年開通の大陸横断鉄道などにより、カリフォルニアワインはますます発展していった。この頃出来たワイナリーでは、Charles Crug, Cobel, Beringer, Wente Brothers などがある。

禁酒法
1887年カリフォルニアワイン法が出来、1900年にはヨーロッパでもカリフォルニアワインが多くの賞を受けるまでになった。しかしカリフォルニアワインの発展も、1920年発令された禁酒法によって壊滅状態に追いこまれてしまう。1933年に禁酒法が解除されるまでの間はキリスト教のミサのためのワインや医療用のワインといった ごく一部のワインの生産が認められていただけである。その為、ほとんどのワイナリーは廃業に追い込まれ、他の農業や職業に変わっていった。

1933年に禁酒法が解除されが、すぐにはワイナリーが再興できなかった。ワイン用のぶどうは苗木から植えても3年程しないと収穫は望めないし、その頃にはワイン造りの人材もいなかったためである。しかし、ここで1つの望みがあった。カリフォルニア大学である。禁酒法が敷かれていた時代も果実研究という名目でワインの研究が続けられていたのであった。当初ワインの研究はバークレー校で行われていたが、この頃カリフォルニア大学デービス校に研究所を新設し、研究はデービス校で続けられた。カリフォルニア大学デービス校は多くのワイン醸造家を輩出し、又ぶどうの品種改良などを行いカリフォルニアワインに多大な貢献をした。こうしてようやく禁酒法解除後20年以上かかってカリフォルニアワインが少しづつ復興されたのである。

第二次世界大戦が終わった1950年以降、アメリカの食文化に変化が起こった。大戦での勝利、経済復興などがあって家庭環境が変わって来たからである。具体的にはステーキに代表されるアメリカ的料理からワインに合う食事というヨーロッパ的料理がアメリカに入り込んできた。60年代に入るとテレビも普及し、テレビで各国の料理などが紹介され、ヘルシーブームと共にアルコール度が強くないワインが注目されるようになった。

ワインの需要が増えるにつけ、ナパバレーにおいて多くのワイナリーが誕生した。弁護士、学者、医者などが趣味でワイナリーを作り、ワインを造るようになった。こういう小さなワイナリーを総称してブティックワイナリーと呼ぶ。 1970年頃には大資本も次々に導入され、多くのワイナリーが誕生した。しかし60年代から70年のカリフォルニアワインはロバートモンダビの説明なくしては語れないものがある。

ロバートモンダビ
1960年代ロバートモンダビはチャールズ・クルーグワイナリーの息子として、このワイナリーを兄弟のピーターと共に順調に20年程経営していた。もともとロバートは向上心が強く革新的な考え方の持ち主であったが、ピーターはどちらかというと保守的な考え方であった。

チャールズ・クルーグワイナリーは1946年に創立され、1960年当時チャールズ・クルーグワイナリーはナパの Big Five と呼ばれた。そのビッグファイブ(五大ワイナリー)とは、Beaulieu Vineyard, Inglenook, Louis Martini, Beringer Brothers, Charles Crug であった。また当時、チャールズ・クルーグワイナリーはナパにおいてトップレベルのワインを造るワイナリーとして既に有名であった。

1962年ロバートは妻のマージと共にヨーロッパに旅行をした。この時に立ち寄ったワイナリー、出会ったワイン、レストランでの食事が彼の人生を変えた。カリフォルニアワインと全く違う方法と道具で育てられ作られるワイン。繊細で複雑なワイン。また職人たちのワインに対する情熱。斬新な食事とワインの相性など、ロバートを驚愕させるに足るものであった。しかし、この時ロバートは同時にヨーロッパのワインを凌ぐワインが造れる事を確信したのだ。

カリフォルニアに戻るとチャールズ・クルーグワイナリーの改革に取りかかった。しかし、家族の反対が激しかった。「今まで順調にやって来たのに、これ以上何が必要なのか?」子供の頃から性格が全く違うこの2人を見守っていた父も1959年に他界していた。家族経営であるため、改革はあまりにも困難であった。

翌1963年、ある出来事が起こった。収穫で忙しい秋のある日、郵便ポストに届いたのは、ケネディー大統領からのロバート夫妻に対するディナーの招聘状であった。ケネディー大統領はイタリアの総理大臣を招いて彼らのワインを紹介したかったのである。困ったのはロバート夫妻である。まず晩餐会に着て行く服がない。当時2万4千ドルの収入であったが、妻に2500ドルの毛皮のコートを買った。生活は苦しかったが一生に一度の事なので無理して購入したのであったが、家族は気が狂ったのかと驚いた。この時、家族との間に決定的な溝が出来てしまった。

1963年11月22日、ケネディー大統領は暗殺され、晩餐会は中止された。こういう理由で出席出来なくなったのである。

1965年、ロバートとピーターは取り返しのつかない大喧嘩をしてしまった。ここにロバートは52歳にして、自分の理想のワイナリーを作る事を決心したのだ。1966年、ロバートモンダビワイナリーを設立。以降、高品質のワインを生産し、アメリカはもとより、ヨーロッパでも賞賛されるワインを造ったのは有名な話である。また、フランスのバロンフィリップ・ロスチャイルド氏と共にオパスワンを造り、絶賛を浴びた。ちなみに現在兄弟のピーターとは仲直りをし、ロバートモンダビワイナリーはロバートの息子のマイケルとティム、娘のマーシャが経営している。

1970年代以降
この時代は量から質の時代に以降した時で、白ワインが注目された。特に Chardonnay に人気が集中した。多くの人がワインに目覚め、飲みやすい白ワインからスタートしたからである。1979年には、Sutter Home Winery (サターホーム)から White Zinfandel (ホワイトジンファンデル)が発表され、ブラッシュワインのブームが起こった。1970年以降続々とワイナリーが誕生し、より良いワインへの探求がなされた。

1980年以降はワイナリーがワイナリーツアー及び試飲を積極的に展開して自分のワインの売りこみに懸命だった時である。ワイン人口も増え、白ワインに限らず赤ワインも随分注目された。またこの頃、更に技術革新と品種改良が進み、多くの質の高いワインが生産された。この1985年頃のナパバレーには約150のワイナリーがあった。この時代はカリフォルニアワインの円熟期ともいえる。

1990年代
この頃から有料のワイナリーツアーが実施され始めた。また安いワインを生産していたワイナリーが高級ワインを生産し注目を浴びるようになった。嗜好も多岐に分かれ、輸入ワインも増えた。最近は   Cabernet Sauvignon より飲みやすく注文しやすいなどの理由で Merlot が人気を集めている。


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