AFRICA - 1

South AFRICA - BOTSWANA





12月14日 (ツーリング1日目)

11日も過ごした宿を去る日が来た。
9時40分起床。チェックアウトが10時なので、あわてて片付ける
「あ、雨が降りそうだよ〜、今日出発せずに今夜も泊まればいいじゃないか」
と仲間がはやし立てるが、ぼくは一日も早く旅立ちたいの!
とにかく未知なる国へ走りたい。
手早くパッキングを行い、11:09分、仲間たちに見送られて出発!!

ケープタウンからN2(国道2号線)でポートエリザベス、そしてダーバンと東へ進む。
フリーウェイから普通の国道に変わるが、日本とはまったくペースが違う

北海道の道北や道東のような一本道の制限速度が120km。
猛スピードですれ違う車は、シュワン!、シュワン!とまるでジェット機のようだ。

60キロでちんたらケープタウンの街中を走らざるを得なかった慣らし運転も終わったので、これより80キロ巡航。それ以上で巡航すると小さな125ccエンジンにダメージがでそうなので。
時速80キロというスピードは、日本の国道なら追い越す側なのに、ここではあっというまにどんどん追い越される。

道路も景色も、オーストラリアによく似ている。オーストラリアがなつかしい。
でもオーストラリアで650ccのビッグバイクで一周した時は、もちろん自分はシュワンシュワンの側で、いつも130km/h巡航。時には150〜160km/hで走ったりした。

やがて、WindowsXPのトップ画面のような緑の丘陵地帯から南下して、16時ごろ、アフリカ大陸最南端のアグラス岬に到着。インド洋と大西洋を分ける岬で、その先は南氷洋と南極大陸とあって、天気は晴れているが物凄く波が荒く、豪快だ。

アフリカ初☆野宿

夜、Swellendamという小さな町についた。まるでオーストラリアの田舎の町そっくりの落ち着いた雰囲気だが、看板を見ると、黒人が市長である。
暗くなったので今夜から早速寝床を探さなくてはならない。昨日までぬくぬくと宿にいたけど、今日からは宿無しだ。さあどうするか。
でも、いきなり野宿はあれなので、街のキャンプ場に停まろうと思ったが、4人分ぐらいのスペースで130ラントするらしく高いので、やめる
それなら町はずれで墓場を見つけたのでそこで野宿しようかとも考えたが、人に見つかったら危険なのでやめにした。
さらに奥へ進むと、急坂があるのでそこを登りつめた行き止まりのところで野宿することにした
自分の経験上、丘の上とかなら誰も来ないので大体こういうところで野宿するのだが、やはり誰も来ないので正解だった。
テントを張って寝ると、4ヶ月前のねぶたツーリング初日の郡山での野宿を思い出した
396km走行

 

 

「白人と黒人と中国人」

 

12月15日

5時起床。空は大分明るいが、すこし肌寒い。人がいなく静かなので、のんびり出発する。

今日はN2を外れ、日本で言う3桁国道や、田舎道を走ったりした。風景もよく、自分のペースでのんびり走れるのがいい。
夕方前、オーツホーンという町に到着。名物のダチョウが食いたかったので、ラテン風レストラン「La Dolce Vita(The sweet life)」に入る。広い中庭を利用したオープンテラスなので単車は自分の席の隣に泊められるし、風通しもさわやかで落ち着く。そのうえ無線ラン付きなのでひさしぶりにネットを堪能しまくる。


ダチョウのステーキセットは95ラント。約1000円。

超節約ツーリングを主体とする自分にとっては高い食費だが、ステーキは300gもあり、独特のくさみが若干感じられたものの牛肉よりも柔らかく美味。しかも無線ランでネットがやり放題ということを考えれば、とても安いものだ。

店員もとてもフレンドリーで、もう至福のひと時。
ああ、アフリカのツーリングって最高!

