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IS02B.gif FAQ(よくあるご質問)などに、お答えしています。
 Q:なぜ「駱駝」なのですか? (東京都、主婦A子さん45才ほか)
 A:下記のどれか・・・です。
    
    1. ドイツの哲学者・ニーチェは「ツァラトゥストラはかく語りき」の中で、
      人間の精神の三段階の変化につき「はじめは駱駝のようにひざを折り、その内
      に自我に目覚めて獅子となる。だがしかし、最後には幼子となる」と語っている。
      私は、まだまだ獅子にもなれない駱駝なのだ・・・。

    2. 中国の作家・老舎の名作「駱駝祥子」に感銘を受けた。

    3. バグダッドから駱駝に乗ってやって来て、ロールス・ロイスに乗って上海を
      去って行ったと言われる、上海の覇王・サッスーンの逸話に興味があった。

    4. 故郷が「ハムナプトラ」の様な砂漠の町だった。

 Q:駱駝さんは女の人なのですか? (大阪府、学生C子さん21才ほか)
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 A: 右の写真で手を振っているのが私です。               


      分かりましたね?         


 Q:駱駝さんのお仕事は? (鳥取県、公務員Dさん32才ほか)
 A: 女優です。という噂もあります。ダンサーだ!という人もいます。
   難しい質問ですね。企画室だから、プロデューサーかな?
   とにかく、全然お金にならない世界ばっかです・・・(泣)
 
    Q:これからどうしたら良いのでしょう? by 駱駝

   ところで、Dさんは鳥取県庁かなんかにお勤めですか?
   実は、この「駱駝企画室」は何故か鳥取県の公式サイトからリンクされ
   ているのです。知ってました?
BL0565.gif とっとり公共ネットワーク

 Q:駱駝さんのプロフィールは? (大分県、自営業Eさん65才ほか)
 A: 秘密です・・・。というほどのモノでもありません。
   学生時代は、マンガ研究会とサッカー部、バンド活動をやってました。
   毎日夕方になると部活だけ顔を出し、夜はお店で歌ってました(バイト)。
   第二外国語は何故か仏語で、3年間やりました。(普通は2年間ですが、とても
   熱心で3年かかりました・・・)その頃の名残か、煙草はジタンを愛好してます。
   でも、自信をもって、フランス語は全くしゃべれません。
   なんちゃって英語と、インチキ中国語で海外を歩いてます。

   卒業後は、しばらく銀行員をやってました・・・(中略)・・・上海のいくつかの
   合弁会社での仕事を経て、今も上海のデザイン会社等の仕事に関わっています。

   何年か前に、香港スターTVのchannel[V]の「G-Force」という東京情報番組の
   制作に関わっていました。・・・誰も知んないよね、この番組。
    
 Q:尋夢老上海」のコーナーの写真の女性は? (岐阜県、会社員Fさん30才ほか)
 A: 「外灘の変遷」の画像のセピア色の小姐はナンシー(何小姐)といって、上海の
   デザイン会社の元・秘書さん。「Welcome Shanghai」のページの赤いチャイナの
   小姐はメイファン(金小姐)といって、土地開発合弁会社時代の元・秘書さん。
   どちらも上海の小姐です。(あの、上海ランバダ事件の人とは別です)
   現在は、お二人ともご結婚なさって、既にお母さんです。ああ、時は過ぎ行く・・・。

   ちなみに「上海ランバダ事件」とは・・・
   ずっと前、上海には今の様な沢山のカラオケもバーもなかった頃、仕事が終ってから、
   上海に二つだけあったディスコなるものに、当時の通訳兼秘書さんと行ったのです。
   テキトーに踊ってると、なにやらランバダが流れてきた途端に、皆さんフロアから
   サァ〜っと引いてしまったのですが、私はそのままインチキ臭いランバダもどきを
   踊ってたんです。そして、2〜3日後にそこへ行ってみると、なんと! 皆さん体を
   エッ? と思うぐらいにくっつけて、そのランバダもどきを踊っているではありませ
   んか? おおっ!流石は上海っ子じゃのぉ!! と感心し、さらに2〜3日後にまた
   やって来ると、なんと!「くっつき過ぎじゃ!」とのことで、公安局からランバダ禁止
   のお達しが・・・。チャン、チャン♪(・・・ホントの話しです)
     
 Q:新宿2丁目でお店のママさんをしていらっしゃると聞いたのですが・・・。
    (東京都、エレクトーン奏者M子さん25才、福井県、酒類販売店J美さん24才、ほか)
 A: それは噂にすぎません。
   言い訳にならないかもしれませんが、私はあまり化粧ノリが良くないんです。
   そういえば、以前、横浜の作家Y子さんが、上海の四馬路で「祥子」と名乗って
   いる私を見かけた・・・、とおっしゃってましたが、それも他人の空似でしょう。
     

           


  これは、天安門事件から4ケ月経った、上海は
  四馬路(福州路)と四川路の交差点近くでの
  私です。(まぁ、若いわねぇ・・・)
  当時は上海古北興隆発展有限公司という合弁会社の
  副総経理(後に常務董事)をやっていて、「Studio
  Voice 」という日本の雑誌に紹介された時のスナップ
  です。
  ね? 祥子ちゃん、という感じではないでしょ?


