AFRICA - 2
ZAMBIA - MALAWI
ザンビア編 「アフリカの奥地へ」
2008年12月31日
ボツワナ出国
人:出国カード記入、スタンプを押されただけ
車:通関での出国手続きを忘れてしまった(でもザンビア入国は問題はなかった)
ザンビア入国
人:ビザ代50ドル(ホログラム式領収書つき)
車:T.I.P.-Temporary Import Permit(一時輸入許可証)無料、1ヶ月有効
合計50ドル
これまでの南アフリカとボツワナは、アフリカの中でも比較的裕福で先進的であった。
そこから、「本当のアフリカ」といわれるザンビアに入国した
川をわたり、ザンビアの土を踏む。やたら人で溢れ、イミグレの建物はさらに素朴になった。それでもビクトリアフォールずが近いので白人観光客は多い。
村の風景もがらりと変わる。
砂埃が舞う露天や民家がある。
なるほど、いかにも本物のアフリカに相応しい。
まるでカンボジアを思い出した。
夕方前、リビングストンの町に到着。
世界遺産で世界三大滝のビクトリア滝に通じる観光の町とあって、舗装されているが、舗装されているのはメインロードのみなので砂埃が町を覆う。
町の舗装割合も、南ア>ボツワナ南部>ボツワナ北部>ザンビアと行くに従い舗装率も下がる。
行く年アフリカ・来る年日本
みなさま、あけましておめでとうございます。もう2009年ですね。
といっても、私の居るザンビア・リビングストンでは、まだ2008年の12月31日夜7時50分です。
ネットカフェに居ます。外はブラックパワーまるだしの活気があります。となりで現地の黒人がネットしています。きっと日本はコタツの中で寝てる人も多いのでしょうが、ここはほんのり暑くて扇風機のまわる音がします。
でも、2000年の大みそかもボリビアのラパスに居たのですが、ボリビアはまだ大みそかなのにネットカフェでヤフウジャパンを開いたら「渋谷でカウントダウンして怪我人が出た」と元旦の記事が載っていて、当時ネットビギナーだった私は、それを見て、まるで世界を予言されてるみたいでおそろしくビックリしたもんです。
そして先ほど同じふうに見たらやはり正月の事が出てました。本当に不思議なものですね
南アの野宿は、思っていたとおりハードでした。強盗とかが来なかったのが幸運でしたが、私のような野宿旅の修行者でもかなりハードです。
なんとか野宿できるのは、先述したサービスエリアぐらいでしょうね。安全は買うものなのだす。
・・で、ふととなりを見ると、現地の黒人が音楽を流しながらメールを打っています。ここはザンビアです。
では良い年を。
年が明けた2009年1月1日。その瞬間をザンビアで迎えた。
2001年はボリビア・ラパス、04年はシドニー、05年はタイ・チェンマイ、そして09年、ここで4回目の海外での新年を迎えた。
リビングストンの町はまだ盛り上がっており、まるで渋谷みたいでもあるが
しかし調子に乗った酔っ払いのキチガイの車が、街中を蛇行暴走運転していて非常に危なかった。日本なら即通報、免許取り消し&牢屋行きになるのだが、ザンビアでは無礼講ですむのだろうか。恐ろしい。
飲酒運転を忌み嫌うようになった日本は、まともな国だなと思った。
「元旦はビクトリア滝詣で」
1月1日
正月早々、町から離れたキャンプ場に移動する
大みそかまでにザンビアに着きたいといっしょうけんめい走ってきたので
今日はのんびり。ひさびさの休息。キャンプ場は静かなので5日まで滞在した。
まさに正月やすみだ。
夕方、いよいよ世界遺産のビクトリアフォールズ見物。すごいすごいと滝見物してキャンプ場に戻りシャワーをあびる。夜、ズボンもリュックサックも臭いので洗濯。
21時からパソコン。テントの中、LEDヘッドライトを着けながら画面を見る
満たされた気分で上々。
それでも22:40に眠くなったので、寝る。
1月2日
あまり天気はよくなかったが、12:30には昨日洗った洗濯物が乾いた
町へ出ると、日本人観光客も来るせいか、闇両替からコンニチワといわれる
ボツワナにいたときはニーハオ一辺倒だったのに。でもここでも大方はチャイニーズと言ってくる
ネットカフェ。80分ほどやって13500クワッチャ。(270円ぐらい)
1月3日
