ペルシャ絨毯

自作ペルシャ絨毯 小さな枠に入った小さな絨毯 
 
私の作ったもの。枠から外すと完成。

 イラン人はペルシャ絨毯の上で生まれて、ペルシャ絨毯の上で死ぬと言われています。そのとおりで、どんな場所でもペルシャ絨毯は欠かせないのです。普通はウールのものを、貧しい家庭でも目の粗い安価なもの、大金持ちならシルクの最高級品を必ず敷いています。イランの両親の家でも、まず大きなものを敷き、それから細長いのや小さなもので、隙間を埋めるように部屋全体に敷かれているのは圧巻です。

 絨毯は生活必需品であるとともに、財産でもあります。ご存知のとおり、ペルシャ絨毯は高価なもの。良い品は、時間が経っても価値が下がらず、かえってアンティークものとして高く売れるくらいなのです。

 ペルシャ絨毯とは、イランで作られている手作りの絨毯のこと。機械製のものも、最近あるにはあるが、ほとんどが手作りされています。ペルシャ絨毯は、今から4,5千年もの昔から、既に作られていたと言われています。今でも、イランの主要な産業で、人口6千万人の国民のうち、1千万人もの人々が、その製作や関連産業に携わります。

わたしも挑戦

 何を隠そう、わたしもペルシャ絨毯を作っています。先回、イランを訪れた時、親戚のおじさんに教えてもらいました。うちは親戚一同、アルデビルというイラン北部の町出身なので、おじさんが絨毯の仕事をしていたのもアルデビル、もちろん教えてもらった作り方やデザインもアルデビルのもの。絨毯産地それぞれに独自のものがあります。

 まず、おじさんが用意してくれたのは、小さな木枠に縦糸がセットされたもの。幅は30センチくらいしかありません。ペルシャ語はほとんど聞き取れるようになっていたので、教えてもらうのには問題ありませんでした。織り方は、カギ針編みと織物を合わせたような感じ。イランでは、小さな子供でも織ってるんだもの、そう思って、気合をいれてがんばりました。最初におじさんに考えてもらったデザインのものは2週間ほどで完成。小さいけど、わたしのものだということがうれしいです。

 イランで教えてもらっていた頃のエピソードを少し。教えてくれたおじさんは、何度もわたしの名前を呼びながら、とても一生懸命教えてくれました。ところが、そのうちわたしのことが「カヨ」と呼ぶようになってきました。もちろんわたしの名前とは全然違います。

 「カヨ、ここはこうやるんだよ。」「よくできた、カヨ」など。おじさんの別の日本人の知り合いと勘違いしてるのかしら、と思ってました。でも田舎のおじさんに日本人の知り合いなどいそうにないし、と疑問に思いながらも、「カヨ」のまま、さよならを言いました。

 おじさんが帰ってから、夫にそのことを話しました。すると彼は、「カヨは「おしん」に出てくる名前だよ。」とのこと。そう、イランでおしんは何度も放映されていて、とても人気があるのです。おじさんもおしんの大ファンだったんです。

 もう1つの話は、その自作絨毯を日本に持って帰るときのこと。イランからペルシャ絨毯を持ち出すのは、一人年一枚と決められていて、あらかじめ許可を取っておかないといけません。しかし、その時は、ペルシャ絨毯を買っていませんでした。

 でも税関の荷物検査で、職員がとてもしつこく、ペルシャ絨毯を隠してるだろう、早く出しなさいなどと言ってくるんです。本当に買っていないわたしたちは、出すことができません。押し問答の末、夫が言いました。

「本当に買っていない。うちが持ってるペルシャ絨毯といえば、妻の作ったこの小さいものだけだ。これにも許可がいるのか。」とまだ枠に入ったままの、作りかけのものを職員に見せました。すると職員はすぐに納得して、立ち去りました。

 あまりにあっけなかったので、「わたしのもペルシャ絨毯なのに!どうして許可が要らないのか。どうせお遊び程度のものってこと!」と職員にも夫にも怒りそうになりました。

 次の新しいものにも挑戦しているけれど、自分で考えた色やデザインが気に入らず、やり直したりしていて、なかなか進みません。イラン時間ではスムーズに進んでいた絨毯も、日本時間では進み方が違う。やはり日本で作るものではないのかもしれません。

 将来、リビングで敷くような大きなものも作ってみたいけど、それには絨毯より一回り大きな木枠がいることになるのです。そんな木枠を置いたら、狭い我が家では寝る場所もなくなってしまいます。せいぜい玄関マットくらいかも。やはり日本向きではないようです。

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