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ここでは僕の体験談や思っていることを勝手に書いていきたいと思っています
「日記の延長」みたいなものですね

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「日頃思っていること」や「これはおかしい」など、ノンフィクションで書いていただける方、連絡待っています
(実名を挙げて人を中傷するようなものや、「今日こんな事がありました」のような報告書はご遠慮ください)




驚きと発見 2002年12月23日
楽しいバスの乗り方 2 2002年7月8日
楽しいバスの乗り方 12002年6月21日
極楽入院生活2002年3月6日
日本人って 其の一2002年1月22日
死を待つ人たち2001年12月21日




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「驚きと発見」 2002年12月23日

「日本の正月ってどんなものだったかな?」 4年ぶりに日本の冬、正月を体験することになった。 とはいえ日本人は日本人、何年経ってもあののっぺりした気だるい時間は異質なものではないだろう。 

バンコクにいる僕によく友達や親に「何でそんな事を知ってるの?」と聞かれることがある。 日本のニュースのことだ。 日本のニュースはインターネットですばやく手に入る。 やっぱり気になるのか毎日チェックしている。 大きいニュースはもちろん、地方の細かいニュースまで瞬時に手に入る時代である。 便利な時代だと思う。 しかし当然、ネットでは手に入らないものもある。

  ひとつは雰囲気だ。 ネットを見ていると「事実」だけを知ることになるが雰囲気は到底味わえない。 写真や動画もあるがその雰囲気を体験するには至らない。 例えばワールドカップ。 熱狂的なサポーターの映像は見たが、それを事実として受け止めるだけで「ああ、今の日本はこんな感じなのか…」くらいだ。 裏を返せば日本を客観的に見るチャンスにもなる。 「どうしてこんなことが大きいニュースになるの?」など日本にいるとその雰囲気にのまれてしまうことなく、ひとつの事実としてだけ見ることができる。

  もうひとつは地元の細かいニュースだ。 これはニュースではなく変化と言ったほうがいいかもしれない… 「駅の向かいに新しいコンビニができた」などである。 家に帰っても近くの駅に行っても特別に驚くことはない。 しかし20年以上も生活したところ、驚きはないが「発見」はある。 自転車に乗ってうちの周りを走るだけでもたくさんの発見をすることができる。 言わば、僕の時間は以前帰国した時で止まっているのだ。 だからたとえ、日本に帰って雰囲気や地元の発見は知ることができるが、その「過程」は知ることができない。

このごろよく「日本は寒くなってきて…」というメールをもらう。 いくらそれを実感し心を込めて書かれても自分には分からない。 夏に帰ったことは何度かあるが、そのたびに「日本はタイより暑い!」、「よくこんなところに住んでいたな。」と思っていた。 今回はじめて地元に帰って驚くことだろう。 「過程」を知らないその寒さに。




「楽しいバスの乗り方 (2)」

5 「どこに座るか」
 タイ人を見ていると座るところにも順位があるように見える。 日本の上座、下座という意味ではない。 その価値判断はサバーイ(「楽」、「心地良い」の意)か否かである。  日本の電車のボックス席(4人がけの向かい合った席)でも席が埋まっていく順番があるのと同じだ。
日本では…

  1. 進行方向に向かって窓側。(景色が見られて進行方向に向かっているから)
  2. 進行方向を背にして通路側。(進行方向に向かってはいないが他人と面と向かわなくてもいいから)
  3. 進行方向に向かって通路側。(通路に出やすいが他人と面と向かわなくてはいけないから)
  4. 進行方向を背にして窓側。(進行方向に向かっていない、他人と面と向かわなくてはいけない、そこから出にくいから)
 ( )内の理由は推測。

前置きが長くなったがバスの中でも同じようなことが行われている。
  タイのバスの座席はすべて進行方向に向かって2人がけ。
1. 日の当たらない面の席。(すずしいから)
2. バスの後ろの方。(前はエンジンがあり床が熱いから)
3. 前輪と後輪の間。(揺れが激しくないから)
4. 運転席の後ろの席を避ける(車掌さんが座るから)  ( )内の理由は推測。
番号を振ったが座るときの優先条件と考えたほうがいい。 今のところボックス席を見たことがないので(長距離列車にはある)タイ人のそこへの座り方は分からないが、こうしてみてみると日本人とタイ人の座る理由に国民性が現れているみたいでおもしろい。 これで何か研究ができそうだ。 