8:30起床。起きるのがおそくなってきた
昼頃、食事を買うためにスーパーへ。
この街では、安飯屋をみつけられなかったので、(リビングストン最後の日に市場の奥で発見。観光客には食わしたくないのだろう。)スーパーのSPARのデリでおかずを買う。牛肉野菜炒めやチキンカレー、ビーフシチュー、ピラフなど。でも安くない。
ザンビアに入ると、Kapentaという小女子のような小魚が売っている。油で炒めてあって、かなり泥臭いけど、佃煮の様な感覚。ザンビア人もカペンタをおかずにンシマ(ウガリ)で食べるが、同じように食べると、御飯と佃煮で食べてる気分になり、日本人にはいける味だ
ここでのキャンプ生活では、ウガリを主食に小女子、チキンカレーといったなかなかのメニューだった
ストリートやビク滝の前では、揚げパンやゆでたまごも買える。1こ1000クワチャ。
「アフリカのつきあい方」
1月4日
もう一度滝を見物する。虹がよく見えた。きれい。
滝から戻り、何キロか滝の上流の空き地で、流れを見ていた。近くでバーベキュウをやっている団体がいた。
どうやらキリスト教の青年団の新年会のようだ。
明らかに酔っ払った若い男が来て、
「良くぞ来られた、我が友よ。
われわれは、バーベキュウをやっているのだ。
さあ、食べなさーい。飲みなさーい
さあ、きみもみんなといっしょに楽しみなさーーい」
旅に出て以来、なかなか食べられず、おいしそうなので、遠慮なく彼らに誘われるまま、うまいうまい!と食べる。
やっぱバーベキュウで食うのはうまいのう。
楽しいわい。
おいしかったよ。ありがとう。というと、
「それじゃあーお金払ってもらおうかな」といったので
「え、なんぼ払えばいいの」と聞いたら
「チキン3キレとビーフ2つ食べたんなら、合計5個だから・・・・10ドルもらおうか。」
はあ?何でこれだけで10ドルなんだ?
楽しかった気分に突然水を差された気分だ。
「ちょっと待て、いくらなんでも高いよ」
「ザンビアなら普通デース。10ドル払ってくださーい」
「そうだそうだ、10ドルが相場だ」
「・・・・・」
もし、アフリカの旅に慣れていたら、このような誘いには最初から乗らなかった。
若しくは、「ふざけるのもいいかげんにせいや!そんなバカ高い金払えんわい!」とどやしていたことだろう。
でもその時の私は、本格的アフリカに慣れておらず、せっかくの和を乱すのも良くないかなと日本的に思いつつ、渋々10ドル払ってしまった。なによりキリスト関係者だからぼったくることはありえないと思い込んでいた。だから彼らの誘いに乗った。
しかしかれらは平気でぼったくってきた。それがショックだった。
私は、彼らザンビアの若者と対等に付き合いたかったのに、彼らからすれば結局自分ははお金持ちの観光客としか見られただけでしかないのかもしれない。甘かった。
ああ、良くも悪くも、これがアフリカってやつなんだなあ。
アフリカ人は、初対面の人間に対してもえらいフレンドリーで陽気だ。しかしお金のことになるとがらっと態度が変わる。日本の慣習と全く違うアフリカ人とは、どこまで信じていいのかわからない。
その事件以来、アフリカ人とはだんだん距離を取るようになっていく自分がいた。
1月5日
昨日よく歩いた。しかし歩いているとなんとなく骨が痛む。まあこのところ毎晩野宿だし、昨夜はへんな姿勢で寝たからだろうか。今朝になっても体中が骨いたい?口内炎が舌にできたし、だるい。
昼間にキャンプ場の汚いプールに入ったらだるさもとれたが、しばらくしてまただるくなった
舌がいたいのでろくに食べれず、ずっとゲリが続き、夜中には3度もゲリをした
疲れが今になって出てきたのか。体調不良の一日だった。
「地球の裏側で偶然ばったり。その名はミカクン」
1月6日
朝起きたら舌のいたみが直っていたのにはびっくり。
鉄道博物館を見物した後、荷物をまとめてキャンプ場を去る。
寄り道しながらリビングストンの町を出ようとしたら、白人の男が声をかけてきた。
一瞬客引きか?闇両替か、と思ったが、相手は旅行者だ。
どうやら彼は私の荷物満載のツーリングバイクに興味があるようで、彼と話しているうちに
「君はワールドツーリングネットワークジャパン(WTNJ)を知っているか」
と言われ、目が点になるほどビックリした!
