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『そして、巡礼をはじめた』

< 目 次 >

1.私達、夫婦を考える

2.両親を思う

3.やっと考えがまとまる

4.三重四国八十八ヶ所霊場の巡礼をスタート

5.西国三十三ヶ所観音霊場の巡礼をスタート

6.札所でのトラブル 

7.巡礼し始めて、ふと思う 

8.人とのふれあい 

9.天気も苦行 

10.ご朱印に魅せられて

11.余談 地方霊場に思う

 

 

1.私達、夫婦を考える 

 突然、「巡礼をはじめよう」と思ったわけではない。

 1999年3月に結婚して、2001年12月にふと思った。

 結婚して、もう3年になろうとしている。

 今まで夫婦で行ったところを思い出してみると、数少ないことに気がついた。

 結婚した当初は、友人たちとキャンプやドライブなどイベントごとが、いっぱいあった。

 ところが、だんだん生活する時間の違いや、仕事柄休日が取りにくいので、休みが合わないなどからイベントごとが減ってきた。

 夫婦で遊びに行くことも少なく、休日にはゴロゴロして1日が終わっていた。

 このままの生活に対し、急に不安を感じた。

 学生の時にも感じた時があったが、それ以上のものだった。

 考えてみると、学生の時には、高校で3年間、大学でも4年間と、ある意味で期限が決まっていた。

 その中で、自分にとって充実した日々を送れば良かった。

 たとえ、それが自己満足でしかなかったとしても、それでよかった。

 ところが、今回はちょっと違う。

 期限があるようで無いと感じていたからだ。

 自分が何歳まで生きていけるかも分からない。

 夫婦(2人3脚)で、何年連れ添っているのかも分からない。

 そう考えると、期限が無いという事には、初めてぶつかったのかもしれない。

 だからこそ、ここまでの不安が自分に襲ってきている事に気がついた。

 「さて、どうしたものか」と自分の中で呟いた。

 どこにも行かず、このまま生活していたら、20年位経って、ふと気がついたら、ダラダラした生活しか残っていないという可能性が強くなっているだろう。

 数日間、そんな事を時間がある度に考えていた。

 とある日曜日、たまたま朝早くに目覚めた。

 煙草に火をつけ、居間にあるテレビをつけた。

 映し出された映像は、東海地方のようだった。

 いろいろな寺院をまわっているものだった。

 番組の終わりになって、知多四国八十八ヶ所の巡礼を番組でやっていたのだとわかった。

 なんとなくだが、気になる番組という印象を受けた。

 

 

2.両親を思う

 私の父は、自動車の営業マンとして働いていた。

 ちょうど、自分で決意して、2001年12月末で早期退職した。

 仕事とはいえ、1日に200〜300kmという距離を走っている為、休日には極力車には乗ろうとしなかった。

 私は、退職した父の事や母の事を考え始めた。

 私は、兄弟のいない一人っ子として両親に育ててもらった。

 確かに愛情いっぱいで育てられた。

 しかし、自分の今までの行動を思い出してみると、反抗期の長かった事が最初に思い出された。

 人に話をするのも、恥ずかしいくらい、反抗し物を壊したりしていた。

 両親とも、もう2〜3年で、60歳をむかえ、世間でいう第2の人生にはいろうとしているのは事実です。

 このままでいいのだろうかと疑問が出てきた。

 多分、そんな親孝行は出来ないだろうなとも思う。

 でも今、自分に出来ることで、喜んでもらえるなら、その時だけでもいいから、何かしたいと思うようになった。

 かと言って、何をしたらいいのかも分からないまま、日だけが過ぎていった。

 

 