6 「お坊さん席」
 お坊さんはバスのお金を払わなくてもいい。 タクシーや飛行機は分からない。 彼らは女性に触れてはいけないので、お坊さんが来たら女性は身を引く。 最初はそれを見ていた僕も身を引いていた。 よってバスで女性とお坊さんが一緒に座ることはありえない。 「お坊さん席」は昇降口の後ろである。 出口から一番近いところ。 もしあなたがそこに座っていてお坊さんが入ってきたら、女性男性問わず席を譲らなければいけない。

7 「お年寄りより子供」
 僕は「子供は立ってなさい」と言われて育った。 電車やバスに乗っても子供は立っていなさいと言われてきたのだ。 そこに「子供差別」は感じなかった。 ただ、子供は元気だから立つものだと思っていたし、今でもそう思っている。 しかし、ここでは子供は座るものなのだ。 小さい小学生以下くらいの子供が親と乗ってきたときには、すかざずドアの近くの人が立ち上がる。 その対応の速さは「すかさず」という言葉がぴったりだろう。 カラオケルームに上司が入ってきたときの対応の速さだ。 子供はそうされるのが当たり前のようで「ありがとう。」とあまり言わない。(もちろん言う子もいる) 子供のときにすでに「ありがとう」と言わないので、大人になってそう言われなくても気にしないのかな?

  8 「荷物を持ってあげる」
 買い物のあと荷物をいっぱい持って立っていたら、「持ちましょうか?」と手を差し伸べてくれる人がいる。 その言葉に甘えて渡すのだがそのなかに卵や冷凍ものがあると、気が気でない。 「割れないかな?」とか「冷たくないかな?」とか。 日本でやったらどれだけの人が「お願いします。」と荷物を預けるだろうか。 おそらく怖がって誰も渡さないであろう。 ここにタイ人らしさを感じる。


以上、推測も含めてバンコクのバスについて考えてみた。 ある日「バンコクのバスに乗るツアー」というものを見たことがある。 聞くところによると駐在の奥様方は会社からバスに乗ることを禁じられているという。 だからこういうツアーが存在するのだ。 タクシーのほうがよっぽど危ない気がする。 バンコクのバスに乗ってみたくなりましたか。 皆さんもバスに乗ってみて気づいたことなど、教えてください。




「楽しいバスの乗り方 (1)」 2002年6月10日

一時帰国などでタイを離れたあと帰ってくる。 テレビで『箱根駅伝』を見ると正月を実感するように、僕はバスを見てバンコクに帰ってきたことを実感する。 しかも3.5バーツ(日本円で約10円)の赤バスだ。 空港でも向かいの道を走っているのを見ると「嗚呼、バンコク・・・」と思う。 バンコクでバスは庶民の乗り物。 今回は初めてバンコクに来る人やバンコク在住の人たちに向けて「楽しいバスの乗り方」を紹介します。

1 「揺れ」
 日本の道と違ってバンコクのそれは凸凹が多いような気がする。 バスに乗っていて文字通りお尻が浮くので、つり革代わりの棒を「常に力を入れて」持っておかなければいけない。 ちょうど渓谷に架かるボロいつり橋を渡るあんばいである。 バンコクの中の「縦揺れスポット」はニューペッブリー通りとアソーク通りにある高架。 そこを通るときには昇降口から離れ(ドアは常に開いている)棒をそれまで以上に握り締めることをお勧めする。 もしくはスキーの要領でひざを軟らかくさせ乗り切るというほう方法も。 特に緑の小さいバスはかなり危険。

2 「乗車拒否」
 タイのバスは停めなければ止まらない、ナナメに手を上げるのだ。 自衛隊のポスターのように「空、高く!」ではなく、「そこに本があります。」と言うようにナナメ下に手を出す。 しかしよくあることだが「乗車拒否」されることがある。 その条件としては
 1. バスの速度が早い。(昼間や郊外など)
  2. そのバス停に一人しかいない。
  3. 朝夕の忙しい時である。
が挙げられる。 1と3を組み合わせるといつでも乗車拒否の危険性があるといえる。 ここでは他に「男性一人でそのバス停にいる」などもあるのだがここでは例外としてカウントしないでおく。
  さて問題はいかに乗車拒否されないかである。 急いでいるときにされたらどこにその怒りをもっていったらいいのか分からない。 駅で自転車を盗まれたときの心境だ。 「なんで自分だけ・・・」 そうならないためにも上の条件がそろったと判断したらすかさずこれを実行してほしい。 「体を張る」のだ。 道に2,3歩出て行ってバスを停める。 「乗るんだっ!」というのを見せるのだ。 ここまでやっても乗車拒否された時はどうするか。 「マイ ペン ライ」とタイ人を気取るといい。