なんで知ってるの?
「自分も日本でWTNJのキャンプに参加したことがあるから」
彼の名はドイツ人のミカ・クン(Mika Kuhn)
思えば2003年の5月11日。私が静岡県西部のキャンプ場で行われたWTNJ(海外自動二輪旅行者組合?)の寄り合いに参加した時、海外ツーリング中のドイツ人ライダーがゲストとして来ていたのを覚えている。「ミカクン」と言う名前だったので、そのとき私は美香君だのミカちゃんだの、挙句の果てには「イカクン」なんて勝手に呼んでいたのを思い出した。ま、イカクンのようにわかり易い名前だしね。
なんたる偶然の出会い。
彼は私のことを覚えてはいないが、自分も彼がミカクンだとは知らなかった
その夜は、予定を変更してリビングストンに戻り、彼らと街に近いキャンプ場で泊まるのだった
ミカはケープタウンで84年式のトヨタ・ランドクルーザーを60000ラントで買い、恋人のダマリスと、ダマリスの母さんアンナと3人で旅をしていた。古いランクルにはキャンプ用品や修理用具など一式揃っている。ミカとダマリスは、ランクルのてっぺんに備え付けてあるポップアップ式のルーフテントで寝て、初老のアンナはバンガロー(75ドル!)に泊まる。
ミカクンとダマリスは、5ヶ月ぐらいかけて南部アフリカをまわり、ザンビアで折り返し、自然公園や野生動物などを見ながらのドライブだ。ミカとダマリスは私と同じく単車で世界一周をしたのだから、筋金入りの旅人である
アンナはザンビアでミカクンと合流し、2週間だけ旅のお供をするそうだ。
因みにこのルーフに備え付けのテント、便利と思いきや、マットごとたたむので時間がかかり、畳んでも雨水が入り込んでしまうため、どうしてもマットレスも湿っぽく、臭いがするのだった。広さはカプセルホテルを少し広くした程度か。
そして夕食。停電なのでローソクとヘッドランプとで食事。
ベークドビーンズのかんずめに、たまねぎみじん切り炒めをミックスしたものと、ゴーダチーズ、食パン。典型的ヨーロピアン・キャンピングメニューである。楽しい夜だ。
なぜミカというのか聞いてみると、Michaelのフィンランド語でミカというらしく、ミハエルシューマッハ?的な名前だからだという
「東京でお世話になったとき、君と同じ名前だ、と言って、ミカという名のAV女優のヌード写真を見せられたのには笑ったよ」
「ザンビアの村へ」
1月7日
偶然の出会いから一夜明け、今日はダマリスの母・アンナはスイスに帰るのだ
みんなでリビングストン空港に行き、別れのあいさつ。
アンナを見送った後、ミカクンたちはボツワナ、ナミビアへと向かい、私は首都のルサカ、そしてケニアへと目指すのだ。
リビングストンでバラバラになったけど、偶然ってすごい。
再び一人だけの旅が、再開する。
リビングストンを出発して数キロほど走ると、米粒ぐらいの飛行機が天に向かって飛んでいくのが見えた。きっとアンナが乗っているに違いない。手を振ってみた。
リビングストンからルサカの国道だが、やがて穴凹だらけのひどい道になり、そしてダートになった、しかも大雨が降ってきた。
大きな水溜りとかはなかったので問題なく進めたが、舗装路に入ると心からホッとするのだった
村に着くと、東南アジアの村のような質素さで、「PREVENT MALARIA 蚊帳の中で寝てマラリアを防ごう」と言う看板が出現した。このあたりからマラリアの汚染地区だろうか。
ザンビア人のなかで、ひとり白人女性が歩いている。キリスト教系医療従事者だろう。
リビングストンからはコロモ、チョマ、というザンビアの町を通り過ぎ、
その夜はバトカという、アフリカの典型的な田舎の村に泊まる事にした。真っ暗になる前に村について助かった。
村の食堂。ウガリにチキン、菜っ葉の煮物。うまいし栄養良好。7000クワッチャ。人々も親切。やっぱ田舎は良い。
バトカロッジというローカル向け安宿。アフリカ初のシングルルーム!屋根つき!ベッドつき!