3.やっと考えがまとまる

 思い出したように先日、気になっていた知多四国八十八ヶ所について調べ始めた。

 一番手軽になっているインターネットで「巡礼」「八十八ヶ所」などを調べてみると、四国八十八ヶ所や西国三十三ヶ所観音など多くの情報を見つけた。

 そして、定年退職した人や、さまざまな人が巡礼していると分かり、今まで悩んでいた事に対して、解決の糸口がつかめたような気がした。

 自分たち夫婦にとっても、いい思い出になるだろうし、1つの目標としても考えやすい。

 両親にとっても、自分が今出来ることとして、一緒に行くことが出来るし、父がハンドルを握らなくても、あちこちに行けるので、いい思い出になるのではないかと思い出した。

 こうなると典型的なB型の私は、今まで以上に行動力は加速していく。

 西国三十三ヶ所観音霊場の資料をインターネットで集め、書籍を購入してという風になった。

 ところが、調べているうちに、気になることが出てきた。

 それは、歩く距離だった。

 いくら車で巡礼するとは言っても、歩く部分も多々あると分かり不安になった。

 日頃から歩いているのであればいいのだが、車での移動が中心となっているしまっているので、歩いていけるだろうか。

 西国三十三ヶ所観音霊場の前に、少し手軽な巡礼はないだろうかと思って調べだした。

 そこで見つけたのは、三重四国八十八ヶ所霊場だった。

 三重県内だったら、道もある程度分かるだろうし、歩く距離も心配するほどではないだろうと考えた。

 そこで三重四国八十八ヶ所霊場を巡礼し始めて、季節的に良い時期になったら、西国三十三ヶ所観音霊場をはじめようと決心した。

 ここまで、自分だけで考えていて、妻にも両親にも話をしていなかったので、まずは妻に話をしようと思った。

 妻に話をすると、妻の反応は、「別にいいよ。」という感じだった。

 さて、両親に話をすると、「怪しい宗教に関わってないか。」とか「もっと、年配になってからの事だろう。」という返事だった。

 これは、困った。

 私自身、信仰心で巡礼しようと思ってなかったし、もっと簡単に考えていた。

 何度か、両親に話をして、やっと巡礼することになった。

 事前に、三重四国八十八ヶ所の札所になっている寺院で、納経帳を購入しました。

 

 

4.三重四国八十八ヶ所霊場の巡礼をスタート 

 2002年1月から、日曜日を利用して、三重四国八十八ヶ所霊場の巡礼をスタートしました。

 極力、札所の順番で巡礼していこうと決めていましたので、三重県の北勢から中勢を経て伊勢志摩方面に下っていく事となりました。

 さすがに地方霊場だということに遭遇しました。

 それは、寺院までの道路の道幅の狭さでした。

 私自身、アコードワゴンに乗っているのですが、2から3回のきりかえしが、当たり前でした。

 地方霊場は、軽自動車などの小型で巡礼したほうが気分的に負担がかからないんだと感じました。

 ただ、私達の場合大人4名で巡礼していますので、軽自動車では厳しいのですが。

 巡礼していて、ご住職さんがおみえにならなかったり無住職の寺院がある点でした。

 無住の寺院が札所になっている場合、本堂内又は本堂付近に、朱印箱があり、巡礼者が自ら押印するという形式になっています。

 三重四国八十八ヶ所霊場の場合、専用の納経帳が霊場会から発行されており、それには、すでに毛筆部分は印刷されており、朱印を押印するのみとなっています。

 最近は、仏像だけでなく朱印そのものも盗まれる事があるという話をされるご住職さんもおみえになりました。

 なんと、悲しい時代になったのだろうか。

 

 

5.西国三十三ヶ所観音霊場の巡礼をスタート

 さて、3月になり季節もよくなってきたので、本番となる西国三十三ヶ所観音霊場をスタートすることになりました。

 当然といえば当然なんですが、霊場の札所になっている寺院が、テレビで放送されたり、雑誌に掲載されている勇名なところが多い事です。

 両親も、巡礼をはじめた頃には、参拝したあと寺院のどこを見たりしたらいいのか、分からなかったようですが、西国三十三ヶ所観音霊場を巡礼しはじめてからは、徐々に仏像を見たり、本堂や観音堂や山門などの建築部分を見たり、庭園や石仏をみたりするようになってきました。

 又、巡礼が終わって自宅に戻ってからも納経帳を広げて、その日巡礼した部分のご朱印を見ながら、各札所を思い出したり、話をするようになりました。

 テレビなどで自分達が巡礼した寺院が放送されると、今まで以上に集中して見ていたりしていました。

 時には、納経帳を広げたりしていました。

 確かに、西国三十三ヶ所観音霊場の札所になっている寺院には、国宝や重要文化財などが多々ありますから、テレビなどで放送されやすいのは、当然なんですがやはり行った事がある場所が放送されると興味深くみるものですよね。

 そうやっている両親を見ていると、一緒に行こうと提案してよかったと思いました。

  

 