と・・、いいたいところだが、考えてみれば店員は白人で、店内のカップルや家族ずれの客は、すべて白人。まるで欧米やオーストラリアにいる気がする
黒人の姿は店内では見られなかった。
そう、ここは「白人向けレストラン」なのだった。

かつて人種隔離政策アパルトヘイトがあった時代は、あらゆる施設が白人専用・黒人専用と厳格に分かれていた。だからこのレストランも昔は「白人専用レストラン」だったのだろう。
リベラルなケープタウンにいたときには感じなかったことだが
ここのような田舎の封建的なエリアでは、アパルトヘイトが終わった今でも、「白人は白人、黒人は黒人」という考えが根強く残っている。

レストランの中では肌の白い純血の白人の子供たちが遊んでいる。
かたや門の外に出ると、ボロボロの服を着た黒人の子供たちが、磁石に吸い付くかのようにこちらにやってきて「金をくれ、金をくれ」と、まるで歌舞伎町のポン引きのようなしつこさでまとわりついてくる。

そういう「現実」を見ながら育つ白人の子も黒人の子も、いったいどんな大人になるんだろうか。

「差別はアカン」「みんな平等に」という日本で育った自分にとって、たしかに南アの田舎では差別はまだ残っているんだろうと、覚悟はしていた。
でも、かれらはお互い同じ国、同じ町に住んでるのにかかわらず、人種によってあまりに違う「現実」を目の当たりに味わってしまうと、やはり気分が重くなる。


今日もいっぱい走って夜になったが、道路沿いには延々とフェンスがはられており野宿する場所が見つからず。
しかし夜中にUniondaleという山の中の村にたどりつき、キャンプ場へいくとゲートも開いており、夜遅くテントを張って早朝に出たためタダで泊まれた。南アとはいえ、山奥の村なら意外に危険ではないらしい。
439km走行。

 

12月16日

4:45起床。まだうす暗い中、すばやくホットシャワーを浴びて、管理人が来ないうちに撤収。

5:32出発。夏なのに、アフリカの割に緯度も高く、標高が800mもあって走っていると寒い。14度ぐらいか。 国道沿いでは、まだ朝は早いが黒人労働者たちが集まってトラックに乗りこんで働きに出てくる

6;38、45km走って小休止。MorningSunが出てきてあったかくなる。

9時半、152km。小さな名もない町のカフェテラスで朝食。ミニ・モーニングセット。
28ラント(約300円)。ミニサイズなので、日本人サイズにしても少なく感じた。
このカフェテラスは白人が経営する店で家族で切り盛りしてるようだが、昨日のレストラン同様、黄色人種の私にも好意的に見てくれた。東洋人というより、ツーリングライダーとしてみてくれてるからだろう。
荷物をごっそり積み込んでツーリングをするライダーなんて、ほとんどが白人なのだから。

とはいえど、こういう店は白人向けなので黒人が客として入ることはなさそうだ。
やはり人種差別は暗黙のうちに残っていると実感する。
でもそれだけでは足りないので、小さな商店に入り、パンと、飲むヨーグルトAMASIを買って、ちょっと外れたところで食べる。
AMASIという飲むヨーグルトは、名まえとちがって甘くはない(笑)
てゆうか、明治ブルガリアヨーグルトとそっくり。量も500ml。でも60円ぐらいだったかな

そのとなりの商店に入ると、おや!と思った

何でこんなところに日本人がいるんだ?

と思ったら、中国人だった。
こんな名もない村なのに、華僑の夫婦が商店を経営しているのだ。
彼らは中国から輸入してきた大量の衣類や雑貨やおもちゃを売りさばいており、
南アフリカやその周辺国の各町に散らばってくらしている
ようするに需要あれば供給ありで、こんな人口数千人の村でも、「町の物資供給係」として中国人の存在が必要不可欠になってくるのだろう。

少しでも儲かれば、どこの国のどんなところでも住み着く中国人華僑。もう、全世界のあちこちに均質的にくらすそのバイタリティーたるや、今の日本人では絶対真似できない
これから先、アフリカの各国各地で華僑を見るようになるし、少しお世話になったりもするのだった。