宿泊費の高いアフリカ南部だが、ここまでくれば、なんとか個室に泊まることが出来る。
やっと不自由なテント生活やドミ生活から脱出できたぞ!個室ばんざい!
と喜んだのもつかの間、シーツも洗ってないので黒人の体臭が沁みついている!!
バンコクのチャイナタウンの旅社より汚い!でもこれがアフリカンスタンダードか?
部屋の中のバスルームは、まるで廃墟の中のトイレみたいに便所が怖いぐらいに汚い!コンドームも落ちている。ザンビア人の連れ込みはこのクオリティで満足するのだろうか。
夜中になると、蚊が出現。耳元に蚊避けクリームを塗る。
かなりひどい部屋だけど、汚くてもベッドはクッションが効いてるし、狭いテントとちがって部屋でのびのびできるのがいい。テントばっかだと飽きてくる。
263km
1月8日
7:04起床。チェックアウトまでの間、バトカの村を歩く。
村の中の路地をずんずん入っていく。アフリカの田舎の朝が見えてくる。そういうのが大好きだ
路地の中に、もっとスケールダウンしたレストハウスがあって、そこなら20000で泊まれるらしい。当然白人旅行者は目もくれない場所だが。
マヘウ(2200)、ドーナツ(500*3ケ)サッカー印のビスケット(500)を買って部屋に戻り、朝食。
今日からマラリア予防薬のドキシサイクリンを飲むことにした。
10時出発。モンゼという町で昼食にし、そのあとGSでオイル(20000)を買い、裏の中庭で交換させてもらう。
ルサカに入る前に、カリバ湖を見るために寄り道。
湖畔のシアボンガの町のキャンプ場に泊まる
蛍、漁火。
洗濯する。このあたりは標高が低いので22時を過ぎても27.5度もあり、湿度が高くて蒸し暑い。服も湿っぽい。
23時寝る。
373km
1月9日
6:40起床・テントの中は日が差し込み、暑さで寝られなくなる
カリバの漁村で新鮮な魚のまる揚げを堪能。カリバ湖は琵琶湖よりも大きく、対岸はジンバブエ。瀬戸内海のように見える
そしてルサカへ。
しかし、ルサカの手前カフエで土砂降り。そのため足止めをくう。
時間がむだになった気分がしていやだが、そのぶん単車も洗われてきれいになった?