6.札所でのトラブル

 三重四国八十八ヶ所霊場と西国三十三ヶ所観音霊場を平行して巡礼していたわけですが、とうとう札所でトラブルが発生しました。

 それは、地方霊場の三重四国八十八ヶ所霊場の巡礼をしていた時に起こりました。

 私達の住んでいる市町村近隣にも札所があります。

 たまたま巡礼予定の当日、雨が降っていて自宅近隣の札所を巡礼しようということになりました。

 とある寺院に私達が着くと、本堂内から男性1名が境内に出てきました。

 納経帳を持っているところから、巡礼者だとすぐに分かりました。

 本堂の隣には、ご住職さんの自宅があり、自宅よりご住職さんがみえました。

 ご住職さんは、男性の納経帳を受け取り、その後私の納経帳も片手に持ち、本堂に入っていきました。

 しばらくして、ご住職さんが男性の方と私達にそれぞれ納経帳を渡しました。

 私達は、それを受け取り次の札所に向けて車を出しました。

 車内で、納経帳を見てみると、あきらかに自分の納経帳ではないのです。

 その時、私達は約60ヶ寺ほど巡礼していましたが、自分が今持っている納経帳は、6ヶ寺しか押していないのです。

 慌てて、先程の札所に戻りました。

 寺院に着いてから、先程の男性巡礼者を探しましたが、見つかりませんでした。

 ご住職さんに話をして、納経帳をその寺院に預けて、その日の巡礼は打ち止めになりました。

 ご住職さんには、各札所に電話連絡してもらい、もし私の納経帳を持って見える方が巡礼でみえたら連絡を・・・というお願いをしました。

 ところが2ヶ月経っても連絡はありませんでした。

 渡し間違えた住職さんと話し合いをしました。

結果、住職さんが今まで私達が巡礼してきた部分を、再度私達の事を報告しながら巡礼して頂けることで解決しました。

 解決したといっても、結局は自分達が巡礼した納経帳とは違うのですが、この方法しかなかったのですから。(金銭的解決で納得は出来ないですから。)

 それから2ヶ月後、住職さんが私達の自宅に謝罪とともに納経帳を持ってみえました。

 私達のわがままを理解して頂いた上で、巡礼して頂いた事に、感謝の気持ちでしかありませんでした。

 ただ、こういったトラブル自体が、私達への苦行だったのかもしれません。

 その納経帳を持って巡礼を再開することになりました。

 

7.巡礼し始めて、ふと思う

 巡礼し始めて、ふと思うことがある。

 それは、自分の事故が無くなった事です。

 車の免許を取得してから、今までに、追突や信号無視の車と衝突などで合計で11回もの事故にあっていました。

 ほとんどが、相手側の過失割合が100%であり、1回のみが自分の過失割合が30%でした。

 世間一般に言う、貰い事故ばかりでした。

 もともと、ホンダのインテグラに乗っていたのですが、どちらかと言うと走りを重視した車でしたので、事故が多いのかなとも思っていました。

 ところが、車を買い換えてホンダのアコードワゴンにしたのですが、貰い事故にあいました。

 これは、おかしいなあと思いながら生活していたのですが、ふと巡礼をし始めてから事故が無いことに気が付きました。

 凄く良いことなのですが、内心凄く不思議でした。

 確かに、前まで横着な運転をしていたのかもしれませんが、今はどうかなって思うと、同じ人間ですから全く横着な運転をしなくなったと言えば嘘になります。

 少しは今まで以上に気をつけているかもしれませんが、それほど極端に慎重な運転をしている訳ではありません。

 考えてみると、他の車に道を譲ったり、車間距離に今まで以上に敏感に反応することはありますが、だからと言ってスピードを出さないわけでもないですし、追い越せるところでは、追い越すこともあります。

 今までならぶつかっていたような急ブレーキでも、何も無くクリアしているのです。

 私自身、信仰深いわけでもないのですが、事故が無くなった事自体は凄く良い事ですし、今まで以上に安心して車に乗れるようになったというのは本音です。

 自分自身の心境の変化なのか、心の持ちようの変化かまでは、分かりません。

 ただ、事故が無くなったという事実だけが残っています。

 

