AFRICA - 3
TANZANIA - KENYA
タンザニアの道路は恐怖
1月25日
マラウイのカロンガからタンザニアに国境越え
ビザ代50ドル。
タンザニアに着いた途端、車(乗り合いハイエースワゴン)や単車(CG125やGN125などの中国製コピーバイク)が多く走るようになる。
だが、タンザニア人の運転は超極悪。キチガイに刃物。
発展途上国の運転は恐ろしい。
高原の町、ムベヤに泊まる。肌寒い。
なお、タンザニアに来ると国語がスワヒリ語なので、人によって英語が通じなくなる
若い娘はスワヒリ語しか話せないが、おじいさんは英語が話せる。
独立以前の植民地時代に覚えさせられたのだろう。
なのでタンザニアにいるときは、スワヒリ語を覚えることにした。
タンザニアを出てしまったらスワヒリ語なんて使わなくなるので、スワヒリ語を話せるチャンスでもあるのだ
231km
1月26日
10時発。今日は早めに運転を切り上げる。16:50イフンダの宿に泊まる
名も無いタンザニアの田舎の村だ。歩くだけで私は注目の的。
347km
リアル「野生の王国」な国道
1月27日
国道を走っているのに、リアルサファリパーク!
その場所はタンザニアのミクミ国立公園といって、南部の都市ムベヤから首都ダルエスサラームの国道が野生動物の棲む国立公園を突っ切っている。
距離にたとえると、広島から東京までの高速道路で、袋井から静岡までの50kmは国立公園の無人地帯となっており、この袋井〜静岡間は単車で富士サファリパークを走っているようなものだ
しかしサファリツアーとかで高い金を払ってサバンナの奥に入って動物を見るのとちがい、日本で言う東名高速や国道1号2号といった生活道路から野生動物が見れるのだから、これはとても感動するわい。
見られた動物は、象の群れ(ボツワナのハイウェイで出会った象よりも一回り小さかったかな)、鹿の群れ、イボイノシシ、キリン。動物の他には、現地の人が乗っているマイクロバスには、なぜか「秩父鉄道・長瀞ライン」と書かれていた(笑)郷愁。
北海道も鹿が飛び出すからワイルドかもしれないけど、ここはワイルドなんてモンじゃない!
街中でも鹿のみならず牛、山羊、犬、さる、黒人の子までなんでもとびだしてくるぞ。はっきり云ってめちゃくちゃ危険。
とうぜん事故も多い!今日も事故現場を見たし。日本の道路がどれだけ安全(というか過保護)な事か。
無事、野生の王国から生還し、その夜はミケセの村に泊まる
414km
1月28日
9:10発。正午過ぎに首都ダルエスサラーム到着!
標高が低い為、ひさしぶりの暑さだ。この街はアジアのようでもあり、中南米のようでもあり、でも内陸部のルサカやリロンゲと違い、人種も多様でムスリム的であり、今までのアフリカの都市とちがい、面白そうだ。
日本の猛暑のような暑さのため、ダルに来るとだるくなった。
ひさしぶりの低地なので、体がついて行けない?