夕方ルサカ到着。すぐYWCAに泊まる。宿代は高いけど、たまにはリフレッシュだ。
267km
呪われしルサカの日々
1月10日
ああトラブル。ルサカの市街地は道路インフラが整ってなく、60キロぐらいで流れている街中にいきなり線路があって、その線路を越えたときの激しい衝撃で、前輪がバーストしたようにパンクして大転倒。
幸い大きな怪我はないが、フロントカウルがハゲて散々。
ちょうどいいところにタイヤパンク修理屋があって治ったのだが・・
ザンビアは雨季の真っ只中のため、毎日のように土砂降り。そしてこの大転倒。
旅に疲れた・・・
1月11日
昨夜洗ったジャケットとズボンが全然乾いていない。気が滅入る。
仕方ないから重い気分を打破する為にもガンガン走ってみるか。今日は日曜日ですることもないし。
ルサカから北のCopperBeltによる事にした。その名のとおり銅山を中心とした工業地帯で、アフリカでは珍しい。カッパーベルトの都市、ンドラには夕方着。
ゴーストタウンのようだが、60年代そのままのようなビルのデザインなど、まるで昔のアメリカやイギリスの都市のようなレトロな趣がある。
カッパーベルトの都市を結ぶフリーウェイを走ってみた。しかしメンテナンスされてないようで、草ぼうぼうでセンターラインも無く、標識もない。でも車も少ないので快適に走れる。でもザンビアでこれだけの道が作れるこのエリアは、銅資源で相当潤っていたのだろう
その夜はンドラから引き返し、カピリムポシ泊。
497km
1月12日
カピリムポシからもう一度ンドラに向かい、コンゴの国境を探してみた
しかしGPSを使って進んでみるも、やがてあぜ道になって行き止まりになった。でも線路があったのできっとここを進めばコンゴに続いているのだろう。
ルサカに戻る。カブエの手前でまたパンク。茂みに入って修理して空気入れても、空気が足りないせいかしばらくするとまたパンクした「ふざけんな!」
もうどうにもならないので、パンクしたままカブエまで走りきる
1月13日
カブエでバイク用チューブを探したが、見つからなかった
仕方ないからパンクしたまま140km先のルサカまでベコベコ走ることにした
途中、チェックポイントで警察に
「危険じゃないか、トラックに載せてルサカへ行きなさい。それ以外は許さん」
できることならそうしたいんだよ。
でも拾ってくれるトラックなどなく、
「安全運転で慎重に走りますから、どうか進ませてください」と必死で頭を下げたらOKをもらった
それからもベコベコ走り続けるのだが、その先にも警察の検問はあって、もういちいち捕まってはたまらないので検問が見えてきたら道路を反れて地元民のフリをして迂回するのだった。
そんな苦労の末、6時間かかってルサカに戻った。もちろんチューブもタイヤもボロボロだ。
しかし、ここからがもっと悲惨になるのを、知る由もなかった
単車屋に行き、チューブとタイヤの交換をしてもらうのだが、ザンビアクワッチャが足りないので両替する必要があった
両替所に向かおうとすると、ひまだった担当の中年メカニックが「わしも同行しよう」といって付いて来た
「ついて来なくていいよ」と言ったが、たしかに現地人といる方が安全かもという考えもあった。でも今考えると、このメカニックが元凶だったかもしれない。いや、グルだったとおもう。
われわれが行った頃には両替所は閉まっていた。4時半にはだいたいの両替屋はしまるのだ
メカニックはそれでも探し続ける
「もういいよ、もう帰ろうよ。両替は明日でいいじゃないか」と言ったのに、メカは両替屋がすべて閉まっていたので、街角に立っていた闇両替と相談していた。
闇両替・・! もし自分が一人だったら、ぜったい利用しないだろう。
ただ、現地のメカニックもいたことだし、興味はあったので話だけ聞いた
「5000、100ドルだから50万はどうだ?」
といって闇は5万クワチャ札10枚、50万を差し出してきた
もちろん、ズルしてるかもしれないのでしっかり数える
よし、50万あるから両替ね、と言ったら
「待った!あと5ドルくれ」
「なんでじゃい。5ドル払ったらうちら損する。じゃあいいよ、50万返すから。キャンセルだ。サヨナラ。」
100ドル札を返してもらった
1月14日
そしてその翌日。
昨日は両替できなかったので、開いていた両替屋に行くと、受付のおばさんは札をろくに見もせずに
「それはフェイクじゃないの!」
いきなり偽札だと決め付けられて、むかついた。
が、たしかにすかしはあるけど、紙質が微妙におかしい。
自分の持っている、銀座6丁目の両替所で交換した本物の新品100ドル札と見比べると・・・
・・・・・・・にせ札だった。
一気に血の気が引いた。
そうなのだ、きのう断った闇両替のしわざなのだ
自分が両替を断った際、というかあえて断らせた際に、本物とニセモノをすりかえたのだ。
さすが両替のおばさん。一瞬でにせ札を見分けるなんてプロなんだなあ、
と感心してる場合じゃないわい!