8.人とのふれあい

 有名な霊場に行くと周りの人が納経帳を持っていたり、掛け軸を持っていたりします。

 同じ巡礼者という意識があるのか、よく声を掛けられたり掛けたりします。

 「どちらから、おみえになったんですか。」

 から始まって、二言三言と話をする時もあれば、逆に十分以上も話をしていることもあります。

 それも、女性同士がスーパーなんかで話をしているように、親しみのある会話です。

 これは、凄く貴重な時間でもありますし、巡礼の情報交換をしたり、巡礼自体が楽しくなります。

 巡礼というのがなかったら、絶対に知り合わないのですから。

 又、住職さんとも同じ事があります。

 いろいろと巡礼の事を教えてもらったり、仏教的な事を教えてもらったり、時にはお接待を受けることもあります。

 地方霊場を巡礼する際には、巡礼者が少ないということもあって、もっぱら住職さんと話をするという方が多いのですが、たまに寺院の掃除などを奉仕でしてみえる地元の方と話をすることもあります。

 これが山の上や中腹にある寺院などの巡礼の場合には、また趣きをあります。

 よく登山や今流行のトレッキングのようにすれ違う人に対して、

 「おはよいうございます。」「こんにちは。」

 と声をかけ合います。

 本来、巡礼では、

 「ようお参りで」

 とかけるのですが、これは確かに少ないですが、やはりかけてくれる方もみえます。

 途中、休憩が取れるように、椅子があったりするのですが、ここでも又いろんな方と話が出来ます。

 やはり、きつい坂や階段で息が乱れていますから、割と長く話をしていたりします。

 下りの方が上りの方に対して、

 「あと、もう少しやから、頑張ってね。」

 とかかる場合もありますし、逆に、

 「あと、どの位ありますか。」

 という場合もあります。

 これが、自然に声となって出るわけですから、凄いと思います。

 この時ばかりは、今の日本も捨てたもんじゃないと思ったりします。

 同じ巡礼者という仲間意識というのも強く働くようです。

 やはり声を掛けられるというのは、嬉しいものですし、なんとなくですが、すがすがしくなります。

 どうせ、巡礼するのであれば、気分よく巡礼した方がいいですし、楽しいですから私自身、極力声をかけるようにしています。

 

9.天気も苦行

 巡礼をしていると、当然のように雨や雪に当たる時があります。

 いくら、車遍路をしていると言っても、日程や時間的に巡礼日を変更することも出来ませんし、もともと仕事を持っていて趣味で巡礼していますから行ける日時は限られています。

 確かに歩き遍路では、それ以上に厳しく、通し遍路をしている場合には、日程も時間も全てがずれていきます。

 雨天中止というわけにもいきません。

 この雨や雪が、やはり曲者になってくるのです。

 気分的に憂鬱になるのは当然なんですが、それ以外にも多くの苦難がのしかかってきます。

 巡礼する札所は、大抵山の上や中腹にある寺院となります。

 寺院本堂まで車で行けるケースは殆どありません。

 山門手前や山門付近の駐車場に車を停め、歩いていくところが大方です。

 歩くといっても、アスファルトやコンクリートで舗装してあるのではなく、土の道や砂利道などの未舗装だったり、自然の石を利用した階段となっています。

 当然、自然の環境ですから、苔も生えています。

 濡れていたりすると、滑りやすくなります。

 巡礼する時には、納経帳、軸、線香、蝋燭、納札などを持っていくため、荷物としては結構あります。

 雨が降っても、雪が降っても傘が必要となります。

 歩く時にも、滑らないように、ぬかるみにはまらないように、納経帳や軸が濡れないようにと、様々なことろに気をつけていかなくてはなりません。

 そういった全てが仏教上でいう、苦行・難行という行となります。

 苦行も難行も修行のひとつという考えが根本にあります。

 寺の住職さんも修行僧の時代から、苦行を修行のひとつとして実践してきています。

 たとえ一般人であっても、巡礼をしている上では、この教えを念頭においた上ですすめていくべきだと思います。

 自分が巡礼してきて、感じてきたのは徒歩できつかった所や、雨で苦戦した所ほど、印象深く残っているものということです。

 あとになって、思い出すときには、その印象が強ければ強い程、思い入れも強くなってきます。

 こういったことは、その時には苦痛や体力的な疲労でしかないのですが、後から実感できるはずです。

 ある意味巡礼の醍醐味のひとつかもしれません。

 有名な霊場だからとか、地方霊場だからということ無しに、この苦行は経験することと思います。

 