ダーバンから8000kmぶりの海!この湿気を伴うむし暑さ。
YWCAに投宿。
19時から20時までじっくり洗濯タイム。部屋は満艦飾。
25:30寝る。室温30度。熱帯夜。
走行192km
1月29日
7:40起床 8時朝食。タダなのはパンとスイカとチャイのみ。後のゆで卵とかは有料。
ホントならあと1〜2泊する予定だったが、室外の音が耳障りなので、ガマンしながらいてもしゃーない。今日出ることにした。
YWCAから、郊外の浜辺のキャンプ場に移動した。
昼間気温35℃。夕方33℃。でも日本は真冬だ。
潮風のため、はいているズボンがべトつく。ヘルメットもひたいのところが湿ったまま。
21:30寝る。しかしチャックが二つもこわれているので蚊が入り、0時ごろ目が覚めた
1月30日
テントの中も快適。
タンザニアの道路はただでさえ危険なのに、首都ダルエスサラーム市内の運転は、非常に危険
信号がこわれているので交差点はカオス。しかも砂は浮いてるし、排水溝が開いていたりするので危険きわまりない。でも、3日目になるとコツがつかめてきたのか慣れてきた。
慣れとは恐ろしいものである。
1月31日
ケニアに向けて北上する。でも寄り道して、パンガニと言う海辺の町に行く。
19:20パンガニの宿に投宿。パンガニまでの50kmはダートだったので、とにかく体中砂だらけ。ただパンガニの町中のメインストリートは舗装されている。
投宿した時は停電中だったが、しばらくして復旧していっせいに明るくなると、歓声が聞える。やっぱ電気はありがたい。日本にいると電気があってあたりまえなので、電気のありがたみを感じない人も多いのではないか
ありがたい電気があれば、PCも使えるし、電池も充電できるぞ、と思ったら部屋にコンセントが無かった。がっくり。
夜の街で買い食いする。ムシカキという焼肉。焼き鳥のように串刺しにしてあるが、串はなんと自転車のスポーク。ワイルドである。
同時に玉子焼きとポテトを食べる。これぞタンザニアのファストフードだ。でも野菜が不足する
あとはアラブ人の商店でお菓子などを買う。
ズボンと肌着、ジャケットを洗濯。
360km
2月1日
8:33起床。でも眠い。
川を挟んだパンガニの町の南側を見ると、瀬戸内海のように見えて、沖縄のようでもあり、どこか日本的でなつかしくもある。
これまた瀬戸内海のような艀で南側にわたり、さらに奥のビーチへ。あわよくば静かなビーチを堪能しようと思ったのだが、そこは白人向けのリゾート地になっており、不便なくせに宿泊費も何十ドルもかかり、バカバカしい。
パンガニに戻り、ダートルートを北上して北部の沿岸都市タンガヘ。全線ダートの為、距離の割りに時間がかかった
145km
2月2日
今日はタンガに停滞。じっくり寝た。
2月3日
8:47起床。今日はタンガからケニアに入国するのだ
タンガからケニア国境までの60kmは物凄い劣悪なダート。
激しい振動のため、ザンビア・ルサカで転倒してダメージを受けたフロントカウルがついにポロっともげてしまった。Fuck!
携行している針金で応急処置をするも、すぐに切れる。どうにもならないので、ダートの間は外して走ることに。
そして、道の端の深砂にはまり転倒。足をはさまれた!
まるでバレーボールのケガのように足がいたむ。
おかげですっかりダートが恐怖になる。
そんなひどい道なのに、村はちゃんと存在する。
これよりケニア入国
ついにタンザニアからケニアに到着
人間はビザ50ドルだが、問題は単車の通関。
何年か前にある仲間がナマンガから入国しようとしたら、単車をおいてナイロビまで行かされたという話を聞き、気が気でなく、さっきのカウルポロリ事件もあって、私は神経がピリピリしていた
もしケニアに入らずそのまま引き返そうかとも考えていた
しかしもどっても悪路なので、我が心の憔悴も最大だった
でも、そんな思いは杞憂に終わり、問題なく単車も通関できた。
タンザニア、ウガンダ、ケニアは東アフリカ共同体として、出入国は共通のフォームになったようだ
しかも、ケニア側のイミグレの人は「食べていきなさい」とマンゴまでくれた。うれしい。彼らの感謝に何度も何度も頭を下げる。
タンザニア側で食うマンゴは、そのままなので手が汚れたが、ケニア側は剥いたマンゴにビニール袋で包んであるので、手も汚れないで済む。タンザニアからケニアに入国すると進歩した気がする。とにかくケニアの印象も良さそう。
その夜はディアニビーチのコテージに宿泊。
ディアニはリゾート地でもあるので
タンザニアには無かったなかなか近代的なショッピングセンターもある