チクショー許せん!もうはらが立って仕方がなかった
たかが100ドル、1万円足らず。人生で見ればはした金かもしれないが、もうくやしくて仕方がない
短期の旅行者だったらくやしくて泣き寝入りするところだったが
こうなったら警察に行ってやる。
犯人が捕まるかはともかく、くやしさをぶつけるにはそれしか方法がなかった
ルサカでは本当についていない。転倒、パンク、ずぶ濡れと蚊まみれのキャンプ生活、そしてこのにせ札。
夕方警察に行くと、受付にいた女は「ふーんそれがにせ札なのね、アハハ」
バカヤロー、これが日本だったら「本日午前、ニセ100ドル札が発見されました。警察は偽札を渡した男たちの行方を追っています」と6時のニュースのトップ記事になってるんだぜ!
と思いつつも、奥の部屋に行った
担当の若い刑事は、私服なのでそこら辺の若い兄ちゃんとなんらかわりない。
そのにいちゃんが報告書を書き上げる。
でも刑事は、「ここには電話がなく、自分の携帯から架けなければならないので、電話代が欲しい」とまで言い出す始末。
「警察には電話はないのか!携帯代ぐらい経費で落とせないのか!このアホンダラァー!」と思いつつも、しかたなく電話代として2000クワチャわたす。
でもその日は結局、「今は車がないから。また明日の朝来てや」
このやる気のなさ。
もう我慢の限界じゃ・・
しかし宿泊先は、そんな打ちのめされた男を、決して癒してはくれなかった。
夜中に土砂降り。雨季なので蚊も猛烈に多い。テントの中も雨漏りして、おちおち寝ていられない・・
最悪。あまりに最悪。
絶え間なく襲い掛かる苦難と、くやしさのあまり、思わず泪が出てしまった。
1月15日
その朝、闇両替の現場に一緒に現場検証したが、闇両替なんているわけもなく、手がかりはない。
もうイヤだ!!スランプの塊のような呪われたルサカを早く抜け出したい。
でも、二輪店に行くと、見事にタイヤも新品になっていた。
夕方、もう一度現場検証に行かされたが、手がかりもくそもない
あー、もういい!時間の無駄だから、あきらめるわい!
土砂降りと泪で濡れたテント生活に懲りたため、チャチャチャBP近くの、別のBPに引越し。ドミの中はまだ20時なのに電気消して寝てる人がいた。なので自分も22時に寝た
1月16日
7:45起床。洗ったジャケットとズボンが全く乾いていない。
早く呪われたルサカを出たい。
でも従業員がアイロンを貸してくれたのがせめてもの救いだった
この日は、ルサカ郊外に「日本山妙法寺」と言う日本の寺があるので、そこに行く予定だった。
しかし、この時期は雨季のため、連日の雨で妙法寺に通じるダートの道は、巨大な沼のような水溜りになって行く手を阻まれており、通行不可能。
む、無念。
引き返してルサカに戻った
1月17日
今日はいよいよルサカを去り、600km先のチパタまで一気に走る。
ルサカでのジンクスを爆発させるかのように、ガンガン走ったる!