10.ご朱印に魅せられて

 霊場を巡礼していくと、納経帳や軸に納経やご朱印をしてもらうこととなる。

 寺院や神社へ行くと、納経所や朱印所という看板をみたり、建物があったりする。

 納経や朱印というものは、写経などを書き、それを巡礼した際、納めてきた証として書いてもらっていたものです。

 今では、写経を納めている方も少なくなってきましたが、やはり納めないなら般若心経の一巻でもいから読経してくる位の気持ちのほうがいいと思う。

 今では、巡礼の証や参拝の証となってしまいましたが、スタンプラリーなどのスタンプとは全く異なったものであることは、認識として持っていて欲しい。

 しかし、このご朱印は何かというと、その寺院の本尊名だったり、建物の名称だったりする。

 ご朱印帳は、亡くなった方の棺にいれると、その方は極楽浄土となるといわれています。

 しかし、このご朱印に魅せられてしまう。

 迫力のある字だったり、印象ある字だったりするからだ。

 現在、墨で書いていただける文字は、元来木版だった。

 現在では四国八十八ヶ所霊場でも、木版を使用されていた寺院があったようですが、こういった昔のことを知らない巡礼者から、

 「手抜きだ。」

 「味気ない。」

という苦情があって、筆で記載するようになってしまったそうです。

 確かに、筆に墨の方が字に癖があって魅力があると思う。

 また、霊場を巡礼する時には、専用の納経帳やご朱印帳を利用することが多いのですが、それ以外に無地のご朱印帳を持っている巡礼者は多い。

 これは、どこの寺院や神社に行ったときにも書いてもらえるものです。

 神社用と寺院用の2冊持っているケースが多い。

 旅行や観光で寺院や神社に行くということもあると思う。

 そういった時には、この無地のご朱印帳にかいてもらう。

 無地のご朱印帳は大きな文房具屋さんか大きい神社・寺院で販売しています。

 こういって、ご朱印収集となりがちなのですが、あくまでも納経しか証として授与されるものということは、忘れてはならない。

 

11.余談 地方霊場に思う

 今までの中で地方霊場という言葉が出てきていましたよね。

 いったい、地方霊場ってなんだろうって思いますよね。

 そこで、地方霊場について少し書きます。

 今でこそ、四国のお遍路をしたいなって思ったら、日本の何処からでも四国に行って四国八十八ヶ所霊場を巡礼することが出来ますよね。

 同じ事で、観音霊場の本霊場として西国三十三ヶ所観音霊場や秩父・坂東という三霊場があります。

 この三霊場で、百観音となるのですが、この霊場を巡礼したいと思ったら、自力で車や電車などで巡礼することも出来ますし、旅行会社などのパック旅行やツアーでも巡礼できるようになりました。

 これは、公共交通機関の発達や道路整備の充実があると思います。

 また仕事や生活の環境の変化も大いにあると思います。

 高度成長期で体験した、仕事に追われている生活や家庭を顧みずの仕事から、生活・プライベート重視の環境が出来つつあります。

 ところが、昔はそうはいかなかった。

 「一生に一度は、お伊勢参り」と言われ、また地方から四国でお遍路しようと思うと、相当な時間的余裕と生命を掛けてきたのだと思います。

 一般人で巡礼できる機会はというと、皆無に近かった。

 そこで、地方霊場が出来てきたのです。

 四国八十八ヶ所霊場の各寺院の砂を持ってきたり、模写した本尊を持ってきたりして、うつし霊場が創設されてきました。

 同じように、観音霊場でもうつし霊場が出来てきたわけです。

 それ以降、独自で八十八ヶ所霊場を創設したり、三十三ヶ所観音霊場を創設したりして地方に霊場が増えてきました。

 四国や西国などに行けない人たちは、地方に出来た霊場を巡礼していたわけです。

 各寺院の境内で八十八ヶ所霊場になっているケースも多々あります。

 今では、こういった古くからの地方霊場は廃れ、新たに現代創設されてきた霊場が次々創設されてきています。

 新たな霊場も巡礼していくのは面白いと思いますし、鎌倉時代や江戸時代の事を、考え意識しながら昔の霊場を巡礼していくのも、巡礼者として趣きがあると思います。

 逆に、鎌倉時代や江戸時代の霊場が一切埋没していくことに寂しさを感じます。

 インターネットでも書籍でも調べられない霊場になってしまってはいけないような気がしています。

 その時代の、その時の人の生き様だと思いますから、私はそういった霊場も巡礼していきたいと思っています。