さすがケニア、近代国家だ。でもあくまでも白人向けなのだ
南アにもあるようなスーパーでごっそりいろんなものを買う。タンザニアでは無かったな。
両替所は閉まっていたので、ためしに薬局に行ったら5ドルを両替してくれた。
両替レートも良心的。
さあ、ビーチライフだ。
229km
ケニアの真夏のビーチの一戸建てでバカンス
2月4日
ディアニビーチ南端近くにある。旅行人アフリカ編のコラムにバックパッカーでもおすすめと書かれており、バンダなら値段も手頃で、客層によっては昼でも夜でもびっくりするほど静かだった。
さすが白人夫婦経営で、宿泊客も白人。アフリカでも有数の静かな宿泊施設ではないか。しかも白い砂浜、青い海!まるで別荘にいる気分だった
タンザニアの安宿で落ち着かず疲労が溜まっていた分を挽回。12連泊もしてしまった。
共同キッチンあり。各小屋に、やかんや食器などが備え付けてある
8畳ぐらいの大きさで、ただ室内はいくら直射日光が避けれても欲を言えば扇風機が欲しかった
その分、町から離れている。
食事に関しては、ビーチロード沿いにはレストランやバーがあるが、白人向けなので滅法高い。安飯屋のあるウクンダの町まで10km。マタトゥ(乗り合いワゴン)だと40シリング
ネットカフェと近代的スーパーまで5km。
歩いて近くに、商店に毛の生えたようなスーパーがあり。
先日の近代的スーパーでごっそりいろんなものを買う。タンザニアにはスーパーなんて無かったな。
アイスクリーム、牛乳、チョコレート、マレーシア製オニオンスナックなどなど。
(以下、ブログの日記より):
2ヶ月以上ぶりの更新です
えー、現在アフリカにいます。去年の12月に南アフリカで二輪車を購い北上、ついにケニアとやってきました
一部の人たちの間では、死亡説まで流しているのではないかと思われますが、ちゃんと生きてます。
なぜなら、日本にいたころは即レスするほどネットしてましたが、今はその反動であえてアフリカに来てまでそこまでネットはしません。旅の毎日も意外に忙しいですし。ネットって、やりだすとキリがなくなるんですわ。
日本のことを忘れて裏島太郎状態になるのもいいもんですね。
薬にもなればストレスにもなるネットの波に揉まれるより、マラウィ湖やインド洋の波の音を聞くほうがいやされます。
あの〜、真冬の日本で、日々の長時間労働に耐えているみなさんには申しにくい事ですが
私は現在ケニア南部のディアニというビーチの、かやぶき小屋に一人ぐらし(Diani
Beachalets:一泊860円ぐらい)しながらおもいっきりバカンスを堪能しております。寒さに震えてるころ、こちらは常夏の太陽で汗がにじんでおりますの。
青い空にコバルトブルーの海、白い砂浜。南国のやしの木。
ロングチェアーの上で、インド洋からの潮風と波の音と、絵に描いたような南海の景色を見ていると、
自分の人生はなんだったのかと思いやす。しばらくはこの家(しかもれっきとした一戸建て)に住んで、長旅の疲れをいやします。
とはいっても、ここはアフリカなので、ここまでの道中はトラブル続きで、とても大変でした。
たしかにアフリカの黒人は陽気な人たちだよ。ある意味インド人みたいだけど、インド人ほどくどくはないな。
まあはっきり言って日本人とは正反対です。
でも最近、そんなアフリカのいいかげんさ、あまりのKYぶり(笑)になんだか疲れてきたんだよ。
彼らの陽気さにどこまで信じていいのか。その明るさというかなれなれしさには、きっと裏があるんだろうなと思ったり。
そういう国なのでご存知のとおり犯罪も多い。
どこまでひとを信じていいのか。だから疲れてくるんです。
日本から来たばかりなら、いい人間たちだなあと思えるよ。
でも長く旅をしてると、その裏の部分とかも知ってしまうからね。
ま、遠くで聞える波の音を聴きながらこの返事を書いてるときがいちばんいいですな。
アフリカンヘアーにしてもらう
自分も真のアフリカン・ローカルヘアーにしてもらうべく、ケニア南部の町・ウクンダ(浮くんだ?)の床屋に向かった。でも路地を歩いていると、突如なぐり合いのけんか、すなわち本物のストリートファイターをしてるのがいて、こわかったぞ。
のっけからそんなスリルを味わうも、何件かの床屋を覗いて値段を聞いた。
お代のほうは、最初は500シリング(725円)だといっていたが、
「そんなの高すぎる、100シリング(145円)なら払ってやる」
と言ったら、100でOKしてくれた。
なんじゃそりゃ。
南アフリカでも丸刈りは150円ぐらいだったからそれが「ボーズ・スタンダードプライス」の相場なはずだ!