3 「降車拒否」
 バスの停め方はブザーを押す。 日本のようにアナウンスがないので、景色で判断しなければいけない。 (アナウンスがあるほうが珍しいのかも?) 必然的にそのバス停の前の風景やランドマークは覚えておかなくてはいけない。 押すのが遅すぎたり、運転手が聞いていなかったり、彼の気分で停まらないときがある。 そういう時も「マイ ペン ライ」と言い聞かせてタイ人を気取りましょう。

4 「車掌さん」
 チケットは車掌さんから買う。 女性が多い気がする。 彼らはお金とチケットが入った筒(ラップの芯の大きさ)を持ちジャラジャラいわせながらお金を集めに来る。 そのジャラジャラが「お金集めに来ましたよ」の合図である。 彼らは揺れるバスの中ですばやくチケットをもぎる。 その速さというと表現できないほどだ。 注文して作り置きしてある料理が出てくるくらいの驚きはある。 しかも彼らはどんなに混んでいてもお金を集めにくる。 人の間をすり抜けすり抜けやって来る。
  研修をしているのを見たことがある。 年輩のおばちゃんに教えを受けている人がいた。 あの人はあの速さとすり抜ける技術を身につけたのだろうか。 

「楽しいバスの乗り方 (2)」に続く




「極楽入院生活」 2002年3月6日

皆さんは海外で入院したことがあるだろうか。 タイに来て始めて体験したことの中に「入院」がある。 自分の体は一見健康そうに思えて、意外にもろいと自覚してしまった。 今回は入院を含めてタイの病院について書いていきたいと思う。

よく海外旅行の本の「トラブル」の欄に「海外で入院したらとても高額を請求された」と載っている。 「外国の病院はすごいらしいよ」と聞いたことがある人もあるだろう。 実際に入院の経験をした者から言わせるとそれらは二つとも当たっている。 ここでひとつ断っておかなければいけないのは、僕は日本で入院経験がないということだ。 「そんなこと当たり前。」とか「それで?」と言われたらおしまいなので、今のうちに言い訳をしておく。 

 その日は午後から体がおかしく、寒気がするのだ。 時間が経つにつれてひどくなっていくのが分かる。 5時くらいになると立っているだけで頭もふらふら揺れ、息苦しくぜいぜいしていた。 今から考えてもそれまでに経験したことのないほど体がおかしかった。 タクシーで病院に行った。 そこは私立病院で日本語の話せる医師がいる。 受付を済ませて待っている間も体が寒く、ぜいぜいしている。 症状を言い、ひととおりチェックをした後でその先生は「入院して点滴をしないとね。 3日は仕事を休んでください。」と言った。 この時から僕の「極楽入院生活」が始まった。 先生が看護婦を呼び事情を説明する。 先生が僕に続けた「今は病室がいっぱいなのでVIPに行ってもらいます。」 

「VIP? なんじゃそら?」 飛行機でもファーストクラスに乗ったことがないのに初めての入院で「VIP」? まあまあそのときは思考能力も衰えていたので何も考えずに待っていた。 その直後また初めての経験をする。 「車椅子」が到着した。 「くっ、車椅子?」これで部屋へ行く前にレントゲンをとりに行くという。 「はぁ・・・ VIPね・・・。」 10階は病室の階だった。 行くと腕に名前と病室の書いた紙が挟まれたビニールを手首に巻かれる。 いよいよVIPの部屋へ入っていく。

日本でも入院こそしたことないがお見舞いには行ったことがある。 「病室」と言うと世に言うカーテンで仕切られている「大部屋」のことを想像していた。 しかし、そこに入ってみると僕の想像を超えた景色が目の前に広がっていた。 「なんじゃこら?」第一印象だった。 部屋が2つあるではないか! ひとつは患者が寝るところでもうひとつはお見舞いに来た人たちの「控え室」だ。 部屋にあるものを紹介していくと、テレビは各部屋にひとつありもちろんNHKが見られる。 ベランダ。 角の部屋なので広く夜は夜景がきれいだった。 外にでるとそよ風が吹いていてバンコクという「喧騒の街」の中にいる気がしなかった。 バスルーム。 トイレとユニットバス。 湯舟があるのに驚いた。 もちろんタオル付属。 電話、冷蔵庫、エアコン、クローゼット、台所とホテルのようだった、と言うよりホテルよりサービスがいい。 ボタンを押すと看護婦が来てくれるし、食事はすべてルームサービスだ。 僕は入院していることを忘れていろいろと見て回っていた。 食事のほうはメニューがあり食べたいものを選択できるようになっていた。 日本料理ももちろんあった。 

