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ノーベル平和賞/市庁舎


アルフレッド・ノーベル
1833年10月21日〜1896年12月10日、ストックホルムで生まれ63歳で生涯を閉じたノーベルが、なぜ自国のスウェーデンではなくノルウェーにノーベル平和賞を委託したのでしょうか。
ノーベル賞の授与式はノーベルの命日12月10日にオスロで行われますが、これを読んでいる皆さんにも同じような疑問があると思います。
2001年4月1日に日本の視察団の通訳としてノーベル研究所を訪れ、委員会のガイル・ルンデスタ氏と会うことができました。
氏はノーベル平和賞発表のTV中継時に発表者の横に立っている背の高い人です。
ここの項目の内容は氏から聞いたことと、研究所発行のパンフレットから得たものです。

なぜ、ノーベルが平和賞のみノルウェーに委託したのか定説はありません。
いろいろ言われていますが、次の3つの説があります。
1.ノーベル平和賞は、ほとんどスウェーデンで授与式が決まっていましたが、当時の連合政権のノルウェーにも賞の一つを与えることが適切と考えられました。
2.ノルウェーは国際紛争の仲裁、仲介、平和問題に大変熱心でした。
3.ノーベルはノルウェー文学に傾倒、平和問題に熱心だったノルウェー人のビョーンスタャーネ・ビョルソンの影響がありました。


アーケル・ブリッゲから見るオスロ市庁舎
オスロ市創立900年祭を記念して、競合設計により1931年に着工、1950年に完成。
海上から見ると2っのあずき色の塔を持つ市庁舎には、両手を広げたオスロの守護神ハルヴァルの7mのブロンズ像が海に面して立っています。
街の中心は、すぐ市庁舎の後ろです。
ノーベルの命日、12月10日に市庁舎の一階、大壁画に囲まれたホールでノーベル平和賞の授与式があります。
以前は、オスロ大学のアウラ講堂のムンクのフィヨルドから昇る太陽の前の壁画、で行われていました。
市庁舎の入り口は街側です。
建物の両翼は白鳥の像と噴水を囲んでいます。
両翼の壁には北欧神話エッダの物語を表した16の木彫があります。
市庁舎に向かって左側の8つの木彫から物語が始まり、右の8つの木彫で物語が終わります。
フリグは最高神オデインの妻で空、雲、結婚、家庭の女神です。
そのフリグの不安げな姿の木彫から話が始まり 、世紀末の世界を救うべく、オデインが8本の足の軍馬で草原を疾走している木彫で終わります。


授与式会場
1900年6月27日にノーベル財団設立
ノーベル平和賞の授与式会場
ノーベル研究所/1905−1946
オスロ大学アウラ講堂/1947ー1989
市庁舎/1990ー

ノーベル平和賞候補者選考
ノーベル研究所に届く全ての推薦候補が選考対象になります。
最終日は2月1日の郵送の消印まで有効です。
毎年100人以上の候補者がいますが、推薦者は下記の資格者です。
1.現在、過去のノーベル委員会のメンバー、ノーベル研究所のアドバイサー。
2.各国の国会議員、政府閣僚、列国議会同盟のメンバー。
3.国際仲裁裁判所、国際司法裁判所のメンバー。
4.常設国際平和局の理事会のメンバー。
5.国際法学会のメンバー。
6.政治学、法律、歴史、哲学の大学教授。
7.過去のノーベル平和賞授与者。

こぼれ話
通訳者は私見を押さえて、機会的に訳をするのが普通ですが私はそういうことは余り気にせず、滅多にないチャンスだったので、ガイル・ルンデスタ氏にそれとなく「最近のノーベル平和賞受賞者は万人の賛同を得ていませんネ」ときいてみました。
氏、いわく「受賞者決定に対して、できるだけ多くの議論がもちあがることがねらい」と軽くいなされた感じの答えが返ってきた。
「非暴力を訴えたインドのガンジーは、ノーベル平和賞を貰うべき人でした」という説明がありました。
お金も地位もあるが、名誉としてノーベル平和賞を何とか手に入れたくて、ノルウェーに来る人がいます。
「冗談半分にでも、贈り物等を 持って行くと、その段階で平和賞の可能性はなくなるそうです」
将来、平和賞を狙っている人、注意して下さい。
2002年の日本でのノーベルフーラムに招待する時に、主催者の方では予算が決まっていたようです。
航空機はビジネスクラスらしいのですが、人によってはフアストクラスでなければ、招待を受けないという人がいるそうです。
ノーベル賞をもらう人でも結構俗っぽいので驚きました。


つづく