共依存



▼共依存とは

共依存を一言でいえば、「他者に必要とされることで、自分の存在意義を見い出すこと」となる。共依存の特徴をよく表現している文章を以下に引用する。

 共依存者とは、自己自身に対する過小評価のために、他者に認められることによってしか満足を得られず、そのために他者の好意を得ようとして自己犠牲的な献身を強迫的に行なう傾向のある人のことであり、またその献身は結局のところ、他者の好意を(ひいては他者自身を)コントロールしようという動機に結び付いているために、結果としてその行動が自己中心的、策略的なものになり、しだいにその他者との関係性から離脱できなくなるのである。(加藤篤志)

つまり、自分の内面が空虚で他者の評価を必要とするだけでなく、他者の評価を獲得するために他者を道具として利用する人たちのことをいう。一般的傾向としては、他人の世話を焼きたがる割には、他人に対して不誠実で策謀的な点があげられる。


▼共依存の発見

1970年代の後半にアルコール依存の臨床で発見されたといわれている。以下のようなプロセスがあったとみられている。

・アルコール依存の回復において、依存者同士のグループセラピー、そして「家族からの隔離」が有効であることがわかった。
・つまり、家族の中に戻ると依存克服が困難であることがわかった。
・その後、ほとんどの臨床ケースにおいて、依存者の家族の中に「依存者への世話に依存している人」が発見され、その人が依存を後押ししてしまっている事実がわかった。

従来は、アルコール依存を個人の精神的弱さの問題と考えていたが、この発見によって依存者の人間関係に焦点が移る。依存者の回復には、その依存に手を貸している人の治療も必要であるという認識が得られたのである。


▼共依存概念の重要性

当初、アルコール依存の家族にたいして、依存を手助けしないためのアドバイスをすれば済むと考えられていた。しかし実際は、その家族の依存的態度の変更がはるかに困難で、それ自体を一つの病的傾向として扱われるに至った。

その結果、あらゆる嗜癖とは共依存の反応の一つであり、すべての問題の根に「共依存」があると認識されるに至る。

ついには、現代社会に広くみられる一般的病理として「共依存」という言葉が使われるようになった。自分の存在意義を確定させるために、他者からの承認を過剰に求める現象は、現代社会のあらゆるところで見いだすことができるのである。




▼「パチンコ依存=共依存」は当然のこと

依存というのは、依存する対象の問題ではなく、依存してしまう人格面の問題である。つまり、「パチンコにはまったかどうか」の問題ではなく、パチンコという行為にのめり込んでしまう人格の問題といえる。

人格を考えるときには、個人で完結する問題ではなく、その依存者の人格形成に関わった両親、そしてその依存者と結婚するほどまでの密接な関係を築いた夫婦関係が問題となる。(なお、結婚した時点で依存が表面化していたかどうかは、まったく関係がない。)

そして、実際、依存者の両親(特に母親)はたいてい共依存の傾向があるし、夫婦間でも共依存関係に至っていると推測される。


▼なぜ親子間より夫婦間が問題になりやすいか

上で述べたように、依存者はその家族から離れることによって回復するケースが多い。共依存状態の中にあっては回復は困難なので、そこから物理的に離れてしまうことが有効なのである。

親子間においては、社会通念として子供は親離れすることが要請されている。そのため、成人が依存症になった場合には、親子関係の共依存があったとしても、すでに物理的に離れているケースが多い。

しかし、夫婦間においては、物理的・経済的に密接な関係にあるだけでなく、心理的にも適切な相互依存関係にある。夫婦である以上、お互い適切に依存しあう必要があるにもかかわらず、その依存の仕方が共依存になってしまった場合、その後の夫婦関係は相当の困難を伴うと考えられる。(カウンセラーなどの第三者の介入と援助を求めることを強く推奨したい。その際、妻と夫の両方が、(別々ではあっても)カウンセリングをうける必要があるのは言うまでもない。)


▼パチンコ依存症患者の夫婦の典型

共依存の特徴は、他者へのコントロールにある。他者の承認を得るため、自己中心的に他者の感情を操ろうとしたり、自分に依存させようとする。

その点から考えると、仮に夫がパチンコ依存のときに、共依存者の妻が取りうる一つの典型的なパターンが浮かび上がる。つまり、今までのコントロールに加えて、今度は「パチンコ依存だったという事実」によって、夫の行動や感情を操ろうとするのである。