これを読んでいてバンコクにいる駐在員の方なんかは「それがどうしたの?」と口を開くであろうが、そのとき僕が住んでいたところは学校の寮で何もないところだった。 ベッド、クローゼット、トイレ、水シャワー。 エアコン、テレビ、冷蔵庫、電話、ホットシャワーはなかった。 そんなところに住んでいたから異常に感動したのだろう。 

さて生活のほうだが、こんなにいい部屋に住んでいても所詮は「入院」なのである。 することがない。 VIPとはいえ看護婦が一人つきっきりで面倒を見てくれるわけではない。 毎朝先生と一緒に様子を見に来るのと、体温測定、点滴の取替え以外は誰も入ってこない。 僕は両親や友達を招待したい気持ちでいっぱいだった。 

結局そこには3日いた。 さすがに入院しただけあって回復は早かった。 その病室を去るとき「こんなところだったらまた来たい」と思っていた。 幸か不幸か、ちょうどその1年後にまた入院することになる。 入院はやめられない。 

最後にお金の話である。 3日いて26000バーツ。(約8万5千円) 部屋もすごかったがこれにも驚いた。 で、どうやってこのお金を払ったか? 「保険」が全額カバーしてくれた。 皆さんも出かけるときは忘れずに。




「日本人って・・・ 其の壱」 2002年1月22日

久しぶりにバンコクの街の中へ出かけた。 普段は行かない。 家の近くで間に合っているのだ。 バンコクの「スクンビット」と呼ばれる地域は日本人がたくさん住み日本料理屋などが軒並み並ぶまさに「日本村」と言ってもいい。 日本料理屋をはじめ日本の本屋、ビデオ、CDレンタル屋、日本語の通じる美容室、マッサージ屋、仕立て屋など何でもある。 何も知らずにバンコクへ来てもここだったら日本と同じ生活ができることだろう。

休日の夕方、日本のスーパーマーケットに行った。 そこは文字通り日本の食材や生活雑貨がおいてある。 値段は少々、いやかなり高めに見える。 それでも日本のものが買えるとあってその時もたくさんの人で賑わっていた。 僕は別に何も買うものはなかったがそのあたりをぷらぷらしているとある景色に出会った。

  入り口のところにタイ人男性が7.8人ある方向を見ながら立っていた。 じっと待っている者や横の人と話している者、彼らに共通しているのは「同じ方向を向いている」ということだった。 それを見たとき「何か事件があってみんなそれを見ているのだろう」と思っていたが僕の創造をはるかに超えた景色がまた目の中に入ってきた。

いきなり僕の後ろにいたタイ人男性がその方向に向かって走り出したのである。 彼は出てきた女性の荷物を持ち一緒に車のほうへ向かって行った。 そうなのだ。 彼らは買い物に来た日本人の運転手だったのだ。 同じ方向を向いている彼らは日本人が買い物を終えて出てくるのを待っていたのだ。

「こんなことがあっていいのか?」少なくとも僕の目にはその景色は「異常」に見えた。 駐在でタイに来る人たちはいい家に住み、お手伝いさん、運転手などを雇って生活していると聞いたことがある。 駐在妻たちは昼間はエステやテニスに通い、駐在員たちは夜は「タニヤ」(バンコクにある日本人クラブが多数集まる通り)で遊ぶ。 それは事実誰もが知る事実なのだが僕は信じられなかった。 そこで待っていた彼らには日本人はどう映っているのだろうか? 