(となりの客だって100シリングだけ払っていたし)
その床屋はまるで昭和30年代のような床屋の中だが、椅子に座ると
バリカンに消毒液をかけた。ここはエイズが多いからにゃあ・・・
もし万が一、エーヅになったら、この床屋のせいにしまひょ。
一通り刈り終えると、今度はひたいと、もみ上げをいかすスタイルに時間をかけて整えてくれた。黙っているとHipHopな髪形に変身していた。
「もみ上げはシャープに」
「ひたいを地平線的にソリコミを入れる」
が2009年の黒人のトレンドなのだろう
ふと外を見ると、東洋人の断髪シーンが珍しいのか、黒い子らが凝視していた。
日本だとただの坊主頭ですまされそうだが、
アフリカの場合は国民のほとんどがボーズで、ボーズはアフリカのオフィシャル公式ヘアスタイルなので、坊主頭でももみ上げやソリコミを加工することで、違いを入れることでヘアスタイルの差別化を図っているんだね。
まるでガクランのボタンにピカールを塗る中学生のように。
たかがボーズでも、手の込んだ丁寧なボーズになって、余は満足じゃ。
2月5日
ガソリンが手に入らず。ピンチ。
単車ではなく乗り合いワゴンでウクンダの町へ行った。
ここでの食事のパターンは
朝はマンゴやドーナツ、お菓子など
昼はウクンダの町まで出かけ、いつもの大衆レストラン(現地黒人向け)で食事。
レストランなのでいろんな種類があるが、滞在中は以下のものを食べた
主食:
ウガリ30、めし40、チャパティ20、チャイニーズライス(焼き飯)80
補食:
KABAB 40(カレー味メンチだが、しょっぱいし不味い)
Omlette 50(玉ねぎ入りの玉子焼き)
一品:
Fish100(揚げ魚) ニョマチョマ70〜(牛炭火焼、肉硬し)
ククチョマ110〜(鶏炭火焼)
夜は、街の南にあるさらにローカル向けの安食堂。
その名もなぜか‘Tsunami’
PILAU 60(カレー風味のビーフ入りピラフ、安くうまいので毎晩注文)
KukuStew 60(チキン入りシチュー、少なめ)
お冷 0(出された水はありがたく飲みますよ。)
ここでめしを食い、テレビを見ることが毎晩の日課になった。
2月6日
この日、やっとガソリンが手に入った。原因はタンクローリーの遅配らしい。
以下、日記より:
そうそう、ガソリンの値段以前に、先日なんかガソリンそのものが買えなくて非常に困っておりましたの。
どこのスタンドいってもペトロール(ガソリン)は不足していて売ってないといわれ、かといって自分のバイクにはほとんどガソリンが残っていないので途方にくれてました。オイルショックみたいで、ある意味ものすごく不安でしたね。
その翌々日(2月6日)他のスタンドの店員から教えられたとおりにCALTEXの給油所にいったら、やっとタンクローリーがきていて給油できた次第です。
ケニアは、他のアフリカに比べればちっとはまともな国だと思ってたけど、やっぱりここもアフリカでした
アフリカに行くと、そういった類のトラブルがもう山盛りてんこ盛りです。
日本ではあたりまえに入るペトロール。あらためてありがたみを実感しましたね
2月7日
「今日もPC作業を行った。ねぶたページも作成する」
アフリカの野宿&キャンプはつらいし、安宿はうるさいし汚いし落ち着かない場合が多いので、どこか快適な所を見つけたら何日かリラックスさせるたり移動中にできなかった作業を行う行為は必要です。といいつつ、要するに沈没ですな。。
今泊まっているところは、経営者も宿泊客もすべて白人なので、沈没と言うイメージはしませんが。
海外ツーリングの際、ただバイクでガンガン走るだけでなく、海とかで落ち着くってのはとてもすばらしいですよ。
でも日本よりもアフリカのほうがもっと大変ですよ。
その方程式で行けば、日本に帰ってもなんとかなるでしょう。
でも、日本に帰ると下流の貧乏人として生きていくはめになるでしょう。
ここまでの道中、ずっと黒人ばっか、たまに白人、ごくたまに中国人を見るだけの生活。
「常夏の中、ねぶた日記の作成に夢中」
ここに来てひさしぶりにネットにアクセスし、フラッシュ広告をみると、そこに写っている日本人の顔に妙に注目しました。
最先端の黄色人種の男は黒縁メガネと長髪、なんだなあと思いました。
日本にいたときは全然何も感じなかったのですが、黒人ばかりを見てきた目にとってはひさしぶりの日本人は新鮮に映るのだああ!(笑)
さて、今は2月ですが、ここは南半球なので季節では8月です。8月上旬といえば、ねぶた祭り!