7:20起床。8:20出発
09:15 46km チョンゲ村
11:20 186km
12:00 233km 村で昼食
14:12 335km ニンバ町。給油。
15:35 405km ペタウケ
16:35 462km シンダ(死んだ?おもろい地名やのう)
17:16 500km
18:47 589km チパタ到着
村で食べた昼食は、ビーンズとウガリだけの質素な定食(5000k)。ザンビアでは定番メニューの肉はなく、ここではビーンズしかなかった。でも向かいの屋台ではソーセージとチップスを売っている。
出された飲み水は濁ってた。でも飲んじまう。不潔な水だが、病原菌に対する強い体を作らなくてはならない。ともあれこの村はラオスの田舎の村を思い出した。
19:50宿にチェックイン。PC作業(デジカメデータの編集など)が残っていたのだが22:30には眠くなったので仕方なく寝る。
604km
1月18日
ふとパソコンを見ると、画面にゴミがくっ付いているが、ただのゴミかと思っていたら、なんと傷だと知り、シヨツクを受ける。いくら閉じたままでも、激しい振動で内側にも傷がつくなんて。
なので気分が重い。10時出発。
もうザンビアは最後なのでチパタの市場に入って、いろんな人と話してみた
おかげで朝のうちはもやもやしていたのだが、ザンビアを出国する事にはスッキリした。
ザンビア出国
人 スタンプ押されただけ。
車 台帳に記入し一時輸入許可証を返しただけ カルネは持ってるかと聴かれた(南アのオーバートラックは使っていた。久しぶりにカルネを見た)
マラウィ入国
人:ビザは無料
車:T.I.P.-Temporary Import Permit(一時輸入許可証)1200MK
保険:(最低でも1ヶ月)3000MK(USDだと20ドル)
国境近くの保険代理店で加入する。これは欧州で言うグリーンカード、日本で言う自賠責保険。なので、無保険だとポリスチェックの時に罰金か保険に加入するまで没収されるらしい。
合計4200MK
マラウイ編
マラウイ。以前の大統領は男の長髪はダメ、女はスカートのみ着用せよという、まるで田舎の中学校の校則のようなことをやっていた。
1月18日
マラウイに入国すると、人が多くなり、活気付く。
見た感じはザンビアとたいして変わらないが、ザンビアよりもさらに質素になっている。
日本では今が真冬だ。こうして野宿野郎の者がアフリカの黒い人と土に塗れてるころ、きっと野宿野郎の編集長たちはスキーにでも行ってるんだろうな。
17時ごろマラウイの首都リロンゲ到着。ズボンの膝の穴の空いたところが日焼けして赤くなり、やけどのように痛い
首都リロンゲは、ザンビアから来ると、雰囲気が変わる。
リロンゲのバスターミナルは殺気立ってるぐらいだ
ザンビアの方が大人しく感じた。
マラウィは「アフリカのあったかハート」というフレーズらしいが
全然そんな気がしない
店員も無表情だし、とくに女は無愛想だ。だまされた気がする。
ザンビア、南アの方がよっぽどフレンドリーだ
マラウイでもスーパーは町にもある。
投宿した宿は、安宿の集中する(といってもたいして安くないが)リロンゲのバスターミナルかいわいで一番安いとあって、停電、断水。そしてわけのわからん他の宿泊客どものせいで、うるさいし正直ちっとも落ち着かなかった。まあここは首都なので、街で用事を済ませ、夜に寝に帰るだけならまだ泊まれるが。
226km
1月19日
午前中は洗濯。両替。TCだと現金よりもうんとレート悪くなる。
この先両替レートも悪いので、首都リロンゲで現金200ドル分両替する。
13時ごろどしゃぶり、部屋に戻るとなんと激しく雨漏りしていた。せっかくテント生活から逃れたのに、、部屋の中だから安全、と言う常識は通じないのである
せめて「雨漏り注意」ぐらいのことを書いてほしい。PCを濡らしたら大変だ。
そのくせトイレは断水していて、便器に流せない屎尿が残っていて時間と共に臭うのだから、じつに喜ばしい事である。
16:42、モスクからアザーンが聞えてくるが、スピーカーから流れるそれはまるで石焼芋みたいだ
また天気が怪しくなってきた。もう雨季はいやだいやだ。早く北上し脱出したい。
アジアだったら乾季に行っていたから印象も良く感じていたのだろう