 Q:上海ではどんなお仕事をしてらっしゃったんですか?
    (東京都、漫画家K子さん27才、愛知県、教師Pさん34才、ほか)
 A: よく聞かれる質問ですね。芸能関係ではありません(笑)。
  
   このサイトのいくつかのコーナー中でも触れていますが、私が初めて中国本土に
   行ったのは1988年のことでした。
   それまでは中華圏といえば香港ばかりでしたが、上記の写真でお話ししている
   合弁会社の話しが出て「あ!上海なら行きたいっす!」とすぐにその気になった
   私はそのまま駐在する予定だったのです。
   けれど、天安門事件の影響もあり、1989年に上海古北興隆発展有限公司の副総経理
   となって以後は、出張ベースでいつも上海へ飛んでいましたね。
   この事業は、上海市の郊外に137ヘクタールの外人向け住宅、マンション、オフィス・
   ビルなどを作るもので、私の合弁会社はその内の約52ヘクタールの西側地区のインフラ
   工事を行いました。(でも、土木の事はサッパリ分からん私でした・・・)
   当時は田んぼや原っぱばかりの土地でしたが、今では、沢山のビルが建ち並び、日本人を
   はじめ、多くの外人の方々が住んでいらっしゃいますね。
   このサイトにおいで下さる方々の中にも、この地域にお住まいの方が結構いらっしゃると
   思いますよ。(下の地図のピンクの部分です)
gubei.JPG
ちなみに、この開発区のサイトもありますね・・・
gubei.GIF
(クリック)
      
   その後、この事業は1999年まで続いたのですが、何年も上海に通う内に、
   食後のデザートに大好きなネット・メロン(マスクとかアムスとか)の出ない
   事を不思議に思った私が尋ねてみると「中国にはネット・メロンがない」との
   返事。「んじゃぁ、自分で作るか!?」と、いつもの「誰でも最初は素人よ!」
   という楽天的な発想をした私は、早速知人の紹介で上海市農業科学院という
   農業試験場の大きくなったような(職員は1600人以上とか)単位と交渉を始め、
   田舎に帰っては、農業指導員をやっている従弟からメロンの栽培を習ったのでした。
 
   そして、メロン以外にも、いくつかの日本の野菜や花の試験栽培をしながら、
   私の故郷の専門業者である(株)米子青果さんに加わっていただき、1994には、
   上海市農業科学院と日中合弁の「上海恒豊園芸有限公司」を設立し、董事長に。
   また、上海の土壌はメロンには向かない事が分かってガッカリ!していた頃、
   ちょうど上海進出を決めていらしたモス・バーガーさんが日本品種の野菜を求めて
   いらっしゃったり、いくつかの外資系スーパーの進出も始まり、それらの需要から
   京都のタキイ種苗(株)さんの協力を得て、様々な日本野菜を栽培、供給させて
   いただくようになりました。
   当時は、上海のモス・バーガーさんのレタス、玉葱、トマトなどの95%以上はウチの
   供給でしたね・・・。
   で、下記の写真は1997年に、タキイ種苗(株)さんなどの後援をいただいて、開催
   した「日本の夏野菜展示会」で、なんか喋ってるワタクシですわ(中国の新聞にも
   真面目なインタビュー記事が掲載されちゃいました)・・・。
yasai.JPG
   
   なんか、この質問への答えは真面目で、つまんないっすねぇ・・・。

   で、その後この農業事業は中国側の内紛などの影響もあって2000年には清算
   してしまったのですが(あぁ、挫折!)、人々の生活レベルも向上し、近郊農家
   の農民が持ち込んだ路地での野菜販売も禁止された「今の上海」を見越した良い
   アイデアだったのになぁ、と残念に思ってますね。

   で、現在は「上海のお土産グッズ」のコーナーでも紹介している「上海匯奇商務策劃
   有限公司」という会社の董事/デザイナーや、古北新区のお向いにある虹橋地区で、
   日本人の沢山住んでいる「太陽広場」の総経理をなさっているOさんを代表とする
   コンサルティング会社「友豊咨詢(上海)有限公司」の董事となっております。
   
   本当にまぁ、ジャンルが滅茶苦茶ですねぇ、我ながら・・・。
   
   でも「なんで中国の映画関係者たちとの付き合いが多いのか?」・・・は、これも
   よく聞かれる質問ですが、またそのうちに・・・。
IS02B.gif このコーナーでは、皆さんからのご質問を、どんどんお待ちして
  ・・・いる訳ではありません。
  が、どぉ〜しても! という質問で、ぜぇ〜ったい答えないぞ! 
  と思ったもの以外にはお答えしていきます。

 <オマケ>
   2003年の後半、久し振りに新聞の取材を二つほど受けました。
   ちょうど「プロフィール紹介」の様になっておりますので、下記ページを
   クリックし、上下左右にスクロールしてご覧ください。


    ・週刊中国専門新聞「チャイニーズドラゴン(中国巨龍)」10/14号

    ・日本で発刊されている中国語新聞「中文導報」12/4号
   
   21世紀のアジア人的ライフスタイルマガジン「わーずわーす/wordsworth」
   2005年3月号の「アジアに深く関わった日本人」というコーナーで6ページほど
   書かせていただきました。

    ・「わーずわーす/wordsworth」2005年3月号「アジアに深く関わった日本人」
   
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