灼熱の太陽の暑い日ざしを浴びていると、真夏の熱狂的なねぶたのことがよみがえるのよのね。
ということで、すっかりほったらかしてた去年のねぶた日記を、なぜか今更ケニアにてアップロードさせました
遠いアフリカでねぶたのことを考えながら、みんなのことを考えながらPCで作業をするってのもいいもんですな。
それがこのねぶた日記です
ぶっちゃけ、アフリカの旅、とてもつらいよ!
でもそんな旅の途中に快適な場所でじっくり休養し、こういう作業をするのは気分転換になる。
2月15日
沈没していたディアニから、ケニア第二の都市・モンバサへやってきた。ダルエスサラーム同様、アラブ人も多い都市で、ディアニからくると、久しぶりに都会に来た気分だ
でも日曜日なので活気がない。ブルーサンデー。
夕方、溶剤を吸っている浮浪児が徘徊。危険な雰囲気はしなかったが要警戒。
2月17日
ドルTCを両替しようと銀行にいったらオンラインが不通のためダメ。
態度も悪く、いやな銀行員だ。
閉店前に再訪し、やっと金が手に入ったが、後味が悪い。
さあ、無事に金も手に入ったし明日からどこへ行くか。ラム島に行こうか迷う
2月18日
とりあえずラム島方面に寄り道する。その夜はWituという村に泊まる事に
345km
2月19日
全線ダートのきつい道だった。ようやくラム行きの港に着いたが、めんどくさくなってきた。
ここまでくればもう満足。引き返す。
その夜モンバサに戻り、同じホテルに泊まった。
モンバサからナイロビへ
2月20日
8:05起床、デジカメ編集
10時発。Uplandに向けて進むにつれて標高も上がっていく。
12:37、72kmすすみ、Sambaruサンバルの村。沖縄のヤンバルのような地名である
休憩のため村の中のハエまみれの狭い茶屋を見つけ、チャイをしばく。
チャイは1ぱい10シル。もう1杯おかわり。まるで気分は江戸時代の旅人。日本だったらサービスエリアで自動販売機の缶コーヒーを飲む感覚なのよね。
14:50 Voiボイ到着。標高585m。
昼食にする。ウガリ、ビーフフライ、玉子焼き。そしてドクターペッパーのような清涼飲料水。210シル
ボイはモンバサから156km、ナイロビへ357km。なので東海道に例えると、まるで味噌かつきしめん定食を食べている感覚?
17:30、MtitoAndei。標高775m。
19:30、ナイロビまで170kmの町Makinduに泊まる。
標高975m。ひさしぶりのひんやりとした夜。
ずっと海岸地帯にいたので、まるで夏が終わり秋が来たようだ
2月21日
マキンドゥは大きなシーク寺院がある。誰でも気軽に入ることができる。
インド(パンジャブ)から来たシーク教の人は世界中に住んでいるが、とりわけケニアには多く住む。
シーク寺院で食事をいただく。
カレー、チャパティ、アチャール(漬物)、ヨーグルト、ビスケットとインド風ベジタリアン。
無料で食事できるが、とても気分良く食事できたので感謝の気持ちを込めて100シリングほど寄付した。
キッチンなどを覗くと、現地の女性のほか、旅行の合間に手伝いに来ているのか白人女性がいた。
ナイロビに向けて出発したが、工事だらけでひどいダートを通らねばならず、スムーズに進めない。
そしてナイロビからあと60kmあたりでものすごい大渋滞。なんと通れる幅が、両側たったの1車線分しかない、砂時計のくびれのようなひどい有様なのだ
この道路は、首都ナイロビと、国際的玄関口の港町モンバサを結ぶ東名高速のようなケニアの大動脈だ。なのにこのエリアが全然整備されてないのは、きっと政治的圧力などがあるに違いない。
しかしナイロビから15kmほどになると、両側8車線分もある広い道路になる。どうなってるんだこりゃ。
ナイロビに到着したのは昼過ぎになってからだった
今夜泊まるニューケニアロッジ(NKL)は物凄く治安が悪いところにあり、死にもの狂いで走る。
通りからいきなり何十人も現れて、強奪されたら・・と気が気でなかった
しかもよりによってパンクし始める。大ピンチ!!