どしゃぶり雨が降ると何もできず、その分時間の無駄になるのでつらい
やっとザンビアを脱出してマラウイについたのに、やっと手ごろな安宿に泊まれたのに、やるせなさをかんじる。
旅の疲れがだんだん蓄積されてるのだろう。
雨も止んでひと段落して、もう大丈夫かと電源を差し込んだら、停電した。まさか自分のPCでヒューズが落ちるとは思わないがついに停電か、と思ったら、別の部屋から熟女らしきなきさけぶこえがきこえてきた。
女はうつ病なのだろうか、部屋の外から男たちが説得する声が聞える。その狂女の錯乱ぶりは、まるで霊が載りついたような感じがして、めちゃくちゃ気味が悪い。でも、そんな奇怪なところこそが、This isアフリカ!なのかもしれない
うんざりして逃げるように外出し、気分転換にぜいたくして朝鮮料理店・KoreanGardenでビビンバ(700円ぐらい)を食う。マラウイでは高級レストランだ。
いつも黒人向けの安飯ばっかだったので、たまにはぜいたくしてこういうものを食わんとなあ。ふつうビビンバはもやしのナムルなどいろんな種類の野菜が入っているのだが、ここではキムチと菜っ葉ぐらいだった。ここで採れる食材も限られているのだろう。
部屋に戻っても、まだ説得していた。どっちにせようるさいっつうの。
そして、男らは、まるでSITがアジトを攻略するかのように扉を蹴破り中に突入していった
しばらくして、やつれたばあさんが出てきた。まったく人さわがせだ。
まあ、ひとつ確かなのは、そのばあさんの寿命はもう長くはない。ということか。
MSRで湯を沸かし体を洗う。でもレセプションでは電熱ヒーターがあるので湯は造れるといっていた。先に言ってください。
水はまだ断水している。狂女の問題は解決しても、別の他の部屋が騒がしくなかなか落ち着かない。「アフリカの旅はつらい」といっていたが、今になってそのつらさが徐々に身に沁みてきたこのごろだ
1月20日
7:50起床、9時出発。
首都リロンゲから、一路マラウイ湖畔の港町・ンカタベイを目指す
ザンビアのルサカから来ると、ルサカ以東は車も単車も非常に少なかったが、マラウイになるとさらに単車や車が一気に少なくなった事だ。
代わりに自転車が多い。湾岸の発展から遅れるアフリカの奥座敷。そのかわり検問が多く執拗だ。
世界で最も生活水準が低いと言われるマラウイだが、車や単車のあまりの少なさや、街灯のなさ、検問の執拗さで充分判断できた。
どちらにせよ、日没までにンカタベイに着かなくてはならないため、80km/h巡航、日没前は90km/hで飛ばす。
車が無い代わりに、道の両端に人や自転車がひっきりなしに通るので、安全の確保の為センターライン上を走るようになった。南アにいたときは左端を走っていたのに、北上するにつれどんどん真ん中よりを走るようになった。
19時10分、ンカタベイ到着。すっかり暗くなってしまった。
22:30眠くなり寝る、23:45には完全に寝た。
477km走行
1月21日
8:40起床。10時間寝た。それだけここの宿は快適なのだ。
気温も暑くも寒くもなく26℃。日本の夏の方がよっぽど暑い。
11時過ぎ、ンカタベイの町へ歩く。スーパーでオイルが売っていたので買う。宿でオイル交換だ
交換後ヒルネ。ひさしぶりのひるね。それだけいままでいそがしかったのだろう。
23:20、眠いので寝る
1月22日
9:17起床。またも10時間も眠った。
1月23日
9:30起床。またも10時間も眠った。(笑)
しかも23,7度と肌寒い。今日は朝から雨なので視界が限られ、よってマラウイ湖の水平線が見える。まるで梅雨寒で、ここは本当にアフリカなのか。
町へ歩く途中、現地の女と話した。彼女のオリジンはマラウイで、ジンバブエからやってきた女なのだが、彼女の英語は妙なアクセントだった、といっても私の英語もネイティブに比べればなまっているので、おたがい気兼ねなく話せるのがいい。
1月24日
7:40起床。ここでは毎晩よく眠れたが、最後の夜はかゆくて少し眠れなかった。
ダニがいるのだろうか。あと何日か居たかったが、日にちがないので仕方がない
10時出発。18時20分カロンガ到着。時差と緯度の関係で日本のように日がくれるのが早くなった。
ここの宿もいまいち。ンカタベイに戻りたい
339km
マラウィ出国
ザンビア同様すぐに終わった。