13:30 ポートエリザベス着。294km。高層ビルが建ち、坂がちな地形は神戸のようだが、ダウンタウンは小便臭くとても汚く、危険な雰囲気。白人はほとんど歩いていない。
単車で回れるからいいものの、歩いていたら狙われるだろう

フリーウェイ沿いに、SPARというスーパーのチェーン店があったので、そこのデリで昼飯を買う。御飯がパサパさして食いにくい。
おまけに敷地内にあるホットドッグ屋台。1本10ラント。

夜、キングウィリアムズタウン(KWT)という地方都市についた。
ちょうどフェスティバルお祭りのようなものをやっていたので
ちょっと見物する。バンド演奏やフリマもやっている。日本のイベント的な催しもので、黒人で大賑わいだ。警備員も多数いるので治安面ではそれほど問題なかろう
でも、泊めてある愛車には目を光らせなくてはならない

この日も野宿する場所が見つからず、しかもKWTの街中にキャンプ場や安宿が見つからなかったので、絶望的な気分になりながら、町を外れ道路を外れ、牧場のフェンスが開いていたところがあったのでやむをえずそこから入り、牧場の中で寝る。すぐに動けるようマットだけ敷いての正真正銘の野宿!
この日は朝の5時半から24時まで走り625kmも走ったので、疲れてすぐに眠れるだろう。
眠りについてしばらくして気配がするので目を覚ますと、なんと牛さんたちに囲まれていた。
しかし日の出と共に、今度は人間(牧場で働く黒人)に見つかってしまった
「人の土地さで寝ておって、警察に行げ」などと遠巻きから文句を言われる始末。

自分は、誇り低き野宿野郎・国際部の者として、「世界で野宿してきたんだから当然アフリカでも野宿三昧だ!」と意気込んでいたのだが、アフリカの野宿がこんなに難しく、かつこんなに殺伐としたものだったとは・・・・

それ以降、無理して野宿するのはやめることにした。
アフリカの野宿のむずかしさや危険さは覚悟していたが、やっぱりアフリカを甘く見ていた。それに比べれば日本はやっぱり治安がいい。
625km走行

 

 

「かつては黒人の国だった」


12月17日

そんなわけで5:05分出発。睡眠不足ぎみ。

6:41イーストロンドン着。郡山のような市街地の規模。

イーストロンドンから谷を越えて
Butterworthという村(マレーシアにも同じ地名があるけど)に入ると、今までの街とは全く違うのだ
小汚く泥臭い雰囲気、活気と人に満ち溢れたギンギラギンに熱いストリート。
そう、これぞアフリカなのだ!!
かつての黒人の国・Transkeiトランスカイに入境したのだ

トランスカイは、南アフリカ内にあった独立国のひとつだが、これは南アの白人らがアパルトヘイトの国際世論の批判をかわし、自分たちのメンツや利益をたもつために都合のいいように仕立てられた傀儡国家でしかない。
南アを旅していくうちに、アパルトヘイト時代の南アは、本当にロクでもない国だったことが、改めてわかる。
かといって、差別された怨念が爆発し、治安が急激に悪化している今の南アもいいとは言えないが。

旧トランスカイの中心都市、Mthatha(ムタタ)に到着。高い近代的ビルもあるが、Butterworth同様、中心街は人と活気に満ち溢れている。
なによりいいのは、他の都市で感じたギラギラした殺気や、危ない視線が感じられない。白人が定めたトランスカイとはいえ、やはり自分たちの黒人領に誇りを持っていることがひしひしと感じられ、人々も黒人本来の、のびのびとしたフレンドリーさを感じることができ、うれしくなる。

さて、ここムタタで少し休むぞと、ゲストハウスを訊ねたが、一番安いゲストハウスでも、アジアの安宿のような古くて狭い部屋で200ラントもするなんて、話にならない。
そして、住宅街にあるPrestwichというゲストハウスを訊ねると、部屋は清潔で良さそうだが300ラントする。
そこで、「ゲストハウスの敷地内でキャンプできるだろうか?」と頼んでみた
そしたら、おかみさんからOKが出て、一泊50ラントでいいかと聞いてみたら、それでよいとのことだった
走行415km

 

12月18日

いろんな人たちと話しているうちに、もう一泊する事にした。
洗濯物もアイロンしてくれた。その心遣いがとってもうれしい!