とりあえず下町の自動車用品店で空気を入れてもらう。店員や客の表情も明るく親切でほっとした。なんだか、思ったより凶暴なところでは無さそうだ。
命がけで、やっとの思いでケニア・ナイロビのNKLに到着した
191km
2月22日
NKLに来る前に、ひさしぶりにたくさんの日本人に合うので緊張していた。
そう、リビングストンを出てからというもの、ナイロビまで誰とも日本人には会っていないのだ。その間50日あまり。
ひさしぶりの日本語に戸惑うが、あっという間になじんでいった。
中庭で昨日のパンク修理する。近くのGSでタイヤを持っていって空気を入れてもらった。
ナイロビの日々
モンバサは地方都市という雰囲気だが、ここは東アフリカ最大の近代都市
驚いた事に、高層ビルが並ぶビジネス街は、まるでロンドンやシドニーのCityと変わらなかった。
ナイロビの宿で読んだ本
1月28日から一ヶ月あまり、標高0mのCoastにいたので真夏のさかりだったのですが、2月21日にやっとケニアの首都のナイロビにつきました
高原都市ナイロビは標高が1690mもあるのでじつにすずしく、真夏からいっきに秋になった気分。
ナイロビではニューケニアロッジ(以下NKL)に泊まっていた。
ケープタウンのキャットアンドムースもそうだったが、ここも日本人が多く泊まるけど、白人やアフリカ人も泊まる半日本人宿である。
アフリカにいると活字に飢えているのでひさしぶりに読む日本の本は格別である。
まあ、ネット環境もあるこの旅では昔ほどではないけど、ネットも無かったときなんかもっと活字に飢えまくっていた。インドのニューデリーとかコスタリカのサンホセにあった日本センターのようなところでひさびさに日本の本を目にしたときは、乾いたスポンジに水が吸収されるかのようにむさぼり読んだものじゃよ
ここNKLで読んだ本や雑誌は
「深夜特急3・インドネパール編」「ぐうたら生活入門(遠藤周作)」「帰ってきたもてない男」
「Courier Japon」「女性自身」
置いてる本が、もてない男だのぐうたらだの、ってところが日本人宿っぽくていいね。
人から読ませてもらった本がSFパロディの「日本以外全部沈没」
しかし日本人宿にはどういうわけかよく女性週刊誌が置いてある
その時読んだのが2007年9月初めの女性自身だった。
さすがに日本だと、大の男が女性週刊誌を立ち読みするのははばかられるので、こういう機会に熟読す。
「DVDで出会える私だけの王子さま」なんて記事は、中年女性が、10代の少年俳優に「萌え〜」だの「甘いマスクにドキドキ」だの「母性本能くすぐられる」なんてざまは、男も女もおたがい様なのね。
「新宿ルミネの姉的使い方」と言うフレーズを読んだときは、かなりノスタルジーを感じたね。なぜなら07年9月当時、自分も新宿で働いており、昼休みなんかよく新宿ルミネに寄っていたからだ(笑)
西牟田靖氏著の「僕たちの深夜特急」を読んでおきながら、原作の「深夜特急」は読んだことがなかった。
深夜特急を読もうと思っても、図書館においてなかったりしてなかなか機会が無かった。
ちょうど自分も9年前、インドからロンドンまでユーラシアを横断した。深夜特急のルートもインドからロンドンだ。
今回はアフリカの旅であるが、かつての沢木耕太郎のように、自分もナイロビではチャイを飲み(インド移民のえいきょうでケニアでもチャイはポピュラーだ)少女の乞食につきまとわれ、服を買うのにも値段交渉をし、どぶのような道を歩いて足元が汚れる。
読んでいるとまるで深夜特急の旅とシンクロしている気分になった
サル・ルーメン 2009年04月24日 18:05 お疲れさまです
この機会にアフロさんの旅日記をまとめてみては?