共依存者は、共依存以外の人間関係が構築できないのが常である。夫をコントロールするという想定がどれほど異常な関係かを理解できない。おそらく、共依存者の両親も共依存傾向にあり、それを無意識に学んでしまったと考えられる。また、そういう人格傾向があるからこそ、同じく依存的な人間である現在の夫と結婚することになったはずである。


▼共依存の誤解

依存者の家族は、自分が共依存である可能性(あるいはその事実)を指摘されると、反射的に反論してしまう。「自分は今まで散々苦しめられた。なのに、それが自分のせいだっていうのか。冗談じゃない」というわけだ。

そのように誤解される理由は、責任の所在をどこかに求めようとする点にあると考えられる。たとえば、夫がパチンコ依存になったのは妻が原因だ、などという誤解がある。実際は、夫と妻がどちらも共依存的傾向を持ち、だからこそお互い密接な人間関係を築き、現在は夫の方が目に付きやすい嗜癖がある、と考えるべきなのである。

人間関係は人格の基底である。嗜癖という行為はその基底からわき出てきた泡と見なすべきだ。依存者と密接な人間関係にあるものすべては、等しく依存的な傾向を有していると考える方が自然なのである。

なお、夫がパチンコ依存のときに、妻が「自分は共依存者ではない」と主張することは、「自分と夫はもともと精神的な交流がない」と断言するのに等しい。(ただし、ここでは共依存の定義をやや広く捉えている)。また、もし妻が共依存であるにも関わらずそれを自覚しないならば、夫の依存回復は困難になる。




▼なぜ借金の身代わり弁済はやめるべきなのか

共依存を考えるこのページで、借金の身代わり弁済を言及しておきたい。
パチンコ依存者はたいてい大きな借金をかかえている。そして、それが発覚したときにとるべき対応はだいたい以下の3つに限られる。

・生活レベルを落としたり、仕事を増やしての自力弁済。
・任意整理、自己破産等。
・家族などによる一時的な身代わり弁済。

この中で、身代わり弁済という手段は、自力返済のように高金利を支払うこともなく、自己破産のように社会的信用を傷つけることもないので、一見すると合理的でベストな選択のようにみえる。しかし、多くの人が経験的に(あるいは直感的に)知っているように、もっとも困難な選択なのである。

まず第一に、パチンコ依存者は依存的な人格傾向を持つからこそ現状に至ったわけで、その後始末を依存的手段で済ませることは、その人の人格変容を要求しないことになる。安易な解決によって、その人の問題が保存され、依存回復のチャンスを失う。


▼さらに深刻な問題点

さらに、誰かに借金を支払ってもらった場合、その人との間に共依存関係ができやすい。金を払ってもらった依存者側は負い目を感じることになるし、弁済した側は無意識のうちに相手の支配権を持つ思いこむ。両者の間に対等な関係が形成できなくなるのである。

妻が夫の借金を弁済した場合、夫は負い目を感じて、その息苦しさから逃れるために家に寄りつかなくなることがある。また、妻は弁済したことによって夫を何かと支配しないと気が済まなくなり、自分の共依存傾向を強める。

親が子供の借金を弁済した場合、子供は親に負い目を感じて、根本的な親への依存心からいつまでも脱皮できなくなる。親も何かにつけて子供に干渉するようになり、共依存傾向を強める。

結局、「身代わり弁済」というのは、共依存の表現なのである。貸した側が共依存者として、パチンコ依存者の依存を後押ししていることになる。安易に身代わりを引き受けてしまった人は、その行為によって相手をさらに苦しめることを十二分に理解しよう。負い目から逃れるために、パチンコ依存者をさらなる自己破壊に仕向けてしまうことだってあるのだ。(つまり、共依存者とは、親切や自己犠牲を装いながら、他者を支配し苦しめる結果をもたらす傾向がある。)

依存回復という視点からみれば、長い自力返済の期間を経たり、あるいは任意整理や自己破産をした方が、本人にとっていい結果をもたらすことが多いのである。金銭的な損得の観点だけで、安易な身代わり弁済をすることは控えた方がいい。

なお、身代わり弁済が絶対にいけないというわけではない。上記のことを両者が十二分に理解し、できれば第三者の助けを借りながら、依存の根本的な問題に努力していけば、遠回りではあるものの回復は可能だろう。







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