くそあついテントの中で今後の旅プランを練りまくる。
11時ぐらいに少しヒルネしてしまった

その後、ムタタの街で買い物。街をぶらぶらする。黒人の街なので、とにかくアフリカン。
店から大音量で流れるキリスト賛美の怪しい黒人音楽。
段ボール箱をバランスよく頭に載せて買い物帰りのおばちゃん。

軒下の露店の買い食いも楽しい。
ゴルフボールを大きめにしたぐらいの、ミニサイズのりんごや桜桃が売られていて、1ケ1ラント。でも甘くておいしい。

釣り用のクーラーボックス一つで身軽に商いをするソフトクリーム売りのおばちゃん。
クーラーボックスの中にはソフトコーンと、市販の2L入りのアイスクリームが入っているだけで、それを盛り付けるだけのものだが、1つ4ラントと安い。
少し溶けかかっていたが、安くてうまいので2つ食べた。

この町でもChinaShopと書かれた中国商店が何軒かあり、雑貨等のみならず、自転車や家電品も売っている。
意外と10代ぐらいの若い男や女の中国人も多く、とくにかわいい女の子が一人いて、まるで日本の女子中高生みたいだったので、黒人や白人ばかり見てきた自分は思わず見とれてしまった。


夜は、「雨が降るぞ」という忠告どおり、激しいStorm。テント内の両端が漏れる。
ひたすら狭いテントの中でうずくまるが、21時になって眠くなって横になったら雨も止んでホッとする。
走行16km

 

12月19日

5:22起床。23度と生あたたかい朝。
宿のみなさんに別れを告げて、7:45出発

黒人領のトランスカイから、クワ・ズールーナタール州(KZN)に入ると、またもやいろいろ変化する。
トランスカイの国道沿いは、のびやかな放牧地に円錐形などの伝統的民家が点在する牧歌的アフリカな風景なのだが、KZNに入ると牧場風景から森林地帯へといっきに変わる。
民家も見かけなくなり、森の中に時たま見える建物も無機質だし(というか、普通の南アスタイル)し、なんと白人のヒッチハイクも見かけた。
トランスカイは、国道を突っ切るように村が点在していたが、KZNではバイパスのように町を迂回する。やはりトランスカイはかなり独特だった。
正午頃なので日差しも強くかなり暑い。

ダーバンの手前の町、Umkomaas。何の変哲もない海岸の町だが、うんこまーすという地名、絶品。写真をいろいろ撮る。

そしてダーバンに到着。ケープタウンより有名ではないが、まるでマンハッタンのように超高層ビルが林立し、ケープタウンよりも断然大都会だ。その分治安も悪く、暗くなる前に宿を探さなくてはならない
夕方、テクウェニというバックパッカーズを見つけて泊まった。
摩天楼が立ち並ぶ大都会ダーバンの、東京で言えば麻布や白金台のような高級住宅街の中にある。月並みなバックパッカーズだが、ゲートの閉まる音がうるさかった
走行492km

 

12月20日

6:45起床。ケープタウンを出てからというもの、早寝早起きの規則正しい健康的な生活が続いている。いいことだ。
南半球では今が夏至に近く日も長いので、朝早くから夜遅くまで走ることができ、効率がいい。

ダーバンからはN3で北へ進路を変え、首都プレトリアに行く。標高も上昇する。

ダーバンから60kmのピーターマリッツバーグに到着。
ここのTakeawayの店で昼飯を買うとき、気のいいインド人店主と話をした

「日本から来たのか。ハイテクで便利じゃないか。
見てのとおり、この外の通りはゴミだらけだ。でも日本ならゴミが落ちてないとてもクリーンな街なんだろうな。日本に行って見たいわい」
「いやいや日本でも都会の街中だとそれほどきれいでもないですよ。でもこの町よりは日本のほうがきれいですけどね。」
と、お世辞と事実を両方云っておいた。