十年後のバックパッカーのあいだで『アフロあきら面白大放浪』がバイブルになっているかもよ。
ドラマ化されてDVDも同時発売だ
学うん、みんな期待しとるでー 貧乏自由人 2009年04月24日
20:29 アフロへ
こちらは今日、ニュージーに来て初めて、日本語を話す日本人に会った。(笑)
ニュージーランド北島は秋で走りやすい時期だけど、天候が変わりやすい。
本当にkm単位で天候が激変するし、昨日・今日は荒れたし・・・・・・
現在はインド・パキスタン・イランは、どうなるかわからんところですよね・・・・・・。
平穏な時期に行けたら面白そうなところなのですが。
アフロあきら 2009年04月25日 00:38 さるさま
バイブルどころか、悪書追放委員会(古い?)のやり玉にあげられそうだー
貧乏自由人へ
ひとまずはNZ上陸おめでとさん。
日本語を話す日本人、ですか(笑)
てゆーか、ニュージーだと日本人ウジャウジャいるんじゃないか?
わしの場合、行きのケープタウンからケニアまでは全然日本人に会わなかったけど
ケニア、ウガンダ、と南下したときによく会ったし、ここマラウィ・ンカタベイでもやたら日本人旅行者が多い。全然名も無いど田舎の町なのに。
でも南アへ南下するには季節もいいし、アフリカの中でもンカタベイは安全で落ち着ける町として、すごく評判がいいのよね
目の前にも日本人が無線ラン使ってPCやっとるよ
今夜(現在17時39分)も日本のみなさんで宴会じゃー
貧乏自由人 2009年04月25日 04:55 うーん・・・・・・オークランドを出て以来全く日本語を聞かなかったのは何故だろう。
オークランドの一部地域に固まってるとかそういうのがあるのかな・・・・・・・?
何故かオークランドは韓国人が多かった(笑)
こちらが日本人だと思われてないというのもあるかもしれない。
(SHOEIのヘルメットを被ってて日本人だとバレた位ですので)
サル・ルーメン 2009年04月25日 15:09 ぉ気に入りの本あったら、暗黒大陸大使館宛てに送るでヤンス
わとそん 2009年04月27日 03:33 女性誌は理髪店や献血ルームでもよく見かけるので、そこで手を伸ばします。書店でも、空いている時間帯であれば最近はそんなに抵抗なく立ち読みもします。
アフロさんが本を真剣な顔でむさぼり読むのですか。
帰国後でもよいので、その場面をじっくり観察したいものです。
TAKI-b 2009年04月29日 12:45 孤高の旅人 サバンナの獅子 アフロさま
ついに 栄光の自伝を執筆されているのですね
楽しみです
帰国と同時に出版祝賀パーティ さっそく買って拝読いたします
サイン会は長蛇の列で混雑するので ひそかにサインください
サル・ルーメン 2009年04月29日 15:11 あっ。。。
タンザニア大使館の発表によると、タンザニア新紙幣に、キリマンジェロ山を背景にしたアフロさんの顔が採用されるらしいよ
アフロあきら 2009年04月29日 18:30 ひんさま
ここマラウイの首都リロンゲもコリヤンが多い。家電メーカーのセールスマンとか、おもにキリシト教関係だろうか。
日本人はJICA関係者しかいないでしょう。
リロンゲのコリヤンレストランで、noodle soup(U-dong)は600クワッチャー(400円ぐらい)だった。ひさしぶりに食ううどんはうまかったです。
自分のあらいのメットをみた白人が、べたほめしてました
わとさま
女性誌、面白い記事があったらたまに立ち読みしますな
ねころびながら読むのではたから見ても真剣じゃないとおもわれまする
たきbさま
栄光の自伝が仰山売れるといいですね
さるさま
そうなるといいですね