なにもこんなことが悪いと言っているのではない。 大学生がBMWやベンツで通学し、その車が停車中に裸足で昼夜を問わず花を売りに来る人がいる。 そういう世界なのだ。 僕にとってはカルチャーショックだった。 「日本人はお金持ちだ。」とよく言われてきたが、日本の内側を知っている僕はいつも否定してきた。 しかしそれは自分のことが見えていないということなのか。

確かに外国人特に日本人(日本ブランド)で得することもあるが、自分が日本人ということを意識する機会もそのたびに訪れる。 日本が豊かであることを責めるつもりはない。 ただその豊かな国に生まれた僕達はそれを知らずに生きているのかもしれない。





「死を待つ人たち」 2001年12月21日

 それはバンコクのスラムと言われているところにあった。 「スラム」と聞いて貸切バスで行くのにもいつもと違う緊張感を感じた。 バスは走る。 ボロボロの服を着た子供が走り回っている。 人一人がやっと通れる通路をはさんで家屋がひしめき合っている。 ほとんど鉄板を組み合わせた簡単なものだった。 「夜来たら怖いなぁ…」 そんなところだった。 ちょうどニューヨークのスラム街をバスで走った時のことを思い出した。 バスは走り続ける。 すこしあって、止まったバスの前にはきれいな建物があった。 「Mercy Center AIDS Hospice」と書かれたそれはその周りの雰囲気とは似ても似つかない。 僕らは入っていった「死を待つ人たち」のもとへ。

 「彼らにマッサージをします。」 そう聞かされた時に動揺しなかったといえば嘘になる。 マッサージをする前にいくつか注意を受けた、それは 「手袋とマスクをし、それらは患者ごとに新しいものに取り替える。」 「一人の患者が終わったら必ず手を洗いに行く。」 というものだった。 「よかったよかった、手袋、マスクをしていたら安心。」と思っていると学生が続けた。 「彼らは免疫がありません、エイズの進行を抑えるためにします。」 そうだった! 彼らは免疫がないのだ。 普段、生活している中にもたくさんの菌がいる。 僕らは免疫があるから何もないが、彼らはそれすらも受け付けてしまう。 彼らはデリケートなのだ、すこし程度を超えた。 自分のことだけを考えていた。

大きな部屋に20人くらいはいただろうか。 ただベッドがあって枕元には本、漫画が置いてある。 病院のそれと変わらない。 彼らを目の前にする。 「痩せている…」僕の第一印象だった。 体のいたるところに斑点やできものが見られる。 たぶん皮膚が腐ってきているのだろう。 「人間の体はこんなふうにもなるのか。」 「痛いのかな。」 意外と冷静だった。 いろいろと聞きたかった。 名前、年齢、どれくらいここにいるのか、どうしてここにいるのか。 でも聞けなかった。 これがエイズ患者に対する偏見なのだろうか。 ただ、聞くと自分が失礼なことをしているのではないかと感じたから。

 マッサージを始めた。 「軟らかい!」 ずっと寝たきりなので筋肉が落ちているのか、それともエイズが進行しているのか分からない。 何か力のない軟らかさだった、女性のそれとはまた違う。 末期患者になると骨と皮だけになるのだろうか、ちょうどテレビで見る飢餓で苦しむ子供のように。 マッサージを続けた。 「痛いのかな。」それが分からない。 普通の人にマッサージをするのとは違う。 マッサージされていて痛いのか気持ちいいのか。 最後まで僕は分からなかった。 そして最後まで悩み続けた。

 実はそこへ来る前に「僕は泣いてしまうのではないか」と思っていた。 泣かなかった。 しかし僕はずっと考えていた。 「この人たちは毎日何を思っているのか。」と。 考えているとそれどころではなくなり、擦るようにマッサージを繰り返していた。

待ち合わせの時間までまだあったので、二階に行ってみた。 広い部屋に規則的に小さいベッドが並んであった。 子供がいた。 孤児だった。 写真を撮りたいと言うと担当の人は子供を集めてくれた。 子供はどこに行っても収拾がつかない。 「彼らは両親がいないということが分かっているのか。」 無邪気な笑顔からそんな現実は想像もできなかった。 そんなことを考えること自体、無駄なことなのかもしれない。 彼らはそのときのように明るく、力強く生きていくはずだ。 そう信じている。

「Mercy Center」を背に写真を撮った。 人はよく「人間、いつかは死ぬんだから」と言う。 しかし本当にそれを真剣に考えている人は何人いるだろうか。 その日、彼らと接した。 僕たちも「死を待つ人たち」かもしれない。 「死を待つ人たち」として、するべきことは何か。 そして彼らに何ができるか。 そんなことを考えさせる時間・空間だった。

僕たちを乗せたバスはまた、スラムを走っていった。




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