今日もひたすら走り21:20、「ウルトラシティ」というガソリンスタンドとコンビニとファーストフード店の複合施設に着いた。日本で言う高速道路のサービスエリアだ。
日本のように、駐車場の端で野宿しようとすると、ボーア人らしき白人のおっさんがやってきた。
ちょうど彼に「ここで寝てもいいんでしょうか?」とたずねてみると、「いやー、わしらもここで寝るんだよ」
といって、毛布をしいて野宿していた。さすがだ。野宿の同志である。
彼らに負けじと自分も野宿。ほかに野宿してる人がいるおかげで心強かったし、標高が高いわりに(1660m)寒くも暑くもなく、カも居なくて快適に野宿できた。
走行425km

 

12月21日

5:40起床、7:28出発。今日は明るいうちにプレトリアを目指す。
途中、南ア最大のタウンシップ(黒人居住区)ソウェトに寄って見た。

なるほど、全く白人や有色人種は歩いていない。完全に黒人だけの世界だ
単車で通り過ぎるだけなのでまだいいが、自分ひとりあるいていたら明らかに目立つだろう。そう思うと不気味だ。

ソウェトというと、貧しく悲惨なイメージがするが、住居にもピンからキリまであるようで、日本の郊外の住宅街の一戸建ての家のようなものもあれば、錆びたトタン屋根と石で重しをしたようなボッロボロの掘っ立て小屋もある。
そんなソウェトの中にも最新のショッピングモールがあるのにはおどろく。

夕方、プレトリア近郊のバックパッカーズに到着。
連日ずっと走りずめだったので、ここでスペアパーツの補充や両替、雑務や休養のため何日か滞在する。
走行449km

 

12月22日

8:40と、おそめの起床。といっても部屋が暗いので何時だかわからず。
きのう安心して食いすぎたせいか、ゲリが4回。
しかも昨夜はうるさく、しかもベッドに虫がいるのか猛烈にかゆい。蚊もいたので散々だった。なので、今日からはドミトリーではなくキャンプする事にした
宿の裏側にひっそりとテントを張る。これはある意味、激安の個室なので思いのほか落ち着く。

昼頃、テントの中でPC作業。デジカメで撮りまくったデータをDVDに焼く。バッテリー残量も問題なくほっかほかの焼き立てDVDが完成。
その後チェーン調整とオイル交換、余ったオイルはチェーンに塗る。
伸び伸びになったチェーンを張ったら異音もなくなり、調子もよさげだ。

 

12月23日

9:50ごろ起床。昨日早く寝たのにおそ起き。ここまでの疲れが溜まっているんだろう
建物の間の日差しの悪いテント場なので、テント内は昼でも25度と暑くもなく快適。
一人でのんびりできる時間もなかったので休養するのも好かろう。

単車を走らせ、Amexの両替所を探しにプレトリア駅前のInfoへ。
Amexはプレトリアのダウンタウンではなく、MenlynParkというかなり外れの大型ショッピングモールにあるとのこと。
自分の単車があるので問題ないが、自分の足がないと、南アはとても旅しずらいだろう。

その後プレトリアの下町へ寄る。アジアと違って安飯屋がないのは苦労する。
やっとの思いで見つけた食堂は当たりだった。

メニューはPap’n Chicken(or Beef) パパンビーフ。
黒人主食のウガリに、チキンまたはビーフのトマトソース煮込み、たまにビーンズや菜っ葉のサラダがついてくる。黒人家庭の代表的な食事である。
15ラントと安くうまく、なにより低ビタミン・高脂肪・高カロリーのファストフード系の白人食に比べて、断然栄養のバランスがある。

テーブルが2つあるだけの小さな食堂なので、黒人しか入らず、東洋人は私だけだ。だが、そんな私をスタッフは気に入ってくれたようで、「また明日も来てね!」と言われ、プレトリア滞在中はいつもそこに通うのだった

