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パーマストン・ノースの基礎



 パーマストン・ノース(Palmerston North)は、ウェリントンの北約 145km にある、酪農の盛んなマナワツ地方(Manawatu)の中心都市です。また、マッセイ大学(Massey University)を中心とする学園都市でもあります。
 日本からの観光客がパーマストン・ノースを訪れることはあまり無いため、日本人にはほとんど知られていない町だと思いますので、ここでそのアウトラインを紹介したいと思います。以下の内容は、Palmerston North City Council のホームページなどを参考にしてまとめたものです。



パーマストン・ノースの位置 ■気候
 比較的温暖な気候です。夏の平均気温は摂氏 22 度、冬は摂氏 12 度です。最高気温が 25 度を超える日は、平均して年間 20 日間です。
 年間降水量は約 960mm で、雨の降らない日は年間で約 200 日あります。

■環境
 市の面積は約 326km で、この地域にマナワツ川(Manawatu River)とその支流が流れ込んでいます。川の水と地下水とで、じゅうぶんな水が供給されていますし、その水質も優れています。大気汚染もありません。
 パーマストン・ノースの交通基盤は、非常によく整備されています。市内にあるパーマストン・ノース国際空港は、ニュージーランドでも有数の年間利用率を誇ります。また、道路網も整備されており、近郊からのアクセスも便利で、通勤にも時間がかかりません。

■人口
 パーマストン・ノースの人口は約 76,000 人(1998年の国勢調査による)です。学園都市であることを反映してか、15 才から 30 才までの人口が、全体の約 3 分の 1 に相当するそうです。
 人口に占めるそれぞれの民族の割合は、ニュージーランド全体の割合とは多少異なっています。ヨーロッパ系 76%、マオリ 13%、太平洋上諸島系 2%、アジア系 5%、その他 3% となっています。

■経済
 研究教育機関及び政府行政機関による雇用が、全体の 43% を占めています。ここからパーマストン・ノースの研究学園としての面をうかがい知ることができます。また、約 25% の労働力は卸売り及び小売業に従事しており、地域の商業中心地であることがわかります。
 市の中心部には商店が集中しており、週末も営業するお店が多いためたいへん便利です。
 さらに、パーマストン・ノースはニュージーランド国内の他の主要都市と比べて、物価が安いと言われています。

■歴史
 1877年に地方自治体として発足したときには、パーマストン・ノースは森に囲まれた、孤立した村でした。人口はおよそ 800 人で、主な産業は製材業でした。当時、道路整備が急務でした。28 の道路がありましたが、舗装されていたのはたったの 6 つでした。議会は 10,000 ポンドを投じて、道路整備をしました。パーマストン・ノース周辺の森林が伐採され農場が作られていくにつれて、財政も豊かになっていきました。1885年には 50,000 ポンドの公共投資をし、水道整備(1889年)や下水処理設備の整備(1890年)が行われました。
 1902年には人口が 7,000 人に達し、農業の盛んなこの地方の中にあって、急速にその中心地となりつつありました。その後の 30 年間にも、公共設備の整備が進められました。すべての主要道路が再建築され、上下水道の設備が一新(1905年-1907年)され、図書館(1900年)やオペラハウス(1905年)が作られ、町中に公園が整備されました。議会はまた、地元のガス業者(1915年)と食肉処理場(1917年)を購入し、バス事業(1921年)を始めました。さらに1924年には発電所を建設しました。これはその後しばらくの間、この地区で必要とされる電力を十分に供給できるものでした。
 1930年に人口が 20,000 人を突破したため、政府により市政がひかれました。しかし、このあとの 20 年間は不況と世界大戦のため、経済的な発展はありませんでした。この期間に行われた主要な公共事業は、Fitzherbert Avenue の南端に橋(1935年)を、Milton に飛行場(1936年)を建設したことだけでした。
 戦後は急激な成長期を迎えます。1945年に 25,000 人だった人口が、1977年には 58,000 人になりました。1949年、1953年、1961年、1967年に市の範囲が拡大されたため、公共施設の充実が必要になりました。主要道路は再建築され、新しいダムと水道設備が建設(1953年-1956年)され、古い汚水処理タンクは新しい下水処理施設(1968年)に取り替えられました。1958年には空港の滑走路が整備され、1970年には天然ガスが導入されました。この時期には、レジャー・文化関係の施設も拡張されました。新しく郊外に含まれた地域に行楽施設やホールが作られました。そのほか、オペラハウスが改築(1955年)され、美術館(1959年)・新しい図書館(1965年)・屋外プール(1966年)・博物館(1971年)が建設されました。政府が市の中心部から鉄道の駅及び操車場を撤去した(1964年-1966年)あとで、市はその跡地に公共施設を建てました。それが、アート・ギャラリー(1977年)、市庁舎(1979年)及びグローブ・シアター(1982年)です。また、跡地の一部は新しい消防署にも使われましたが、残りの土地は市中心部の緑地となりました。1980年代には、農業用の古いショウグラウンドをリクレーション施設として再建し、マナワツ・スポーツ・スタジアム(1981年)とその観客席(1986年)も設置しました。
 国による地方自治体再編の一環として、1989年11月に新しいパーマストン・ノース市議会が設立されました。市域も拡張され、Ashhurst、Whakarongo、Aokautere、Linton 及び以前は Kairanga 郡と Oroua 郡に含まれていた近隣地域が併合されました。市議会の規模も定員 16 名(市長を含む)となり、選挙区の数も 6 になりました。空港は市議会が所有する会社に移管され、1992年には新しいターミナルビルが建設され、さらに国際空港としての設備を整えて、1996年にはオーストラリア便が発着するようになりました。バスやガスなどの事業も会社組織になりましたが、市場競争の結果、民間企業と統合されたり閉鎖されたりしました。その他、1993年に Summerhill DriveTennent Drive の交差点が高架式となり、1994年にサイエンスセンター/マナワツ博物館が、1996年に新しい図書館が建設され、1998年にはレジェント・シアターが改築されました。

■名前
 この地区の区割りは、政府に雇われた J. T. Stewart によって1866年に行われました。彼の計画では、広くてまっすぐな道路を何本も作って町を碁盤の目のように整備し、その中心に 17 エーカーの広さの公園を作ることになっていました。その公園が、今日スクエア(The Squareとして知られているものになりました。
 町の名前は、イギリスの元首相 Palmerston 子爵にちなんで Palmerston とされました。しかし、南島にある同名の町と区別するため、1871年に郵便局によって North が付け加えられました。
 Palmerston North のマオリ語名は Pamutana です。




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