その食堂のテレビから、ナイジェリア映画の予告編みたいのがよく流れていたが、それがオカルトものにせよラブコメディーにせよ、怪しく、狂ったものばかり(笑)
低予算製作なので、オカルトもののCGが安っぽくて笑えた。まるでモスラやザ・ピーナッツの時代のような映画の黎明期ぶりだろうか
そしてやたら音量バランスが悪いので、それが余計におどろおどろしているのだ。
これを今の日本の子供に見せたら、きっとトラウマになるだろうな。

そのごMenlynショッピングモールを発見。これから先の国のために、アメックスで米ドルのTCからラントのキャッシュを多めにつくっておく。
日本と変わらぬ近代的ショッピングモール。気分はすごくいい。


夜中に土砂降りが降って、外側のフライシートと内側のインナーは雨が入らぬようにめいいっぱい離したのだが、テント内の両端に水が溜まる。テントの表面にはドロがついて、めんどくさい。

 

12月24日

午前中、Centurion(センチュリオン)という町にあるホンダのディーラーにて頼んだスペアパーツを受け取る。これからパーツ供給でまともな国は無さそうなので、足りないと大変だろうし、かといって余らせると無駄になるし荷物にもなる。難しいところだ。

今夜はクリスマスイブだ。でも一人テントのなかでさびしくすごす。
イヴだからしゃーないのだろうけど、夜中2時ごろまでうるさかった。明日もクリスマスだからうるさそうだ。
でも、ここでのんびりしたい気持ちと大みそかまでにザンビアのビクトリア滝にたどり着きたいと言う気持ちが交錯する。

プレトリアでの用事も済んだし、休みだしたらキリがない。早く次の国、ボツワナに行きたい。沈没するには早い!?

12月25日

7:30起床。やはり今日プレトリアを出ることにする
クリスマスなのでどこもかしこも休み。退屈なだけなので出発して正解だった。
でもレバノン料理店だけは開いていた。さすがイスラムの国だ。

クリスマスなんてくそくらえってことで、レバノンではポピュラーなSchwarmaシュワルマを頼んでみた。
シュワルマはスパイスの効いたひき肉や野菜の具をパン生地にくるんだもので、メキシコのブリトーやタコスに似ている。うまい。
でもそれだけじゃ足りないのでChips(フライドポテト)も頼んだ

今日はひたすらメッタメタに走る。さもなくば不完全燃焼だ、ということで夜になっても走り、22:35にボツワナとの国境まで来てしまった。

その夜はボツワナへの国境の手前の茂みの中で野宿。
ここまでくれば強盗もこないだろうし、国境警備隊もいるので治安的には問題ないだろう!?
487km走行


「ボツワナ入国」

1

2月26日

6:20起床。7:50出発。
8:06、国境にて出入国手続き。詳細は以下のとおり

 

南アフリカ出国
人:問題なし
車:書類提示は無いが、登録ディスクのチェックあり

ボツワナ入国
人:ビザ無料、特に問題なし
車:合計費用 P120約1800円、(第三国へ行って戻る場合、すなわち往復だとP160らしい)
内訳:通行許可料50
保険(3ヶ月有効)50
交通安全税20



出国から入国までの所要手続き時間は、1時間強だった。
晴れてボツワナに入国だ!

国を越えると、通貨が変わるぐらいで、南アと変わらない。
南アはアフリカーンスと英語の併記だったりしたが、ここでは英語中心なので微妙に違うか。
そして、南アからボツワナに入った途端、車の流れが遅くなった。
町はたいした交通量じゃないのにやたら信号が多く、いらついてしまう。
国道を80km/h巡航してもそんなに追い越されなくなった

ボツワナはダイヤモンドなどの地下資源でうるおい、アフリカの中でも財政の豊かな国なので、首都のハボロネに着くと、日本のように信号が多く、アフリカとは思えぬほど近代的なビルが並び、まるで日本の県庁所在地のみたいだ

ハボロネは、アフリカで最もアフリカらしくない首都といういわれがあって、計画都市ゆえに面白みに欠けるし、滞在中はボクシングデー(といってもスポーツのボクシングではない)と週末が重なり、店はしまっている店が多く、はっきりってつまらん。
日本だったらこういう年末の時期こそ書き入れ時なのにだが・
スーパーしか開いていないので食糧を買ったら、ハボロネ唯一のキャンプ場・Citi Campでのんびりするのみ。

でもこのキャンプ場は随所に電源があって、電池の充電やテントの中でパソコンもできるし、なおかつ宿泊者が少ないので昼間などはとても静かで落ち着くのだ。
174km走行

12月27日

8:23起床。24度。標高1000m、真夏の軽井沢のように快適だ
バイパスに行くと、おされなショッピングモールがあって、ソニーの代理店もあった。市街地とは違ってこっちのほうが生き生きしている。中国人やアラブ人などいろんな人種がいた。

12月28日

7:17起床。25℃。やっとのことで首都ハボロネ出発。
夕方から雨が降ってきた。アフリカに来てはじめての合羽を着る。
昼間でも危険なのに、夜間走行は思いのほか危険で、暗闇の中山羊が飛び出してきたりと命がけで、いやになりパラピエという町で宿を探す。
しかし宿代のめっぽう高いボツワナ、一番安いところでも250P(3750円)すると言われ高すぎる。「それなら警察に行けばよい」と宿の人間やGSの店員からも言われた。
いきなり警察にいくのも乗り気ではないが、最後の手段として考えよう。
街中を走っているうちにキャンプ場の看板発見。やったぞ!これ以上路頭に迷わずにすむ、
しかしついてみてがっかりのキャンプ場だった。23時ごろ到着。24時寝る
377km


12月29日

ついにトラブル発生!パンクだ
道端で修理したのに関わらず、空気の入れ方が足りなかったのかまたパンクした。
しかもチューブのネッコがもげて、ご臨終。
30km先のフランシスタウン行きの小型トラックを単車ごとヒッチする
結局1500円払い、タイヤ修理屋へ送ってもらった。
今思うとぼったくりだけど、自分も早く町につきたくて必死だったのだろう。

ようやく修理完了。でもこの町にはなんとバイクびん用のバイクしか走っておらず。
車しか走っていない。これだけオートバイが見当たらない町と言うのも他に無いぐらい、単車が無い。(ハボロネでは単車は何台か見かけたが、すべてピザ屋やバイク便のデリバリー用だった)
今思うとボツワナはトゲトゲの枝が多く、パンクしやすいからというのも一理あるのかもしれない。
マランホテルのキャンプ場伯。
187km


12月30日

7:09起床 暑さで目覚めたが、昨日のキャンプ場よりは快適。
これよりボツワナ北部は、いよいよ僻地エリアになる
フランシスタウンから、ザンビア国境の中間地点にあるナタに到着。

そこで夕食とガソリンを補給し、しばらく進むと野生の象に会う。
記念写真を撮るが、象が突進してきたらと思うと冷や汗ものだった。本当に命がけのサバイバルだ。
やっと象エリアを突破し、パンダと言う町の手前の道路から300mほど茂みに入って野宿する。21:45分。23時前に寝る。
象にパンダに動物園でごわす。
433km

12月31日

今日の目的地はザンビア・ビクトリアフォールなのだが
パンダからはジンバブエ国境があるので寄って見る。人気の無い国境だが、ジンバブエ入国も可能そうだ。
来た道を戻り、ザンビア・ナミビア国境に近いカサネの町に到着。
白人観光客が闊歩する、完全に観光の町

ボツワナ通貨が余りそうなので、ガソリンをめいいっぱい入れて、国境手前の露店でジュースを買って使い切る。
出国手続きをして、瀬戸内海の連絡線のような船に乗って国境の川・ザンベジ川をわたり、

ついにザンビアの土を踏んだ

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